16.招待〜カリーン村の収穫祭(1)
「ただいま戻りました」
陽が落ち始める頃、ラードルフは王城に戻って来た。
リーザはちょうどマルグレートと一緒に薔薇園の手入れを終えて、そのまま王家の庭にあるあの木の下で本を読んでいたところだった。
「こちらにいるとうかがったものですから」
そう言って左ひざをついて挨拶をするラードルフに、リーザは駆け寄った。
「おかえりなさい、ラードルフ殿。あの……ありがとうございました」
そう言う自分の声がずいぶんとすっきりしていることに、リーザは自分で驚いた。
「いえ、王女さま。帰りが遅くなって申し訳ありませんでした。ついでに、収穫祭の打ち合わせもしてきたものですから」
「収穫祭?」
聞き慣れない単語に、リーザは聞き返した。
「カリーン村で年に一度行われている祭りです。大地の恵みに感謝して、神様に祈りを捧げて……それから、カリーン村で採れた作物を使った料理を村中を挙げて準備してふるまうんです。花飾りがどの家にも飾られて、音楽隊がやってきて演奏したり、手品師がやって来たり、とても華やかなんですよ」
神様に恵みを感謝する行事なら、海辺の修道院でも毎年行っていた。
ろうそくを灯し、皆で作った作物と、蒼の森から頂いた木の実や花を飾り、修道女全員で静かに祈りを捧げる。
そしてそのあと、ささやかな食事の席につく。
質素だが落ち着きがあって、リーザは毎年その時期が来るのをとても楽しみにしていた。
しかし、どうやらカリーン村の収穫祭というのは、修道院のそれと趣旨は同じでもまったく違うもののようだ。
華やかなお祭り……。
リーザはラードルフが描写する収穫祭の様子に胸を躍らせた。
リーザがあれこれ楽しげに考えていると、ラードルフはふっと笑って言った。
「行きたいですか?」
「え?」
突然の言葉に、リーザは驚きで目を見開いた。
「興味がおありのようだから」
「で、でも……カリーン村は、テオの故郷でしょう? オットーや昨日の皆さんは、私が行っては……」
言いよどむリーザに、ラードルフは薬をしまっていた胸ポケットから何かを取り出し、リーザに差し出した。
「これは……」
「オットーから預かりました。どうぞご覧ください」
「オットーから?」
ひらひらとした紙がリーザの手におさまった。
折り畳んである紙をおずおずと開くと、そこには力強い字でこう書かれていた。
●●●
リーザ王女殿下
薬をありがとうございました。
次の収穫祭には、ラードルフ団長殿とぜひおいでくださいますように。
オットー・ダール
●●●
「カリーン村は王城に野菜を供給してくださっているため、毎年収穫祭の警備や手伝いに騎士団が向かうことになっているんです。陛下からのお祝いの言葉と花飾りを届ける役目もありますから、王女さまをお連れするのに、何の無理もありません」
リーザの不安や心配を見越したようにラードルフは言った。
「行きませんか、王女さま。――大丈夫です、私がついていますから」
そう言うラードルフの目が、あの晩と同じようにきれいに揺れていて、導かれるようにリーザはそっと頷いた。
***
収穫祭までの二週間は穏やかに過ぎ去った。
倒れることも発作を起こすこともない……何より、ラードルフの目を曇らせることがないままに過ごせていることが、リーザは嬉しかった。
一日に一度、たいていは自習を終えた頃、茜が差している空を眺めながら、王家の庭を散歩するのが日課になった。
そうして、ラードルフと出会った木の下に佇む。
空が茜色からラベンダーのようなはかない薄紫色に変わる頃、ラードルフがここまでやって来る。
できる限り、ラードルフには自分の行き先を告げておくように心がけているのだ。
また貯蔵庫のときのように一人で倒れてしまっては、きっと彼は自分を責めるだろう。
あの大きな右手が今にも自分の頰を殴るのではないかとこちらがはらはらとしてしまう。そんなラードルフは見たくなかった。いつでも、笑っていてほしかった。
