一話 来訪者(挿絵あり)
此処は異界。
色違いの二つの月が昇る明け方。
近隣の勢力図のどこにも属さない、空白地帯の廃墟群にて、荒くれどもが酒を酌み交わしている。
その辺で狩った獣の干し肉を肴に騒ぐ人の輪の片隅で、私は座り、黙って酒をあおっていた。
「……ノーラの頭ァ!酒が切れました!」
ノーラとは、私の名だ。
廃墟の片隅に立てかけられた鏡に映るその容姿は、珊瑚色の短髪に羊のような角、背に蝙蝠のような翼をもち、右眼に眼帯を掛けた痩せ型の女……と言ったところか。
私は眼帯のない左眼で、声のした方を一瞥する。
「知るか、馬鹿。自分で買ってこい。」
……昨日買い足したばかりだというのに、考えなしに飲むからだ。私は呆れながらそれを一喝した。
「ほら、怒られたじゃねえか!」
「知らねえよ、お前がバカスカ飲むからだろうが!」
……ここでは日常茶飯事の乱闘が始まり、周りは馬鹿笑いしてそれを見ている。
これが、私たちの日常だ。
そんな賑やかな宴会の場に、ひとりの荒くれが息せき切って駆け込んできた。
「頭ァ!大変だ!」
その顔には焦りがありありと浮かんでいる。
「何があった。」
「領主が……西の辺境伯アーノルドが、こっちに向かってるって……!」
「情報は確かか。」
「ああ、馬車を置いて真っ直ぐこっちに歩いて来てるらしい……数刻後にはたどり着く!」
場が一気に色めき立つ。
何でだ。分からない。どうする。と、どよめきが広がる。
辺境伯アーノルド。
力を求め混血を繰り返す、悪名高い禁忌の血族。
何故こちらへ向かっているのかは……考えるだけ無駄だ。
私は一呼吸考え、こう言った。
「お前たち、さっさと逃げる支度をしろ。」
―――数刻後。
砂塵に煙る地平に、敵影を見る。
大きな角に深紅の長髪。身の丈は、ゆうに二メートルを超えている。
一・七メートル程度の背丈の私と比べると、随分とでかい。
ゆっくりと歩むその人影に、殺意は感じない。
何故か。必要がないからだ。つまり私より遥かに強い。
私は小高い丘の上に腰掛けたまま、溜息を一つついた。
半分は諦観で、半分は安堵だ。
ここには彼奴の他に私しかいない。失うものはこの命一つ。
うちの連中は、一人残らず先に逃がした。
何故か。……まあ、勝ちの目がないからだ。
無駄に死なせる必要はない。
何も奴らが薄情というわけではない。
残ると言った者も大勢いたが、叩き伏せて無理やり逃した格好だ。
私は殿。あと半刻ほど時間を稼がねばならない。
……人影はとうとう十メートル程の距離に迫り、そして立ち止まった。
「……空白地帯の半精霊殿で、間違いないか。」
「いかにも。西の領主様が何の用だ?」
……半精霊。精霊との混血。世界でも稀な血だ。
私と血を分けた妹の他に、そうそう居るものではない。
私は平静を装って、不遜な態度で返事を投げかける。
無論虚勢だ。だがそれでいい。
こちらの無礼に相手が激昂してくれたら、なお良い。
「……視察のつもり、だったが……」
アーノルドは周囲を軽く見まわし、そして私を見る。
「ああ。残念ながら私しか残っていない。」
「そのようだな。」
奴のやや枯れた低い声は、威圧を含んでいない。
こちらのぶつける殺気など些事と言わんばかりだ。
「……なるほど。……東に渡すのは惜しい。うちの領地へ来る気はないか。」
「……断る、と言ったら?」
「……。」
私は立ち上がり、半身で構える。
後は問答は無用である。
相手はこちらを侮っている。
こちらに有利があるとすれば、そこだけ。
そして、迅さならば確実にこちらが上。
私は翼を展開して、一気に間合いを詰める。
魔術はどうせ無駄だ。魔力量で勝てる気がしない。
ならばその逆。
真っ直ぐに突っ込んで、アーノルドの首に手を掛け、一気に魔力を吸収する。
あまり好きな戦法ではないが、弱体化できれば御の字だ。
……だが。
「……大した吸収能力だ。」
効いていない。
手を抜いたわけでは無論ない。並の魔族なら一瞬で乾涸びている。
ハ、と乾いた笑いが出た。
「化け物め。」
「……よく言われる。」
私は彼奴の首にかけた手を離し、少し距離をとって静かに地面へと降り立った。
勝負にならない。できるとしたら、死ぬまでの時間稼ぎ。
「……殺すならさっさと殺せ。まあ、ただでは死なんがな。」
「いや、殺さない。」
「……?」
こいつは何を言っているのか。
領地に隣接する領域の、危険因子を排除しにきたのではないのか。
「……さっきも言ったが、うちの領城で働いてもらいたい。」
……正気じゃない。
こいつは、自分を殺そうとする相手を、雇おうとしている。
「……。」
だが、一考するとこの申し出はこちらにも利があるものだ。
従うことで、時間を稼ぐという本懐が果たせるのだから。
ならば。
「……敗者に拒否権はない。好きにしろ。」
こうして、私と辺境伯アーノルドの、奇妙な契約が成立した。




