27.告白(2)
リーザにエミーリエと同じような症状が現れていることを知ったのは、エミーリエが亡くなってすぐ後のことだった。
食事をしょっちゅう戻しては寝込む幼い王女のことを、ゲオルギーテがホラントに相談したことがあったのだ。
父親のアントンはエミーリエを亡くしてからは特に、リーザとの関係がぎくしゃくしていて、とても王女の具合を相談できる状態ではなかったのだろう。
「王女殿下、あなたは最初、おれのつくった料理をことごとく拒否したのですよ。きっと、覚えてはいらっしゃらないでしょうね」
恨みがましい言葉とは裏腹に、そう言うホラントの声はすっきりとしていた。
「まるで、エミーリエさまに自分を拒まれているように感じたよ。……エミーリエさまによく似ていらっしゃる王女殿下が首を振って涙を浮かべて、俺の料理の前で黙り込むんだ……おれはあなたを想うあまりこんな料理をつくるようになってしまったというのに、避けては通れない生きる上での嫌なものすべてから、目をそむけていたいと仰るのですか、と」
エミーリエが亡くなり、年を重ね、やがてホラントは強い嫉妬心をコントロールすることができるようになっていた。
そうなるにつれて、リーザはホラントが差し入れる料理を、修道院の中で食べられるようになった。
そして、リーザがなぜ料理を拒んだのか、その理由もはっきりした。
ホラントには、すべてがわかっていた。
「あとは簡単だった。人生につきものの悲しい気持ちを上手にコントロールしてやれば、思いどおりに事が運ぶ。……王女殿下、あなたが自分でも信じられないくらい憎かった。なんの罪もない王女殿下が、心から憎かった。別に、だからといってあなたを殺してしまいたかったわけじゃない。こんなありきたりな恋ですら、人間はここまで傷つく……嫌われたくない、傷つきたくないなんて無理なことなんだ。それなのに王女殿下、あなたは苦しみから背を向ける。苦しむ人間のつくった料理は食べたくないと言って、閉じこもる――おれの料理がこんなふうになったのは、あなたのせいだというのに」
そこまで話して黙り込んでしまったホラントの目には、ここにはいない『あなた』の姿が、おぼろげに浮かんでいた。
ラードルフは静かに訊ねた。
「どこまであんたが仕組んだことなんだ」
「さあね。いろいろ手広くやったからな……今となっては自分のしたことだというのによくわからん。とりあえず、いろんな人にいろんなものを食べさせたよ。王城の人間が体調を崩しがちなのも、オットーの空咳が治らないのも、まあおれのせいだろうな。なんと言っても畑からやらせてもらえたのは大きかった。作物が悲しいなら料理も悲しくなる。心根がだめなら人間もだめになってしまうのと同じだ」
「テオはどう焚き付けた」
「坊ちゃんはいい子だからな。きっと王女殿下に対してうまくやるだろうと思っていたよ。案の定、オットーとの諍いもあって、いい具合に気に病んでくれた。あとは、本人が落ち込んでいることを理由にして王城の人間の目から遠ざけて、ゆっくり教育したさ。ちょうど、カリーン村でテオが王女殿下にしたように」
まるで今度は自分が焚き付けられているようだ。
怒りをあおるように。
偽悪的に振る舞うのはやめろ――。
ラードルフはそう言いたい気持ちを抑えた。
憎々しく思われることを望んでいるような言い回しをするくせに、ホラントはお得意の皮肉げな視線ではなく、今にも泣きそうな弱々しい笑みをこちらに向けた。
そのとき、今まで黙っていたリーザがふいに言った。
「ホラント、ごめんなさい」
いつもどおりの謝罪の言葉が、いつもよりもずいぶんと大人びて響いたことに、ラードルフもホラントも驚いた。
「お母さまは、全部わかっていらっしゃったわ。あなたの孤独も、悲しみも、恋心も。でも、どうすることもできなかった――それを悔やんでいらっしゃった」
信じられない、といったように眉をひそめるホラントに、リーザは静かに言った。
「生きる上での孤独やつらさが避けて通れないものだとしても、あなたの料理はそれに寄り添うようなものではなかった。そうさせてしまったのは自分なのだと、お母さまは本当に悔いていらっしゃった――お母さまの家で振る舞われていたホラントの料理は、お母さまの孤独に寄り添っていたのに」
