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第5話:凡才の備えと、穿たれた幾何学


 才能という圧倒的な暴力に、血の滲むような準備だけで立ち向かう。それが私の戦い方だった。



 青空の下、王立グランヴェル魔術学園の第一訓練場は、独特の熱気と緊張感に包まれていた。

 すり鉢状になった闘技場を取り囲む観覧席には、一年生の生徒たちがズラリと並んでいる。中央の円形グラウンドには頑丈な障壁結界が張られ、石造りの地面には過去の演習でついた無数の焦げ跡や亀裂が残っていた。

「本日の実技演習は、一対一の対人模擬戦だ! 武器の使用は禁止、指定された練習用杖と初歩・中歩の戦闘魔術のみを許可する!」

 教官の太い声が響き渡る。

「第一試合――ジュリアン・フォン・ローゼンバーグ! 対、サクラ・フィズ!」

 名前が呼ばれた瞬間、観覧席からひそひそとした笑い声とどよめきが上がった。

「おいおい、最初からジュリアン様かよ」

「ローゼンバーグ子爵家の嫡男で、魔力数値は『190』の秀才だぞ」

「相手はあのフィズ家の『凡才令嬢』だろ? 勝負になるのか?」

「一瞬で丸焦げにされて終わりじゃないかしら」

 心ない言葉が、突き刺さる。

 私の対戦相手――金髪を綺麗にオールバックに固めた少年、ジュリアンが、あからさまに退屈そうな顔で反対側の白線へと歩き出していた。その手には贅沢な装飾が施された練習用の高級木製杖が握られている。

「……サクラ」

 白線の手前で私の腕をそっと掴んだのは、リリィだった。

 相変わらず表情には起伏がない。けれど、その藍色の瞳は恐ろしいほど静かに、相手のジュリアンを凝視していた。

「あのアザラシのような男の動作パターンから、首骨の折損、あるいは両膝関節の破砕までに要する時間は0.3秒です。サクラ、代わりますか?」

「代わらないわよ! あとアザラシって言わないの!」

 私は思わず声を殺して突っ込んだ。

「相手は貴族の子息なんだから、怪我させたら大変でしょ。これは私の戦いよ。手を出したらダメだからね」

「肯定。……ですが、サクラ」

 リリィは私の手をギュッと握りしめた。手袋越しにも伝わる、確かな体温。

「不快なノイズを撒き散らす者たちに、サクラの『美しさ』を見せつけてやってください」

「……ええ。任せて」

 私はリリィの手を離し、ゆっくりと指定の白線の上へと足を踏み入れた。

 ◇

「まさか、フィズ家の『出来損ない』と当たるとはな」

 白線の向こう側で、ジュリアンが嘲笑を浮かべながら杖を弄んでいた。

「魔力測定値は『124』だったか? フン、フィズ家の名が泣くな。僕のような選ばれた天才の手を煩わせるまでもない。まあ、怪我をしたくなければ今すぐ棄権することだな。女の子の肌に消えない焦げ跡がつくのは可哀想だしねぇ?」

 取り巻きの貴族生徒たちがゲラゲラと下品に笑う。

 私はその挑発を、ただ静かに聞き流した。


(ジュリアン・フォン・ローゼンバーグ。得意属性は火炎と疾風。過去の模擬戦データ及び外部の記録によれば、開戦と同時に高火力魔術で相手の出鼻を挫く戦術を好む。構築速度は平均よりやや早い程度。ただし――)


 私は右手で練習用の粗末な杖を握り締め、左手を制服のポケットの中にそっと忍ばせた。

 ポケットの奥には、今朝までに私が自作した三十六枚の『魔導触媒符』が、完璧な整列順で収められている。


(自分の魔力量に過信があり、術式構文の打ち分けに癖がある。二発目以降の軌道は、常に右斜め上からの偏重……)


 才能がない私にできるのは、これだけだ。

 相手の全てを分析し、あらゆるパターンを想定し、幾重もの備えを完了させておくこと。


「両者、構え!」


 教官が挙手する。

 ジュリアンは余裕たっぷりに杖を片手で構え、私は両足の幅を肩幅に開き、重心を落とした。


「始め!!」

「燃え尽きろ、『炎弾の乱舞(フレイム・バレット)』!」


 教官の声とほぼ同時に、ジュリアンの杖先から強烈な熱量が弾けた。

 人の頭ほどの火の玉が五つ、重音を立てて私めがけて飛来する。


「速い!」「一撃で仕留める気だ!」


 観覧席から上がる悲鳴。

 普通なら、あの威力の火炎を見たら防御障壁を展開するか、必死に回避行動を取るだろう。だが、膨大な魔力を持たない私が防御障壁を張れば、一発で全魔力を削り取られて終わる。

