121.エルフとビーストの決定
エルフの国の国境付近の森中には、エルフ軍は駐留していた。
シワナシの森方面軍を除いた全軍である。
エルフはサンダーソニア暗殺を受けて混乱したものの、敵がゲディグズであれヒューマンであれ、軍備を増強し国境を守るという行動に変化がなかった。
ゆえに、ヒューマンよりも迅速に人員を揃えることができた。
だが、シワナシの森を守ることはできなかった。
なぜならシワナシの森は飛び地だからだ。
エルフの国とシワナシの森の間には、ヒューマンの国の領土が挟まっている。
サンダーソニア暗殺がヒューマンの仕業なのかゲディグズの仕業なのか判明しないうちに軍を進ませるわけにはいかなかった。
軍を進ませるわけにもいかず、さりとて伝書バトは届かず、偵察に出した斥候兵はことごとく殺された。
ゆえに、エルフ王ノースポールは、シワナシの森を切り捨てた。
全軍で森へと進み、シワナシの森に本拠地を構えるという策も無いではなかったが……。
本国を手薄に出来るほど、エルフはヒューマンを信じることが出来なかったのだ。
ヒューマンが裏切者を排除し、改めてエルフとの連携を打診してきた時には時すでに遅かった。
ゲディグズはシワナシの森を越え、城塞都市クラッセルの前で布陣が完了していた。
つまり、エルフ国とシワナシの森の間の平原はゲディグズ軍の占領下となったということだ。
森の中での出来事であるがゆえ、確認は取れていないが……シワナシの森のエルフ方面軍は、恐らく敗北したのであろう。
オークもゲディグズ軍に下ったのであれば、ゲディグズ軍とオーク軍に挟撃されて、あっけなく……。
どう戦い、どう負けたのかすらわからない。
デーモンの情報封鎖は完璧だ。
不気味なほどに、シワナシの森の情報を手に入れることができない。
かつては、情報を掴むためにエルフもヒューマンも苦心したものだが、今回は特に徹底している。
蟻の這いでる隙間もないとは、まさにことのことだ。
以前よりも完璧に、特にエルフ側に情報が行かないようにしている、ということだろう。
だが戦いが長引けば、必ずほころびはできる。
わからないもの、失われたものは戻ってこないと考え、エルフたちは次の一手に向けて準備を進めている。
すなわち、決戦だ。
決戦場は恐らく、ヒューマンとオークの国境付近、クラッセル平原となるだろう。
それを見越して、ヒューマンの軍勢もクラッセルの町に集結している。
ゲディグズ軍としては、エルフ・ヒューマン軍に対して二正面作戦を行わなければならない位置ではあるが……エルフにとっては少々都合が悪かった。
その位置での戦いとなると、エルフは森から打って出て戦わなければならないからだ。
エルフは、森での戦い得意とする。特に劣勢時での遅延行動は、エルフの得意とするところだ。
本当であれば、シワナシの森に布陣するのが、最も都合がよかった。
あそこであれば、ゲディグズ軍はエルフを無視できなかった。
ゲディグズ軍を不利な森へと誘い込み遅延作戦を行えば、ヒューマンは平原側でゲディグズ軍の側面をつけた。
シワナシの森を落とされたことで、クラッセルを守るヒューマンを援護する、という形にならざるを得ない。
エルフとて平地での戦いを不得手としているわけではない。
だが、数の不利を覆せるほど得手でもなかった。
ゲディグズ軍としては、ヒューマンを本命の敵とし、それを落とすまでの間、エルフ軍を抑えているだけでいい。
そしてクラッセルが落ちれば次は……。
それをわかっているからこそ、国境付近に布陣しているエルフたちには悲壮な空気が流れていた。
■
そんなエルフたちの元に、一人の使者が訪れていた。
ヒューマンの男だ。
その男は、薄汚れた格好で、傷だらけであった。
猛攻を搔い潜ってここまでたどり着いたのだろう。
男の名は、ドミノという。
ゲディグズの復活、そしてバッシュの敗北の情報を得た彼は、ヒューマンの危機に際し軍部へと復帰し、ある任務を任されていた。