そうして、リーザは記憶をさぐるように目を閉じて言った。
歌うような響きがあった。
「バジル風味のパンに、スパイスとオリーブオイルを混ぜ合わせたトマトソースを乗せて焼き上げたオードブル。野菜の切れ端を集めて漬け込んだピクルス。余った卵白と砂糖を使い切ったダックワーズ。酒に漬け込んだ木の実をたっぷりつかった素朴なビスケット――お母さまは、あなたの料理が本当に好きだったの」
「王女殿下、どうしてそれを……。それは、おれが修道院に見舞いに行ったときにつくっていった料理」
そうして、手酷く拒まれた料理。
ホラントが驚きと共に言った。
「――これを食べたの」
リーザはそう言いながら、持っていた手鞄を開いた。
***
テオひとりに、あのような芸当ができたとは到底考えられない。
王城の敷地内から騎士団の目を盗んで連れ出し、誰にも見られないようなルートでカリーン村へ運ぶ。
テオは心優しい青年だが、あの細い腕で騎士団を出し抜くことができるだろうか。いくら王城内の人間が体調を崩し気味だったとしても、だ。
それを、ラードルフはずっと疑問に思っていた。
カリーン村のオットーの弟子たちが、そそのかされて共犯者になったのだろうかとも思ったが、教会から助け出されてあたりの状況を探っても、弟子たちがテオの料理に仕組まれた薬のせいで眠っていたのは本当だった。
テオは自分のした事は正直に語っても、それ以上は口をつぐんだ。
「本当に、いいのですか?」
「ええ。私がそうしたいの」
リーザの部屋で、ラードルフとリーザがテーブルに向かっていた。
部屋の真ん中のテーブルに、あたたかい紅茶の入ったティーセットと、白い皿に乗せられた茶菓子が置かれている。
――茶菓子は、ビスケットだ。
教会に食べかけで残されていた、修道院のビスケットを模したと思しき、あのビスケット。ラードルフが念のために、と、とって置いたのだ。
カリーン村に迎えの馬車が来て、ラードルフはリーザと共に王城へ戻ったとき、既に東の方に朝陽がちらついていた。
騒ぎは第一騎士団のおかげかあまり大きくなってはいなかった。
密かに裏門から王城へ入り、アデルに報告を済ませた。
当然のことながら一睡もしていなかったアデルは、目を赤くして妹の無事を喜んだ。
「リーザ、今日はゆっくり休みなさい。事情はラードルフから聞きますから」
アデルの優しい言葉に、リーザはきっぱりと首を振った。
「いいえ、お兄さま。私、やらなくてはならないことがあるの」
そうして、リーザは頼る気持ちを込めてラードルフを見つめた。
むしろ、逃さない、と言いたげな視線だったかもしれない。
身体を害するようなものを食べさせられ続けて倒れ込んでいたあとの自分とは思えない、凛とした意思表示だった。
ラードルフはただ、かしこまりました、と言った。
本当は苦々しく思っていただろう。
リーザはわかっていた。
自分を休ませたら、彼一人で相手の元へ向かうつもりだったのだろうと。
しかし、王女はそれを許さない。
自分に対する憎しみが、テオをあのような行動に追いこんだことを、リーザは悲しすぎるくらいに自覚していた。
このときばかりは、彼が王女に仕える人間であるということを重く自覚している騎士であることに感謝した。
彼は、自分をないがしろにするようなことは絶対にしない。
そうして、リーザの部屋で二人いる。
「私が倒れそうになったら、呼び戻してくださる?」
「しかし……」
「お願い、ラードルフ。私がやらなければいけないことなの。あなたも気づいているのでしょう? テオだけじゃないことを」
リーザはその名を口にすまいと、言葉を選んで熱心に言った。
「すべての命よ、お許しください――」
その文句から始まる食前の祈りを、ラードルフは何度聞いてきたことだろう。
『お許しください』という言葉を、彼はどのように聞いているだろう。
気になりながらも、訊く余裕はなかった。
紅茶を二人分注いで、ラードルフはリーザの隣の椅子に腰掛ける。
リーザは白い皿に乗せられたビスケットをそっと手に取った。
よく知っている、修道院のビスケットと見た目は本当にそっくりだ。
そっと目を閉じて、神経を集中する。
あの『既視感のある』孤独。
くちびるへとビスケットを運ぶ手を、ラードルフのきれいな目がじっと見つめていることを、リーザは肌で感じていた。




