その十三 本当の理由
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「鈴原紗耶香は、私の姉さんなんです」
「名字が違うのは……姉さんは、二年前に結婚して、それで」
「姉さんはその時、まだ大学生で。……生きていたら、今も大学生、なんですけど」
「相手の鈴原康太さんは、姉さんの大学の先輩なんです。普通の会社に就職した、普通の人で……」
「だからもちろん、そんな二人が結婚なんて、すごく大変なことだと思います。父さんたちに迷惑はかけたくないって、結婚資金や生活費、学費なんかも、全部二人でなんとかして……」
「姉さんは、昼間は大学で勉強して、夕方から夜遅くまで、毎日アルバイトしてるみたいでした。休める日なんてほとんどなくて、毎日毎日、勉強と仕事で、ヘトヘトになって……」
「けど、たまに時間を見付けて、私に会いに来てくれました。喫茶店に行って、お互いの近況なんかを話すんです」
「姉さんは、私の話をいつも楽しそうに聞いてくれました。私も、姉さんの話を聞くのが好きでした」
「姉さんも康太さんも忙しくて、一緒に居られる時間は、あんまりないみたいなんですけど……それでも、その少ない時間をすごく大切にしていて、二人ともすごく仲が良くて、毎日大変だけど、それ以上に幸せだ、て言ってました」
「姉さん、康太さんの話をする時、すごく楽しそうに笑うんです。なんでもないような、ほんのちょっとしたことも、すごく、楽しそうに」
「姉さんは、心から康太さんを愛してるんだなあ、て。本当に楽しそうで、嬉しそうで、幸せそうで……」
「何回かしか会ったことはないですけど、康太さんも、姉さんのことを愛してる、てわかりました。もうラブラブで、見てるこっちが恥ずかしくなるくらいで、本当にお似合いの二人で……」
「父さんも母さんも、反対を押し切って結婚した姉さんに、初めは怒ってたんですけど……そんなこと、すぐに忘れちゃったみたいで。半年もしたら、早く孫の顔を見せろ、なんて言うようになったんですよ」
「大学も、あと一年で卒業するはずでした。一生懸命頑張ったおかげで、卒論もどうするか大体固まってて、康太さんとは別の会社ですけど、内定ももらってて……何もかもが、順調で」
「大変だけど。忙しいけど。てんやわんやだけど。それでも、毎日が楽しくて楽しくて、幸せでしょうがない、て。姉さんは、そう言ってました」
「街で、偶然会ったんです。バイトまでちょっとだけ時間があるから、少し話そう、て。いつもみたいに喫茶店に入って、お茶しながら」
「けど話が盛り上がっちゃって、気付いたらバイトの時間になってて、遅刻だーって、慌ててお店を出て」
「小さく手を振って、またねって。その笑顔が、すごく眩しくって。私も笑顔で手を振って、またねって、言いました」
「……その日の、夜に」
「姉さんは―――殺されました」
そこまで、鐘井は夢中で語った。自慢の姉なんだろう、誇らしげに語った。
だがそこで、鐘井の表情が変わって。
悲哀と、恐怖と、絶望と。
それらが綯い交ぜになった、あまりにも痛々しい顔で。
―――続きを、語った。
「……電話、が。鳴ったんです。別に全然、珍しいことじゃなくて。だから私、普通に、それを取って」
「何を、言ってるのか。わかりませんでした。わかりたく、ありませんでした。けれどいくら耳を塞いでも、現実は、変わらなくって」
「……遺体を、見ました。姉さんの遺体を」
「見ないほうがいい、て言われました。非道い状態だからって。けど、見せて欲しいって、頼みました。姉さんを、見なくちゃいけないって、思ったんです」
「……けど、真っ直ぐに、見れませんでした」
「一瞬だけ、見て。本当に、一瞬だけだったのに」
「多分、一生、忘れられない」
「……ズタズタ、でした」
「それ以外に、言葉が思い付かないくらいに」
「顔は、何度も刺されていました。目も、鼻も、口も、耳も、元の形がわからないくらいに、刺されていました」
「体は、何度も切られていました。腕も、足も、胸も、腰も、お腹も、内臓が全部飛び出してしまうくらいに、切られていました」
