1-8 その者、魔人族
ブラックハウンドの群れ。
昔、一匹のブラックハウンドに運良く勝てたサバサにとって、これ程の数のブラックハウンドに勝算などなかった。学校時代、ブラックハウンドが一匹の時は異能力のおかげで何とか対処できたが、目の前に広がる群れを対処する術はサバサにはない。
「それでも…、」
(それでもここを死守するのが私の仕事だ。以前と違い、今は隣にトルグもいる。後ろにはゼン殿もいる。私に勝算がなくても諦めることはできない!)
サバサは自身に鼓舞を入れ、剣を構える。
「拡大。」
サバサは異能力を行使し、視野を広くする。
サバサの視界に隣のトルグも戦闘態勢に入っているのが見える。肩から新たに増やした腕で逆立ちをしているトルグは、両手両足で剣を使う。
いつ戦闘になってもおかしくない。
そう思わせるほど兵士たちとブラックハウンドの距離が近づいた時、サバサはブラックハウンドの群れの中を悠々と歩く存在に気が付いた。
今まで距離があったためか、それとも気が動転していたためかサバサはその存在に気づかなかった。
「……おい、群れの中に誰かいるぞ。」
隣のトルグに伝えると同時にサバサは視野をその存在に向けてズームした。
(女…、しかも子供か。カヤと同じくらいの背丈に紫色の髪。なぜあんな子供が?)
サバサは少しでも情報を得ようと注意深くその人物を眺める。そして気付く。その少女の正体に。
(なんだアレは。長い髪の間から…、まさか、いや…、アレは確実に角!?)
肩まで伸ばした紫色の髪の間から、チョコンと飛び出している角。それは人族には無い特徴であった。
「トルグ、それとゼン殿、あの群れを操っているのはおそらく魔人族だ。」
「っ!?」
「ほぅ。」
人族と魔人族。絶えず争い続けている種族といはいえ、サバサにはなぜこんな辺鄙な村を襲うのか瞬時には分からなかった。
「魔人族ですか。現在は魔王不在の時期。攻め込むにしてはタイミングがおかしいですね。あの数の魔物を統率していることからそれなりの実力者となれば、今は人族に手を出すよりも魔人族との争いに精を出すはずだが……。」
サバサが魔人族について知っていることはほとんどない。実際に魔人族を見るのも今回が初めてであり、ゼンが呟いている内容を理解はできなかったが、今はそれを気にしている余裕はなかった。
「ワゥォォォ――ン。」
「ォォーーーン。」
突然、ブラックハウンドの群れが立ち止まり続々と雄叫びを上げる。
立ち止まるブラックハウンドの群れから魔人族の少女が前に歩み出てきた。
サバサもトルグも警戒を解かない。
そんな中、魔人族の少女が口を開いた。
「争うつもりはない。こちらの要求さえ聞いてくれれば、私たちはすぐに帰る。」
ブラックハウンドはその少女に従うように今はおとなしくしている。
それでも、そこに脅威があることに変わりはなかった。今はおとなしくても魔人族の少女の命令1つでブラックハウンドの群れは≪カルソト村≫に襲いかかってくるのだろう。
(どうしたものか。)
「私が話しましょう。」
スッと、サバサとトルグの間をぬってゼンが前に出る。
「それで、その要求というのは。」
「異能石だ。最近、最強の異能石がここで見つかったみたいだが、それをよこせ。」
(異能石か…。)
それは魔人族がこの村を襲う理由としてサバサの中で浮かび上がっていた理由の一つであった。
「なるほど…。ハイベルやリアから話は聞いているが、それはとても危険なものらしい。彼らでさえコントロールしきれていない物を君に扱えるとは思えないが。」
「うるさいっ!! 人族と話し合うつもりはない。さっさと持って来い。さもないと…、」
