第21話:漆黒の槍閃と、試作体の影
同じ闇の底で生まれた哀しき鏡像が、私からあなたへ繋がる唯一の光を容赦なく切り裂いていく。
大量の肉片と血の海と化した大闘技場の中心。
血の一滴すら衣類につけず、絶対的な存在として佇むリリィの足元で、錬金術師ヴァルターは惨めに尻餅をつきながら後ろへ這いずり回っていた。
かつて己の手で生み出し、実験道具としてあざ笑っていた「最高傑作」が放つ絶望的な殺気。その前に、男の傲慢もプライドも完全に潰れ去っていた。
「ひ……ひぃぃっ! 来ないでくれ! 寄るな、この化け物めが……!」
「……不快音源の消去を開始します」
リリィの冷たい声とともに、右手の鉈剣が微かな角度で持ち上がる。
この男の首を滑らかな断面残して切り落とすまで、コンマ数秒の猶予すら必要ない。
――だが。
「く……くくっ……はははは! 試作体を……『アザレア』を起動しろ! 我が究極の殺戮機械を見せてやる!!」
ヴァルターが懐から取り出した黒い晶石を地面へ叩きつけた、まさにその瞬間だった。
キィィィィン……ッ。
大闘技場の中心、空間そのものが異音を上げて歪んだ。
周囲に転がっていた量産型ホムンクルスの肉片から濃密な朱色の体液が一斉に噴出し、空中に浮かぶ黒い幾何学陣へと吸い上げられていく。
膨大な魔力の不気味な膨張。
次の瞬間、暗黒の裂け目から「それ」が舞い降りた。
黒紫色の硬質装甲に身を包んだ、小柄な少女の影。
銀髪のリリィとは対照的に、燃えるような漆黒の長髪をなびかせている。しかし、その整った衣服の隙間から覗く肌の白さ、そして眼球に光を宿さない底なしの藍色の瞳――その造形は、紛れもなくリリィと幾何学的に一致する「鏡像」だった。
リリィの瞳が、一瞬だけ微かに揺れた。
「……個体識別名……『アザレア』。……製造ライン、試作初期型」
「そうだ! 思い出したか、リリィ!」
這い上がったヴァルターが、狂ったような歓声を上げて高笑いした。
「君の前に作られた、寿命の克服を完全に捨て去り、純粋な戦闘出力と破壊力のみを極限まで引き上げた試作機体だ! 精神の安定性も、人間的な機能も全て削ぎ落とした、殺戮のためだけの純粋な『欠陥品』にして……純粋な怪物だよ!!」
アザレアと呼ばれた少女は、無言のまま背中から一本の武具を引き抜いた。
それは、彼女自身の身の丈を遥かに超える、異様に重厚で不気味な黒銀の長槍だった。
装飾など一切ない。ただ相手の肉体を穿ち、砕くためだけに鋳造された鉄塊の槍。
両者、一切の言葉は交わさない。
意志の疎通すら存在しない、狂気の兵器同士の対峙。
「やれ、アザレア! 最高傑作を打ち砕け!!」
ヴァルターの狂気じみた命令が響いた、その直後。
世界の時間が、滑落した。
――間合いの欠落。
踏み込みの予備動作も、空気の揺らぎすら存在しなかった。
アザレアの姿は、リリィが反応するよりも早く、すでにリリィの眼前に存在していた。空間そのものを飛び越えて懐へと侵入する、理不尽なまでの制圧速度。
「――ッ!?」
リリィの刃が上段へと跳ね上がる。
ドガァァァァンッ!!
爆音。
それは金属と金属がぶつかり合う音ではない。大気が圧縮され、爆縮を起こした衝撃波の音だ。
アザレアが繰り出した一本の突き。
ただの真っ直ぐな突進。しかしそこに込められた質量と加速エネルギーは、巨大な城門すら一撃で粉砕するほどの異常な重打だった。
受け止めたリリィの足元、頑丈な石畳が直径数メートルにわたって一瞬で破砕され、クモの巣状に砕け跳ねる。
「……力の上限値が……予測を……超えています」
リリィの口から、掠れた声が漏れた。
受けて立つ彼女の両腕の骨格が、軋みと悲鳴を上げる。
だが、アザレアの攻撃はそれにとどまらなかった。
一突き目を流す隙すら与えず、二突目、三突目が、空間を黒く塗り潰すほどの速度で繰り出される。
比喩ではなく、大気を削ぎ落として生まれる凄絶な真空の筋。
リリィの果断なき二刀流の短鉈が、アザレアの放つ漆黒の槍戟と衝突し、嵐のような火花を散らす。
しかし――。
(押されている……!?)
倒れたまま血を吐き、必死で戦況を見つめていた私の目に、信じられない光景が飛び込んできた。
あの地下迷宮で巨大な魔獣を容易く解体し、数多の戦闘で圧倒的な旋風を巻き起こしてきたリリィが。
あのアザレアの、圧倒的な怪力と、理不尽なまでの手数とスピードの前に、防戦一方へと追い詰められていたのだ。
アザレアには「自分の肉体を庇う」という概念が存在しない。
筋肉が断裂しようと、骨が折れようと、一瞬の過負荷で寿命を数年単位で縮めようと、全出力をただ一撃の攻撃へと注ぎ込み続けているのだ。
寿命の克服を捨て、ただ目の前の敵を破壊することだけに特化された『試作体』。
心を手に入れ、命の重みを知ってしまった『最高傑作』
その構造的な差が、恐ろしいまでの暴力の差となってリリィに襲いかかっていた。
カキィィィンッ!
甲高い金属破壊音が響いた。
アザレアの強烈な横薙ぎの槍一閃。
リリィが必死で交差させて防いだ二本の鉈剣のうち、右手に握られていた一本が、圧倒的な質量に耐えかねて手元から吹き飛ばされたのだ。
旋風を描いて宙を舞う、黒光りする鉄塊。
「リリィ!!」
私の悲鳴が響く。
武器を弾かれた衝撃で、リリィの華奢な身体がバランスを崩し、大きくよろめいた。
彼女の左手の短鉈一本では、アザレアの次なる追撃を防ぐことは不可能だった。
アザレアの無感情な藍色の瞳が、隙を見せたリリィの胸元を正確に捉える。
黒銀の長槍が、旋律を置き去りにして、リリィの華奢な胸部を貫かんと一直線に突き出された。
「死ねぇぇぇっ! 欠陥品どもが!!」
ヴァルターの歓喜の叫びが響く。
初めて見せる、リリィの完全な劣勢。
死の刃が、彼女の命脈を穿とうと迫っていた。




