14.王女の挑戦
嫌われてしまった。
リーザは昼食もそこそこに自室に戻った。
昼食は、二つ目玉の目玉焼きの半分と、パンケーキ一枚が手をつけないまま残っていたので、それをもそもそと食べた。
両方とも、ラードルフが朝食にと準備してくれたものだ。
食べても大丈夫かそうでないか、という問題がクリアできたとしても、ラードルフがリーザの食べられる量を見極めるには時間がかかりそうだった。
朝食の残りを頂きますから、と言って、ラードルフを昼食の準備から解放した――それもまた、彼の怒りに油を注いだだろうか。
さすがに昼からは真面目に歴史学の勉強をしなくてはならない。
王都に集う学者たちを家庭教師に招くのは、リーザがここでの生活にもう少し慣れてから、というアデルの方針で、リーザはひとりで書きもの机に向かい、分厚い書物と向かい合う。
勉強は好きだ。
こころを落ち着ける時間になるから。
それでも、ざわついた内側をなだめるには、少し手がかかりそうな気配だった。
王城内を無駄にうろうろしていては、ラードルフがまた出動しなくてはならなくなる。
そうわかってこうして椅子に座っていても、頭の中身は勝手にそのあたりをうろうろとしている。
今頃ラードルフは騎士団の皆と鍛錬に励んでいる頃だろう。彼は本来は第一騎士団をまとめあげる団長なのだ。本当ならば王女付きの料理人などしている場合ではないはずなのだ。その事実が、リーザのこころを更に曇らせる。
書物をうんざりと閉じて、リーザは外を眺めた。
開け放った窓から吹き込む風が、カーテンを揺らす。
穏やかな青い空。
あんなことがあってからまだ数時間ほどしか経っていないことが嘘のようだ。
――なぜ、そんなふうに笑うのですか。
なぜって、それしか自分にはできないから。
とっさには言えなかった言葉を、改めてリーザはくちびるにのせてみる。
小さな声で、ごく近くの空気に溶け込むように。
自分にできることならなんだってしたい。
でも、他にできることがない。
それならば、自分の非を認めるときは素直に謝って、できる限り、いつでも微笑んでいようと決めた。
――仕方がなくなどありません。
でも結局、それが彼を怒らせた。
苦々しい顔つきをするラードルフの様子を頭の中で再生する。
そんな顔、してほしくないし、させたいわけでももちろんないのに。
――俺はそれが気に入らない。
言い返しもしないで、かばおうとしてくれる行為を踏みにじって、そうして笑ってすらいるなんて、ふざけていると思われて当然だ。
兄、そしておそらく父への忠誠も強いだろうラードルフを思えば、その妹・娘がこの体たらくでは、さぞかし呆れたことだろう。
何もできないと笑っているなんて――
と、そこまで考えて、リーザはいつのまにかうつむいてしまっていた顔をふっと上げた。
泣く寸前だった。
もう本当に、自分にできることはないのだろうか。
もう、何も残されていないのだろうか。
頭の中に、ひとつだけ、ちらりと横切る木霊がある。
……いいえ。
まだ、できることがある。
少しだけ、覚悟が必要なことだけれど。
自分が傷つけた人のためにできること。
それを、ちゃんと為さなくては。
――何もかもを受け入れてもらえているような気がする。自分のしたことや、すべてのものを、何ひとつ無駄にならずに受け入れてもらえるような。
あの出会いの夜にそう言ってくれた人を、これ以上失望させることのないように。
***
歴史学の今日やるべき範囲をやり終えると、リーザはカーディガンを羽織って自室を飛び出した。
沈むのが早い秋の陽が傾いていた。
どうしてもやりたいことがあるので、今日の夕食は遠慮させてほしいと申し出ると、最初は訝しむような顔をしてみせたアデルだったが、結局は笑って許してくれた。
身体が強くないリーザが顔を紅潮させて足早に王の間に駆け込んで来た様子を見て、真剣さを読み取ったのだろう。
その足で厨房へ向かった。
ラードルフは鍛錬場で部下たちに槍の指導をしている時間だ。
