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19.王女の秘密〜カリーン村の収穫祭(4)

 夕闇に包まれた広場で、木を組み上げた仕掛けに火が点き、華やかに燃え上がる様子が扉の向こうに見えた。


「あの日、私が貯蔵庫に行ったのは、オットーの野菜をもう一度食べてみるためです」


「オットーの?」


「ええ。私がホラントのサンドウィッチを食べて倒れてしまってから、私が食べるものはすべて、王城内でホラントが育てたものになったでしょう? 私が口にしたものをすべて管理できるように」


 ラードルフが肯定するように頷いたのを見て、リーザはその先を続けた。

 頭の中で何度も整理してきたことなのに、実際に説明するとなるとよくわからなくなってくる。


「私の身体に起きる異変については、あなたが既にご存知の通りです。毒が入れられているわけでもない料理を食べて苦しむ私を、恐ろしい病だとか、魔女の呪いだとか、わがままな性格だからだとか、いろいろなことを言われました。どんな食事がどんな影響を及ぼすか……食べてみるまでわからない」


 なんてめんどうな身体だろう。

 我が事ながら口にしてみると本当にやっかいだ。


「ですが、私は皆に言っていないことが一つあります。私が食べものを口にするとき――時々、見たり聞こえたりするものがあるんです。小さい頃からずっとそう……。最初はただの夢や幻覚だと思っていたけれど、やがてそれは幻じゃないってわかるようになりました。私が見たり、聞いたりしているもの――それは、その料理をつくってくださった方が抱えている何かなんじゃないか、って……」


「つまり……作り手の感情や考えていることを、王女さまは感じ取ることがある、ということですか?」


 予想どおりの困惑顔でラードルフが訊く。


「ええ、おそらく。……最初の晩もそうでした。テオの料理を食べて倒れたときも」


 頭に描き出される声や姿の意味は、すぐにはわからない。

 はっきりしなかったり、まったく見覚えがなかったりするから。

 最初の夜の夕食で倒れたときに聞こえた声の意味も、リーザにはよくわからなかった。


 テオに初めて会ってわかった。

「ヨロコブ カオガ ミタイ」「サビシイ」。

 そう言っていたのは彼だったのだ、と。

 テオを知ったことで、あのとき聞こえた声が意味が細部を伴ってよみがえった。

 遠く離れていることのつらさ、大きな仕事を任されたことに対する誇りと極度の緊張……それらの事実を、リーザは読んだ。


「オットーが王城にいらしたとき、彼がテオのお父さまだってことも、すぐにわかりました。テオの叫びの中に混じっていた違う声の木霊が、オットーだったんだ、って。でも、その声は『イタイ』って苦しんでいたの。だから、もし私がもう一度オットーの野菜を食べたら、その原因がわかって何かのお役に立てるんじゃないかって、そう思ったのです」


「だから、貯蔵庫に?」


 頷くと、ラードルフはゆっくりと考えをまとめるように時間をおいた。


「私の『貧乏な騎士』を食べたときに、湿気ってしまっている砂糖を使っているのを知っていたのも、それと同じようなことなのですか?」


「ええ。それに、朝食を焦がしそうになってホラントに怒られたことも、同じ。食べることで、頭に様子が浮かんだんです」


 なんと言ってよいのか、決めかねる表情でラードルフは黙り込んだ。


「私はお母さまの母乳すら飲めない赤ん坊だったのですって。だからお父さまは、私をお嫌いになって、ずっと修道院へやっておられたんです」


「そんな……」


「知っています。お父さまはとても立派な国王陛下で、お兄さまよりもっと厳しいけれど、皆に優しくしておいでなのだって、よく聞かされました。あなたがお父さまにも忠誠を誓っておられたことも、わかっているつもりです」


 でも、と言葉を切ってリーザは続けた。


「お父さまは、私のことをよくお怒りになったわ。お前は母親の母乳ですら飲まず、母親を困らせ、そして、今でもわがままを言って与えられた食事を口にしない、って。しかもひどいことに、赤ん坊の私はお父さまを欺くような真似までしたそうです。お父さまが修道院へお母さまを訪ねていらっしゃったときは、私はおとなしくお母さまの母乳を飲んでいて……そうして、お父さまがお帰りになってから数日は、ちっとも飲めなくなってしまう……そのことを、お母さまはとても悩んでおられたんだそうです。私にはちっとも覚えはないけれど、もし私の行為が、身体を悪くしていたお母さまに障っていたとしたら……本当に、お父さまの言うとおり。お父さまが私をお嫌いになったのも無理のないことです」


「つまり、アントン国王陛下は、娘であるあなたが、エミーリエ王妃様が若くしてお亡くなりになった原因の一つであるとお考えだったと……そう仰るのですか」


「私はそう考えています。そのことについてお話しすることはないまま、お父さまは逝ってしまわれましたけれど」


 お兄さまには内緒にしてください、とリーザは付け加えた。

 アデルはきっと、父が妹にどんなふうに当たっていたか、まったく知らないだろう。父を尊敬し、王として国を治めようと腐心している兄に、余計なことを吹き込む必要はない――兄の中の父は完全無欠のほうがいいのだ。だから、そんなことは言わないで、今まで暮らしてきた。

