20.王女のために
「んで、王女殿下のために厨房の大改装ってか。やることがいちいちスケールがでかいあたり、さすが団長殿と言うべきか」
「元はあんたが言い出したことだろう。俺のせいにばかりするな」
「おれはただ単に厨房が手狭だなあ、ってぼやいただけだろ」
「俺が来たせいだって言ったじゃないか」
「だからってなにも王女殿下のために新しく厨房をこしらえろって言った覚えはねえがな」
そう言われてしまえば黙るほかない。
確かにホラントの言うとおりだ。
ラードルフはそれ以上は言わずに黙々と手を動かした。
背を向けているホラントが、ラードルフの様子をおもしろがるように笑っている気配がする。
あの収穫祭から半月ほど経つ。
秋もしっかりと深まった。
王家の庭の木々もとりどりに色づいた葉が少しずつ落ち始めた。
リーザが帰って来たときにはまだ夜が少し肌寒いくらいだったのが、今では昼間でも首筋を冷たい風が撫でる。
ラードルフはバケツに汲んだ水の中でじゃぶじゃぶと雑巾を洗うと、再びテーブルの上を拭いた。
収穫祭から戻った翌日、ラードルフがまずしたことは、アデルへの報告と上申――つまり、厨房を改装して使いたい、ということだった。
リーザの話をまとめて出した結論はこうだ。
料理をつくった人間の抱えているものを感じ取ってしまっているらしいリーザは、しかしそのすべてのケースで具合を悪くしているわけではないらしい。
現に、ラードルフの料理を食べても倒れてはいないが、料理をする自分が考えていたことや戸惑ったことを言い当てている。
熱を出して寝込んだりするほどひどい状態――周りの人間が病だの呪いだのという類いの――のときのリーザは、ネガティブな感情を読み取って、それに反応しているようだ……というのが、ラードルフの見解だ。
最初の夜のテオの料理から読み取った、彼の緊張や悲しみ、これで故郷の皆に誇れる成果が出せるという強すぎる気負い、オットーの野菜が含んでいた寂しさや苦しさ……それらが、王城へ帰ってきたばかりのリーザの身体に強い影響を与えたのだろう。
リーザが言っていた、赤ん坊の頃の話も、ラードルフがこの見解を導き出すのに役立った。
生前のエミーリエ王妃のことは、ラードルフも幼かったためにそんなに覚えているわけではない。
しかし、アントン王がエミーリエ王妃のことをとても大切にしていたことは知っている。彼らは驚くべきおしどり夫婦だった――王都中の評判になるほどに。
アントンがエミーリエを訪ねた日の母乳は飲めても、王が帰ったあと数日間は受け付けなかった、というリーザは、王妃の寂しさや悲しみが詰まった母乳を受け入れることができなかった、ということではないだろうか。
王女はその頃にはすでにそういう身体だったのだ。
アデルに収穫祭の報告をしながら、リーザから聞いた話と自分の見解をまとめて話した。
もちろん、リーザとアントンの話は約束どおり黙っていた――それを話さなくても、テオの話とオットーの薬の話、それに自分の話を織り交ぜて述べれば、十分に説得力があった。
「それで、ラードルフ。私に提案したいことがあると仰っていましたね。それはいったいどのようなことでしょうか?」
「はい、陛下。畏れながら、厨房の改装を許可頂きたいのです」
「厨房を?」
「近頃、私がうろうろしているせいで厨房が手狭だとホラントがこぼしていまして……」
申し出の責任をホラントになすり付けるわけではないが、ラードルフは思い切った上申につきまとう気恥ずかしさを言い訳するように言った。
「あの厨房の隣には小部屋があります。倉庫代わりにしているようですが、簡易的な水回りも備わっております。厨房につながる扉も、回廊から入れる扉もあるので使いやすいですし、私一人が動き回るぐらいなら問題のない広さだと思われます」
ラードルフは熱心に言った。
「厨房は料理人も多く動き回っておりますので、王女さまが万一のときに私を呼ぼうとしてもなかなか入りづらいかもしれませんし」
このあいだ貯蔵庫でリーザが倒れたとき、鍛錬中の自分を呼ぶことにためらわれたという話を聞き、ラードルフはできる限り自分に声をかけやすいように気を配るようになった。
「つまり、あの小部屋を簡易的な厨房として使いたい、ということですね」
「畏れながら。王女様はまだまだ不安定な状態でいらっしゃいますし、口にされるものに関しては明確に分けておいた方がよいと考えます。そのためには、使っている調理施設が違う方がわかりやすいかと」
ラードルフは頭を下げた。
「あの小部屋は窓が大きくて開放的です。時折王女さまが様子を見にいらっしゃっても、気分が良いかと」
許可が下りるのかどうかが心配で、つい饒舌になってしまう。
王の椅子に腰掛けたままのアデルは、視線を下げて考え込んだ後、言った。
「――いいでしょう。掃除や片付けが必要になるとは思いますが、あなたにお任せしましょう」
「陛下……ありがとうございます! あまり大掛かりなことはしないように努めます」
「そうして頂けるとありがたいです。うまくいけば、将来的に厨房を拡大することも考えてよいでしょうし、ホラントの力にもなってください」
質素倹約を信条とする王家。
