30.デリカテッセン〜エピローグ(2)
「えっと……そうそう、ラードルフ。私、いいものをつくってきたのよ」
ぎこちない空気を払うようにそう言いながら、リーザは手鞄の中から何かを取り出した。
手のひらサイズに切られた厚みのある紙に、リーザの手書き文字がおどっている。
「これは?」
「それがどんな料理かわかるように、カードを置いた方がいいかと思ったの。たくさんの料理を並べるデリカテッセンですもの。ほら、カリーン村の収穫祭でもそうしていたでしょう?」
収穫祭のとき、カリーン村の人々はその料理を誰がつくり、使われている作物は誰がつくったのか、それがわかるように思い思いのカードを作っていた。
華やいだ祭の様子を思い出しながら、リーザは自室の書きもの机に向かっていろいろと考えたのだ。
ラードルフは立ち上がって、リーザがつくったカードを大皿の横に並べる。
「何をどんなふうに書けばいいのか悩んでしまって。よく考えないといけないわね」
リーザもラードルフの横に並んで、カードが添えられた大皿を見つめた。
白いカードに緑色のインクで文字が書いてある。
右上と左下に添えられた小さな押し花が愛らしい。
押し花の繊細さに負けないよう、リーザも慎重に文字をしたためた。
『王女付き料理人 ラードルフ・ルーベンシュタット作 貧乏な騎士』。
「……なんだかこれでは芸術家の開く展覧会のようですね」
「……そう言われれば確かに。何がいけないのかしら。『作』を取ってみましょうか? ああ、それに、ラードルフは第一騎士団の団長なのだから、『王女付き料理人』とだけ書くのも、正確ではないかもしれないわね」
ラードルフが相変わらず騎士団長の務めを果たすために日々忙しくしていることは、リーザもよくわかっている。
それでも、前よりそのことを気に病んで、必要以上に申し訳なく感じることはなくなった。
――俺が、そう望んでいるんです。
そう言ってリーザのそばでフライパンを手にするラードルフに、リーザはそれ以上何も言えないでいる。
彼があまりに堂々としているからではなく、その言葉にめまいがしそうなほどの喜びを感じて、口をつぐんでしまうから。
「では、肩書きも取るとして」
『ラードルフ・ルーベンシュタット 貧乏な騎士』。
頭の中に、作り直されたカードが思い浮かぶ。
「畏れながら、リーザさま。シンプルでよいとは思いますが、なんというかその、これでは俺が貧乏な騎士と言われているような……」
「そ、そうかしら……?」
まさかこのカードを見て、ルーベンシュタット家が没落したとは誰も思わないだろうが、ラードルフとしては不吉な気持ちになるのだろう。
ラードルフの父も第一騎士団の団長を務めていたということや、彼の王家に対する忠誠心の確かさから考えるに、彼は彼で、父や家に対する強い想いがある。
リーザはテオとオットーのことやホラントのこと、そして自分の父に対する想いが重なり合って生まれた今回の出来事を思い返して、ラードルフの胸の内を思いやった。
「ルーベンシュタット家が没落するのは、私も困りますので」
リーザの考えていたことを読んだように、ラードルフは言った。
「それはもちろん、そうよね。お父さまから引き継いだ大事な家で――」
「いいえ、リーザさま。そうではなくて……」
リーザの言葉を途中で強く遮ると、ラードルフはじっと王女を見つめた。
出会った夜と変わらないきれいな目が、しかしいつもより強く、熱を帯びたように見えるのは、気のせいだろうか。
「没落しては困ります」
もう一度、同じことを繰り返し、そうしてラードルフははっきりと言った。
「あなたの傍にいられなくなってしまうばかりか――あなたをお迎えすることが、更に難しくなってしまう」
「……え……っ」
お迎え、って――。
リーザは思考を停止した頭の中で、アデルの言葉を思い出した。
ここでの最初の食事にアデルとマルグレートを誘ったのだが、二人ともなぜか丁重に断った。
断りの言葉に添えて、アデルはにっこりと笑って言った。
――どうぞ、二人でゆっくり食事を楽しんでください。そのほうがいいでしょう。ラードルフ、あなたもそう思いませんか? ああ、そうそう、こういうのを、お邪魔虫と言うのだと、ゲオルギーテ先生に教わりましたよ、リーザ。
王の間で、自分はそれ以上耐えられずさっと顔を背けてしまったが、ラードルフはどんな顔をしていたのだろう。
自分と同じように、頰を赤く染めただろうか。
アデルの意味深な言葉と、ラードルフの今の言葉がリーザの中で分かちがたく結ばれた。
じっとリーザを見つめていたラードルフの目からすっと熱が引いて、ぎこちなく視線を逸らされる。
思わず言ってしまった言葉なのだろう。
いや、その、などと、もごもごと口の中で呟いている。
「私は――」
熱が移ったように、身体が熱い。
今なら言ってしまえるような気がして、リーザは思い切って口を開いた。
「私は、構いません。あなたが、貧乏な騎士でも」
震える声に、逸らされていた視線が再び絡み合った。
驚いたような、困惑したような、しかしそれ以上に熱の戻ったラードルフの目が、リーザを強く射る。
リーザだって、よくわかっている。
いずれ、自分は第一王女としてそれなりの王家や貴族の元へ嫁がなくてはならないことくらい。
それでも。
「悲しみを飲み込む強さを身につければきっと、どんな困難だって乗り越えられます」
――そうなれば、あなたとずっと一緒にいるためにする苦労くらい、なんでもない。
そこまで言えたら上出来だが、今日はこのあたりにしておこう。
怖じ気づいたわけではない。
ただどうしようもなく、彼が熱っぽく、幸せそうに微笑んだから、もうそれで、今は十分な気がして。
そう、でも、もし本当にそんな日が来たら――。
王女と騎士のデリカテッセンは、花婿と花嫁のデリカテッセンになるのかもしれない。
そんな甘やかな空想に身を浸しながら、今はただ、この艶やかな熱の中で、愛する人の目をずっと見つめていたかった。
これで完結です。
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