こんな穏やかな時間がいったい今までどこにひそんでいて、なぜこうやって今自分の元へやって来たのか、それがリーザには不思議だった。
そして、なぜ自分がこんなにもふわふわと、痛みのせいではない熱に浮かされているのか――特に彼が自分を迎えにくるとき、それが彼の任務であるからという現実をわかっていてもなお、ふわふわとするのは、なぜか。
収穫祭に着ていく洋服をクローゼットの中をのぞきながらあれこれと考えてみるような、自分には珍しい浮き立った時間があることを、できれば誰にも知られずにいられたらいいと、リーザは心密かに思っていた。
葡萄酒色のあたたかな生地でできた遠出用のよそ行きワンピースは、裾の膨らみ方も上品で、マルグレートから譲られたクローゼットの中でも特に気に入っていた。
収穫祭当日、それを着て馬車に乗った。
……この前のように、ラードルフの馬上に一緒に乗れないことが、残念だった。
カリーン村はすでに多くの人でにぎわっていた。
カリーン村の野菜はグラール国のいろいろなところで評判で、ふだんは静かな農村のカリーン村も収穫祭の日には様々な町から人が集まって来る。
ラードルフの馬が先導で馬車が村の入り口に到着した。
リーザが降り立つと、オットーが待っていた。
周りには弟子の青年たちが何人かと、先にカリーン村へと到着していた騎士団の面々もいた。
そんなに大きな村ではないと聞いていたが、それでも連なる山々の裾野に沿って広がる畑と家々に、リーザの目は自然と引きつけられた。
「リーザさま、遠いところをわざわざおいでいただき、ありがとうございます」
「いいえ、オットー。ご招待頂いて感謝いたします」
「早速で恐縮ですが、カリーン村の教会へご案内してもよろしいですか。今日は神様に今年の恵みを感謝する祭ですので、ぜひリーザさまにもお祈りを頂きたいのです」
「ええ、もちろんです」
「弟子が案内致しますので――リーザさまを、教会へ頼む。教会のあたりには、騎士団の方々が見回りをしてくださってますから、ご安心ください」
傍近くに控えていた青年が、オットーの声に呼ばれてやって来た。あの日、王城までやって来た青年のうちのひとりだ。「俺たちの王女さまなんかじゃねーよ」と言われたことを思い返す。
顔を赤らめているのは、あのときの熱のこもった振る舞いを思い返しているからか、それとも、王女に対する怒りが続いているからだろうか――どちらにせよ胸が痛む。
自分がこの村の教会で祈ることを、この青年がどう感じるのか、それが不安だった。
「こちらです、リーザさま」
「おい、手足が一緒に出てるぞ、緊張しすぎだおめぇは」
「す、すみません親方!」
「仕方ねーっすよ親方! こいつは生まれてこの方、リーザさまみたいなきれいな女性をエスコートしたことなんてねーんですから! せいぜい家にいるこえー母ちゃんくらいでさぁ!」
オットーの叱咤と周りの人々のはやし立てる笑い声に、青年は顔を真っ赤にしながら素直に照れてみせた。
どうやら、この青年は自分を憎んで顔を赤らめていたわけではないらしい。
心の中で安堵しながら、修道院のものとも、王城のものともちがうあたたかさに、リーザは親しみを感じた。
「王女さま」
青年に連れられて背を向けたとき、ラードルフの声が聞こえた。
振り返ると、ラードルフがどこか心配そうな顔をしてこちらを見ていた。
初めて見る正式な甲冑姿に、リーザの胸はりんと鳴った。
「おひとりで、大丈夫ですか」
ああ、この人は、本当にただただとっても心配性なのだ。……もちろん、それは王家に対する忠誠のなせるわざで……それをわかってはいても、嬉しい気持ちだけは抑えることができない。
「ええ、大丈夫よ。どうぞ、為すべきことを為さってください」
「――わかりました。後でお迎えに上がります」
そう言って頭を下げるラードルフに見送られて、リーザは案内役の青年とともに足を進めた。