その十四 逢魔が時
我がネタ帳、そろそろ終わりそうなりっ!!
ブロロロロロロロロロロロン。
軽快なエンジンを響かせて、日が沈みかけた街中を、一台の二輪車が走る。それに跨がる俺は、ハーフメットとゴーグルで完全武装していた。
速度は標識に書かれているより、1、2キロ遅い。一時停止では完全に止まる。赤信号では停止線より1メートル後ろで待機。曲がり角では必ず左右を確認。
安全は、全てに優先するのだ。
『まさかお前さんが、この鉄馬を飼っておったとはのぅ。霧島の部下とやらが乗っていたものと比べると、大分小さいが』
『カブ舐めんな。コイツは日本が世界に誇る、バイクの最高傑作だぞ』
俺の愛車、黒色のスーパーカブ110前カゴ付き。去年、十六歳の誕生日から教習所に通い始め、俺に出来うる限りの最速で免許を取り、それと同時に購入した代物である。
『そりゃ確かに、所詮は小型バイクだよ。スピードやパワーは全然大したことないさ。けどな、乗り物ってのは目的に合わせた性能こそが求められるんだ。その点カブは燃費じゃぶっちぎりだし、簡単なメンテなら俺でもできるし、頑丈さは折り紙付きだ。高速乗るわけじゃねえから100キロ以上出る性能なんか必要ねえ。車みてえな積載量が要る買い物だってめったにしねえ。日々のちょっとした移動には、これ以上のモンはねえよ』
もちろん、大型バイクもすげえカッコいいと思う。ぶっちゃけ乗りたい。
だがそれは、生活する上では無用の長物なのだ。趣味として大型バイクを買うほどの余裕はねえし、そもそも年齢的に、大型の免許はまだ取れない。
それに俺は、スーパーカブも大型バイクに劣らず好きなのだ。体格の関係で、90cc以下のモデルはちょっと厳しいが。
『便利なものよのぅ。馬よりも小さく、従順で、走らせる時以外は餌も要らぬ。科学も儂からすれば、既に魔術と変わらぬよ』
『まあ確かに、昔の奴が見りゃあ、今の世の中は十分魔法の世界だよなあ』
人類が宇宙に進出し月に到達したなんて、数百年前ならお伽話より現実味のない話だろう。そしてさらに数百後の人間も、俺たちに対して同じようなことを思うかもしれない。
『逆に今の世の中じゃあ、何かしらの乗り物がなきゃあ不便で仕方ない』
『慣れ、というヤツかの。人は一度便利さを知ってしまうと、不便な生活には戻れぬものだ』
『全面的に同意。ガキのころはチャリンコでどこまでも行けたもんだが、バイク手に入れてからは考えられなくなっちまった』
そんなことを色々と話していると、珍しくもなんともない一戸建て住宅が見えて来た。
ここは、鐘井明日香とその両親が暮らす家。一度訪れただけだが、自分でも意外なほどに、場所を正確に覚えていた。
『……律儀な奴よのぅ。わざわざ迎えに行かんでも、外で待ち合わせればよかろうに』
『そうしてえのは山々だけどよ。アイツに一人で出歩かせるのは危なっかし過ぎる』
鐘井は見た目が良いし、コロコロと変わる表情は可愛らしい。それでいて女子高生にあるまじき無防備さなので、もうホントに今までよく無事だったなと思う。
「……はあ」
つまり、鐘井さえしっかりしていれば、俺がこんなことをする必要はないのだ。おのれ。
「さて……」
ピンポーン。インターフォンをポチッとな。
するとすぐに、扉の向こうからパタパタと足音が聞こえて来る。そしてそのまま、ガチャリと。
「は~い。あっ、鼎先輩。今日はわざわざありがとうございます」
「………………………」
まずは親機に出ろよ。何のためのインターフォンなのか。それにコイツ、覗き穴からの確認すらしなかったぞ。暴漢が来たら一発じゃねえか。
「……お前さあ。少しは自覚しろよ」
「え?何がですか?」
「…………もういいや。どうせ何言ったところで無駄だろうし」
「???」
ポカンとしてる鐘井に背を向けて、バイクの前カゴに入れておいたピンク色のハーフメット(ちなみに俺のは黒だ)を取り、投げ渡す。アタフタしながらそれを受け取る鐘井。
