第3話:平凡な令嬢と、砕け散る水晶
血筋という光は、私を輝かせるどころか、その影の深さを周囲に際立たせるだけだった。
王立グランヴェル魔術学園の大講堂は、数百人もの新入生が放つ熱気と緊張感に包まれていた。
天井からは豪華なシャンデリアが吊り下げられ、磨き抜かれた大理石の床には、王国中から集まった良家の子息や有力な魔術師の卵たちが整列している。誰もが自信に満ちた表情で、己の未来を誇るように胸を張っていた。
「……サクラ、人が多すぎます。視界の密度が高く、脅威の判定が困難です」
「大丈夫よリリィ。ここは敵地じゃないんだから、いちいち全員を脅威判定しないで」
私の隣で、制服を着こなしたリリィがじっと周囲を警戒していた。
小さくて可憐な容姿はどこからどう見ても愛らしい少女なのだが、その目つきだけは油断なく周囲の動脈や死角を探っている気がしてならない。
私はリリィの手をキュッと握りしめた。彼女の体がわずかに跳ね、藍色の瞳が私に向けられる。
「手を繋いでいれば、迷子にならないでしょ? それに……こうしていると、私が落ち着くの」
「……肯定。サクラの心拍数の安定を確認。このまま握り続けます」
淡々とした返事だったけれど、握り返してくる力はとても優しかった。
だが、私たちの穏やかな時間は、周囲から聞こえてくるひそひそ話によって少しずつ削られていく。
「ねえ、あの方……フィズ伯爵家のサクラ様じゃない?」
「ええ、あの大魔術師を何人も排出した名門の……」
「流石はお綺麗な佇まいね。どれほどの凄まじい魔力を秘めていらっしゃるのかしら」
突き刺さるような好奇と期待の視線。
私は引きつりそうになる頬をどうにか持ち上げ、伯爵家の令嬢としての完璧な微笑みを貼り付けた。
――やめてほしい。そんな目で私を見ないで。
フィズの家名が重い。その血筋という名の看板が、どれほど私の首を絞めてきたか、この人たちは知らないのだ。
「これより、組分けのための魔力測定を行う!」
壇上に立った厳めしいヒゲの教師が、朗々とした声を響かせた。
講堂の中央に鎮座するのは、直径一メートルほどもある透明な『魔力測定水晶』だ。あの水晶に手を触れ、体内の魔力を流し込むことで、魔力量が数値として浮き彫りになる仕組みになっている。
学園の新入生における平均的な魔力量は『120』
150を超えれば秀才、200を超えれば『天才』と称えられ、特待生クラスへと配属される。
次々と名前が呼ばれ、生徒たちが水晶に手をかざしていく。
「マーカス・ローガン! 数値、145! 優秀!」
「セレナ・ヴァルハイト! 数値、180! 素晴らしい!」
歓声と拍手が湧き起こる。高数値を出した貴族の子息たちは、誇らしげに胸を叩いていた。
そして、ついにその名が呼ばれた。
「サクラ・フィズ!」
一瞬、講堂全体が静まり返り、次の瞬間には大きなざわめきが広がった。
「来たわ、フィズ伯爵家の……!」
「きっと200は軽く超えてくるわね」
……嫌な汗が背中を伝う。
私は小さく深呼吸をし、リリィの手をそっと離した。
「行ってくるわね」
「肯定。健闘を祈ります、サクラ」
私は背筋を伸ばし、大理石の床を凛とした足取りで歩いた。フィズ家の名に恥じぬよう、優雅に、誇り高く。
壇上に上がり、冷たい測定水晶の前に立つ。
「ではサクラ君、水晶に手を当て、魔力を流し込みたまえ」
「はい」
目を閉じ、体内の魔力回路を意識する。
私の体の中を流れる魔力は、細く、静かだ。幾重もの努力と効率化の鍛錬によって、一滴も無駄にしないよう研ぎ澄ましてはいるけれど――その『総量』そのものは、決して多くはない。
ふう、と息を吐きながら、手を水晶に重ねた。
水晶がぽつんと青い光を宿し、表面に数字が浮かび上がっていく。
光が収まり、確定した数字を教師が読み上げた。
「……サクラ・フィズ。数値……124」
静寂。
静寂のあと、波のように広がったのは――失望と、くすくすとした嘲笑だった。
「124……? それって、ほぼ平均値じゃない?」
「嘘でしょ、名門フィズ伯爵家のお令嬢が、ただの『平凡』?」
「なーんだ、大したことないじゃないか。血筋だけ立派で、中身は出涸らしね」
「フィズ家の面汚しだわ……」
突き刺さる言葉の刃。
分かっていた。幼い頃から、親戚集まりのたびに何度も投げかけられてきた言葉だ。『歴代のフィズ家で最も冴えない子』『凡才のフィズ』。
慣れているはずだった。平気な顔をして「これが私の実力ですから」と微笑む準備はできていた。
けれど、大勢の前で向けられる蔑みの視線は、冷たい氷毒のように私の胸をキュッと締め付けた。悔しさと情けなさで、視界がじんわりと滲みそうになる。
私は唇を強く噛み締め、何事もなかったかのように一礼して壇上を降りた。
「……サクラ」
元の場所に戻ると、リリィが私の顔を覗き込んできた。
無表情な顔。けれど、その藍色の瞳は、いつもよりずっと静かに、私を凝視している。
「大丈夫よ、リリィ。私は『平凡』だけど、魔術式の効率化と分析力なら誰にも負けないから。組分けなんてただの形式よ」
「サクラ」
私が強がって笑ってみせると、リリィは小さく首を傾げた。
