孤月終天14
人喰いの森に潜み私に矢を放った男の名はイワンと言うらしい。シズキ曰く偽名だそうだが、この際そんな事はどうでも良かった。
イワンはシズキの拷問に屈したのか、人喰いの森の情報を話し続けた。シズキが森の外で仕入れていた情報に加えて、この森には多数の人が入り込んでいるのだと言う事が分かった。
「お前は自分だけが助かって、にゃー達全員が死ぬのを望んでいるのにゃ。そう考えるのは当然にゃ。だから情報には嘘を混ぜるし、肝心な事は話さないのにゃ。にゃーは話の真偽については何も言わないのにゃ。その代わりお前にはこの森を抜ける道案内をしてもらうのにゃ。にゃー達を上手く罠に嵌めればお前の勝ちにゃ。でも気を付けるのにゃ。その罠がお前にも牙を剥く事もあるのにゃ」
シズキはイワンの前でそう言及した。変に馴れ合ったりせずにお互いの目的達成を目指して行動しようと言う事で牽制しているのだろう。
イワンはそれに是とも非とも言わなかった。ただシズキに言われてた通り情報は話し続けた。
「この森で注意しないといけないのは象と野盗だ。象の居る場所は進めねえし、抜け道には野盗が張ってる。俺はこの森を抜けたい奴と商売している仲介人だ。森の外からの紹介がない奴は相手にしない」
ボサボサの髭を触りながらイワンはぼやくように語った。
「例えば、正当な対価を払えばイワンさんはこの森を抜ける案内をしてくれるという事ですか?」
イワンの鋭い眼がこちらを見た。
「お嬢ちゃん、その対価ってのは金の事を言っているのか? 金ってのはこの森を自由に出入り出来る奴にしか意味の無いものだ。あんたらが幾ら持ってんのか知らねーが、それはもう金じゃねえのさ」
「こいつの言う通りにゃ。そしてこの森で一番意味があるのは暴力にゃ。金も人も知も利も力で捻じ伏せた奴が一番なのにゃ。だからにゃーは初めからそうしたのにゃ。こいつが言う事を聞かなければ、手足を砕いて頭だけ働くようにしてやればいいのにゃ」
「やめろ! 俺にそんな気はねえ! そこまでされたら俺はあんたらを道連れにするしかねえだろ」
「代わりは幾らでも居るのにゃ。このままお前の指示通りに進んで、野盗の住処で代わりを見つければいいのにゃ」
イワンは明らかに動揺した表情をした。
「くそっ! 何なんだよお前らは!」
どうやら野盗の罠に嵌められるところだったようだ。
「早く人喰いの情報を話した方がいいのにゃ。そうしないと人喰いの最初の餌はお前なのにゃ」
そう言えば人喰いの森と呼ばれる由縁をまだ何も聞いていなかった。
「そんなもんは居やしぬえよ。外の奴等が勝手に言ってるだけだ。この森全体が人を喰う仕組みになってんだよ」
「今はお前の嘘に何も言わないのにゃ」
シズキはそう言ってイワンを脅し続けていた。
――
イワンの罠を回避しながら私達は森を進んだ。イワンが用意した罠に誘導してもシズキが事前に察知して罠は不発に終わっていた。
森はより深くなっており、微かな光しか届かない暗闇の底のような場所になっていた。シズキは火を使った痕跡を発見し、休憩の場所に良いのではとなって、今は皆足を止めている。
もはや真っ暗なので昼夜は関係無いような気がするが、シズキは夜に何かあると読んでいるようだった。
イワンは火を使う事、このままここで夜を明かす事について何も言しなかった。焚き火が灯ると巨大な樹々の幹が顕になって何か巨大な物に囲まれている圧迫感が強くなった。実際には近くに象も居らず野盗や人の気配も無い。何も居ないが何か居る感覚がするという雰囲気がする場所だった。
「あんたら、本当にこの先を行くのか?」
「当然行くのにゃ」
