64:僕の気持ちなんて自分が一番わかりません2
アイナ・クロンバリー(双子の従姉/シグの侍女)
イェルハルド(第二王子/異母弟)
グスタフ・アールステット(イェルの祖父/宰相)
「シグヴァルド殿下は……その」
「いつも通りにしてらっしゃるわよ」
廊下を進みながら、前を歩くアイナが答える。彼女の言葉からではシグヴァルドの気持ちは推し量れない。
「姉さまも、その……知ってたの?」
「なあに? シグヴァルドさまが大おじさまに騙されてること? もちろん知ってたわよ。念入りに口止めされたもの」
「口止めされたんだ……」
「まあ仕方がないわよね。一族の総領が決めたことだもの。もちろん文句は言ったけど、一族の末端としては従わざるを得ないわ」
立ち止まって振り返ったアイナは、ベルトルドの顔を見てため息をつく。そしてむにぃっと従弟のほっぺたをつねりあげた。
「あらあら、なにかしらね、その非難がましい目は?」
「だって、こんなこと……」
「何度もいけませんって叱ったのに、保護者の言うことを聞かなかったあなたたちがなにを言ってるの? イェルハルドさまの七歳のパーティに入れ替わって出ていくなんて、宰相閣下に知られたらどうなることか」
「反論の余地もございません――でも、二妃さまはご存じだったよ。こないだ、そんなふうなお話したもん」
「大おじさまや兄さまが知ったら頭を抱えそうな話ね」
やだ気の毒、なんてどこか他人事っぽくアイナは呟く。それから一息おいて、ほう……と溜息をついた。
「でも……大おじさまの気持ちもわからなくはないから」
「お祖父さまの気持ち?」
「リスクがあるのはわかってたわ。一族の中でももちろん反対があったけど、誰もなにも言えなかったの。言えない以上は従うしかなかったのよ」
とまどうベルトルドに、アイナがもう一度ため息をついた。
「ベルって本当にぽややんよねぇ。アーシャはあんなにもちゃきちゃきしてるのに、姉さま、たまに本気で心配になっちゃうわ」
「ぅええ? 急にどうして?」
「あなたももうすぐ成人よ? 周りに言われたことにはいはいって従ってるんじゃなくて、相手の意図を考えて自分はどうするのか考えなくちゃあね」
ずいと額を近づけて、アイナはベルトルドの目をのぞき込む。
「いーい? 従うにしても反抗するにしても、自分の軸を持って自分で決めるの。ベルのはただ流されてるだけ。そんなじゃ今に誰からもおいて行かれちゃうんだから」
話しについていけず困惑する。そんなベルトルドの鼻を、アイナはむぎゅっと摘まんだ。
「兄さまが甘やかしすぎなのよねえ。ぽややんな子ほどカワイイってやつかしら?」
「姉さま、そんなおかしなことわざはありません」
ベルトルドが突っ込むと、アイナは楽しげに笑った。
「だけど、あんなに小うるさい小舅がついてくるのに、シグヴァルドさまも物好きねえ」
一人ごちてアイナは、辿り着いた扉の前ですっと姿勢を正した。
「シグヴァルドさま、ベルトルドを連れて参りました」
気持ちスローテンポにノックする。だが返事は待たず、アイナは重い扉を開けた。扉の向こうには窓を背に大きなデスクが据えられ、シグヴァルドは机の側面にもたれて腕を組んでいた。
シャツ一枚で、脱いだジャケットは椅子の背に雑に置かれている。彼は無表情にじっとなにかを見つめていて、その視線の先を辿ったベルトルドはうろたえた。
それはかつて取りあげられた、アストリッドのウィッグだった。
「ああ」
スタンドにかけられたウィッグを見つめたまま、シグヴァルドが生返事する。
動けないベルトルドの背を、アイナがぐいと押した。おずおずと部屋の中へと踏み込んだベルトルドは、置いていこうとしているアイナを振り返る。だが従姉はにっこり笑うと、パタンと素っ気なく扉を閉じた。
扉が閉まってようやく、シグヴァルドの灰青の目がベルトルドへと向けられる。九年前のお兄ちゃんの姿が重なってふっと懐かしさが込みあげた。
あ、ダメかもと、ベルトルドは内心でつぶやく。床へと目を落とす。目の奥が熱くなって、ゆっくりと瞬く。
「魔法陣の報告か?」
シグヴァルドはいつもと変わらなかった。表情を緩め、手を差し伸べてくれる。だけどそのいつもと変わらない様子に、ベルトルドはなんだかもやっとする。
シグヴァルドに近づいて、差し出された手にメモ書きを乗せる。彼は形のよい眉を片方、器用に持ちあげる。だがなにも言わなかったので、ベルトルドは魔方陣についてざっと説明する。
「無理やり壊したらどうなる?」
「循環している力が装着者に跳ね返ります。一気に壊せば大丈夫かもしれませんが、場所が首なので……」
「トピアスにはもう話したか?」
「それが探したんですが会えてなくて……」
昨日ルードヴィクと別れたあと、第三連隊の基地内を歩き回ってみたのだが、彼には会えなかった。
フンと鼻を鳴らして、魔法陣を見つめてシグヴァルドは黙り込む。己の顎の辺りをさすりながらなに事か考えているシグヴァルドをぼんやりと眺める。
自分で自分の気持ちがよくわからなかった。だがそれ以上にシグヴァルドの気持ちがわからなかった。彼の態度は、まるで昨日のことなんてなかったかのようだ。
それとも変わってしまったのは自分の方なのだろうか。
「どうした?」
シグヴァルドの指が顎にかかった。顔をあげさせられて、灰青の目がのぞき込んでくる。その目をまっすぐ見返すことができなくて、ベルトルドは目を彷徨わせた。
「あ、あの……えと」
黒髪が目の端に引っかかって、はっと思いだす。
明日入れ替わるから髪を返してくださいと言うのもためらわれる。いや言ったほうがいいのだろうか。でもこれ以上アストリッドのことで彼に負担をかけるのは心苦しかった。言葉を探してベルトルドは己の前髪を引っ張った。
「うちの侍女が、その、アレを気に入ってまして、手入れだけでもさせて欲しいと……」
「あれ? ……ああ」
ベルトルドの視線を追って、シグヴァルドはウィッグへと目を向ける。
「取りに来ないものだから、もういらないのかと思ってた。持っていっていいぞ」
シグヴァルドは手を伸ばしてスタンドからウィッグを外す。そのためらいのない手つきに、ツキンと胸が軋んだ。
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