閑話 目覚め
大共鳴の発生。そして開戦から、数時間が経過していた。
激戦の果てに――泥と血に塗れた大地に立っていたのは、ドワーフの戦士たちだった。
足元に転がっているのは、夥しい数の異形の骸。そして、共に戦い命を散らした同胞たちの亡骸である。
統率者である半魔を失ったことで狂乱から覚めた残党の魔物たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていった。圧倒的な形勢不利を悟ったのか、あるいは正気を取り戻して逃走本能に従ったのかは魔物にしか分からない。
だが、一部の知恵ある個体がこの絶対的な恐怖を群れに伝播させてくれれば、それだけで当面の危険は減るというものだ。
バレンは降りしきる冷たい雨を全身で浴び、鎧にこびりついた魔物の血と脂を洗い流しながら、死屍累々の光景を無言で眺めていた。
「……バレン」
振り返ると、そこには息を切らせたクレインが立っていた。
「クレイン。……街はどうだ?」
「あぁ。途中から近衛兵たちが参戦してきて、あのデカい鳥たちは無事討伐できた。……それでも、俺が到着する頃には何人かの市民は間に合わなかった」
「――そうか」
「こっちは……相当な激戦だったんだな」
見渡す限りの地獄絵図に、クレインはそれしか言葉を絞り出せなかった。
重い沈黙が落ちる。お互いの心には、勝利の喜びよりも、拭い去れない重い違和感が澱のように溜まっていた。
何故、今回の大共鳴はこれほどまでに早く、そして統率されていたのか。まるで、明確な悪意を持ってドワーフの国をピンポイントで狙ったかのような――。
「……奇襲、か」
バレンがポツリと、自身の直感を口にする。
「どうした、バレン?」
「いや……。悪いが、少しここを離れる、後はジーグに指示を仰いでくれ」
「おい!? バレン!」
クレインの制止する声も聞かず、バレンは背を向け、ぬかるみを蹴って歩き出した。
(ミーヴェル……無事でいてくれ……!)
不器用で優しい少年の無事を祈りながら。満身創痍の老戦士は、結界の外の森へと重い足を向けるのだった。
◇◇◇
始まりは突然だった。
自身に厳しく、だが誰よりも民の安寧を第一に願い、誰もが慕っていたあの方。だがある朝、自室の扉から姿を現さなかった。
医師たちが総出で診察したが、原因は全くの不明。ただ呼吸はしており、生きているということだけが、唯一の救いであり確かな事実だった。
それから一年が経った。
結局、まだ帝王学の教育途中であり、右も左も分からぬ若き王子が代理として立つことになったが――その評判は最悪の一言に尽きた。
女に現を抜かし、政など碌なことをしない。
しまいには、先日の大共鳴の際、「遷都する!」などと言い張り、民を見捨てて一番に逃げ出したことが既に国中に知れ渡っていた。
それなのに、彼は自国の危機が去ったと知るや否や、シーバスからやって来た兵士たちと共に、己の悪評にも気づかずぬけぬけと戻って来たのだ。
「援軍を連れてきたぞ!」とふんぞり返って。――援軍など、とうの昔にこちらから要請していたというのに。
地獄のような戦場の後片付けは、疲労困憊の自国兵やハンター、そしてシーバスの兵たちが手伝ってくれているというのに、あのバカ王子は目もくれず、真っ先に王宮の安全な自室へと逃げ帰っていった。
後片づけには3日を要した。が、その間一度も彼らの前に姿を現す事など無かった。
(この国の未来は、暗い……)
国を憂う将、ジーグは深く息を吐いた。口に出さずとも、誰もが皆、絶望と共にそう感じていた。
だが。
「ジッ――ジーグ様っ! はぁっ、はぁっ……!」
回廊を歩くジーグの目に、息を切らして猛ダッシュで走ってくる侍女の姿が映った。
髪を振り乱し、服装も乱れている。王宮に仕える侍女としていかがなものか、とジーグは顔をしかめて注意しようとしたが――彼女の尋常ではない顔色と、歓喜に引きつったような表情を見て言葉を呑み込んだ。
「こちらに……っ! お急ぎを……っ!!」
「おい、一体何事だ。……まさか!?」
最悪の事態――王の容体が急変したのではないかという恐怖がジーグの脳裏をよぎる。
有無を言わさず侍女に腕を引かれるようにして連れてこられたのは、重厚な扉の前。一年間、静寂に包まれていた王の寝室だった。
ジーグが覚悟を決めて勢いよく扉を開けた、その先。
そこに在った光景に。
「――――ッ!!!!?」
声すら出なかった。
気付けば、ジーグの屈強な体は完全に床に崩れ落ちていた。額を擦りつけるように平伏し、深く、深く跪く。
ただただ、大粒の涙がボロボロと石畳を濡らしていく。
「……久しいな、ジーグ。幾日が経った?」
ベッドに腰掛け、かつての力強い眼光を取り戻したドワーフ王が、静かに問うた。