 だから――私は動かない。


(三番目の火炎ノード。角度、十五度)


 私は短く息を吐き、杖先をほんの数センチだけ滑らせた。

 放ったのは、初歩中の初歩――ただの『微風(ウィンド)』


 パシィンッ!


 乾いた音が響いた。

 私の放った爪先ほどの小さな風の刃が、迫り来る五つの火の玉の『核(コア)』――術式が交差するもっとも脆い一点を寸分違わず穿ったのだ。


 ドォンッ!


 火の玉は私に届く直前で不自然に爆ぜ、ただの温かい風となって散り散りに霧散した。


「……は?」


 ジュリアンが素で間抜けた声を上げた。観覧席の生徒たちも、何が起きたのか理解できずに静まり返る。


「いま……相殺したのか……!? あの小さな風魔術で!?」

「偶然だろ! たまたま核に当たったんだ!」


 ジュリアンの顔から余裕が消え、苛立ちが色濃く浮き出た。


「調子に乗るなよ、出汚しが!『炎蛇の猛襲(サーペント・フレア)』!」


 昨日の授業で教授が見せた、あの難解な上級魔術。

 ジュリアンの莫大な魔力によって生み出された巨大な炎の蛇が、咆哮を上げて地を這い、うねりながら私へ襲いかかる。


「死ねッ!」


 炎の蛇が目の前に迫る。熱風が私の前髪を揺らした。


(構文は伝統通りの旧型。バイパス干渉ノードは……そこ!)


 私はポケットの中から二枚の魔導符を指先で弾き出し、杖先で空中に最小限の魔力回路を描いた。


「幾重の術式解体(ディスマントル)――『逆位相・波形干渉』」


 私が放ったのは、攻撃魔術でも防御魔術でもない。

 相手の術式の『波長』と全く逆の波形を持った、透明な魔力の小波。


 バツンッ!!!


 炎の蛇が私の目の前でぴたりと動きを止めた。

 次の瞬間、蛇の胴体から青い光の亀裂が走り――まるでガラス細工が砕けるように、完璧に無効化されて消滅した。


「な……なに……ッ!?」


 ジュリアンの目が飛び出さんばかりに開かれた。


「な、なんでだ!? 僕の魔力はお前の二倍近くあるんだぞ!? なんで僕の魔術が消えるんだ!!」

「魔力量の多さは、攻撃の威力には直結しますが……構造の強固さとは無関係です」


 私は呼吸を保ちながら、冷ややかにと言い放った。


「貴方の術式は、魔力に任せて強引に固められているだけ。接合部分が雑なんです。針の一突きで崩れる風船と同じですよ」

「なめるなああぁぁぁぁっ!!」


 プライドを打ち砕かれたジュリアンが暴走した。

 狂ったように杖を振り回し、連続で火炎弾、炎の嵐、衝撃波を乱れ打ちしてくる。


 ドドドドドッ!


 訓練場が爆煙と炎に包まれる。

 観客席から悲鳴が上がるが、私は冷静だった。


(右! 次は左下! 三連撃の後に、大きく息を吸い込む……!)


 相手の攻撃パターンは、全て私の脳内シミュレーションの範囲内だ。

 一歩左へステップを踏んで炎をかわし、爪先で地面に描いておいた簡易陣に魔力を通して衝撃波を斜め上に受け流す。どうしても相殺しきれない小さな火の粉は、あらかじめ制服の裏地に施しておいた耐熱付与で防ぐ。

 一つ、また一つ。

 相手の圧倒的な暴力が、私の「準備」によって無力化されていく。

 汗が頬を伝い、息が荒くなってくる。

 魔力量が少ない私にとって、コンマ一秒の精密操作を維持し続けるのは、脳が焼き切れそうなほどの激痛を伴う作業だ。視界の端が明滅し、指先が痺れてくる。


(けれど……引き下がれない……!)