「それが姉さんだなんて、認められませんでした。認めたく、ありませんでした。けれどいくら目を逸らしても、現実は、そこにあって」
「持ち物が、そのまま残っていたそうです。それに、歯形も一致したって。だから、姉さんに間違いないって」
「信じたくありませんでした。受け入れたくありませんでした。それは、父さんも母さんも康太さんも、みんな同じで」
「それから、みんな、変わってしまいました。父さんも母さんも康太さんも、仕事ばかりするようになりました。多分そうやって、現実を忘れようとしているんだと思います」
「私も、現実を忘れようとしました。勉強や部活を頑張れば、忘れられるかもって、思いました」
「……けど、その前に」
「鼎先輩の話を、聞いたんです」
「二年生の、百鬼鼎。中学生の頃から有名な不良で、しょっちゅう色んな人とケンカしてて、相手に大怪我させたこともあって、先生にも手が付けられなくて」
「その百鬼鼎が、真夜中に街を歩いてるのを見た、ていう話を、聞きました」
「殺人鬼がいる、夜の街を。人を四人も殺した、殺人鬼がいる、夜の街を」
「―――姉さんを殺した、殺人鬼がいる、夜の街を」
鐘井は自分の体を抱き締めて、震え始めた。
芯まで凍り付くほどの寒さに、あてられたように。
「しかもそれが、姉さんが殺された場所の近くだって。そんなところを、何をするでもなく、フラフラと歩いてるって。百鬼鼎が、何人も傷付けている百鬼鼎が、殺人鬼がいて、ほとんど出歩く人のいない夜の街を、歩いてるって。
……わた、わたし、それが、獲物を探してるんじゃないかって思って、今までもそうしてたんじゃないかって思って、姉さんもこの人が、この人が殺人鬼なんじゃないかって思って、そうしたら居ても立ってもいられなくなって、なんにもならないけど、姉さんは帰って来ないけど、父さんも母さんも康太さんも元に戻るわけじゃないけど、そんなのわかってるけど、でも姉さんにあんなことをした殺人鬼がすぐ近くにいるかもしれないって思ったら、だ、だから私、やらなくちゃって、私も殺されちゃうかもしれないけど、けど、やらなくちゃって、そう思って、わたしっ……!!」
頭を抱えて、涙を流して、虚ろな眼で。
ただ感情の溢れるままに、言葉にしていた。
「や、やめさせなくちゃって。こんなこと、やめさせなくちゃって。だって姉さんは、こういうのは許せない人だから、けど姉さんは、だから、私が止めなくちゃって、それでっ……!!」
「……それは、違うだろ」
「え……!?」
なおも言葉を続ける鐘井の肩に、手を載せる。
身を屈めて、鐘井と目線の高さを合わせ、顔を覗き込む。
ビクリと身を竦ませる鐘井に。
必死に押さえ付けていた感情の蓋を開けて、中から溢れ出したモノに食われかけている鐘井に。
俺が、そうさせてしまった鐘井に。
それでも、ちゃんと、前を向いてほしくて。
「お前がこんなことをしているのは、姉さんのためじゃねえだろ」
「え……」
「親御さんや、康太さんとやらのためでもねえ。お前は―――お前のために、こんなことをしてるんだろうが」
鐘井は最初、何を言われているのかわからないという顔をした。
しかしそれも束の間、すぐに戸惑いの表情に変わる。
「そ……そんなことありません。私は、姉さんのために……」
「だから、それは違うだろ。お前の姉さんは、もう、死んでるんだから」
「なっ……」
「死んだら全部終わりだ。死人のためにできることなんかない、そんなのは全部、遺されちまったヤツが悲しさから逃げるための、自己満足だ」
自分でも、かなり傲慢なことを言っているという自覚はある。
だが、間違ったことは言っていないと思ってる。
「きっと天国で喜んでるとか言うけどよ。それはただ、そうであって欲しいってだけだろうが。死人に喜ぶもクソもあるか、いくら口無しだからって、てめえの希望を勝手に押し付けてんじゃねえよ」
天国や地獄は、もしかしたらあるのかもしれない。なにせ外法者なんて連中が実在するんだ、あっても別に驚かない。
だが、それとこれとは話が別だ。
天国も地獄も、結局のところ、「あの世」には変わりないのだから。
「お前が本当に姉さんのためって思ってんなら、殺人鬼探しなんざしねえだろうよ。そんなことよりも、家族を支えるとか、他にいくらでもやらなきゃならねえことがあるだろうが」