「なぜ、あの者たちはサクラを嘲笑しているのですか」
「え? それは……私の魔力が普通だからよ。フィズ家っていうすごい家に生まれたのに、平均値しか出せなかったから、がっかりされたの」
「理解できません」
リリィの声は、どこまでもフラットだった。けれど、その言葉には一切の迷いがなかった。
「魔力量は、単なる燃料のタンク容量に過ぎません。どんなに巨大なタンクを持っていようと、魔術式の構築が雑であればエネルギーは浪費され、威力は低下します。サクラの魔力操作は美しく、無駄がなく、極限まで最適化されています。サクラを『平凡』と呼ぶ者たちは、見る目がないか、知能が著しく欠如しています」
「……リリィ?」
「サクラは凄いです。私が保証します」
淡々と、しかし淡雪が溶けるように優しく発せられた言葉。
さっきまで胸の奥で渦巻いていた冷たい痛みが、一瞬で吹き飛んでいくのが分かった。
周囲の人間がどれだけ私を「凡才」と笑っても、この子が私の努力を、私の作り上げた術式を「美しい」と言ってくれた。
それだけで、私の積み重ねてきた日々は、何一つ間違っていなかったと思えた。
「……ふふ、ありがとう、リリィ」
私が心からの笑顔を浮かべると、リリィは満足したように小さく頷いた。
「次、リリィ・キャロル!」
教師の雑な声が響く。リリィの苗字には爵位がついていないため、周囲の貴族たちは興味なさそうに退屈な欠伸を漏らしていた。
「キャロル? どこの平民よ」
「身元不明の特待生らしいわよ。どうせ大した数値なんて出ないでしょうに」
身の程を知らない世間知らずたちの囁き。私は心の中で「甘いわね」と鼻で笑った。
この子はね、貴女たちが想像もできないような血の滲むような戦場を生き抜いてきた子なのよ。
「リリィ、行ってらっしゃい。リラックスしてね」
「肯定。……適当に手を置けば良いのですね」
リリィはトコトコと壇上へ歩いて行った。その小柄な後ろ姿は、周囲の大きな生徒たちの中に埋もれてしまいそうだ。
壇上に上がったリリィは、教師に促されるまま、測定水晶の前に立った。
そして、なんの気負いもなく、小さな右手を水晶の表面にぽんと乗せた。
――その瞬間。
世界から音が消えた。
ズズズズ……ッ!
大講堂の空気が、突如として重く沈み込んだ。
測定水晶が、見たこともない狂おしいほどの『漆黒に近い藍色』に発光し始めたのだ。
「な、なんだ……!? 光が強すぎる……!?」
教師が引きつった声を上げる。
光は留まることを知らず、眩い暴風となって講堂全体を飲み込んでいった。水晶の表面に数字が刻まれようとするが、あまりの速度でカウントが跳ね上がりすぎ、数字が擦れて読み取れない。
100……500……1000……2000――言葉通りの桁違い。
ピキッ。
硬質な、いやな音が大講堂に響き渡った。
強固な防御結界が施されているはずの測定水晶の表面に、目に見えるほどの太い『亀裂』が走ったのだ。
「ひっ……!? おい、手を離せ! 早く手を離しなさい!!」
教師が顔を蒼白にして叫ぶ。しかし、リリィは首をかしげたまま、ぽんと手を置いた姿勢を崩さない。
「手を離す……? ですが、まだ測定は完了していません」
「いいから離せ! 水晶が耐えきれ――」
メキメキメキメキメキッ!!!
水晶全体に蜘蛛の巣状の亀裂が激しく広がり、内部から溢れ出す圧倒的な魔力の奔流が、空間そのものを歪めていく。
そして――。
――ドッカァァァァァン!!!
盛大な爆発音が大講堂に響き渡った。
衝撃波が吹き荒れ、生徒たちの悲鳴が上がる。弾け飛んだ水晶の破片が幾千の結晶となって宙を舞い、キラキラと茜色の光を反射して降り注いだ。
静寂。
煙がゆっくりと晴れていく。
そこにいたのは――台座ごと木端微塵に砕け散った水晶の残骸と、全身に煙を浴びながら、ポカンと立ち尽くす教師の姿だった。
そして、その中心で。
白銀の美少女――リリィ・キャロルは、自分の右手をじっと見つめ、無表情のままぽりぽりと頬を掻いた。
「……不具合ですか? 強度が著しく不足しています。再検査を要求します」
静まり返る大講堂。
誰一人として、声を出すことができなかった。
さっきまでサクラを「平凡」と嘲笑っていた貴族たちも、開いた口が塞がらない様子で、震えながらその光景を見つめている。
測定不能。いや、測定器そのものを物理的に破壊するほどの――規格外の魔力量。
私――サクラ・フィズは、額を押さえて深々と溜息をついた。
(……だから言ったじゃない、手加減しなさいって……!)
けれど、その胸の奥には、胸がすくような圧倒的なカタルシスが広がっていた。
唖然とする周囲の視線の中、リリィはゆっくりと壇上を降り、まっすぐに私の元へと歩いてきた。
「サクラ。機器が破損しました。私は、どのクラスになりますか」
「……さあね。でも、少なくとも『平凡』なクラスにはならないことだけは確実ね」
私はくすっと笑い、再び彼女の小さな手を握りしめた。
名門の凡才令嬢と、規格外のモンスター少女。
周囲の喧騒を置き去りにして、私たちの波乱に満ちた学園生活が、今まさに幕を開けたのだった。




