第一二話 ツェルウェン伯爵
異世界から女神に遣わされた救世の英雄ナギ、皇族大公にして星皇の実妹リカルナ、皇族の血を引く大公令嬢であり英雄の双子の一家が出掛けるとなれば、それなりの準備が必要になる。
移動は凪のファストトラベルを使い、アイテムボックスで荷馬車の手配は不要、水や食糧の心配はなく、魔物や盗賊に襲われても凪がいるというか、ほぼ街道を通る予定はない。そんなこの世界では異常な旅路が約束されていても、準備には時間がかかるのだ。
まず訪問先および滞在先に事前布告が必要だし、通信網が発達していない異世界では書簡が届くまでに時間が掛かる。魔物の脅威があるのに何を悠長なと思われるかも知れないが、これは元の世界でも変わらない。災害や戦争が発生した際、現地に何も知らせずに救援を派遣することはないだろう。なおエルフの国は政治形態が特殊だし、女王アグラレスが個人的に凪と親しかったためノーカンだ。
それから家族四人だけの旅路というわけにもいかない。リカルナと双子の身の回りの世話をする使用人は同行するし、凪以外には護衛も必要だ。リカルナには秘書的な役割の女性執事も付いており、カイユベルからの正式な依頼なので国から文官も付いて来る。
ようやく出発できるようになった頃には、三日も経ってしまっていた。双子とゆっくり過ごせたことは嬉しいのだが、魔物に頭を悩ませる現地の状況は悪化しているに違いない。
大公邸の門の前には乗合馬車に使われるような大きめの馬車が止められていて、馬車の中には大公家の使用人や護衛たち、そして国から派遣された文官たちの姿がある。御者台は面白がった双子が占有しており、馬車の横に立つ凪とリカルナが苦笑いをしていた。
まるで近所へ馬車を使ったドライブでも行く様相だけれど、実体は国内各地を回って魔物討伐と支援物資配布、各領の貴族牽制、交渉や情報収集まで行う一団である。凪の親友カイユベルはたしかに凪の仕事は魔物討伐だと言ったが、同行する者たちには様々な仕事を割り振った。凪がそんな彼らを見捨てられないと知った上で。
今では全員分の着替えや日用品、文官や護衛に必要な仕事道具、本来は貴族の自治権で持ち込めない禁制品、凪が双子と使いたい遊び道具、現地で使う馬車、大量の小麦や米のような支援物資など、大型タンカーを超える物が凪のアイテムボックスに収納されていた。カイユベルには後々、その分の対価を要求してやるつもりだ。
かなり仕事面が強くなってしまったけれど、ミアとエリーゼは遠出を楽しみにしているらしい。
「お父様の空間魔術は、お父様が馬車に触れていれば、馬車に乗っている者たちも瞬間移動できるのですよね。ところでお父様は大地に立っているわけですが、この場合、どういう扱いになるのでしょうか?」
「さすがに地面から地面は繋がっているとは言えないな。ファストトラベルは便利な反面、制約も多いんだ。たとえば戦闘中に打ち合った相手と一緒に瞬間移動したりもできないし、もっと言うと逃走のためにも使えない」
伝説的RPGでは移動呪文を戦闘中に使用すると逃走できるものもあるが、ファストトラベルという名前だけあって、凪の使える法則は戦闘中やダンジョン攻略中などでは使用制限がかかってしまう。
「お父さん! 向こうで私も戦わせてくれるんだよね!?」
ミアが御者台で足をパタパタ動かしながら、期待に目を輝かせている。ミアは聖剣が魔物を討伐することで様々な機能を発揮できると知った後、それはもう魔物討伐へ行きたがった。家庭教師の授業なんてまったく身が入らず、毎日のように父親へ母親を説得して欲しいと言っていたほどだ。
「ああ、コカトリスはこの日数だと群れ分けが起きてるだろうから、巣を探しながら一緒に討伐しよう。ヴィーガンエイプは数だけは多いから、稼げるはずだ」
凪は可愛い娘のお願いに負け、カイユベルから依頼された仕事の内、凪がいれば安全なものを双子が手伝うのを了承していた。リカルナは反対していたものの、双子の強烈な希望を受けて、凪の言うことを絶対に聞いて危険なことはしないと約束させることで折れた。