「で、でも……」
「お前が殺人鬼を探すのは、お前自身のためだ。姉さんのためだなんてのは、お前の本当の理由を隠すために、上っ面だけそれらしく取り繕ってるだけだ」
俺の言葉に、鐘井は両目を大きく見開き、震えもさりに酷くなってる。
だがそれでも、耳を塞ぐことも目を瞑ることも顔を逸らすこともしない。
―――逃げようとしない。
「お前は―――殺人鬼に、復讐したいんだろ」
「ひっ……ぅ……!」
「憎いんだろ?恨めしいんだろ?許せねえんだろ?大好きな姉さんを殺した、殺人鬼が」
「そ……それ、は……」
「当たり前だよな。大好きな身内を殺されて、その相手を少しも憎まずにいられる奴は、人間としてどっか欠けてるよ」
罪を憎んで人を憎まず。復讐は良くない。
それらは確かに、素晴らしい考え方なのかもしれない。
だが、その言葉を口にする時。
奥歯を噛み締めずにいられるか?拳を握り締めずにいられるか?
―――その言葉を、平然と言えるのか?
「憎くて当たり前だ。恨めしくて当たり前だ。許せなくて当たり前だ。憎んでいい、恨んでいい、許さなくていい。復讐したいんなら、すればいい。
……けどな。それを誰かのためと言うことだけは、絶対に、しちゃいけねえ」
復讐の理由を、誰かのせいにするな。
血濡れの旗を掲げるのなら、そこに刻むのは自分の名にしろ。
墓前に首を手向けるな。それで喜ぶのは、それこそ人殺しだけだ。
「俺も、殺人鬼を探してる。それは姉ちゃんが殺人鬼のせいで無理してるからだが、姉ちゃんのためにやってるわけじゃねえ。俺自身が、姉ちゃんが殺人鬼なんぞに振り回されるのが、我慢ならねえだけだ」
復讐するのは、心の弱い人間だけだ。真に強い人間は、どんなことがあろうと、復讐なんかに逃げたりしない。
憎しみを呑み込んで、悲しみを受け入れて。
それでも、前に進む。
「だから、二度と俺の前で姉さんのためとほざくな。虫唾が走る。殺人鬼を探すのなら、お前の姉さんを言い訳にするな」
俺は、姉ちゃんと薫を守るためなら、命だって捨てられる。
だが決して、それは二人のためなんかじゃあない。
もし、俺が死んだら。
二人とも、死ぬより辛い想いをするに、決まってるんだから。
「お前はお前自身のために、こんな馬鹿なことをやってる。それを認めろ。さもないと―――マジで両脚へし折って、しばらく歩けないようにするぞ」
言いたいことを大体言って、鐘井に選択を迫る。
自分のために、復讐するか。姉さんのために、復讐を諦めるか。
それを、まだ姉を失って一週間も経たない鐘井に強制するのは、とても残酷なことで。
こんなことを、知った風な口で言う俺は、一体何様のつもりなのか。
「……私、は」
俺の偉そうな説教を聞いていた鐘井は、ようやく口を開いた。
「殺人鬼が、憎いです。恨めしいです。許せないです。でも―――」
震えはまだ、収まっていない。
顔をくしゃりと歪めたままで。
それでも、俺から、目を逸らさずに。
「姉さんのために何かしたい、ていうのも、本当の気持ちなんです」
鐘井は、泣いていた。
泣きながら、それでも一生懸命に、自分の想いを言葉にしていた。
「だって、姉さん、幸せだったんです。これから、もっともっと、幸せになるはずだったんです。ずっとずっと、幸せな未来があったんです。
……それを、あんな形で、奪われてしまったんです」
溢れる涙を拭おうともせず、目を真っ赤に腫らして、震える声で、しゃくりあげながら。
一つ一つ、言葉を紡ぐ。
「……許せないです。許せないですよ。殺人鬼は……憎いです。……けど……やっぱり、姉さんのことも……」
復讐するのなら、姉の想いを裏切ることになる。鐘井が姉を想っていたように、姉もまた、鐘井のことを想っていたのだ。平和に、幸せに生きて欲しいと。
だが、復讐を諦めることもできない。姉の命と共に引き裂かれた鐘井の心は、復讐という拠り所なくしては、支えることはできないのだ。
「……わからないです。決められないですよぅ。だって私、姉さんのことが、大好きで……それと、同じくらい……殺人鬼が、憎いんですっ……!」
それは、きっと。
鐘井の、正直な、想いだった。