 父の、娘を恨むような態度を知っているのは、リーザ本人の他にはゲオルギーテだけだ。


 どちらにせよ、兄と同じように父を尊敬していたであろうラードルフに、こんな話をする必要はなかったかもしれない。

 ただ自分が心中を吐露したかっただけ。

 甘えているのだ、彼に。


 ラードルフは何も言わないでリーザの話を聞いている。


 一段とあたりが暗くなり、そして広場の炎はより明るくなった。


「おかしなことを言っているでしょう? でも、今の私に言える確かなことはすべてお話したつもりです」


「どうして、もう一度オットーの野菜を食べてみる気になったのですか。痛みがあることはわかっていたはずです。現に、あなたは貯蔵庫で苦しんでおられた」


「それは……」


 すべてを話すという覚悟が一瞬揺らぎかけた。


「これ以上、嫌われたくなかったから」


「嫌われる……?」


 口にしてしまうといっそう陳腐で情けない。

 でも訊かれた以上、正直に応えたかった。


「今までずっと、誰にも嫌われたくないと思って生きてきました。私は自分自身の行いのせいでお父さまに嫌われてしまいました。誰にも嫌な思いをさせず、できる限り笑っているように気をつけていれば、私も嫌われずに生きられるのではないかと……。でも、だめでした。テオを傷つけ、ホラントの料理を拒否して……カリーン村の皆さんの誇りを踏みにじって、お兄さまにもお姉さまにもご迷惑をおかけして……あなたまで、巻き込んで。あなたの好意を踏みにじるような真似をして、失望させて。呆れたでしょう? あなたが尊敬して忠誠を誓う陛下の妹が、こんな体たらくで……」


 めまぐるしく物事が動いていったこの数週間のことが、頭を駆け巡る。

 苦々しい顔をするラードルフを、思い出す。


「あなたに『気に入らない』って言われて、それでようやく謝ったり笑ったりする以外の方法を考えることができたの。情けないと言えばこれ以上情けない理由もないけれど……でも」


 言い切ってしまわなければいけない。

 声が少しだけ震えている。

 でも。


「でも、私、あなたに嫌われたくなかったの。嫌われたら……困ります」


 そうして黙りこくる。

 それ以上、隣にいるラードルフの顔が見られない。


 こんな程度の理由と、そんな程度の決意で動くような人間だと、彼は軽蔑するだろうか? 

 呆れるだろうか?


「……失礼します、王女さま」


 ぐるぐると考えているリーザの膝に、ラードルフの腕が伸びた。


 え、と思っているうちに、膝に乗せていた皿を奪われた。


 振り向けば、少し離れて座っていたラードルフが、腰を浮かせてリーザの方へ寄った。

 ぐっと距離が近づいて、目の前いっぱいにラードルフの姿が見える。


 突然のことに緊張したリーザは、両手をきゅっと握りしめた。


 ラードルフは手にした皿に乗っているかぼちゃとたまねぎのパイ包みを丁寧にフォークで切り分けた。

 切り口に、フィリングの濃い黄色のかぼちゃが顔をのぞかせた。


 何をしているのだろう?

 疑問を口にしないまま見つめていると、ラードルフはフォークの先にパイ包みを差すと、それをリーザの方へ差し出した。


「あの……」


「どうぞ、王女さま」


 食べさせてくれるということ?


 彼らしくない行動にリーザはおずおずと口を開くと、ラードルフが手にしているフォークがくちびるに少しだけ触れながら、そっと入ってきた。

 さっくりとしたパイ生地の隙間から、野菜の甘みがじんわりと溶けた。

 そのあたたかさで頰が熱いのか、それとも、彼に食べさせてもらっているということに対する熱さなのか。

 彼の方が見れない。

 視線を不自然に逸らしたまま、甘さにもぐもぐと口を動かしていると、フォークを引いたラードルフがふいに言った。


「嫌いになったりしませんよ、王女さま」


 リーザは弾かれたように目を見開いた。


「あなたが何を抱え込んでいるのか……ずっとわからなかった。なぜ好きに言わせておくのか、どうして口を閉ざすのか……私はひとりひとりを殴り飛ばしに行きたいくらいだというのに」


 口調は穏やかで、何かに満たされているかのような話し方だが、内容はあまり穏当ではない。

 優しく皆から慕われる第一騎士団長は、酒だけではなく腕っぷしも王城では一、二を争う。殴り飛ばしに来られたら、そうされる前に気を失ってしまいそうだ。

 リーザはそのギャップに少しだけ笑った。


「オットーが、カリーン村の野菜をぜひ食べてほしいと言っていました。それから、あなたの病が治るように、協力は惜しまないとも」


「……本当? 嬉しいです。ラードルフが取りなしてくださったのね、ありがとう」


「いいえ、それは違います、王女さま。あなたはご自分の力で味方を得られた。恐ろしい思いまでして、オットーのために力を尽くしたから――為すべきことを為されたからだ」


 きれいな目が、こちらを見ている。

 あの夜のように、でも、あの夜よりももっと近くで。


「あなたのためにできることがあるならば、私はは全力を尽くします。必ず、力になってみせます。あなたは私の――」


 そこまで言って、ラードルフはふっと口をつぐんだ。


 私は、あなたの、何?


 そう訊きたい逸る気持ちを押さえて、リーザはもくちびるを閉ざした。


「いや――あなたは、私がお仕えするべき人なのですから」


 そう言って、ラードルフは残りのパイ包みを口へと勢いよく放り込んだ。


 そう、私は、あなたが仕えなければならない人。


 あなたの優しさはすべて、あなたのその忠誠心から生まれるもの。


 そうわかっていても、願わずにはいられない。


 それでいい、それでもいいからどうか、傍にいてほしい。


 できるかぎり、ずっと。




 そうして、収穫祭の夜はゆっくりと帳を降ろした。


 ――いくらひとつの料理を切り分けていたって、それを食べているフォークは同じものを使っているという事実には、結局二人とも気づかないまま。

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