第六章 利己的なアンドロイド 4
開廷時間が迫っていた。判例など裁判に関係するものは、データ化されているが、人間の裁判官が裁くことに変わりはない。
ただ、この裁判の主役はアンドロイドだ。前代未聞、過去に例のない裁判となる。世間の耳目を集めているため、傍聴席は満員だ。法廷には必ず傍聴席があり、裁判に関係のある人もない人も自由に傍聴を希望することができる。今回は、かなりの抽選倍率だったとショウから聞いている。
裁判官や陪審員、弁護士や検察官は人間だが、サポートするメンバーには、一部アンドロイドも活用されていた。書記官や速記官などだ。
弁護士も検察官も、どことなく落ち着きがないように見える。開廷時間の二分前になった。リンダはなかなか現れない。
「入室を……」刑務官に先導されて、被告人……被告アンドロイドが入廷してきた。
ヤマトはリンダの入廷を違和感なく見ていた。隣では、マリアがその様子を見つめている。リンダと対話を繰り返してきたマリアも同じ気持ちのようだった。
人間とまるで変わりがない。それは、人間の被告人が入廷してきたように見えたからに違いなかった。まじまじと見つめる。事情聴取をしていたときに感じたときと同じだ。
リンダは、うつむき加減で、疲れ切ったような足取りで進む。人間同様に電子手錠と電子腰縄がはめられている。
好奇な眼にさらされながら、リンダが被告人席に腰を下ろす。リンダの様子は、以前と全く変化なく、落ち着いているようにすら見えた。
開廷の時間となった。裁判官が入廷する。もちろん、人間だ。裁判官席の真後ろから、現われた。裁判官の顔も少々、緊張の色が窺える。
相手がアンドロイドだと言うことを除けば、自首後は極めて単純に単調に進んだ。落ち着いて、大人しく、そして人間に従順に取り調べに応じたからだ。むしろ、ある意味では人間よりも楽だったかもしれない。
ヤマトを悩ませたのは、アンドロイドに人間のような心があるのかということだった。誰も経験したことがない捜査、取り調べだったからこそ、答えがわからなかった。だから『アンドロイドは嘘をつかない』という言葉が常に念頭にあった。この言葉をよりどころにしながら、彼女と対峙するしかなかった。
アンドロイドに関することは、歴史はもちろん、さまざまに発展したアンドロイド学からも徹底的に勉強した。アンドロイド学の権威という何人もの専門家にも話を訊きにも行った。
やはり、『アンドロイドは嘘をつかない』ということしかわからなかった。
これが、ヤマトがたどり着いた答えの全てだ。
一方で、リンダに心があるのかどうかは意見が分かれるところだった。事実、リンダの供述と行動が人間的であるからだ。
リンダの供述どおりとするなら、動機からして、情状酌量の余地もある。嘱託殺人という性質を持つ殺害なら、厳罰に処するのが妥当とは言えない。
だが、人間でいう「死刑」を求める声も少なくなかった。アンドロイドが人間を殺害したのだ。殺害人数も動機も関係なく、反アンドロイド派が中心となり、「死刑」判決を求めた。
「規律!」と法廷内に掛け声が響く。
裁判長の言葉で注目の審理が始まった。今回の裁判長は、今までも多くの凶悪な事件や世間に注目される事件、審理の難航した事件など担当してきた。しかしながら、当然アンドロイドの裁判は初めてだ。
「被告アンドロイドは、証言台へ」
裁判長の緊張が伝わるようだ。ヤマトの隣でマリアが息を飲むのが伝わってくる。
リンダはいつもと変わらない表情で立ち上がった。
まずは、裁判長が人定質問の手続きを行う。リンダは投げかけられた形式的な質問に、リンダは淀みなく応じる。起訴状に記されている事項を事前に確認しているのだろう。