彼はエルフ王ノースポールのいる天幕へと案内された。
そこには、エルフの歴々が顔を揃えていた。
地図を前に、決して良くない状況に顔を曇らせている最中であった。
彼らはドミノからの報告を聞いた。
「つまり、ナザール殿下……いえ、ナザール"陛下"は、ゲディグズを再び打ち倒すべく、決死隊をおつくりになり、自らがその先陣を切ると、そう仰っているのか?」
そう聞いた男はエルフ。
毒の花の名を持つ男。トリカブト。
彼はビーストとエルフの橋渡し役として、そしてもう一つの種族との橋渡し役として、この場にいた。
「そうです。そしてエルフ軍、並びにビースト軍に、その助力をお願いしたい」
そう、この場にいたのはエルフだけではなかった。
ビーストの新しい女王リース。
そしてその側近である王妹シルヴィアーナ。
二人はビーストの王族として、この作戦会議に出席していた。
ビーストは、かなりその数を減らしていた。
もはや、戦えるような状態ではない。
だが、最終決戦となるかもしれない戦いだ。
参加しないわけにはいかなかった。
むしろ、この戦いのために逃げ伸びたといっても過言ではないのだから。
「国内の癌を取り除き、ようやく一丸となったというのに……王自らか……」
「この決戦で敗北すれば、ヒューマンは滅ぼされる。ならば出し惜しみはすべきではないと、そうお考えのようでございました」
その判断が果たして正しいものなのか。
これが平時であれば、あるいは戦況にもう少し余裕があれば、間違っていると断じただろう。
一国の主が、自らの命をそのように投げ捨てて良いものではない。
だが、
「やはり、この危機に際し、一国の王たるもの、それほどの覚悟がなければいけないということなのだろうな」
ビースト女王リースはそう言った。
己の母、レオーネは自国の民を救うため、自らが殿となってゲディグズ軍に挑み、そして敗れ去った。
そうした母の背中を見たリースは、この戦において、己の全てをなげうってでも勝ちに行くつもりだった。
まして、かつて大好きだった叔父、勇者レトが参加した決死隊。
ゲディグズを自らの手で殺せる可能性を提示され、獅子の血が騒がぬはずもない。
「ならば、その決死隊、余も参加するぞ」
であれば、そうした発言がでるのは当然であった。
が、止める者がいた。
「陛下、なりません」
シルヴィアーナであった。
元第五王女シルヴィアーナは、すでに二人しかいない王族の片割れ、王の片腕として新王リースを支え続けていた。
「なぜだ」
「陛下がいなくなれば、誰がビースト軍を指揮するのですか?」
「むぅ」
リースはグルグルと喉を鳴らし、シルヴィアーナをにらみつけた。
シルヴィアーナは、真正面からその視線を返す。
ビーストは、すでに数がすくない。
故郷を失い、王を失い、友を失い、家族を失い、戦意を喪失しかけている者も少なくはない。
リースは最後の旗頭だ。
彼女はうら若き王ではあるが、カリスマがある。
生き残ったビーストたちを鼓舞し、ここまで連れてきた。
立派な王であった。
彼女が決戦の場で自軍にいないとなれば、ビーストは今度こそ瓦解しよう。
「ではシルヴィアーナ、このヒューマンの立案、ビーストは参加せずとも良いと考えるか?」
「……」
シルヴィアーナは、決死隊について考える。
かつて、四種族同盟はレミアム高地の決戦にてゲディグズの暗殺に成功した。
それをまたやろうと、ナザールはそう言っているのだ。
だが、シルヴィアーナにはわかる。
それは間違いなく、失敗する。
あの時とは状況が違う。
レミアム高地の決戦は、七種族連合が有利だったとはいえ、まだ四種族同盟にも勝ち目が残されていた。
どちらが勝つかわからぬ戦いだったと言える。
今はどうだろうか。
ビーストは死に体だ。
生き残りは決して多くはなく、軍としてなんとか体裁を保っているという状況。
事前の工作で、ヒューマンとエルフの連携は遅れに遅れ、シワナシの森付近まで、何一つ遅延できず侵攻を許していた。