まさか任務中の彼を呼び出すわけにはいかないと思ったので、ホラントに言伝てを頼んだ。
そして、王城で使う野菜を保管している場所はどこかを問うと、ホラントは詳しい理由も聞かずにその場所へと案内してくれた。
広い厨房の片隅に、裏へ出る扉がある。
そこを出てすぐ、目の前に大きな小屋がある。年中を通して気温が一定に低くなる貯蔵庫だ。ちょうど夕食に使う食材はすべて運び出したところだから、好きに見て回るといいとホラントは言った。
あちらの棚が調味料のストック、こちらの籠はうちで採れた野菜、そちらは外の農家が納めた野菜、あの籠は切れ端を集めてあって……そう説明を加えて、いくつかのランプに火を灯すと、ホラントは厨房へと戻って行った。
アデルもホラントも、何をするのかを訊かなかった。
今日の騒ぎを知っているのかまだ聞いていないのかそれはわからないが、一人になる時間を尊重してくれたのだろう。
リーザは二人の計らいに心から感謝した。
リーザはあたりを見渡した。
ずいぶんと広い貯蔵庫だ。
家のようにいくつかの部屋に分かれているのではなく、がらんと見通しの良い、しかしひんやり暗い空間だった。
しんとした空気に身を浸しながら、リーザはいくつかの籠が所狭しと寄っているあたりへ歩いて行った。
ホラントが言っていた、他の農家が納めた野菜が集まっているところだ。
籠にはたっぷりの野菜と、それをつくった農家の名前が記してあるらしいカードが添えられていた。
ひとつひとつの籠を丁寧に見ていって、リーザは目当ての籠へとたどり着いた。
〈オットー・ダール/カリーン村〉
と書かれたカードがそばにある。
もうどの籠も残りが少なくなっているが、その中から見覚えのある野菜を見つけて手に取った。
ロメインレタス。
最初の晩のサラダに使われていた葉物。
これならちょうどいいだろう。
そばにはトマトの籠もあるが、トマトならひとつ丸ごとになってしまう。
ロメインレタスなら丁寧に葉を一枚ちょうだいすればいいのだし、少しくらいなら、きっと、大丈夫。
丁寧に葉をちぎって、残りをもとの籠に戻すと、入り口の扉のそばにあった水場で軽く洗う。
再びオットーの野菜のあるあたりまで戻ると、背もたれを建物の壁に沿わせて置かれている手頃な椅子があるのを見つけて、腰掛けた。
リーザは手にしているロメインレタスの葉を見つめながら、最初の晩に倒れたときに感じたあの言葉の木霊たちを思い返した。
あの、さまざまな声が入り交じった木霊を。
寂シイ
カゾク
帰リタイ
ヨロコブ
イタイ ミタイ イタイ サビシイ サビシイ カエリタイ イタイ ……
ぞっと悪寒が走りそうになるのをこらえる。
まだこれからだ。
早々に倒れるわけにはいかない。
リーザはぐっと気を引き締めて、ロメインレタスの一枚を小さく千切り、そっと口へ運んだ。
みずみずしい食感が、噛み切る歯に伝わる。
みしみしと、身体が震える。
青い匂い。
そうして、痛みも。
喉が熱い。
でも平気だ。
木霊が戻ってくる。
ロメインレタスの次の一口を噛み締める。
もう一口……そのたびに、意識が現実から遠のいていく。
椅子がぐらつく。
イタイ イタイ……
そう、私が知りたいのはその声の秘密――
焼け付くような痛みがリーザの喉をつたって肺へと落ちていく。
そうして、頭の中のテーブルクロスにやがてくっきりと姿が浮かんだとき――
「王女さま!」
椅子がいっそうぐらついて、身体が重く倒れ込んだとき、自分を呼ぶ声がそれを強く包み込んだ。
「王女さま、しっかりなさってください、王女さま!」
ラードルフの声が、今までにないほど近くに聞こえる。
手放しそうになる意識を必死でたぐりよせる。
ここで気を失ってしまっては、意味がない。今までと同じなのだから。
微かに震える手を必死で動かして、しがみつく。
目を開ける。
「お願い……」
荒い息の隙間、触れているあたたかな腕。
かすれる声でラードルフに言う。
「私を……蒼の森へ。今すぐ、連れて行って」