続いて、検察官が起訴状の朗読を行った。いわゆる罪状認否だ。起訴状が朗読される間も、リンダは落ち着いている。一方、傍聴席は緊張に包まれている。
起訴状が読み上げられると、裁判官はリンダに向かって、間違っているところがないかどうか確認した。もちろん、リンダにも黙秘権が認められている。
リンダは前を向いて、「間違いありません。そのとおりです」と答えた。
罪状認否が終わると、今度は検察官から冒頭陳述が行われた。検察側から見た事件の概要が説明される。
検察官は慣れた手つきで、データプレートを操作する。紙が主流だった時代は、冒頭陳述書一つとっても、分厚くて大変だったと聞いたことがある。
「被告アンドロイドの経歴は……」検察官も相手が人間ではないだけに、慎重に言葉を選びながら、話していることがわかる。
その間も、リンダは大人しく説明を聞いているようだった。
続いて、弁護人による立証が行われた。リンダの弁護を引き受けたのは国選弁護人だ。主人であるジョー博士を亡くした今、リンダを擁護できる者がいないのは明らかだった。
『アンドロイドは嘘をつかない』またしても、ヤマトの頭にこの言葉が響く。人間は嘘をつくし、感情も豊かだ。アンドロイドはそうではない。しかし、リンダは一方で、感情的な人間の心を持っているような気がずっとしていた。
休憩を挟んで、午後からは証人喚問が行われた。再び、リンダが入廷してくる。
午後の審理が始まり、裁判官が口を開いた。今日の公判では、ヤマトもマリアも証言台に上がることになっている。
証人には、まずマリアが指名されていた。
「羽川マリアさん、証言台の前へ」
裁判官に促されて、マリアは証言台に立つ。マリアが宣誓書朗読を読み上げていく。
マリアの証言に対して、検察官が確認のように、尋問を行う。検察官の尋問が終わると、弁護人に質問を行ってから、弁護側の反対尋問も行われた。
裁判は終始淡々と進んでいく。相手がアンドロイドのためか、前代未聞のケースにも関わらず、どこか予定調和だった。
続いて、ヤマトの番となった。
「古田ヤマトさん」
裁判官から名前を呼ばれた。ヤマトは背筋を伸ばして、証言台の前に進み出た。
気持ちが高ぶっているのは、リンダに対する評価を未だに付けかねているせいだった。宣誓書朗読を行ううちに、高ぶっていた神経が、少しずつ落ち着きを取り戻していく。
正直な気持ちを証言するしかない。
「被告アンドロイドに不審な点はありませんか?」
最後に検察官が訊ねた。
「ありません」
ヤマトが不思議に思っていたリンダの部品交換の件は、二階堂アスカ博士が所属する汎用型人工知能研究所の施設で、リンダをサンプルにロボティックスパーツの改良が行われていたことが判明したためにクリアになっていた。
その日の裁判が終わり、ヤマトが裁判所を出たのは、午後四時を周っていた。
第二回の公判が開廷した。ヤマトは朝から全く落ち着かなった。今まで、殺人犯や凶悪な犯罪者と対峙してきたが、それとは別ものの感覚に襲われていた。
第二回の公判では、アスカ博士が証言台に上がることになっていた。アスカ博士もまた「アンドロイドは嘘をつかない」と証言した。
ジョー博士の病状と彼の研究にかける情熱を鑑みると、嘱託殺人を依頼する精神状態にあったことは、想像に難くないと語った。
さらに、アスカ博士からは、リンダに有利な発言まで飛び出した。
ジョー博士とリンダの間には、全幅の信頼関係が成り立っており、嘱託殺人を拒否することができなかったリンダに非はなかったのではないか、と独自の見解を述べたのだ。
ヤマトは自宅に戻ってから、シャワーを浴びた。食欲はなかった。
「テレビを点けてくれ」
誰もいない部屋に叫ぶ。自動でテレビが起動する。
報道も連日、アンドロイド殺人事件を扱っていた。