エルフはサンダーソニア暗殺を受けて意見が割れた。
ヒューマンは宰相の暴走によって対応が遅れた。
今でこそ、二国は正常に立ち直り、一致団結して事に当たれるが……。
遅すぎた。
すでにシワナシの森からの連絡は途絶えた。
伝書バトはことごとく潰され、偵察すらままならない。
最低限、ヒューマンが集めた珠玉の情報によると、ある時期を境に、『剛剣将軍』と敵軍の一部の姿が見えなくなったらしい。
『剛剣将軍』ネザーハンクスがオークを説得、ゲディグズ軍とオーク軍が迎合してシワナシの森のエルフをことごとく撃滅したのだろう。
あの剛剣将軍の言葉ならば、オークも話を聞くだろうから。
あの森を要所として抑えておければ、シワナシの森のキンセンカが生き残っていれば、あるいは正面衝突をしてもなんとかなったかもしれない。
もっと早くに混乱から抜け出せていれば、ドワーフもゲディグズ側に寝返らなかったかもしれない。
どう転んでも苦しい戦いにはなろうが、暗殺をする隙ぐらいは残っていたかもしれない。
そうはならなかった。
ビーストは急襲され、ドワーフは買収され、ヒューマンとエルフは踊らされた。
全てはゲディグズの掌の上だ。
あえて希望を見出すのならば、未だ行方不明のサンダーソニアか。
しかし、かのエルフの大魔導は強く頼りになるが、この状況を覆せはしない。
せいぜい、己の種族の愛すべきものたちを元気づける程度なのだ。
だからこそ、何かはやらねばならない。
成功率が低くとも、戦況をひっくり返す何かを。
そして、その場にビーストがいないというのは、あまりにも"弱い"。
「いえ、ビーストからも、誰かが参加せねばなりません」
「今、ビーストで最も強いのは、私だ。私以外なら、誰がいく?」
ビーストの歴戦の猛者は、ほとんど死んでしまった。
強者でないのなら、せめて地位のある者を送り込まなければ体裁が悪い。
あるいは他の王女たちが生きていたのなら、彼女らに託すという手もあったろう。
しかし、王族はもう、二人しかいない。
リースと、そしてシルヴィアーナのみだ。
「自分が」
「死ぬぞ。お前は私を支えてくれるのではなかったのか?」
「はい。ゲディグズを倒し、生きて戻りますので」
「よく言った。ならば任せる」
リースは大仰にそう頷いた。
無論、リースとてわかっていた。
シルヴィアーナは、決して強くはない。
文官寄りの軍師で、頭でっかちで策に溺れるタイプだ。
決して、前に出るタイプではない。戦時の王族ゆえ無力というわけではないが、ゲディグズに刃が届きうる者ではない。
それでも行くと言った。倒して帰るといった。
なによりこいつは、誰よりも勇者レトに憧れていた女だった。
「ビーストは王妹シルヴィアーナを出す。力は弱いが賢く、気概もある。例え首を刎ねられようと、頭だけで敵の喉笛を嚙みちぎるだろう」
「御助力、感謝いたします」
シルヴィアーナが立ち上がり、優雅な礼をする。
決戦は近い。すぐにでも出立するだろう。
「エルフはどうする?」
リースの言葉に、ノースポールは難しい顔をした。
こういう時、意の一番に声を上げる者が、いない。
どうやら生きているらしいということはわかるが、依然として行方は知れない。生存も推測の域を出ない。
知らぬ所で死んでいるのではないかと、そんな不安だけがよぎる。
とにかく、今はこの場にいない。
「それなら、当然、私がいいだろうな!」と元気に立ち上がる者はいない。ゆえに自分で決めねばならない。
ノースポールは周囲を見渡す。
ゲディグズに対する決死隊。失敗すれば、恐らくは祖国が滅ぶ。
そんな予感の中、立ち上がれる者はいない。
見るに見かねてノースポールが誰かを指名しようとした時、
「ならば、私が」
天幕に入って来たのは、一人の若きエルフだ。
かつて老人たちに可愛がられていた少女は、今や酷い有様であった。
目の下には濃いクマができ、髪は乱れ、全身に疲れが残っているのが見てわかる。