今の凪からすればコカトリスは石化対策をすれば雑魚だし、ヴィーガンエイプは元々人を襲わない珍しい草食魔物。凪だけでも余裕なのに護衛が何人も付くのだから、危険はないと判断している。念のため治療薬や防具、防御用魔剣などの準備も抜かりない。
凪がリカルナに出発をしようと話しかけようとしていたら、リカルナは女性執事と荷物の最後の確認をしていた。
「これで書類は全部? 抜けはない?」
「はい、大公閣下。他の最初の地以外で必要なものは、事前に旦那様にお預けしております」
「まあ、忘れ物があったら取りに戻れば良いだろ? 良い加減出発しよう」
凪がリカルナが馬車に乗っている女性執事と会話しているところを割り込むと、リカルナと女性執事が揃って凪を見た。馬車に乗りながら主であるリカルナと会話するのは執事としてあるまじき行為に思えるが、リカルナはその辺りを気にしていない。そして女性執事も、この状況の理由を理解しているから受け入れている。
「ああ、そうだったわ。凪が居るから、忘れ物とかあっても、取りに帰れば良いだけだったわ。これに慣れちゃいけない……あれ、凪がずっとこっちに居るなら、もう慣れて良い?」
「大公閣下、僭越ながら申し上げます。旦那様のことは、考えるだけ無駄です。受け入れましょう」
リカルナの右腕でもある女性執事とは、凪が異世界へ帰還してから何度も話していた。当初こそリカルナや双子を捨てて元の世界へ帰った凪を敵視、もしくは蔑視している空気を感じていたものの、凪がリカルナや双子を愛していて良い父親になろうとしていると理解してもらった今では、仕事の相談を持ちかけられるくらいの関係を築けている。
女性執事に認められるのは、元の世界で合格しなければクビだと言われた簿記や中小企業診断士の知識がかなり役に立ったのだが、あのブラック企業に感謝はしたくなかった。
「それじゃあファストトラベルするぞ」
凪と、凪と手を繋いだリカルナ、そして凪がもう片方の手で触れていた大勢の乗っている馬車が、最初の目的地であるコカトリスの巣が見つかったツェルウェン伯爵領へ瞬間移動した。
ファストトラベルを初めて体験した使用人や護衛などの同行者には多少の混乱があったものの、ツェルウェン伯爵領にある都市だと理解して、凪とリカルナへ挨拶をしてそれぞれの仕事へ向かって行った。
そんな中で凪は懐かしいツェルウェン伯爵領の街並みを見回していた。石畳の道が交差する広場には様々な商人や旅人が行き交い、活気に満ちたざわめきが辺りを包み込んでいる。市場の中心には大きな噴水があり、その周りには色とりどりのテントや木製の屋台が立ち並ぶ。香辛料や絹、金属細工品、珍しい果物といった遠くの地から運ばれてきた品々が所狭しに並べられ、商人たちの声が賑やかに響く。
ツェルウェン伯爵領はプトレマイオス星皇国でも重要な交易拠点に位置しており、どこよりも賑わいを見せている。ここはプトレマイオス星皇国で第二の首都と言えるほど栄えている都市で、貴族や騎士の多い皇都に比べて商人や職人が多いのが特徴だ。人にとっての十年は長いが、都市にとっての十年は短い。たった十年でその街並みが大きく変わることはないようだった。
「凪、楽しみだったりする?」
凪がツェルウェン伯爵領の様子を見つめていると、リカルナから少し低めの声で質問が飛んできた。彼女の不興を買った心当たりのない凪は動揺してしまう。
「ミアとエリーゼと、リカルナと過ごせる時間は楽しみだぞ」
「…………そうじゃなくて。ああ、鈍い」
「鈍感系主人公のような扱いは心外だが、俺とリカルナは仕事、ミアとエリーゼは旅行。だからミアとエリーゼを優先するのは許して欲しい。リカルナへの埋め合わせは、この仕事が終わった後にする」
「それも、そうじゃないわよ」
凪は自分が魔物討伐と双子だけを優先していることへ、リカルナが不満を覚えたのではと予想してそんな返答をした。しかしどうにも凪の予想は大外れなようで、リカルナは大きな溜息を吐いていた。
その理由はツェルウェン伯爵の屋敷で分かることになる。