「本日、アンドロイドによる嘱託殺人の公判が行われました。これからの裁判がどのようになっていくのか、大変興味深いですね」
報道番組では喧々諤々と議論が交わされていく。ヤマトにとっては、長い夢を見させられている気分だった。いっそ、夢の方が楽かもしれない。
「続いては、火星旅行についての特集です」
いよいよ公判は最終日を迎えた。
裁判官、検察官、弁護人の質問に対するリンダの発言は、警察の供述調書通りだった。全く発言はぶれていない。
『アンドロイドは嘘をつかない』ヤマトの耳にまたしても甦る。
裁判長が検察官に最終論告を告げる。最終論告が終わり、緊迫の瞬間が訪れようとしていた。
裁判長は言った。
「罪名及び罰条は、刑法第二〇二条、嘱託殺人並びに……」
予想通り、死体損壊罪と死体遺棄罪も適用された。
「被告アンドロイドに懲役十年の求刑をいたします」
一瞬、法廷内は静まり返り、すぐにマスコミの報道関係者が外に飛び出していった。
求刑通りの結果だった。
リンダは、判決を聞いてもなお、変わらずに静かに座っている。
最終論告の後、休憩を挟んで最終弁論が行われ、判決が下される。
「被告アンドロイドは前へ」
リンダが普段通り、証言台の前に立つ。
「判決を言い渡します。主文、求刑通り、被告アンドロイドに懲役十年を処します」
裁判は結審した。
ヤマトの隣でマリアが小さく息を吐くのを感じた。
「長い長い夢でした」
マリアが誰に言うわけでもなく、つぶやいた。
ヤマトは、マリアが繰り返し見たとかつて話した夢のことだと直感した。マリアはこれで、長い長い夢から覚めることができるのかもしれない。
リンダは退廷するときに、ぐるりと首を回した。
リンダはマリアを見ていた。マリアとリンダの視線が絡む。リンダが笑った……。気がした。その笑みがヤマトには嘲笑に感じられた。
ヤマトは目を疑った。もう一度、目を見開くが、リンダの表情は入廷してきた時と特段変わらなかった。
そのまま、彼女は顔を背けて出て行った。
マリアがヤマトに先立って退出する。彼女もまた無言で法廷を出た。
確かにリンダは笑った。口元に笑みを浮かべた。本物の笑みだった。感情のないアンドロイドが、なぜあの場面で笑えたのだろうか。しかも、あざ笑うかのような余裕を含んだ笑み。気のせいなのだろうか。考えても答えは出ない。しかし、ヤマトは違和感を拭えなかった。ただ、全ては終わったことだ。
自宅に戻ると、どっと疲れが出た。ヤマトは、疲労の溜まった身体をベッドに投げ出した。
リンダは判決を受け入れ、刑期を全うするだろう。リンダの事件は、アンドロイドが人間と同様に裁かれるという前例を作った。
アンドロイドによる殺人というセンセーショナルな事件は、皮肉にも反アンドロイド派の主張を正当化する好機ばかりにはならなかった。むしろ、アンドロイドが人間と同様の権利を持つという顛末は、アンドロイド推進派をある意味で後押しするだろう。
マリアの夢が叶う世界がやってくるのかもしれない。
(お父さん、将棋しようよ)
子どもの声が聞こえる。
(そうだな、一局指すか)
ヤマトは初めて子どもの声に応じた。ヤマトの太い指が王の駒をそっと摘まみ、王はゆっくりと盤上に置かれた。
対局はあっさりとヤマトが勝った。
(負けました)
子どもが頭を垂れた。
(まずは、定跡をおぼえなくちゃな)
負けたというのに、子どもは少しも不機嫌そうでない。むしろ愉快そうにしている。それを見て、ヤマトは微笑んだ。
(棒銀戦法から教えてやるよ)
ヤマトは駒を並べなおし始めた。
(お父さん、ボクはもう大丈夫)
ヤマトが盤面から顔を上げると、子どもは穏やかな笑顔を見せながら、静かに消えた。
それが夢だとヤマトは気づいていた。




