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彼女と僕の理解の差

1.



―私には何が起きたのか分からなかった。


アルシュ様と私の集落へと向かう途中、巨大なクマが現れた。

彼は自分の一族を従える長の様な役割をしていたはずだ。

時々、水浴びに向かった泉で顔を合わせることもあった。


アルシュ様と彼が会話を始めたので、私は一歩下がってその様子を見ていた。

彼の言葉の全てを理解することは出来なかったがアルシュ様の様子を見るに、どうやらこの森の意味を伝えたらしい。


その事に衝撃を受けた様子のアルシュ様を見つめていると、急に彼とアルシュ様の間に張り詰めた空気が漂い出した。

一体何事かと身構えた瞬間、あろうことか彼が殺気を放ちアルシュ様に襲い掛かったのだ。


まさか、そんな事をする筈が無いという思いからの驚きと油断。

そして単純にその動きの余りの速さに圧倒され反応が遅れてしまう。

私が身動き一つ取ることも出来ない刹那の出来事。


獣となった彼の牙がアルシュ様に触れたその瞬間。

彼は消えていた。

アルシュ様は右足を前に出し、身体を左に傾けた不思議な姿勢で立っている。

私には彼が消える瞬間も、アルシュ様が姿勢を変える動きも見えなかった。


決して目を離したわけではない。というより瞬きする時間も無かった。

訳の分からない状況に混乱し首を傾げたその瞬間、空を切り裂くような激しい音が鳴り響き、鼓膜を打つその余りの衝撃に私は意識を失った。




「――キナ、イリュキナ。大丈夫?」


優しい声と肩を揺すられる感覚に私は目を覚ます。


「良かった。気が付いたのね。痛いところはないかしら?」

「私は・・・。」


目を開き、ぼやけた焦点が合うと膝立ちになったアルシュ様が私の肩をその小さな手で揺すっていた。

私はどうやら仰向けに倒れているらしい。

手を地に着き支えにすると、ゆっくりと上体を起こす。

軽く頭を左右に振る。―痛みはない。声も聞こえたので耳も無事だろう。


アルシュ様が背中に着いた土や葉を優しく払ってくれている。

軽く触れられる背中の感覚も問題なさそうだ。


「ありがとうございます、アルシュ様。身体は問題ないみたいです。」


心配そうにこちらを覗き込むアルシュ様に伝え、ゆっくりと立ち上がる。

安心したように表情を柔らかくする彼女に私も微笑みかけた。


「良かったわ。イリュキナに怪我がなくて。」

「ええ、私は大丈夫ですよ。ご心配をお掛けしました。」

「じゃあ、行きましょうか。」

「ちょっと待ってください!!」


何事も無かったかの様に旅を再開しようとするアルシュ様に、思わず大きな声を出してしまう。

彼女は「ん?」っと可愛く首を傾げこちらを見上げる。

余り聞かれたくない事があったり何かを誤魔化したい時にする、彼女のその仕草。―しかし授業中に何度もその技を受けていた今の私には耐性があるのです。何度お説教を有耶無耶にされたことか。


「可愛くしても誤魔化されませんよ。一体何があったのです?

 まさか、彼がアルシュ様を襲おうとするなんて。御身がご無事で良かったですが・・・。

 それに、彼が一瞬で消えた様に見えましたが、あれがアルシュ様のお力なのですか?」


分からない事だらけの私は思わず捲し立てる様に言葉を並べる。


「・・・あれはあの子が私に出した試験だったの。私が森の外に出ても安心出来る様にって。

 だから私は試験を受けたの。それで、あの子は森へ還ったわ。」


いまいち要領を得ない彼女の説明。

しかし、私はそれ以上聞くことが出来なかった。―彼女がとても悲しそうな顔をしていたから。


私は彼女のその表情は試験とは言え、ともすれば命を奪われていたかもしれない彼の暴挙のせいだと思った。

だから、なるべく明るい声でこう言った。


「アルシュ様にそんなお顔をさせるなんて。帰ったのでしたら、今度会ったらお説教です!

 それにしても、さすが聖樹の精霊様ですね。あんなに凄いお力があるなんて。私には何が起きたのか分かりませんでした。」


アルシュ様は一瞬俯き肩を震わせて、そのあといつもの優しい瞳で上を見て、


「そうね。心配しすぎだーって、お説教ね。私、こんなに強いのだから安心して見ていなさいって、言ってあげるわ。」


そう言った。


少し元気が戻ってきた様子のアルシュ様と彼を森へと返したというその不思議な力を目の当りにして、改めてアルシュ様への畏敬の念を深めた私は、再び歩き始めた。





―僕は只々絶句していた。

僕にも彼の想いも覚悟も伝わったいた。これでも世界樹なので、生き物の意思は分かるのだ。

アルシュの説明を聞いた彼がどんな気持ちでイリュキナを見たのかも、心の底からアルシュの心配をしていたのも、その身を賭す覚悟も、全部分かった。

だから彼の死は悲しいけれど、受け入れるしか無い事も分かった。


この森の真意についても僕は薄々感じていたことだった。

彼の話を聞いて、やっぱりそういうことだったのかと納得出来た。


だから僕はアルシュのローキックを見て、只々絶句していた。

薄々分かってはいたことだけれど、まさかの物理攻撃。

分かっていながらも僕は草樹だった頃に読んだマンガ本の様に、アルシュが超常的な力を使うのではないかと少しだけ思っていた。

いつか冗談だとも言っていたし・・・。


実際彼女は特殊な力も有している。

そしてそれは彼ほどの相手であっても問題なく圧倒できる。

僕の眷属としての強力な力。


その上で、あの変則のローキックだ。

時を凌駕したその蹴りは、文字通り彼を森に還した。

その足が触れるより前に彼の身体は、原子レベルで霧散したのだ。


考えてみれば、数千年前の時点で僕の身を削った蹴りだ。


―何度も言うけれど、これでも僕は世界樹だ。

ちょっとやそっとじゃ物理的には傷付くことは無い。―心にクるのは勘弁してほしいけれど・・・。

ちょっとやそっとがどれ位かと言えば、雷に打たれても平気だし、鋭い刃物に切り付けられたって傷一つ付かないだろう。

前の世界で言えば、例え原子爆弾の爆心地に居たって小傷程度で無事だろう。そんな事御免被るけれども。


その僕の、不肖この世界樹の皮を砕き木肌を凹ませる程の彼女の蹴りは、どうやら世界を狙うとか言う次元をとっくの昔に通り越していたらしい。

正直、仮に僕がその力を破壊に向けたとして、範囲はともかく生物をあそこまで文字通り無に還す程の威力を出す自信はない。


それだけの力を誰に教わるでもなく彼女は、一人長い時間をかけて身に着けていたのだ。

そして彼女にとっての全力とは元々有している能力ではなく、自身が研鑽を積み習得したあの一撃だったということなのだ。


僕は再び歩き出した二人を見ながら、何があってもアルシュだけは怒らせてはいけないと、強く強く、何度も何度も自分に言い聞かせた。

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