「さっさと乗れ。とりあえず、街まで行くぞ」
「あ、はい」
慣れない手付きでハーフメットを被る鐘井。顎ひもをしっかりボタンで留めて、そこでなにやら不思議な顔になる。
「?あれ?」
「……どした?」
「このヘルメット、ピッタリです。鼎先輩とじゃ、頭の大きさが全然違うのに」
「ああ。それ、柊用のだからな」
「……柊?それって鼎先輩と同じクラスの、柊先輩ですか?」
「あん?知ってんのか」
何か接点があるのか?少なくとも、柊は部活には入ってなかったと思うが。
「中学が同じだったんです、私たち。それに有名人ですよ、柊先輩。キレイですし、優しいですし、色んな人から告白されてますよ」
「へえ、そいつは知らなかったな」
だったらアイツも、俺なんかと連んでないで、もっと色んな奴と遊びに行きゃあいいのに。
「……あれ?なんで鼎先輩が、柊先輩用のヘルメットを持ってるんですか?」
「何度か乗せたことあったからな。アイツんちに置いといても使わねえって言うから、俺が預かってんだよ」
大きさだけなら薫用のメットも同じようなもんだが、薫はアレでも正真正銘の男だ。他人のメットなんて嫌だろうが、男が使ってる物と女が使ってる物なら、やっぱり女が使ってる物の方がまだマシだろう。
「……むむむ……」
「何してんだよ。早く乗れ」
「……むぅぅ~……」
何やら頭を―――というよりは、被ったメットを抱えて唸っている鐘井。このままじゃいつまでも出発できなそうなので、首根っこを掴んで持ち上げ、後ろに乗せた。
いつもならそこには特大の弁当箱が設置されているのだが、今は外してある。
「んじゃ、行くぞ。しっかり掴まってろ、振り落とされても拾わねえからな」
「は、はいっ」
ギュッと抱き付いてくる鐘井。これだけしっかり掴まってるのなら、安全運転をしている限り大丈夫だろう。
それを確かめてからアクセルを開け、カブを発進させながら、俺は昨夜のことを思い出していた―――
――――――――――
「ここが私の家です」
「へえ。至って普通な、なんの特徴もねえ家だな」
「そういうことは思っても言わないでくださいわかってますからっ!!」
もうホント、量産型と呼びたくなるくらいにシンプルな家だった。住宅街では似たような家が並んでるもんだが、鐘井の家はその景観にカメレオンもビックリなくらい、上手く溶け込んでいる。つまりは目立たないってことだが。
「いっそ築五十年のオンボロアパートとか、逆に馬鹿デカい豪邸とかだったら面白かったんだけどなあ」
「人の家にどんな期待をしてるんですかっ」
小さな、これまた何の変哲もないアルミ製の柵みたいな門の前まで送ってやると、鐘井は敷地内へと入って行き、鍵を取り出して玄関を開けた。
その間、俺は外からもう一度、鐘井宅を見渡して―――
「………」
時計を確認。夜の十時半。今からなら、家にもギリギリ十一時前には着けるだろう。
しかし別に家に着く時間が気になったわけではまったくないわけで。
『……誰もいねえ、な……』
『そうだの。気配も感じんよ』
鐘井宅には、一切の灯りが点いていなかった。カーテンが閉め切られているのでどちらにせよ中の様子は分からないだろうが、それでも暗いか明るいかくらいは分かる。
―――こんな時間に、まだ誰も、帰って来てないのかよ。
「……無神経なこと訊くけどよ」
「はい?」
「親御さん、まだ仕事か」
「……はい。姉さんのお葬式が終わって、次の日から、もう……日付が変わってからじゃないと、帰って来なくなって……」
「………」
鐘井が言っていた通り、仕事に打ち込んでいるってわけか。
現実を受け入れられないのか、それともただ強がっているだけなのか。二十歳過ぎ、結婚したばかりの娘が亡くなれば、それも当然かもしれんが。
