15.薬
ゆらりゆらりと揺られながら、馬はひっそりとした森を行く。
背中にラードルフの熱を感じながら、リーザは右手に手綱を、左手にランプをしっかりと握りしめた。
意識はもうはっきりしている。
ただ、ひりひりとした熱だけが身体に残って、それを頼りにリーザは前へ前へと進んでいる。
リーザの意識が混濁してきたのは、夕食はいらないという言付けを受けたラードルフが、鍛錬を終えてそのまま貯蔵庫へとやって来てくれたちょうどその頃だったらしい。
心配して見に来てみれば自分がお仕えする王女が倒れそうになっていた上に、妙な物音までするのだから、相当慌てたに違いない。
海辺の修道院から帰って来たときに通ったのは、行商人や旅人たちがよく通る街道へとつづく道だが、リーザはその道から外れるように道を指示した。
足元の悪い道だが、ラードルフは、リーザがつかんでいる手綱の少しずれたところを持って、うまく前へと進ませている。
願い通りに馬を走らせてくれているラードルフは、蒼の森へ急ぐ理由を問わなかった。
訊いても無駄だと、そう思ったからだろうか。
そのことが気にかかりながらも、うまく訊く自信がない。
人の多い王城に慣れたせいか、こんなにも静かな森にいると、今は二人しかいないことが強く強く感じられる。
ずいぶんと遠くに来てしまったことも。
森には虫や鳥や、動物たちだって多く住んでいるというのに、今夜ははばかられているかのように静かだ。
行き先を指示する以外には、リーザは何も言わなかった。
ラードルフもまた、何も言わないでいる。
時折、彼の腕が自分の腕に触れる。
そのたびに、床に倒れ込みそうになる自分を助けてくれたラードルフの身体の熱を思い出す。
身体に残った熱が、あの木霊がもたらしたものなのか、それとも自分のせいなのか、時々わからなくなる。
こんなときに自分はいったい何を考えているのだろう。
リーザは己を戒めるように手綱を握り直した。
幾度か方向を変えて行き過ぎたところで、リーザは止めるように言った。
馬は軽くいなないてそして止まった。
森の中でぽっかりと空が見える場所だ。
月が明るい。
「降りてもいいですか?」
そう言うと、ラードルフは自分が先に降りて、そしてリーザに腕を伸ばした。
貯蔵庫で助けてもらったときのことを思い出して、少しだけためらいながら、そっとラードルフの腕に触れた。
出かける前に着替えたドレスワンピースの裾が、さわさわと草に触れる。
修道院の頃から履き慣れているぺたんこの靴が地面を蹴る感触が、ひどく懐かしい。
「王女さま、ここはいったい……」
下へ目を向けていたリーザは、ラードルフの問いかけに顔を上げると、にこやかに言った。
「ここは、修道院にいる頃に、みんなでよく木の実とか薬草を採りに来た場所です」
「木の実……薬草?」
「ええ。このあたりは季節になると野いちごやコケモモが自生するんです。くるみもあるし……もう少し奥へ行くときのこが生えているところもあるんですよ」
「そんなことをしているのですか、修道院では」
「自分たちで必要な食料をすべて育てることができればいいけれど、なかなかそうもいかないから、自然の恵みを少しずつ頂いて生活していました」
まったく想像もつかないらしく、ラードルフはただただ感心したように話を聞いている。
「ほら、ラードルフ殿が今踏んでいるのは、傷薬になる葉ですよ。それを切り傷に貼ると一晩で治ってしまいます」
「この葉を探しに来たのですか?」
「いいえ」
リーザはあたりを見回して、草むらの中へ手を伸ばした。
先が鋭くて、下手に触れれば切り傷をつくりそうな細長い葉をちぎって、ラードルフに見せた。
「この葉を採りに来ました」
「これは、何に効くのですか?」
「これは咳止めの薬になるんです。体調を崩して身体が弱っていたりして、ずっと空咳が残るようなときとかに使うと、ゆっくりとだけど良くなっていくんです」
それを聞いたラードルフは、さっと厳しい顔つきになって言った。
「王女さま、もしやまだどこか身体が痛むのではありませんか!? それでこの薬を採りに――」
「い、いいえ、違うの、大丈夫、なんともないから……」
あまりの剣幕にびっくりしながらそう答えると、ラードルフは厳しい顔のまましかし肩の力を抜くようにふうと息を吐いた。
「それならばいいのですが……」
「あの、勝手な真似をしてごめ――」
「謝らないでください」
「え?」
「これ以上、謝らないでください。私がついていながら――いや、私がついていなければいけないのに……」
その言葉を聞いて初めて、リーザはラードルフが自責の念にかられているらしいことを知った。
リーザから視線を外したまま、ラードルフはくちびるを噛んだ。
「ラードルフ殿……これは、私が為さなければならないことなんです。私が引き受けなければいけないことだったんです。あなたが私から目を離していても、離していなくても、私が選んだことなのだから、そうなっていたでしょう。だから、どうか自分を責めないでください」