魔人族の少女が手を挙げる。
その合図でおとなしくしていたブラックハウンドが体を起こした。
次の瞬間、
ゴオォウウッ、
数体のブラックハウンドの口から火の息吹が放たれた。
「「なっ…!?」」
予想外の出来事にサバサとトルグはとっさに身を伏せる。
しかし、ブラックハウンドの狙いは兵士たちではなかった。
火の息吹は兵士たちの後ろにある村を囲むバリケードを燃え上がらせた。
「威嚇、ということか。」
「…おいおい、冗談だろ。《上位種》かよ。」
ブラックハウンドが火を吐くことはない。あるとすれば、例外的な進化を遂げた《上位種》と呼ばれる個体のみだ。
「考えたくはないが、最悪の事態としてアイツらが全て《上位種》である想定もしておこう。」
「だが参ったな。サバサも俺もスタイルは近接戦闘だ。敵が火を吐く《上位種》だとすると難易度が跳ね上がるな。」
サバサとトルグは二人とも遠距離の敵に対する攻撃方法がなかった。
「分かっただろう。これは序の口だ。早く持ってこないなら、こちらも本気で村に攻め入る。」
魔人族の少女が手を下ろすと、ブラックハウンドは再度おとなしくなった。
兵士たちに選択肢はなかった。
(異能石を渡すしかあるまい、被害を出さずに村を救うにはそれしかない。)
ゼンも兵士たちと同じ判断をした。ゼンにとっては脅威でなくても、あの数のブラックハウンドとなれば、村の被害を0に済ませられることはできない。
ゼンは降参の意を込めて、両手を肩の高さまで上げて魔人族の少女に向けて話しかける。
「分かった。要求をのもう。今から取りに行く。それでいいか。」
「ああ、早くしろ。」
それで話は終わりだと告げるように魔人族の少女は群れの中に戻っていった。
「すまない。ハイベルのところまで行ってくる。」
ゼンは戻ってくるなりサバサとトルグにそう告げる。去り際に一定時間持続するヒールをサバサとトルグにかけると村に戻っていった。
「トルグ、なるべく相手を刺激しないようにしろ。戦わなくて済むならそれが一番だ。」
「ああ、分かっている。」
トルグは肩の腕をしまって元に戻る。
サバサも視野を元に戻した。
■
「――、…遅い。」
あれからあまり時間は経ってないが、魔人族の少女がそう言ってまた群れから顔を出した。
「何体か村に入れさせろ。様子を知りたい。」
(間に合わなかったか…。)
サバサはトルグと顔を見合わした。1匹であろうと魔物であるブラックハウンドを村に入れるわけにはいかなかった。
「それは無理だ!!」
「襲うつもりはない。様子を探るだけだ。」
「それを信じることは出来ない。」
サバサとトルグが身構える。
(ここまでだ。魔人族のお前に譲歩できるのはここまでだった。ここを越えようというのなら、)
「拡大。」
「四の刀≪逆≫」
戦闘態勢に入るサバサとトルグ。
「無駄な争いは嫌いだが仕方ない、こちらにも待っていられるほど余裕がない。力づくでいかせてもらう、お前たち!!」
ワォォーーン、
魔人族の少女の号令と同時にブラックハウンドが兵士たちのもとへと駆けだした。
ブラックハウンドの1匹が先制してサバサに牙を突き立てる。鎧であろうと貫通する鋭さを持つ牙を受けようものなら、瞬く間に体に風穴が開く。
サバサは目前に迫る牙を体をひねってかわす。
勢い余ったブラックハウンドはそのままサバサを通り過ぎて――、
「見えているぞ。」
(牙はフェイク。本来の目的は、尻尾だな。)
サバサは、脚に尻尾を巻きつけるつもりだったブラックハウンドの動きを見抜いていたのだ。
「そんなに尻尾を伸ばしていたら違和感に気づかない方がおかしいというものだ。なにぶん私の目は少々特殊でな。」
――ブン!!