どちらにせよ、心と体、どちらが先に耐え切れなくなるか。それほど時間的な余裕はないだろう。しかし不謹慎な言い方をすれば、鐘井がこうして殺人鬼探しをしていることに気付かれず、そして遅くまで探していられるのは―――好都合では、ある。
……参ったな、こりゃあ。こんなことを考えられるほど、自分が腐ってるとは思わなかったぜ。
「じゃあ、夜お前を連れ出すにあたって、親御さんの許可は取らなくていいってわけか」
「はい。二人とも、私がこんなことしてるって知らないと思います」
知ってたら全力で止めてるだろう。なにせ娘が一人殺されたばかり。その妹まで殺されるかもしれないのに、殺人鬼探しなんかやらせる筈がない。
つまりは鐘井も、俺と同じように保護者に無断でやってるわけだ。
「じゃあな」
「あ、か、鼎先輩っ!」
「あん?」
「あ、明日、本当に一緒に探してくれるんですか?」
「おう。……ああそうか、行く前に連絡入れた方がいいか。鐘井、ケータイの番号教えろ」
「はい!えっと―――」
元気良く返事した鐘井は、11桁の番号を言った。その番号をアドレス帳に登録して、踵を返す。
「んじゃ」
「へ!?ちょ、先輩の番号は?」
「明日連絡すっから、その時に登録しろ」
「ひ、ヒドいっ……!」
だって口で言っても間違えそうだからな、コイツ。今ここで電話を掛けるのは二度手間になるし。
それに鐘井なら、知らない番号から掛かって来ても平気で出るに決まってる。
「あっ、鼎先輩。このジャケットは……」
「ああ。クリーニングに出してから返してくれりゃあいいから」
「なんですとっ!?」
「そろそろ持ってこうと思ってたんだよ。頼んだぜ」
「あの……クリーニング代は?」
「それのレンタル料ってことで」
「……むう……」
納得は行ってないようだが、無視して立ち去る。まあ鐘井も、一度とはいえ自分が着た服を男に着られるのは嫌だろうし。クリーニング代も、後で百円くらい払ってやろう。
「じゃあな。今日は早めに寝とけよ」
「はいっ。鼎先輩、今日は色々と、ありがとうございましたっ!!」
ヒラヒラと手を振って、家に向かって歩き出す。
……鐘井の奴、ちゃんと眠れるかね。あれだけ怖い目に遭ったから、寝付けなくてもおかしくはない。
『お前さんが心配しても仕方あるまいよ。彼奴自身で、乗り越えねばならぬ問題だ』
『……そうだな。まあ、俺には俺の目的がある。アイツのことまで手は回らねえ。付いて来れないのなら―――置いてくさ』
『ククク……その時が来て、置いて行けるかのぅ、お前さんは』
『………………さあ、な』
置いて行くさ。俺には他人の人生なんざ背負えねえ、自力でどうにかしてもらうしかねえ。
―――そう。所詮は、他人なんだ。
だから。
別れる時、鐘井の声が震えていたとしても。
俺には、どうにも出来ないんだよ―――
――――――――――
繁華街まで行って、手頃な駐車場にカブを停め、そこを中心に探すことにする。亜麻原駅を中心とした円、それを犯行現場から少し内側に入った辺りをぐるりと一周するつもりだ。
「なんていうか……すごく安全運転でした。意外です」
「万に一つも切符切られたくねえんでな。罰金払えねえし」
姉ちゃんにバレるとえらいことになるしな。どっちかと言うとそっちの方が主な理由なんだが、まだ鐘井には、「姉」の話をしない方が良さそうだ。
「けど鼎先輩、あのバイク、先輩の体格に合ってなくないですか?なんだかちっちゃくて、微妙にパワー不足なような―――」
「カブ舐めんな。カブは世界最高のバイクだ、次にカブ馬鹿にしやがったら轢き殺すぞ、カブで」
「うひぃ……!?」
カブをけなす者は、誰であろうと許さん。誰であろうともだ。
……え?姉ちゃん?例外に決まってんだろ。ていうか姉ちゃんもカブ好きだし。
「……鼎先輩、いつから殺人鬼探しをしてるんですか?」
「なんだよ、突然」
「いえ……なんだか、すごく慣れてるみたいですから」
慣れてる?ああ、探す範囲をあらかじめ決めてたこととかか?