自分でも驚くほど、すらすらと言葉が出てきた。
信じられないくらいに力強い言葉が。
ラードルフもまた、驚いたようにリーザに視線を合わせた。
リーザは手折った草を手に、言った。
「この薬を届けてほしい人がいるんです。お願いできますか?」
***
翌朝、ラードルフは朝早くに王城を出た。
昨夜、蒼の森へリーザを連れて行ったのと同じ馬に乗って。
王城を出る前、裏門までリーザが見送りに来た。
ラードルフ殿がいないあいだは、ちゃんとおとなしくしていますから、とリーザは笑っていた。
その笑みには悲しみの色も、自分を責める色もなくて、それがラードルフは心底嬉しかった。
昨夜とは違って誰もいない自分の腕の中が、いやにからっぽだ。
そこがからっぽでなかったのは、時間にすれば一時間もないほどなのに。
まるでその代わりのように、リーザから預かった薬の包みを胸の内ポケットにしっかりと入れている。
あれから二人して丁寧に草を選って手折り、王城へ戻った。
薬をつくる手伝いを申し出ると、リーザは少し言葉に詰まってから、ぜひお願いします、と言った。
ついさっき、蒼の森で力強く自分の意志を表明した王女殿下は、自分の勘違いでも見間違いでもなかった。
静まり返った回廊を歩き、厨房に灯りを点けて二人で薬をつくった。
そのことを思い出すと、自分の腕の中がからっぽであることをよけいに強く意識してしまう。
……寂しいような気も、してしまう。
そんなことを考える自分がどこか浅ましく感じられて、王家に対する忠誠や尊敬の念といった感情とは別の何かを抱いている自分を戒めるように、ラードルフは馬をひたすら走らせた。
「リーザさまのお使いで?」
「そうです」
オットーの家に行くと、ちょうど畑から戻って来たらしいオットーと出くわした。
「陛下からお叱りの伝令兵が来るならともかく、リーザさまからとは……」
あまりに意外だったらしく、オットーは驚きを隠さずに言った。
庭先にある椅子に腰掛ける。
オットーの家はなだらかな丘がつづくカリーン村の比較的奥の方にある。さまざまな畑やら果樹園が色づき秋風に揺られているのがよく見渡せた。
オットーの弟子が紅茶を淹れてやって来た。
「ラードルフさん……」
昨日、王城までリーザに会いに来た青年たちの一人だ。オットーの鉄拳制裁の痕か、頰がまだ少し腫れている。
「頰は、大丈夫か」
「はい、あの、ありがとうございます……」
「団長さん、こんなもんくらい、ほっときゃ治りま……ッホ……本当に、昨日はうちのが迷惑、コホッ、を……なんとお詫びしてよいやら……」
「……オットー、どこか悪くしたのか。昨日はそんなことはなかったが」
苦しそうに咳き込むオットーを見て、ラードルフは驚いて言った。
「ああ、お聞き苦しくて申し訳ない……ゴホッ、最近だいぶましにはなってきてたんですがね……ゲホゴホッ……久しぶりに、暴れたもんですから」
隣で紅茶を運んで来た弟子が心底申し訳なさそうにうつむいて言った。
「すみません、親方……。親方は、テオが出て行ってからずっとこうなんです。最初は熱出して寝込んでて、その頃にホラントさんが見舞いに来ては栄養のあるものをつくってくださってたんですけど、結局空咳だけしつこく残ってて……」
「ホラントが来ていたのか。それは知らなかった」
「ホラントさんは親方に畑のことで指導を受けにいらしてましたから、そのついでに寄ってくれてたんです」
そう言って、弟子の青年は顔を曇らせた。
「テオも親方の症状のことを知ってるはずなんですが、意地を張ってるのかちっとも顔を見せに来ないんです。親方がこんな状態で、テオもそんなで……だから、俺たちもつい力が入っちゃって……」
「それで、王女さまのこともあんなに怒っていたのか」
「ったく、おめぇら、聞いてりゃ好き勝手ぺらぺらしゃべりやがって……ゴホゴホッ」
「ああ、親方! 今、白湯を持ってきますから……」
咳き込んだオットーに慌てふためいて、弟子の青年は屋内へと走って戻って行った。
「オットー、薬は飲まないのか?」
「ほっときゃ治りますよ……ゴホッ」
ついさっきも聞いたような台詞を繰り返し、オットーは姿勢を正した。
「それで、団長さん。リーザさまからのご用件とは?」
「ああ、その件だが……」
胸ポケットから薬の包みを取り出して差し出した。
「これを渡すようにと」
「団長さん、これはいったい……」
「王女さまが作られた、咳止めの薬だ」
オットーの困惑した様子は驚きへと変わった。
薬の包みを渡したラードルフにしても、気持ちは同じだった。
「どうして……」
「王女さまがあなたの病状をご存知だったかは、私にもわからない。でも、王女さまはあなたのためにこの薬をつくられた。受け取ってくれないか」
オットーはゆっくりと手を伸ばして、ラードルフから薬の包みを受け取った。
片方の眉を寄せて困惑していたオットーは、やがて薬の包みを丁寧に胸元にしまって言った。
「団長さん、使って悪いんだが、ひとつ頼み事をしてもかまわんかな」