「……はあ。どっちか選べねえとか、欲張りやがって。二兎を追う者は一兎をも得ず。昔の人もそう言ってるだろうが」
「……でも……」
「お前には、復讐は向かねえよ。それ以外何も考えられねえ、なんとしてでも復讐してやる。そんな奴にしか、復讐なんてできやしない」
「………」
「諦めろ。お前に、復讐は無理だ。家に帰って、親御さんと、康太さんとやらを支えてやれ」
そう言うと、鐘井は俯いて、胸の前でぎゅっと両手を握り締める。
……迷っているんだろう。どっちも選べないんだろう。どっちも諦められないんだろう。
もっとも、言葉なんかで説得できるとは、俺も思っていないが。
「……だが。ケジメはきっちり、付けなきゃあならねえよなあ」
「……え?」
「お前にとって、殺人鬼はそれこそ、殺してやりたいくらい憎い相手だろうさ。だがお前にそれはできねえよ。そんなに迷いながらじゃあ、返り討ちにあうのが関の山だ」
「う……」
「だからって、このまま奴をほっといても、お前は先に進めやしねえ。一歩も前に歩けねえ。
……だから、ケジメだけは、付けないと」
「……ケジメ……?」
キョトンとする鐘井の前に、指を三本立てた手を突き付ける。その指を見る鐘井は寄り目になっていて、微妙に間抜けな顔だった。
「三つ、約束しろ」
「え?」
「一つ目。俺の指示に従うこと。二つ目。自分の安全を最優先すること。三つ目。全部終わったら、親御さんと康太さんとやらに、お前のやったことをちゃんと話すこと」
「え?え?」
「三つ、全部守れるのなら―――明日、連絡する。一緒に探しに行くぞ」
「……え?」
ポカン、と。
今日一番の間抜け面を晒す鐘井に、分かり易いように、もう一度言う。
「だから、殺人鬼を一緒に探しに行くぞ。お前の場合、ほっとくと危なっかし過ぎる。連れて行くのが一番手っ取り早い」
「……それ……って……」
「諦め切れないんだろ。なら、やっちまえ。そんな年からデカい後悔抱えてると、人生損するぞ」
「……っ!それじゃあ……!?」
「手伝うわけじゃねえ。ただ目的が一致してるから、一緒に探すってだけだ」
鐘井の顔が途端に明るくなる。パアッという効果音が付きそうな勢いで。
「あ……ありがとうございます、鼎先輩!」
「それよりも、だ。さっき言ったこと、約束するか?」
「はい、します!」
「……軽いなあ、おい」
俺の指示に従うこと。そう言ったんだが、俺が何かエロいこととか指示したらどうするつもりなんだ、コイツは。
まあそんなこと、考えてもいないのかもしれんが。
「とりあえず、今日はもう帰れ。いくら人が少ないからって、そんな格好じゃあ街歩けねえだろ」
「へ?……うわっ、そそそそそそうでしたっ!」
忘れていたのか、鐘井は慌てて服の前を押さえ、グルンと後ろを向いて俺の視線から逃れた。別にそんなことせんでも見やしねえよ。
「安心しろ、興味ねえから」
「それはそれで失礼ですっ!!」
「ったく、わっかんねえなあ、女ってのは……ほれ」
恥ずかしさからか身動き取れなくなってしまった鐘井に、後ろから俺のジャケットをかけてやる。30センチは身長差があるので、上は全部隠せるだろう。袖もかなり余るだろうが。
「ふぇ?……あ、ありがとうございます……」
「……しょうがねえな、家まで送ってく。どこだ?」
「へ!?いいいい、いいですよ!一人で帰れますっ!」
「この時期まだ上着無しじゃあ寒いんだよ。俺も今日はもう諦めるから、ついでだ」
「……わ、わかりました……」
まだ少し恥ずかしそうに、ジャケットに袖を通す鐘井。ぎこちない手付きでジッパーを上げるのを待って、声を掛ける。
「んじゃ、行くか。家どこだ?」
「ええと―――」
鐘井の言った住所は、俺の家とは姫榊高校を挟んでちょうど反対側の辺りだった。帰りが面倒だが、それを顔に出さないようにして振り返り―――
「……お前、前か横歩けよ」
「え?」
「大体の場所はわかるけどよ、正確にどの家か、てのはさすがにわからねえよ。それに、また物陰に連れ込まれたら面倒だろ。俺の前歩くか、隣に並ぶかどっちかにしろ」
「う……」
先ほどの恐怖を思い出したのだろう、鐘井は小さく呻いて、俺の隣に小走りで移動した。前に立たないのは、俺の姿が見えないのは不安だからか。