事前に連絡が届いていた迎えがやって来て、凪たち四人と使用人や護衛たちはこの街の領主でもあるツェルウェン伯爵の屋敷へ案内される。
ツェルウェン伯爵の屋敷は交易都市を治める領主邸だけあり、凪が世話になっている皇都の大公邸に引けを取らない豪勢なものだった。屋敷だけでもそうなのに、広大な庭や薔薇園も併設されていて馬車が屋敷の入り口に辿り着くのに時間が掛かるほどである。
そうしてやってきたツェルウェン伯爵の屋敷の前で凪が馬車を降りると、ミアとエリーゼが凪の両手をそれぞれ握り締めた。
「ミア? エリーゼ?」
「お父さんは黙ってて」
「ツェルウェン伯爵へ見せ付けましょう、お父様」
凪に事情は良く分からないが、双子がしたいようにさせようと決めた。
凪はツェルウェン伯爵と何度も会ったことがある。いや会ったことがあるなんて抽象的ではなく、十年前はかなり親しくしていて好意的に接してくれたし、凪たちを随分と支援してくれた。きっと凪が残した双子に対しても気に掛けてくれたに違いない。そんなツェルウェン伯爵だから、双子と手を繋ぎなら訪問するくらいは見逃してくれるだろう。
「ろざ……ツェルウェン伯爵は元気なんだろ? 俺は年取ったって驚かれるかな」
「そうね」
リカルナが微妙に引っ掛かる言い方をしたのが気になったけれど、ツェルウェン伯爵とは今から会うのだから質問を重ねるほどではない。
使用人や護衛とは別れて、案内された応接室へ凪、リカルナ、双子の四人が入る。護衛が入らないのは、ツェルウェン伯爵への信頼に加え、護衛よりもリカルナのが強いので応接室の外で待つだけで充分なのだろう。今回に限って言えば凪が一緒なので万が一もなく、護衛たちには気楽な雰囲気が漂っている。
ツェルウェン伯爵の屋敷の応接室は、一言で表せば豪華絢爛であった。まず目を引くのは高い天井に吊るされた豪華なシャンデリア。無数のクリスタルが揺れ、柔らかく輝く光が部屋全体を照らしている。その光は重厚なベルベットのカーテンや、壁にかけられた壮麗な油絵を黄金色に染め上げ、空間に威厳を与えている。
壁は深い赤や緑、青などの濃厚な色合いで覆われ、繊細な金の装飾が施されていた。柱や縁には手彫りの装飾が入っており、その精緻な彫刻が、この部屋がただの談話の場所ではなく、品格と高貴さを示す空間であることを物語っている。棚には古い陶器や銀細工が並べられ、その一つ一つが貴族の富と趣味の良さを示していた。
凪の知っているツェルウェン伯爵は華美な装飾を好まないタイプだったため、この応接室には面食らってしまう。
「ごきげんよう、プトレマイオス大公」
「ごきげんよう、ツェルウェン伯爵」
ツェルウェン伯爵は二十歳前後と思われる若い美人女性だった。凪はそんなすっかり成長して美しくなった彼女を見て、懐かしさで胸が一杯になる。
貴族同士の挨拶が終わった後、ツェルウェン伯爵と呼ばれた美人女性は、凪をギロリと睨み付けた。
「新しい下男を雇いましたの? こんな男にあの方の忘れ形見を触れさせるなんて、何を考えていますの?」
「下男? 下男って……ぷっ、あははは!」
下男というのは凪のことらしい。たしかにこれからコカトリスの巣へ向かい討伐を行うため、着替えるのに横着して動き易い格好のままだったので、貴族の家にはそぐわない装いだったかも知れない。凪はかつての知り合いとは言え、さすがにツェルウェン伯爵に甘えすぎたと反省した。
「笑い事ではないでしょう? 何かあってからでは遅いのよ!」
リカルナが笑い出し、ツェルウェン伯爵が激昂しているようだった。双子は事情を知っているのか、ミアとエリーゼが凪を掴む力が強まる。
「ロザリー」
「貴族の私を許しもなく名前で呼ぶなど、不敬罪に相当する行為ですわよ」
「ロザリーと呼んでって言ってくれたのは、覚えてないかな。失礼した、ツェルウェン伯爵。って、挨拶できないから、二人共手を離してくれる?」
ツェルウェン伯爵と呼ばれている彼女は、かつての伯爵令嬢ロザリー=ツェルウェン。
十年と少し前、彼女の命を救ったことで凪の「お嫁さんになる」と言っていた幼い少女が成長した女性だった。
「な、なな、にゃぎしゃまっ!?」




