本物の猫を求めて
太陽が中天のあたりを少し過ぎたくらいの時刻。
俺、ラナ、美咲の三人は連れ立って田舎道を歩いてた。もちろんあの四角い箱の中で鳴いているはずの、小さな黒猫を迎えに行く為だ。立ち位置は俺が真ん中、右側がラナ、左が美咲だ。
やはりそう簡単にはわだかまりは解けないようで、ラナと美咲はお互い口を聞かないままだ。この陰鬱な空気に耐えられない俺は二人の間を取り持とうとするが、なかなか上手くはいかない。
つっても、ラナの方は全然気にしてないみたいだけどな……まったく、どれだけ面の皮が厚いんだか。
からっと晴れた空とは正反対の暗い雰囲気をまとって歩く俺達の耳に、羽ばたきの音が聞こえる。その羽音の主は翼を広げながらゆっくりと飛翔し、やがて電柱に着地して羽根を休めた。何の事はない、ただのカラスだ。
だけど電信柱に止まった黒い姿を見て、ラナは足を止め露骨に眉根を寄せた。俺が食卓であの緑の野菜を発見した時もきっとこのような表情をしている事だろう。
初めて目にするラナの嫌悪の表情に俺は戸惑う。
柱の上の鳥とラナの顔を交互に見ながら問いかけた。
「何だ? ひょっとしてカラスが嫌いなのか?」
「ええ……我々カエルにとって、カラスは常にやっかいな存在です。狙われたらひとたまりもありません。以前、私の友人だったマサハルも目の前で奴らに捕食されてしまいました」
「ラナ……」
「……」
普段、自然界の食物連鎖から外れている俺達人間にとって中々キツイ話だ。今はこんななりをしているが、小さなカエルとして生きていた時は俺達の想像も付かないような世界に身を置いていたのだろう。俺も美咲も、ラナの悲痛な過去にショックを受け、重苦しい沈黙が辺りを支配した。ラナは言葉を続ける。
「ちなみにマサハルに体当たりをしかけて転ばせ、カラスが捕まえやすいようにしたのはこの私です」
「ってお前何やってんだよ!? 友達じゃないのかそのマサハルって奴は!?」
「だから言ったじゃないですか。友人『だった』って」
「お前は本当に酷い奴だな!?」
「あの時カラスに追われていたのは私とマサハルのみ。私も食べられたくはありませんし、仕方のない事だったのですよ。それに、人間の世界にもカルネアデスの板という言葉があるじゃないですか」
「いつも思うが、何でカエルのお前がそんなに人間の事に詳しいんだよ!?」
「鶴は千年、蛙は万年」
「それで面白い事を言ったつもりか!?」
「海千蛙千の方が良かったですかね」
「確かに意味としてはそっちの方が合ってるけどな!! 俺が言いたいのはそういう事じゃねえ!!」
息を切らす俺の腕を、美咲がぎゅうっと掴む。視線を向けて様子を伺うが、ラナを見上げる顔には恐怖が浮かんでいる。仲を取り持つ為に始めた事のはずなのに、初っ端からデカイつまずきだ。
「安心してください美咲さん。私は貴方を傷つけるような事は絶対にしませんから」
「その笑顔でその言葉は止めろ! どう考えても逆効果だ!!」
それこそカエルのように口を大きく歪ませて笑みを浮かべるラナに、激しく突っ込みを入れる俺。美咲の恐怖を和らげたかったのかもしれないが、しがみ付く力がますます強くなっただけだぞ!!
俺は哀れな美咲の頭を優しく撫でてやる。
正直言って、ラナを姉妹二人と仲良くさせるなんて、土台無理なんじゃないかという気がしてきた……。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
以前見に来た時にはなかった黒いビニール傘が、くたびれたみかん箱に覆いかぶさっている。どうやら、ラナは猫を隠していた時に傘も一緒に動かしていたらしい。まったく、念入りなことだぜ。
しかしここに傘があるって事は、やっぱりあの時ラナが差していた傘は俺のじゃなかったって事だよな。一体どこで手に入れてきたんだか。
まあいい、今は子猫の事だ。
さっきまで暗かった美咲も、可愛い子猫と再び会えるのが嬉しいのか、俺を見上げる口元に小さく笑みを浮かばせている。俺もつられて笑い返した。
「なんだかんだあったが、あの猫を助ける事が出来て良かったな美咲」
「うん。早く連れて帰ってあげないとね」
「おいおい、忘れんなよ? あくまで、飼い主が見つかるまでの間だからな?」
「むー。分かってるよう」
先ほどの家族会議――一人家族じゃない奴が混ざってたが――の時、里親が見つかるまでは家で猫の面倒を見てもよいという御墨付きを茉莉花姉からいただいた。と言っても、言葉に甘えていつまでも置いておく訳にはいかない。これからが本番なんだよな。
俺はもちろん、美咲も猫を飼った事なんてないし、当然里親探しなんてやった事もない。前途多難で少々不安だが、美咲の笑顔が見られるなら多少の苦労はいとわないさ。
「それではちゃっちゃと回収してちゃっちゃと飼い主を探しましょうか。面倒な事は早く終わらせるに限ります」
美咲の笑顔を取り戻す最適解はコイツを叩きだす事なんだろうな、と思ったがそれは胸にしまっておく。別に放逐しても俺は構わないんだが、これでも一応女の子だし、元は小さいカエルだしな……放り出せないのも仕方がねえ。
俺達は板紙で作られた侘び住まいに近づき、中にいるであろう子猫を驚かさないようにそっと傘を取り除く。
「……あれ?」
ラナが猫ではない事の証明者は、初めて会った雨の日と同じようにそこにいた。
だけど、何だか二日前に見た時と様子が違う。少しぐったりとしており、鼻をぐずぐずとさせている。呼吸も時折ぜえぜえと荒く、つらそうだ。
「ど、どうしたんだろ? 何だかこの子変だよ……」
不安げに言葉を洩らし、腕を伸ばそうとした美咲をラナは制止して、代わりに自らの手で小さな子猫を抱き上げた。
ラナは俺達が見たこともないような真剣な表情で子猫の体をチェックする。やがてシートの上にそっと猫を戻した後、口を開いた。
「これは……いけませんね。猫ウイルス性鼻気管炎、もしくは猫カリシウイルス感染症に罹っている可能性があります。早く連れ帰って手当てを……いえ、もはや動物病院に連れていくべきか」
「な、なんなんだよ、その、ええっと、な、なんとか気管炎だか、なんとか感染症だかってのは?」
「風邪です」
「だったら最初っからそう言ってくれよ! 分かりにくい言い方せずにさ!」
難しい用語が並べられて面食らった後に、意外にも簡単な名詞が出てきて俺は拍子抜けしてしまう。ひょっとすると俺達が普段罹るような風邪も、本来はややこしい名称がついてるのだろうか?
