生と死で紡ぐ物語
水野晶視点
仕事で積み重なった疲れを癒すために、久しぶりにお風呂でも入れようかな……なあんて、思ったのが運の尽きでした。
私、水野晶28才、独身、普通にOLとして働いてる。恋人は、現在居ない。
まあ、強いて言えばゲームやアニメ、漫画が恋人。所謂オタクと言うものだと思う。
妄想したり、夢小説を読んだりして、恋することに憧れてはいるものの、アラサー手前の女の市場価値は低いだろうし、って二の足を踏んでいるって感じ。
「疲れた…ハァ……生き返るぅぅぅ」
たっぷりのお湯に入浴剤を溶く暇も惜しんで、ザブンと肩まで浸かる。
温かい…久しぶりに入るお風呂っていいなぁ。
最初は気分よく鼻歌なんかを歌いながら、湯船に浸かっていたものの、急に意識が引っ張られた。
とにかく、眠くて、眠くて…必死で目を開けていたくても、抗えない程の睡魔が襲う。
頭を振ってみたり、つねってみたり、大きな声を出したりと、あらゆる手段で起きていようと頑張ったのだが、どうやら私の上の瞼と下の瞼は仲良くしたいらしい。
ゆるゆると、意識がとんでいく。
ここで、眠る訳にはいかないのに、身体が湯船に沈んで行く。
温かいお湯に抱かれて、何故だか遠い昔の記憶…そう、胎内の羊水に包まれていた感覚を思い出す。
不思議と息苦しさはなかった。
最期の瞬きで目に見えた、それは浴場の照明なのか。キラキラと輝くものは、七色の燐光を放っていて。
二度と開くことのない瞼の裏でも、鮮やかに映っていた。
そうして、ゆっくりと落ちていく感覚に身を委ねれば、とてつもない安心感と、居心地のよさに思わず笑みが溢れた。
そして、私はこの世を去った。
????視点
クリスタリア王国セントラル市街、貴族たちが多く住んでいる街の一角に、まわりの屋敷と比べると、規模はやや小さいながらも、どこか暖かみを感じられるヴァレンタイン男爵の屋敷があった。
しかし、今日はなにやら朝から慌ただしく、いつもは笑い声に満ちた屋敷は緊迫感に包まれている。
「早く医者を呼べ!何をもたついているんだ!」
ヴァレンタイン男爵…現当主、アラン・ラピスラズライド・ヴァレンタインのイラついたような声が響く。
しかしながら、今日は国をあげての一大イベントが起こるこの日に、医者が緊急を要する案件以外では、どんな貴族の屋敷であろうと訪れないことを知っている執事頭のジョシュアは、出来うる限りのことをするべく、他の使用人に指示を出していく。
右往左往しながらも使用人達は、無事に今日のこの日が終わることを願っていた。
落ち着かない屋敷の寝室で、アランの妻、ツァオメイ・ネフライディア・ヴァレンタインは、現在陣痛で苦しんでいた。
まさか、今日の朝から陣痛が訪れるなんて思いもよらなかったツァオメイは、数分置きに訪れる痛みと格闘しながら、産まれてくる子の無事を願っていた。
「っ……」
時間の経過と共に痛みの間隔が徐々に狭まって、中の子が出てこようとしているのが、ツァオメイにはわかった。
徐々に下へと移動する赤子の動きにより、ツァオメイは意識を飛ばしかける。
しかし、側についているメイドのメリーナとランメイの、頭が見えてきました!という声で、何とか持ちこたえ、いきみ続ける。
そして気が遠くなる程、永遠にも感じられたその瞬間は、突如終わりを告げた。
大きな痛みがするりと身体を通り抜けて、少しの喪失感と大きな感動が込み上げてきた。
ツァオメイの目の前が涙で霞んで、一滴の涙が溢れて頬に流れたとき、赤子の泣き声が響いた。
「オギャア‥オギャアアァァ」
元気な泣き声が響いた途端に、ドアを蹴破る勢いで部屋に転がり込んできたアランは、滅多に見れないほど顔をほころばせて、ツァオメイのベッドに駆け寄った。
「ありがとう、ありがとうツァオメイ……お疲れ様」
「いいえ、私は大丈夫です。ねえ、メリーナ。生まれた子は女の子かしら、男の子なのかしら」
二人は赤子の世話をするメリーナとランメイに顔を向けた。
ランメイは産湯の片付けや、産後の片付けに追われていて答えを知らないようで、自然とメリーナに視線は向いてしまう。
メリーナはやや取り乱した様子で、震える身体を押さえて、胸に抱いていた、おくるみに包まれた赤子を差し出した。
ツァオメイは、恐る恐る受けとると……小さくて暖かい存在が、布一枚挟んだ向こう側に存在していた。
守らなくては、私の赤子を……ツァオメイはぎゅっと抱きすくめる。
少しの力で簡単に壊れてしまう存在、二人の愛の証。大切で、唯一無二の私達の赤子。
「ふふ、顔を見せて?」
ツァオメイがそっと顔を覗きこむと、しわくちゃの赤い顔が、おくるみの中でむにゅむにゅと、笑っていた。
「可愛いわね、私たちのベイビーちゃん」
「ああ、そうだな」
二人は寄り添いながら、目の前の無垢な赤子を見つめると、何故か胸のドロップがジンジンと熱くなってきた。
アランは、ツァオメイから赤子を抱き取ると、赤子のおくるみを剥ぎ、胸をさらけ出す。
ふやふやとした赤みを帯びた肌が表れると、アランは右手をかざした。
「身体に宿りしドロップよ、その姿を表せ“封印解除”」
橙色の燐光がアランの右手から溢れてキラキラと輝きながら赤子の胸に降りかかると、赤子の胸にドロップが浮き上がった。
涙の形をした透明度の高い、七色の燐光を放つそのドロップは……一年前に突如消えた乙女のクリスタルで。
アランとツァオメイは自身のドロップが歓喜に震えて波打ち、言葉にならない程の感情が溢れてくるのがわかった。
「乙女の再来……」
ツァオメイは震える自分を抑えるように、自分で自分の身体を抱き締め嬉しそうに笑った。
その言葉にアランもどこか憂いを帯びた笑みで返し、赤子を強く抱き締めた。
アルコバレーノ歴777年、無月のハイドランジア月の15日というこの特別な日に、クリスタリア王国の始祖の乙女が帰ってきたことは、生涯忘れることはないだろう。
ヴァレンタイン家は、その身に余る光栄な出来事を、ただ噛み締めていた。