妹の病とはいえ、それだけのために大掛かりなことをするにはアデルも気が引けるのだろう。
隅々まで考えて心配りをするアデルに、ラードルフは感服する。
「それにしても……あの子は本当に、よく耐えてきましたね、今まで」
アデルは独り言のように言った。
「誰に何を言われても、決して言い返そうとしないで、いつも笑っている……私にはできません」
「カリーン村のオットーも、同じことを言っていました。不思議な王女さまだと」
「不思議……確かにそうかもしれません。しかし、私から見れば、リーザは母上によく似ているのですよ。外見もさることながら、そういう忍耐強いところも。ラードルフは、母上が父上と結婚したときに流れた噂のことを知っていますか?」
「噂、ですか」
いいえ、という意味を込めてラードルフは問い返した。
「母上は、他に心を通わせた恋人がいて、父上のところに嫁いだのは家の強い意向だったとか。これはまだ好意的な解釈かもしれません。人によれば、母上は他に恋人がいたにも関わらず、王家の名を目当てに彼を捨てたとか」
「そんな……」
ラードルフは初めて耳にする話にただただ絶句した。
「あなたがまだ王城に仕える前の話ですから、ご存じなかったかもしれませんね。息子からすれば笑ってしまうような話です。あのお二人ほど仲の良い夫婦は見たことがありません。他にもあるのですよ。私は父上の子ではないとか……リーザも父上の子ではないために父上から嫌われて修道院に入れられているとか」
ラードルフは胸の疼きをぐっと抑えた。
リーザから聞いていた『父に嫌われていた』という話が、今の話にじんじんと響く。
「幸い、そんな噂をものともせずに、父上は母上をとても大切にされていました。ですが、母上はどれだけ傷つかれたことでしょう。私の記憶にある母上はいつも笑っておいでですが、もしかしたら悲しみを溜め込まれていたかもしれない」
そこまで話して、アデルは遠い目をはっと見開いた。
「いけませんね、こんな昔話をしていては。お忙しいのに、引き止めてすみません。妹のことでここまで力を尽くしてくださって、本当に感謝していますよ」
「いいえ、陛下。王女さまは……私のお仕えする方ですから。できることであればなんでも致します」
ラードルフは言葉を選びながらそう言った。
自分の言っていることは間違ってはいないが、本音にそぐわないような気もしていた。
「ありがとう、ラードルフ。頼りにしていますよ……」
そう言って言葉を切ったアデルは、王の椅子の背にもたれかかった。
顔色が悪い。
ただでさえちっとも日に灼けない白い肌が、青白くさえ見える。
「陛下……具合があまりよくないのでは。薬師を呼んで参ります」
「いえ、ラードルフ。それには及びません。昨夜、また本を遅くまで読んでいたせいでしょう。秋の夜は涼しくて気持ちよくて、つい読書に夢中になってしまうのです」
「……それならばよいのですが、あまり無理はされませんよう」
ラードルフの言葉に、アデルは礼を言った。
厨房が手狭だとこぼしていたせいでここを使おうと思いついたのだ、ということにしてホラントを手伝いに駆り出した。
物置代わりにいろいろ詰め込まれていたものを動かし、埃を払い、水拭きをした。予備の調理道具を貰い受け、水場の具合を確かめ、竃をつくり、調理台を設けた。使いやすいように棚を置いた。
徐々に厨房らしくなっていくのが妙におもしろかった。
「エミーリエさまが不実な方だって噂は、確かにあったな」
収穫祭の一部始終とアデルとの話を簡単に話すと、ホラントが思い出すように言った。
「知っていたのか?」
ホラントに背を向けたまま仕上げの水拭きをしながら、ラードルフは訊いた。
「そりゃあな。王城に仕えていればいやでも耳に入るさ。根も葉もない噂だと思ったがな。お前さんも知ってのとおり、前国王夫妻はおしどり夫婦だ。それは間違いねえ」
ホラントは厨房から運び出した鍋や包丁を使いやすいように整えている。がちゃんがちゃんと、調理道具同士が鳴らす金物の音が響く。
「エミーリエさまは、寂しげな御方だったよ」
「寂しげ?」
「ああ。いつでも何かに心を使っていらっしゃった。家のこと、国のこと、民のこと……それからアントンさまのこと」
ホラントの目に映っていたエミーリエは、ラードルフの記憶にあるエミーリエの姿と少し違うようだ。子どもだったラードルフの目には、笑顔の裏にある感情は映らなかった。
「せめて、食事の時間くらいは心穏やかでいて頂きたいと思って、せっせと鍋をふったもんさ。ま、それも王女殿下を身ごもられてからは、修道院へ行かれてしまってなかなか叶わなくなったがな」
「知らなかった。あんたがそんなふうにエミーリエさまに心を砕いていたとは」
「別に言う必要もないことさ。おれが自分に課したことだから」
振り返ると、ホラントは包丁を研ごうとした手を止めて、ぼんやりと遠くを見ている。
「ホラント……?」
「ラードルフ、お前さん、ここで王女殿下のために腕を振るうんだろ? できる限り、王女殿下の心を波立たせないような」
「ああ、そのつもりだ」
ラードルフははっきりと答えた。
「それができると思っているのか?」
「え?」
「そんなことが、本当に可能だと思っているのか、って訊いているんだ」