恋人を失い、師匠を失い、一睡もできぬ日が続いた彼女は、戦場を探していた。
「この『エルフの小魔導』ネメシアが参ります」
彼女はまだ若いが、実力は申し分ないだろう。
一個の戦力としては高いが、地位は低く、戦場での責任も少ない。
人選としては間違いないはずだ。
「よかろう。ならばエルフはネメシアを出す」
「御助力、感謝いたします」
ドミノは頭を下げる。
「ネメシアよ。お前に命運を託す。ゆえに、今はしばし睡眠を取れ。寝不足では、届く刃も届くまい」
「……承知しました。睡眠をとります。詳細は後程、失礼します」
ネメシアは静かにうなずき、天幕を退室していった。
その背中は、眠れぬ者の気だるさはない。
ただ覚悟が決まった者の覇気があった。
それを見て、エルフの面々も表情を引き締める。
「それで、ナザール陛下はどのようなルートで奇襲を仕掛けるつもりなのだ? 我らはどこで合流を?」
「はい」
ドミノは深く頷いた。
「ナザール陛下は、北東側より回り込み、オーク国を突破して、ゲディグズ軍の背後を取るご予定です。エルフ側もアンメット川を遡上し、オークの国を突破していただきたい」
その言葉に周囲がどよめいた。
「馬鹿な、出来るわけがない! どうやってオークの群れを突破するつもりだ!」
「クラッセルに、オークに詳しい女騎士がおります。彼女が言うには、自分と数名の女性の身柄を差し出して説得すれば、オークは性格上、素通ししてくれる可能性が高いと」
「生贄か……! ヒューマン、そこまでの覚悟をもっての提案か……」
「かの女騎士が言うには、エルフ側からも価値ある女性を差し出せば通れる可能性があると」
確かにオークの知能であれば、それで通れる可能性はあるだろう。
男は皆殺し、となる可能性もあるが……。
しかし、この数年でオークと親交を深めていた人物が言うなら、賭けてみる価値はあるかもしれない。
だが、エルフ側から出せる"価値のある女性"など、そう多くはない。
ネメシアなどはその筆頭であるが、彼女自身は将来有望ではあるものの、地位や名声という点では大したことはない。
そも、彼女がいなくなれば、決死隊としての戦力が大幅に低下してしまう。
ならば誰が……。
そう思った所で、ある人物に視点が集まる。
シルヴィアーナ。
つい先ほど、参加を表明したばかりのビーストの王妹。
彼女は、ビーストの元王女だ。
オークは価値のある女性を好む。特に、地位の高い女を好む。
特に、王族の女はオークにとって最高の価値と言えるだろう。
彼女であれば、オークの価値に合致する。
しかし彼女をそのようなことに使っていいのか。
まして彼女は、ビーストの名誉にために参加するというのに。
そう思う戸惑いの視線を受け、シルヴィアーナは柔らかく微笑んだ。
「この身が汚れるだけで勝利を掴めるなら、喜んで人身御供となりましょう」
全ては憶測だ。
女を渡した程度で、オークが通してくれるとは限らない。
だが、どのみち可能性の低い賭けである。
それは最初から分かり切っていたことだ。
やるしかない。すでに賽は投げられている。
針穴を通すことでしか、勝ちを拾うことはできないのだ。
「よし、やろう。ドミノ殿、よくぞ伝えてくれた。ご苦労であった。野営地であるが、湯と寝床を用意しよう。ゆっくり休み、傷を癒すがよい」
「いえ、帰れるかはわかりませんが、すぐに戻り本国にエルフの決定を伝えます……ああ、ご安心ください。もし自分が帰れずとも、ナザール陛下は出陣なさりますゆえ」
「で、あるか」
エルフはヒューマンの覚悟を知った。
ドミノも、己を生贄として提案する女騎士も、一兵卒ですら、己の身を投げうって動いている。
ならばエルフも、そしてビーストも、その覚悟に応えるだけであった。
「よし! 皆の者、行動を開始せよ! 解散!」
ノースポールの言葉で各々が動き出す。
決戦は近い。
第十章 戦乱の国々 合流編 -終-