 観覧席の最前列で、じっと私を見つめる銀髪の少女の姿が視界に入った。

 リリィが、私の戦いを見つめている。

 私の泥臭くて、必死で、かっこ悪い努力の全てを「美しい」と言ってくれたあの子が、私を信じて立っているのだ。


(私だって……フィズ伯爵家の娘よ! 凡才だからって、諦めてたまるか!!)

「ハァ……ハァ……! くそっ、なんで当たらん! なんで倒れない!!」


 ジュリアンが肩を大きく上下させ、荒い息を吐いていた。

 度重なる大技の連発で、彼の潤沢だった魔力も底をつきかけている。顔は焦りと恐怖で歪んでいた。


「次で……終わりだ! 全部吹き飛べぇぇぇっ!」


 ジュリアンが残った全ての魔力を絞り出し、無謀にも制御しきれないほどの巨大な火球を頭上に練り上げた。暴走しかけた炎が、ジュリアン自身の腕を焼き始める。


「危険だ! 演習中止――」


 教官が割り込もうとした、その瞬間。

 私は左手のポケットから、最後の三枚の魔導符を弾いた。


(これで……決める!)


 私の体内に残された、最後の一滴の魔力。

 それを極限まで研ぎ澄まし、杖先から一筋の細い、細い光の針として放つ。

 術式――『針穴穿ち(ピンスポット・ピアサー)』


 シュンッ。


 空気を切り裂く小さな音。

 その光の針は、ジュリアンが頭上に掲げた巨大な火球の、まさに『制御中核』の真ん真ん中を貫いた。


 ポスッ……。


 爆発は起きなかった。

 膨れ上がっていた巨大な炎は、風船から空気があっけなく抜けるように萎み、消えていった。

 制御を失った余波の衝撃だけがジュリアンを襲い


「がはっ……!?」


 ドサリ。

 ジュリアンは膝から崩れ落ち、そのまま白目を剥いて地面に突伏した。

 静寂。

 誰も言葉を発することができなかった。

 訓練場を包むのは、焦げた土の匂いと、私の荒い息遣いだけ。

 名門の秀才が、魔力を使い果たして完敗した。

 ただの一度も攻撃らしい攻撃を出さず、相手の術式を完璧に解体し続けた『凡才』の少女の手によって。


「……勝者、サクラ・フィズ!!」


 教官の困惑混じりの宣言が響き渡った。

 その瞬間、静まり返っていた観覧席から、割れんばかりの歓声とどよめきが巻き起こった。


「すごい……! 一発も攻撃を食らってないぞ!?」

「何だあの精密操作は!? 相手の術式を全部見切ってたのか!?」

「フィズ家の令嬢……『凡才』なんて言ったの誰よ!?」


 周囲の評価が一変する音。

 けれど、私にはもうそれを気にする余裕はなかった。

 全魔力を使い切り、緊張が解けた途端、膝の力が一気に抜けた。


「あっ……」


 視界がグラリと傾き、冷たい地面が迫ってくる。

 倒れる、と思った次の瞬間。

 ぎゅっ。

 体が、小さくて温かい何かに受け止められた。


「……サクラ! 確保しました」


 私をしっかりと抱きしめていたのは、障壁を破って不法侵入してきたリリィだった。

 普段は無表情な彼女の顔が、今は見たこともないほど必死に歪んでいる。


「リリィ……私、勝ったよ……」

「肯定。見事です、サクラ。完璧な勝利です」


 リリィは私を抱っこするように(160センチの私を143センチの彼女が軽々と抱えているのは少しシュールだったけれど)、優しくその腕に力を込めた。


「サクラの術式は、今日も世界で一番美しかったです。誰一人として、サクラに触れることすらできませんでした」

「ふふ……ありがと……」


 彼女の胸に顔を埋めると、甘い石鹸の香りと、ぬくもりが全身を包み込んだ。

 疲労で沸騰しそうだった脳の痛みが、じんわりと和らいでいく。

 見上げると、リリィの藍色の瞳に、茜色の夕暮れと私の姿が映っていた。

「凡才」の私の頭脳と、「最強」の彼女の肉体。

 私たちはまだ、始まったばかりだ。

 私は彼女の温かい腕の中で、今度こそ安心して、そっとまぶたを閉じた。


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