「さて。そんじゃ、案内よろしく」
「あ、はい。よろしくお願いします」
なんかズレた返事をしながら、鐘井が歩き出す。
ここでどこかに隠れたら、どんな反応を見せてくれるだろう―――というのに少なからず興味あったが、やめておく。さすがにそれは、いくらなんでもかわいそ過ぎる。
「………」
「………」
「………」
「………」
「「………………………」」
そして始まる、沈黙の行進。鐘井はチラチラとせわしなく俺を見上げて来るが、話し掛けては来ない。微妙に鬱陶しい。
特に話すこともない―――というか、俺としては話すべきことはもう全部話してしまったので、鐘井から話し掛けて来ない限りは、このままずっと黙りっぱなしだろう。
―――夜の街を、二人並んでいながら、押し黙ったままひたすら歩き続ける、高校生の男女。
もしかしたら、結構シュールかもしれない。
『……なんというか。大体、お前さんのことがわかってきたぞ』
『……なんだよ、いきなり』
突然の爺さんの呼び掛けにも、いい加減慣れて来た。もう驚くこともない。
『他に如何様にも出来たであろう。わざわざこの娘に付き合わんでも』
『そうかあ?最善じゃあないかもしれんが、これが一番、面倒が少なそうだけどなあ』
『カッカッカッ……お前さん自身、そうとは微塵も思うてはいまい。あのまま捨て置いて、此奴が犯されようが殺されようが知らぬ振りをするのが、お前さんにとっては最も都合の良い選択であろうよ』
『しょうがねえだろ、つい出来心で、助けちまったんだから』
そう言ってはみたが、爺さんはそんなことでごまかせはしないってことくらいは、もうわかってる。
『甘いのう、お前さんは。その甘さは、ふとしたことで大事に至る要因となるやも知れんぞ』
『甘い?この俺が?弟を始めとする自分より明らかに弱い奴をいじり倒すことを趣味としている、この俺が?』
『それは甘さ云々と言うより、もっとこう、別の問題のような気がするが……まあともかく。お前さんは甘い。命の遣り取りにおいては、それは邪魔にしかならん』
……さて。突然だが、爺さんと契約して約半月、このお人好しな鬼についてわかったことがいくつかある。
その一つが、爺さんはあまり、頭がよろしくない、ということだ。
これは単純に馬鹿だと言っているのではなく、近い表現をするなら、理解力に乏しい、という感じか。新しく体験するモノ、例えばケータイなどの電子機器なんかは、もう完全にお手上げなのだ。
だが、決して愚かなわけではない。むしろ自らの理解力の無さを熟知した上での物の考え方は、是非とも見習いたいくらいだ。
爺さんは、知らないことを理解するのに時間が掛かる。
だが逆に、一度理解したことは、「経験」として刻むことができるのだ。
千年を超える時を生き、多くの時代を経て、様々な人と触れ合い、数々の戦いを生き延びた鬼。
その爺さんの語る言葉には、「知識」なんてちゃちなもんじゃなく、「歴史」と呼ぶべき重みがある。
わからないことは素直にわからないと言い、決して偉ぶることなく、俺のような若造の言葉にも真摯に耳を傾ける。そんな爺さんが断言するのなら、それは紛れもない事実であると、俺は信じることができる。
『……甘い、か。やっぱり』
『甘いのぅ。此奴が役に立つとは思えん。邪魔にしかならんだろう。お前さんの手によらず、何者かが除いてくれるのなら、それがお前さんにとっての最善だった。先ほどの此奴の危機は、これ以上ないほどの絶好の機会だったわけだ』
そう非情なことを冷酷に言い放つ爺さんは、まさに鬼と呼ぶべきだろう。
『……そうだな。確かに俺は甘いのかもしれねえ。こんな足手まといが心配になって助けちまった挙げ句、姉、て単語に反応して、こんなことまで申し出ちまったんだからな』
だけど、俺は知っている。爺さんは、本心からこんなことを言ったりはしない、と。
『けどさ。それって悪いことなのかよ、爺さん』
『カッカッカッ!!まさか、そんなことがある筈なかろうよ!ただ生き延びるだけの、殺伐とした生になんの価値がある!甘さとは即ち無駄、そして無駄こそが、命を彩る輝きよ!!恥じることはない、お前さんはお前さんの魂の赴くままに、自らの道を選べば良いっ!!