別にただ、犯行現場が段々駅に近付いて行ってるからってだけなんだが。闇雲に探してるようなもんだ。
「二週間ちょいかな。四月の半ばくらいからだ」
「はー……ベテランさんですねえ」
「どこがだ」
鐘井を連れて、夜の街をトコトコ歩く。やっぱり運動部に所属しているらしく、30センチくらい身長差のある俺の歩幅にも難なく付いて来るあたりはさすがと言ったところか。
「ところで鐘井後輩よ。お前、何部に入ってんの?」
「陸上部です。これでも、ちょっとしたスプリンターなんですよ」
「へー」
短距離走か。なるほど、アレはマラソンと違って、全身を鍛える必要があるからな。鐘井のスタイルは、それによって鍛えられた結果か。
「鼎先輩、今度競争してみませんか?100メートル走で」
「別にいいけどよ。俺は手段を選ばない男だぜ?」
「何をする気なんですか、100メートル走でっ!?」
何って……投石とかスタート直後の足払いとか号砲をバカデカくしてビビらせるとか、色々あるだろ。
「鼎先輩……やっぱり、不良さんです」
「何を言うか。俺は今年は皆勤賞だぞ、今のところは」
「うーん……この前から不思議に思ってたんですけど、鼎先輩、有名ですよね。すごい不良だって。なんでですか?意外と良い人なのに」
「よくそういうことを平気で訊けるな、お前は。……まあ、自覚してはいるんだよ。いつの間にやらしかめっ面が普通になっちまったし、髪もこんなだしな。上級生に目え付けられて、それを殴り倒したのが始まりだった気がするな」
あの時は、今ほど精神的な余裕がなかったからな。ちょっとしたことでイラついて、ついつい手が出ちまったんだよなあ。
「なるほど……それをキッカケに、不良街道一直線だったんですねっ!?」
「……そのうち、マジで殴るぞ」
「へあ!?」
なんて失礼なヤツだ。俺が不良やってんのは不本意だってのに。
「……鼎先輩、その髪なんですけど……天然ですか?」
「……これは……天然っちゃ天然なんだが、生まれつきってわけでもないんだよなあ……」
「んん?……んー、よく分からないですね……」
首を傾げる鐘井だが、しかしそれ以上は突っ込んでこなかった。読むべき空気は読めるらしい。
「じゃあ、大きくなるコツをっ」
「コツって……知るかよ、んなもん。ていうかお前も、女子としちゃあそんな小せえ方でもねえだろ」
「全然足りません!スプリンターにとって、ストライドは武器なんですっ!!」
「へー」
……しっかし、なんだこの、普通過ぎる会話は。俺たち、殺人鬼探ししてるんだよな?もっと殺伐としてるもんじゃねえの?
「私、最近伸び悩んでて。タイムがなかなか縮まらないんです。身長も、あまり伸びなくなってきてますし……」
「ふうん。それ、俺に何かアドバイス出来んの?」
「ですから、背を伸ばす方法をっ!」
「だから、知らねえって」
「でしたら、足を伸ばす方法を……!」
「それ同じだから」
「むむむぅ……!」
……ああ。なるほど、そういうことね。
コイツは―――鐘井は。
『……ダメだな。現実から、逃げようとしてる』
『真っ直ぐに向き合えんのだろうよ。それほど、姉のことが好きだったのだろう』
『……難しいなあ。コイツの心の傷は、そう簡単には癒えねえよ』
『なればこそ。殺人鬼とやらを捕まえることが、その第一歩となるだろうよ』
『……最悪、逆効果になっちまうだろうけどな』
それでも。ケジメだけは、付けなきゃならない。
―――ケジメを、付けよう。
過去とのケジメを。
姉との、ケジメを。
死んでしまった者は、戻らない。何をしても。
死んでしまった者には、何も出来ない。何をしてやることも出来ない。
―――だけど。
『いつまでも―――引き摺ってちゃあ、いけねえよなあ』
『吹っ切るには、まだ早いだろうがの。しかしこの機を逃せば、次はあるまい』
『……ああ』
だけど。
死んでしまった者に、何も出来ないのなら。
せめて、自分のために。
―――死んでしまった者が。
愛してくれた、自分のために―――
『……よお、クソガキ』
―――ああ、そうだ。
覚えている。
忘れやしない。
忘れるものか。
もし。死んだ者のために、出来ることが、あるとしたら。
それは―――
『……忘れちゃダメなんだ。受け入れなきゃあ、ダメなんだよ。過去がなきゃあ、現在はない。現在がなきゃあ、未来には続かない。
……だから、受け入れないと』
『……自ら体験しておるような、言い方だのぅ』
『……ふん』
もしも。死んだ者のために、出来ることがあるとするなら。