「でも風邪ってことは大した事ないんだろ?」
俺はいささかほっとし、問いかける。けれどラナは深刻な顔を崩さずに答えた。
「いえ……たしかに症状が軽ければそこまで心配する事ではありません。ですが、この猫は子供ですからね。まだワクチンも打たれていないでしょうし、最悪の場合、命を落とす危険性もあります」
「ま、まじかよ!?」
「ど、ど、どうすればいいの? ラナちゃん!!」
「落ち着いてください美咲さん。とりあえず家に連れて帰りましょう。そして最寄の動物病院に連れていきましょう。ここの近くに動物病院はありませんか?」
俺は通学路や遊びに行く時に使う道を頭に思い浮かべた。だが、その光景はあやふやにしか映らず、ラナの期待に答えられるようなものではなかった。
「わ、わからねえ。今まで動物病院なんて気にした事がなかったからな……すまん」
自分の記憶力のなさに歯噛みする。
くそっ。こんな事なら通学の時なんかに周りの風景をしっかりと焼き付けておけばよかった!
後悔してもあとの祭りだ。だけど、うな垂れる俺をラナは責めたりはしなかった。
「それならそれで仕方ありません。電話帳でもインターネット検索でも何でもいいので、病院を探す事から始めましょう」
「お、おう。分かった。任せてくれ」
「それでは急いで戻りましょう。美咲さん、猫をお願いします」
「う、うん……」
美咲は小さな猫を優しく抱き上げた。
心配しないでね、必ず助けてあげるから。
美咲が洩らした呟きが、かすかに俺の耳にも届く。
まったくだ。絶対に助けてやるからな。待っててくれ!
俺達は足早にその場を後にした。
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「おかえりなさい……あら? 何かあったの?」
俺達を出迎えた茉莉花姉が目を丸くする。出発した時と違って皆が悲壮感を漂わせている。無理もない。
「詳しくは後で話すけど、子猫が病気になってたんだ。茉莉花姉、何かコイツを入れられるような綺麗な箱は無いか? ダンボールでもいい」
俺は靴を脱ぎながら問いかけた。茉莉花姉も状況は一刻を争うと見たのか、真剣な顔で頷く。
「そうね……ちょっと待ってて頂戴。探してみるわ」
「すまねえ。頼んだぜ、茉莉花姉」
茉莉花姉の背中を見送った後、俺はラナのほうを振り返った。先に靴を脱ぎ終わったラナは美咲から猫を受け取り、抱いている。
「で、これからどうすりゃいい? 俺は動物病院を電話帳で探してみるが」
ラナは先ほどインターネット検索でもと言っていたが、残念ながらこの家にそんな文明の利器はなかった。分厚い電話帳片手に一軒一軒あたってみるしかないだろう。
「そうですね。では病院探しは樹さんにお任せします。美咲さんは私と一緒にこの子猫の手当てをお願いします。とはいえ、応急手当くらいしかできませんが」
「う、うん! わかったよラナちゃん! あたしも頑張るから、この子を助けて!」
必死な表情で訴えかける美咲を安心させようとしてか、ラナは今までに見せたことがない優しい笑顔を向けた。
「大丈夫です。きっと助かりますよ。だからそんなに気負わないでください。それでは美咲さん、まずはガーゼを持ってきてください。この子の鼻水をぬぐってあげないといけません」
「うん!」
美咲も板張りを鳴らして走りさる。
普段は茉莉花姉の言いつけ通り、滅多に廊下を走ったりはしない子なんだが、よほど気が動転しているのだろう。とはいえ、俺も今はそれを咎める気にはならなかった。
「この子の手当てには座敷を使わせてもらいます。あそこは基本的に静かですし、風通しもいいですからね」
「座敷? 俺は構わねえが……」
抱かれている猫の四肢を見ながら口ごもる俺。いくら普段は爪を引っ込めているとはいえ、畳が無傷ですむとは思えない。イグサが傷んだら茉莉花姉が気にしそうだなあ……。
俺の不安を見て取ったのだろう、ラナが付け加えた。
「大丈夫です、心配しないでください。樹さん」
自信ありげな表情。畳やふすまが傷つけられない妙案があるのだろうか?
「いざとなったら私が一対一で茉莉花さんと交渉します」
「お前それ脅迫する気だろ!?」
「そんな人聞きの悪い。何かのはずみで舌をちょっとだけ伸ばしてしまったりはするかもしれませんが」
平然と恐ろしい事を口にするラナ。
とはいえ仕方ない。俺には分からない大事な理由があるのだろう。
俺とラナは座敷に向かった。