「しかし、この先の地脈は非常に弱い。危険地帯を行く事になりそうだぞ」
シルバとルドルの調べによれば、ここから先は帯状に危険地帯が続き、迂回路も無いようだった。
「象から逃げながら一気に森を抜けるって事?」
「普通ならそうなるのにゃ。でもこいつはそれとは別の道を知っているのにゃ。それがこの森の秘密にゃ」
「そんなもんはねえよ。何度言ったら分かるんだ」
シズキは焚き火から火の付いた枝を拾い上げてイワンに向けた。
「一つにゃーの考えを言ってやるのにゃ。この森は出口の場所が変わるって話にゃ。でも森の北は危険地帯に隙間が無いにゃ。森の出口ってのは象がいない場所って事にゃ。つまり、象も近寄らない捕食者が居るって事なのにゃ。そいつは移動するから森の出口は毎回変わるのにゃ。そいつを追えは安全に森が抜けられるけど、近づき過ぎるとそいつに殺られるのにゃ」
シズキは燃える枝を焚き火に投げ込み、そして枝は大きな音をたてて爆ぜた。
「そんなもんは居ねえ! 森の闇に心を喰われた奴の幻想だ!」
「にゃー達は明日、象の居ない道を行くのにゃ。当然、お前も行くのにゃ。怪物の餌食に最初になる奴は誰なのか、お前みたいな奴でも分かるのにゃ」
イワンの眼は怯えていた。それだけで分かる。シズキの脅しに怯えているのでは無く、その語られない怪物に怯えているのだ。
そして森の奥から何か聞こえて来た。歌なのか何か独特のリズムのある音がする。
「これは凄い奴が来たのにゃ。血の匂いしかしないのにゃ。しかもこれは象の血にゃ。森の奥に居る奴は象を喰っているのにゃ」
イワンはいきなり焚き火に土をかけて光を消した。辺りは真っ暗になり私には何も見えなくなった。横に居たシズキに抱き寄せられた事は直ぐに分かった。異様な雰囲気に誰も喋らない。森にはあの謎の歌のような音だけが響いていた。
(森の奥の何者かは近づいてくる様子は無い。今はこの場を動かない方がいいだろう)
シルバからの念話がそう伝えて来る。この混乱に乗じてイワンは逃げただろうか。それにしては走り去るような音はしなかった。
「あれは吸血鬼です。しかも血を吸った憎き鬼」
歌が響く暗闇の森の中で誰かがそう言った。声の主が誰かを一瞬考えて、それがオリガだと分かった時には、誰かが走って行く音がした。
「いけない!」
この声はルドルだ。
「仕方ない。光を出すぞ」
そう言ったシルバの声のする方から眩い光が広がった。光に照らされる森の樹々の向こうに走り去るオリガの姿が見えた。
「あてくしが追います!」
「そういう訳にはいかん。光に象が集まって来る事もある。危機の正体も分からん以上は皆で行動するのだ」
「助かります!シルバ!」
そう言ってシルバは私の方にも追うように促した。まるで昼間のような灯りはオリガを追うように移動し、ルドルの掲げた灯りが私の行く方を示した。
「行くのにゃ?」
「こうなったら仕方ないよね」
私とシズキも進み始めた後ろをイワンも着いて来ていた。明らかに違和感がある。危険に向かっているのに着いて来る理由は何なのか。それを考えながら森を進むと、シズキがポンと肩を叩いた。
何か合図のような目配せをしてから、シズキは私の前を走った。シズキはイワンの怪しさに気がついているのだ。
明るくなった森の中を進みながら、これまで無い違和感を感じた。何か動物の死骸のような物がそこら中に転がっていて、異様な腐臭を放っている。
腐臭が強くなる方向に進むと、森の中の窪地が見えて来た。その一帯だけ森の色がおかしい。そうしてその色の正体は直ぐに分かった。
樹も草も土も何もかも血に濡れているのだ。