脚に巻き付こうとしている尻尾に剣を向ける。しかし、サバサの死角となる背後で口を開くもう一匹のブラックハウンドが見えて急いで横に転がった。
すぐ横を通り過ぎていく火を見ながら、サバサは自身の好調ぶりに気付いた。
(ゼン殿のチカラか。)
とてつもなく体が軽い。
それは単純な強化だけでなく、見てから動くサバサにとって非常に相性が良かった。
(これならトルグと力を合わせればなんとか……、いや、それでも足りないか。)
未だ多くの数のブラックハウンドが待機している。戦っているのが2匹だから何とかなっているのだ。
(だが、なぜだ?なぜそんなにも待機している。なぜ群れで来ない?)
サバサは気付いてしまった。魔人族の少女は兵士たちがあえてなんとかなる数だけこちらによこしているのだと。それは、致命傷に至らないギリギリの数。
(目的は何だ。分からない。だが、こちらに都合が良いことに変わりはない。ならば――、問題はない。)
考えても分からないことに時間を費やしている余裕はサバサには無かった。2匹のブラックハウンドを捌くのに手一杯。それはサバサの隣で戦っているトルグも同様であった。
■
「…うそ、なによこれ?」
カヤたちが≪カルソト草原≫から戻ってきたのはそれから少し経ってのことだった。燃え上がる火で囲まれた村。そして、村を囲む魔物の群れ。
鍛錬を終える度にカヤたちを出迎えてくれた景色がそこにはなかった。
「ミレアが心配だ。俺は村の中に行くが、お前たちはどうする。」
ミレアのことを気にするアレスがカヤとアンジュに語りかける。
「俺はここに残るよ。」
「私も。」
「分かった。村の中は俺に任せろ。」
その場から消えるアレスを見届けて、カヤとアンジュは兵士たちに加勢する。
今まで見たことのない魔物。村で随一の実力者であるサバサやトルグですらギリギリのである現状を見て、カヤもアンジュも気を引き締める。
さきほどのミノタウロスとの戦闘の時にあった気の緩みはない。それほどまでに目の前に広がる魔物の数は異様であった。
「加わります!」
「カヤとアンジュか。ありがてぇが、危険だと思ったらすぐに中に避難しろ。死ぬことは許さねぇ。」
カヤとアンジュの方を見ずにサバサは二人に声をかける。
実際のところ、サバサたちにとってカヤとアンジュの助太刀は頼もしかった。
(だが、カヤたちは兵士でも何でもない。もしもの時は自らを犠牲にしてでも守るぞ、トルグよ。)
サバサの考えに同調するようにトルグは頷く。
「魔物の名前はブラックハウンド。牙と爪に気を付けろ。そして、奴らは火を吐く。相手は魔人族。狙いは異能石。ゼン殿が研究所に向かっている。ここを守る。以上だ。」
サバサがカヤとアンジュに対して簡潔に状況を説明した。
(魔人族、か。聞いたことはあったが、見るのは初めてだな。)
カヤは自らとあまり姿かたちが変わらない魔人族の少女に目を向けた。
(俺たちが加勢したことに悔しがっている顔か……。いや、戸惑っている…?それにしてもこちらに向く敵意が小さすぎる。……、躊躇しているとでもいうのか。俺たちを殺すことに。)
攻め込んでこないブラックハウンドの数を見て、カヤはそう考える。
(だとしたら、勝負にもならない。数で押し切ろうというのなら、こちらにはいるぞ。その数を消し去る火力の持ち主がっ!!)
カヤはそっとアンジュに目を向ける。
さきほどから地面に手をつき、力を込めているアンジュ。
(俺にはない殲滅力。俺にはない火力。…羨ましい限りだ。)
「連炎連花!!」
アンジュがそう叫ぶと同時に綺麗な模様が地面に浮かび上がる。薔薇のようにも見える模様は地面を伝って、どんどんと大きさを広げていく。
そしてその直後、模様の上にいたブラックハウンドたちは火の渦に巻き込まれた。
数百数千、数えきれないブラックハウンドの断末魔が連鎖した。
「もう二度と、私の大切なモノを奪わせない。その為に、私はっ…!!」
炎を身に纏いし赤髪の少女、アンジュは無慈悲な瞳で敵を見つめていた。