表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Protocol 17/47:SS級ハッカー、死の迷宮をやり直す  作者: 入江 鋭利
1章「最強ハッカー、死に戻る」
1/41

1話「最強ハッカー、死に場所を求める」


 2070年。空は、死んだ瞳のように濁っていた。


 かつて青かったはずの天蓋は、10年前の"大変動"以来、厚い電子ノイズの雲に覆われ続けている。時折、毒々しい紫色の稲光が地表をなめるように走り、ひび割れたアスファルトを照らし出していた。


「……また、同期(シンク)がズレているな」


 路地裏のバー。俺――炭崎湊(すみざき・みなと)は、安物のグラスを揺らしながら、左目に装着した単眼型デバイス"L-Gear"の数値を眺めていた。


 視界の隅で、現実世界の解像度がわずかに揺らいでいる。


 この世界は今、ダンジョンから溢れ出した"不確定なデータ"に侵食され、物理法則そのものがバグを起こしていた。


「湊。飲みすぎだ。お前の(CPU)、そろそろ焼き切れるぞ」


 カウンターの向こう側から、掠れた声が飛んできた。


 瑪瑙 治。通称、ジジ。


 かつての腕利きエンジニアも、今や全身の半分以上を機械化した、ただのジャンク屋だ。


「……焼き切れてくれた方がマシだ。寝るたびに、クソみてえな記憶(ログ)自動再生(リプレイ)されるよりはな」


 吐き捨てるように言い、酒を煽った。五十路を目前にした体は、酒毒に麻痺してしまい、どこか感覚も遠い。


 俺は、世界に数人もいないとされるSS級ハッカーだ。


 この時代、ハッカーとは単なる情報盗取者ではない。人間の脳が放つ強い"意志"をエネルギー――"Will-Bit"へと変換し、L-Gearを通じて現実を強引に書き換える、現実を変える権利を持つ者たちだ。


 俺たちはこの力で、ダンジョンから這い出す異形の怪物――"電想霊(ガイスト)"を(ほふ)ってきた。


 通常の兵器が効かない"情報質量の塊"であるガイストを殺せるのは、奴らの存在定義を上書きできるハッカーの能力だけだ。


 だが、その結果はどうだ。


 仲間は死に、故郷は消え、残ったのは酒に焼かれた内臓と、"確定事象(エグゼキュート)"という皮肉な二つ名だけだ。


 俺が介入すれば、勝利という結果は"確定"する。だが、その過程で失われるものは、何一つ救えなかった。


「ジジ。……俺は、文字通り"炭"みたいに燃え尽きちまった。あとは、どこで灰を捨てるか。それだけだ」


「……バカ野郎が。お前さん、最強のSS級(Level 98)ハッカーだろうが、湿気た面してんじゃねえよ」


 ジジは呆れたように首を振り、カウンターに一枚の黒い電子チップを滑らせた。


「匿名の依頼だ。場所は"新宿第11ダンジョン"。今じゃあ、S級指定の禁域だぜ」


 俺の手が、ぴたりと止まった。

 第11ダンジョン。


 30年前。俺が守れなかった、幼馴染が命を落とした場所。


「……誰が、そんなところへ行けと?」


「匿名だ。暗号が掛かっててな。お前さんなら、解けんだろ」


「まあ、な。ったく、面倒なことしやがって……」


 L-Gearでチップを読み取る。


 網膜上に投影されたのは、稚拙な暗号化アルゴリズムをベースにした文字列。


 パズルを揃えるように、順に解いていく。そうしているうち、現れた言葉に、俺は目を奪われた。


「よう、湊。なんて書いてあったんだ?」


「…………」


 俺は、無言でデータを開示した。

 そこに書かれていたのは、一人の人名。


 "蛍原結衣(ほとはら・ゆい)"。


 脳が、物理的に殴られたような衝撃。


 それは30年前、この場所で死んだはずの、幼馴染の名前だ。


 酒で焼けて止まっていた俺の心臓が、不快なほどに激しく脈打ち始めた。


「……こりゃあ、お前。流石に怪しすぎんだろ、止めとけよ」


 ジジが、怪訝(けげん)そうに眉を寄せる。


 罠かもしれない。あるいは、死に場所を探している俺への、地獄からの招待状か。


 しかし、俺の答えは決まっていた。


「……サンキューな、ジジ。これが終わったら、ツケ払いに来るよ」


「おい、湊……。お前、まさか、死にに行こうとしてるんじゃねえだろうな」


 ジジの問いに、俺は答えなかった。


 ただ、腰のホルスターに収められた愛機――"フラクタル"の重みを確かめ、雨の降る夜の街へと消えていった。




 新宿第11ダンジョン。


 かつては平和な地下鉄の駅だった場所は、今や巨大な黒い結晶体に覆われていた。


 現実(リアル)虚構(デジタル)の境界が曖昧になり、物理法則がバグを起こしている特異点。


「……静かすぎるな」


 俺は、黒いバトンのような形状をしたL-Gear"フラクタル"を抜き放った。


 思考を加速させ、脳内のニューロンが発火するエネルギーをデバイスに充填する。


[ 認証:炭崎 湊 ]