それは―――「覚えている」ことだけだと、想うから。
『……道理で。お前さんが、やけにこの小娘に拘ると思うたわい』
『なに一人で勝手に納得してやがる』
『さて、の。お前さんにも、色々と事情があるのだ、と思うてのぅ。……いずれ、お前さんから聞かせてもらいたいものよ』
『……そのうち、な』
散々偉そうなことを言ってはいるが。俺だって、乗り越えられてるわけじゃないんだ。もう八年も前のことを、未だに引き摺ってる。
―――このいまだに増え続けている白い髪が、その証拠だ。
『……自分のため、か。その通りだよ。俺は安っぽい同情で、俺自身の自己満足のために、コイツを付き合わせてる』
『それが分かってるのなら、何も言うことはない。自己満足、大いに結構。己が望みのために、儂の力を振るうがよい。……儂が契約したのは、百鬼鼎なのだからの』
誰のためでもない。俺は、俺のために。
今までだってそうだ。これからもそうだ。
だから、付いて来れないのなら―――置いて行くさ。
「ところで鼎先輩、なんで部活入らないんですか?そんなに背が高いんだから、バレーとかバスケとかできそうなのに」
「俺にチームプレイができると思うか?」
「無理そうですね」
「………………………」
「う~ん……でしたら、柔道部とか、ボクシング部とか」
「格闘技は性に合わねえの。ルール無用の喧嘩の方が、気楽でいい」
「……ワガママですね」
「なんでそうなる。そもそも、やりたい部活がねえんだから、わざわざ入る必要はねえだろ。それにバイトしてるし。最近は休んでるが」
「……む~……」
人がマジメに考え事をしてるってのに、鐘井は構わず他愛のない話を振りまくって来る。いい加減鬱陶しい。
どうにか、上手いこと捌けないもんか。殺人鬼探しに集中出来な―――
「……っ!!?」
「……鼎先輩?どうしたんですか?」
突然立ち止まった俺に、鐘井が俺の顔を見上げる。自分でも分かるほどに表情が固くなり、五感が研ぎ澄まされる。
―――微かだが。今、確かに。
血の、匂いが―――
『……小僧』
『……ああ。やっぱ、気のせいじゃあねえか』
……ったく。連れ歩いて初日で、「当たり」かよ。
―――ふざけやがって。空気を読みやがれ、こっちはまだ心の準備が出来てねえんだよ。
「……鐘井」
「へ?」
「………………居るかもしれねえ。近くに」
「…………えっ!?」
どこだ?この匂い、どこからしてる?
周囲を見渡す。街にはここ最近見慣れたように、人がほとんど居ない。
探せ。この中に、殺人鬼が―――
『……いや、違う』
『うむ。この匂い、身に染み付いたモノにしては、余りにも濃過ぎる。今、まさに―――「コト」の最中なのだろう』
ギシリ。
奥歯を噛み締め、さらに集中する。
―――どこだ。どこに居る。
どこに居やがる、殺人鬼―――
「……っ!あそこだっ……!」
「へ!?あ、ちょ、鼎先輩っ!?」
薄暗い路地の一つから、血の匂いは漂って来ていた。これも爺さんとの契約のおかげか、俺の五感は獣並に鋭敏になっているらしい。
その鼻が、告げている。
―――間違いない、と。
『五人目……間に合わなかったか……!』
『悔やむ暇はなかろう。この匂いの元は手遅れだろうが―――これで、終わらせれば良い』
灯りの届かない、薄暗い路地。
それでも、まったく見えないほどじゃあない筈なのに。
まるで纏わり付くような、得体の知れない化け物が大口を開けているかのような闇が、そこにある。
『……この感じ……まさかっ……!?』
『……もしやとは、思ってはいたが。悪い予感ばかり、当たるものだのぅ……』
その路地に、一歩足を踏み入れた瞬間。
あまりにも禍々しい気配が、狭い空間を埋め尽くしていた。
―――ズブリ。ザク、ザク、グチャリ―――
耳を塞ぎたくなる、嫌な音。
その音がするたびに、どんどん濃くなっていく、血の匂い。
横たわる人影が一つと。
それに向けて、何か細長いモノを、繰り返し振り下ろしている人影が、一つ。
『……コイツは』
『……間違いない―――契約者だ』
足音に気付いたのか、人影が振り返る。
―――それは、どこにでも居そうな、何の変哲も無い、サラリーマン風の男だった。
歳は中年。キッチリ整えられた髪。しっかり剃られた髭。
安物のスーツ、安物のネクタイ、安物のYシャツ、安物の革靴。
特徴らしい特徴のない顔に掛けられた、やはり安物の眼鏡。
その奥にある、両の瞳だけが。
―――爛々と。妖しげに、輝いていた。
オリジナルのムズさは異常。やはり才ある者のみに許された、茨の道なのか……。




