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13.オットー

「だから、約束なんかしてねえよ! してねえけど、会わせろっつってんだ!」


「会わせろと言う民と片っ端から王女殿下がお会いになるわけがないだろう!? よく考えろ! 王女殿下はお忙しいんだ!」


「訊いてみなきゃわかんねえだろうがよ! だいたい何が忙しいんだ、このあいだこっちに戻って来てから、何をしてんのかちっともよくわかんねえし!」


 遠くまでよく響く苛立った声には聞き覚えがあった。


 ラードルフが姿を現すと、青年たちと押し問答をしていた門番は姿勢を正し、敬礼の姿勢をとった。


「ラードルフ団長! ご足労をおかけして申し訳ございません」


「いや、構わない。それより、あまり大声で騒ぎ立てるな。いくら裏門とはいえ、騒げばそれだけ城内に不安を与える」


「……はい、気をつけます」


 厨房から走ってくるあいだに、苛立っていた気持ちが少し収まったようだ。

 逆立っている者のあいだに立つには、こちらまで苛立っていては話にならない。

 ラードルフはそう自分に言い聞かせながら、兵士に少し下がるように指示を出し、青年たちに向き合った。


「第一騎士団団長のラードルフ・ルーベンシュタットだ。お前たちは、カリーン村のオットーの弟子たちじゃないか?」


「そうです、ラードルフさん!」


 オットーの名前が出たことで、青年たちは落ち着きを取り戻したらしい。

 リーザが戻ってくる日にカリーン村を訪れたときのことを思い出しながら、ラードルフはひとりひとりの顔を見回した。


 オットーの野菜づくりに憧れて弟子入りのようにして仕事を手伝う青年が多くいる。

 ラードルフが収穫祭の話をしにオットーの元を訪れたときも、職人肌でしかめっ面をするオットーのまわりで、忙しそうに身体を動かす青年が何人もいた。


「ラードルフさん、俺たちはリーザさまに会いに来たんだ。頼む、ラードルフさん、俺たちをリーザさまに会わせてくれないか?」


「リーザ王女殿下は、今日は一日王城内で勉学に励まれる予定だ。残念だが、会うことはできない」


「そんな、頼むよラードルフさん! 俺たち、あんた以外に頼める相手がいないんだ」


「会ってどうしようというんだ? 王女殿下に何の用がある?」


「それは……」


「王城の表門ではなくて裏門に来たのは、お前たちなりに何か後ろめたい、周りに配慮をしなくてはならないような何かがあるからだろう」


「……」


「そんな何かを隠し持っている人間を、仮にも王立騎士団に身を置く俺が、はいはいと王女殿下にお目通りさせるとでも思うか?」


 ラードルフの冷静な、噛んで含めるような物言いに、青年たちは何も言い返さずにくちびるを噛んだ。


「……なぁ、ラードルフさん。リーザさまは、俺たちの王女さまなんだろ?」


「ああ、それはもちろん、そのとおりだが……」


「それなら、なんでリーザさまは、俺たちのつくった野菜を食べれてくれねえんだよ。なんで……なんでテオの料理を食べてくれなかったんだよ」


 吐き出すような青年の言葉に、ラードルフは眉をひそめた。

 危惧していた事態が、実際に起こってしまった。いったい誰が王女とテオのいきさつを漏らしたのか。


「俺たち、リーザさまがお帰りになるって聞いて、それで、すげーうれしくて……しかも、ホラントさんが、リーザさまが帰ってくる日の料理をテオに任せてくれたってことも、カリーン村のみんなで喜んだんだ。親方だってあんなだけど……ほら、ラードルフさんも知ってるだろ? 親方はテオのこと怒ってるけど、でも、内心絶対喜んでたはずなんだ。だから、俺たちがホラントさんに親方のつくった野菜をリーザさまにめいっぱい食べてもらえるようにお願いしたときも、親方はなんにも言わないでいてくれたんだ。なのに、なのに――」


「言いたいことはそれだけか、くそガキどもが」


 ラードルフよりもいっそう低い声がしたと思った途端、声の方へ振り向いた青年たちがラードルフの目の前で次々と勢いよく張り倒された。


 オットーだった。


 青年たちよりもずっと小柄だが、体躯はラードルフに劣らぬほどがっしりとしている。

 あの調子で日々青年たちを張り倒し、しごいているのだろう。


 オットーは顔色一つ変えず、倒れ込んだ青年たちを見下ろしている。


「お、親方……」


「ったく、おめぇら、ここをどこだと思ってやがんだ。カリーン村の広場じゃねぇんだぞ。アデル様のいらっしゃる、王城の前だ。仮にもカリーン村の男なら情けねぇツラをさらすんじゃねぇ」


 手を取り合って姿勢を起こす青年たちを放ったまま、オットーはかぶっていた帽子を脱いでラードルフに深々と頭を下げた。


「すみません、団長さん。うちのバカどもがご苦労をおかけしたようで……。どうか、ご勘弁願えませんか。あとで、きつく言っときますから」


「いや、それには及びません。彼らは十分にあなたからの制裁を受けているようだ」


 冷静な視線を心がけようとしても、さすがのラードルフも気の毒に思う気持ちを隠しきれずにいた。

 ようやく一人が立ち上がったばかりで、あとの数人は未だ地面に倒れ込んだままだ。

 騎士団の中でもこれほど厳しい鉄拳制裁はない。


「あんなの、いつもより生ぬるいくらいで……。本当に、お恥ずかしい限りです。自分たちのつくった野菜を食べてもらえなかったことを、他人のせいにするなんてもってのほかだ。だいたいテオに任せるっていうのもまだ早い話だったんです。まだあんな青二才では……。それを、リーザさまに責任転嫁するとは……」