[ 実行プロトコル:最適化(オプティマイズ) ]


 フラクタルの表面に幾何学(きかがく)的な紋様が浮かび上がり、それは瞬時に変形。


 重なり合う三角形の刃が連なり、無限の階層構造を持つ大剣へと姿を変えた。


 周囲に(うごめ)いていた、半透明な獣の姿をしたガイストたちが、俺から放たれる圧倒的なWill-Bitの圧力に耐えかねて霧散していく。


 SS級の俺にとって、この程度の"敵"は存在しないも同然だ。


 だが、深部へ進むにつれ、その余裕は冷たい戦慄へと変わっていった。


「……なんだ、このログは」


 視界のL-Gearが、あり得ないエラーを吐き出していた。


[ 空間定義エラー:未定義の座標が検出されました ]


 突如、背後の空間が"剥がれた"。

 

 音もなく、気配もなく、ただそこに"虚無"が口を開けたような違和感。

 

 俺は、長年の戦場経験だけでその場を跳躍した。一瞬前まで俺がいた場所が、文字通り"消滅"している。


「"解析(スキャン)"――ッ!?」


 咄嗟に、周囲のデータ解析を挟む。しかし、俺の狙いは空振りに終わった、


「――反応が、ない?」


 戦慄とともに振り返る。


 そこに立っていたのは、漆黒の霧を纏った"人型"の何かだった。


 顔はない。ただ、無数の文字列が猛烈な速度で流れる、空虚な闇があるだけ。

 

 ガイストじゃない。この世界の要件(コード)で記述されていない何か。

 

 黒い敵が、腕を振り上げた。


 その動作には過程(プロセス)がない。振り上げた、という原因の次に、既に俺の胸元に拳があるという"結果"だけが叩きつけられる。

 

「ッ……! "干渉(インターフェース)"――座標固定(ハード・ロック)!」


 俺は瞬時に空間の物理定数を書き換え、絶対の防御壁を構築した。


 俺が全リソースを注ぎ込んだ、世界で最も硬い"最適解"。


 だが。

 


 パリン、と。

 冬の氷が砕けるような、呆気ない音が響いた。

 


「……な……に?」


 防御壁を、黒い腕が透過してきた。


 いや、透過したのではない。俺が構築した"防御壁が存在する"という事実そのものが、上書き(オーバーライド)されていた。

 

「が……はっ……!!」


 胸を、冷たい衝撃が貫いた。


 痛みは、なかった。ただ、自分の存在というデータが、末端から急速に消去(デリート)されていくような、絶望的な喪失感だけがあった。


 俺は、地面に転がった。

 視界が急速にノイズで塗りつぶされていく。


 L-Gearの警告音が、遠くで壊れたレコードのように鳴り響いていた。


「……ハハッ、笑えねえな……」


 口から溢れるのは、鉄の味がする鮮血。


 SS級ハッカー、炭崎湊。"確定事象"と謳われた俺の最期が、正体不明の"バグ"にハックされて終わりか。

 

「……でも、まあ……悪くないか……」


 霞む視線の先、足元に何かが落ちていた。


 それは、30年前。俺が守れなかった結衣が身につけていたはずの、今はもう輝きを失った髪飾りの欠片。


「結衣……。ようやく、そっちに……行ける……」


 俺は、震える指を髪飾りに伸ばした。

 だが、その指が触れる前に、意識は急速に冷えていく。

 

 脳が、活動を停止しようとしている。

 その時。



 

 ――俺の耳に、機械的な声が届いた。



 

[ 緊急事態:システム・メルトダウンを検知 ]

[ 最終生存プロトコル:Protocol 17/47 を起動します ]

 

(……なんだ、これ。……こんなの、知らないぞ……)

 

 俺の意志とは無関係に、残されたすべてのWill-Bitが、一箇所に収束していく。


 それは敵への反撃ではなく、自分自身を消去することでもなく。

 

[ 実行中:情報の再(リカージョン・)帰演算(コンパイル)]

[ ターゲットデータ:2040年・4月1日 ]

 

 世界が、真っ白に染まった。

 

 耳を劈くような電子音が響き、俺の魂という名の"コード"が、世界の外側へと射出される。

 

 最後に聞こえたのは、無機質なシステム音声だった。



 

[ システムを再起動(リブート)します。 ]

[ 良い生涯を、ユーザー。 ]

 



 そこで、俺の意識は完全に途絶えた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