―――なあに、心配は要らん。その結末がどのようなモノであろうと、儂は最期まで付き合ってやるからのぅ!カッハハハハ!!』
―――ハッキリ言おう。意味がわからん。爺さんがなんでこんなにハイテンションなのか、俺にはサッパリ理解不能だ。
だが、これだけはわかる。
爺さんは―――やっぱり、爺さんだ。
『……ありがとよ、爺さん。アンタと契約したのは正解だったぜ』
『カッハハハハ、何を言いよる小僧めが!お前さんはただ成り行きで契約しただけだろうに!
―――第一、それは儂の台詞よっ!!カッハハハハ!!!』
爺さんのテンションは鰻登りだ。そんなに俺が甘いことが嬉しいのだろうか。
……ならまあ、ご期待に沿えるよう、頑張るとしますかね。
「……なあ、鐘井」
「は、はいっ!?」
……そんなにビクッとすんなよ、ちょっと傷付いたぞ。
「お前、もう俺のことを殺人鬼だと思ってないのか?」
「え?だって先輩、助けてくれたじゃないですか」
「……単純な奴。お前その内、詐欺かなんかに引っ掛かるぞ」
「その時は、また助けてくださいね!」
「ヤダ」
「即答っ!?」
俺の言葉に、コロコロ表情を変える鐘井。
だが、鐘井の事情を知った、今だからこそわかる。
『やはり此奴、心が少々、麻痺しとるようだのぅ』
『……やっぱりか。さっきちょっと見せた感情を、必死に押さえ込んでるんだろ』
『大切な者を奪われ、その下手人は今も我が物顔で街を闊歩しておる。お前さんの言う通り、ケジメを付けねば、此奴は前に進めまいよ』
『……まあ、わからないでもないけどな。俺だって、もしも姉ちゃんがって思うと、な』
『ククク……お前さんにそうまで想われる姉とやら、早く会ってみたいのぅ』
『あんま期待しねえ方がいいぞ。なんてえか、色々とアレだから』
『カッカッカッ!それは益々、会ってみたいのぅ!!』
殺人鬼、か。
四人もの人間を殺し。
その数倍の人間の人生を、狂わせた。
奴はいずれ、法によって裁かれるだろう。
そしてそれこそが、最も多くの人間が、納得できる結果だ。
―――だが、その前に。
「……よお、鐘井」
「は、はいっ」
「お前、殺人鬼を見つけたら、どうするつもりだ?」
「え?……その……何も、考えて、なかったです……」
「そうか。なら、とりあえず―――」
殺人鬼は、いずれ捕まり。
法によって、裁かれる。
なら、その前に。
外法者である爺さんと契約した。
不良である俺は。
「―――警察に突き出す前に、一発、ぶん殴ってやらねえとな」
俺なりのやり方で。
殺人鬼を、裁いてやる―――
色々とネタを考えてはいるのですが、そこに至るまでの経緯が思いつかない今日この頃です。