「で、でも親方――」


「うるせぇ、黙ってろ!」


 オットーの一喝に、立ち上がったばかりの青年は再び顔を青褪めさせ、勢いに呑まれたように足元を頼りなげにふらつかせた。


「とにかく、団長さん。こいつらはワシが責任を持って引き取りますから、今日のところはどうか――」


 怒りを抑えながら低く話し続けていたオットーが、突然言葉を失ったように黙った。

 ラードルフは怪訝に思い、呆然とラードルフの後ろを見つめるオットーの視線をたどるように振り返った。


「……! 王女さま……!」

「……」


 ラードルフの声に、オットーの弟子たちも一様にリーザの方を向いた。

 その場にいる全員が声を失っていた。


 リーザは壁に隠れて様子をうかがっていたらしい。

 おずおずとこちらへ足を踏み出しやって来る。

 ラードルフはリーザに向き合った。できる限り穏やかに接したいと望んだが、叶わないことは目に見えていた。


「王女さま、部屋へお戻り頂くよう申し上げたはずです」


「……ごめんなさい。でも、私が引き起こしたことですから」


 ラードルフの咎めるような声音にも臆することなく言うと、リーザはオットーの方へと向き直った。


「あなたが、このあいだの野菜を作ってくださった方ですね」


「……そうです、リーザさま。カリーン村のオットー・ダールです。お目にかかれて光栄です」


「こちらこそ。私は、リーザ・エミーリエ・フォン・レーベンシアと申します」


 深々と頭を下げるオットーと同じくらいに丁寧にお辞儀をするリーザを、まわりは驚きの目で見つめた。

 現国王のアデルも、腰の低い、柔和な人柄で知られているが、その妹君とはいえリーザのこの振る舞いは丁寧に過ぎて、逆に王家の人間らしくないほどだ。


「おやめください、リーザさま。我々なんぞに頭を下げるのは」


「悪いことをしたら謝らなければいけないし、謝るときには頭を下げるものだと、修道院で教わりました。誰が相手であろうと、それは変わりません……違いますか?」


「リーザさまは、ご自身が我々に対して何か非礼な振る舞いをしたと仰るのですか?」


「ええ。その自覚はあります。しかも二つ。皆さんが作ってくださった野菜を食べなかったこと、それに……テオのこと。私は彼を本当に傷つけてしまいました」


 淡々と言うリーザを、ラードルフはちりちりと焦げていく感情を抱えたまま見ていた。

 王女の冷静さが、かえって恐ろしかった。


「田舎者の不躾な質問をお許しください、リーザさま。我々の作ったものの、どこがお気に召さなかったか、教えてくださいませんか」


「テオと同じことをお聞きになるんですね、お父さまは」


「……同じことを聞きましたか、あいつも」


「ええ。でも……私には、何もお答えすることはできません……」


 その答えを予期していたかのように、オットーはただ、そうですか、と言った。

 失望や諦めや、そういう感情ではなく、人生を長く見てきた者が持っている何もかもを了解しているときの含みを持たせた返答だった。


「わがままなんだろ……?」


「え?」


 後ろで地面に座り込む青年のひとりが呟いた言葉に、リーザもラードルフも、オットーも振り返った。


「村のみんなが噂してる……王女さまはすげーわがままで、自分の気に入ったものしか決して食べねーんだって。そのせいで、アントンさまにも嫌われて、だから修道院に入れられてたんだって……」


「おめぇらいい加減にしないか! リーザさまに対して自分がどんな口をきいていると思ってるんだ!」


 オットーが怒りのままに叱りつけるのにも屈せず、青年は怒鳴った。


「だって本当のことだろ!? それでテオだってお払い箱になったんだろ!? それに、今は違う料理人をはべらせてるんだって……ホラントさんとも違う……みんな知ってんだよ! どこが……何が、王女さまだ……グラールを支えてるのは俺たち農家だ……その農家を否定するような生き方してる王女さまになんて、おれたちの野菜なんて食べてもらいたくねーよ……帰って来なきゃよかったんだ! 俺たちの王女さまなんかじゃねーよ!」


 青年の最後の言い草に、ラードルフは強い気持ちを抑えていたたがを外した。


 言葉が過ぎる。


 王女がどれだけ苦しんでいるか、それも知らないで。


「お前たち――」


 青年たちを制止しようと、ラードルフは腕を伸ばした。


 その瞬間。


「やめてください!」


 怒鳴り合っていた青年たちとオットーが、悲鳴に近い声に動きを止めた。


 ラードルフは伸ばしていた手をそのままに振り返った。


 リーザが、真っすぐに自分を見ていた。


「ラードルフ、その手を下ろしてください。彼らは、私に危害を加えようと暴れているわけではありません」


「しかし……!」


「全部、本当のことですから」


 ラードルフの反論を遮って、リーザは言った。

 まるで胸の内を吐き出すかのように。


「自分が食べられるものしか食べないというのも、テオには私の食事をつくって頂いていないというのも、他の方にすべて料理をお任せしているというのも……お父さまに嫌われていたのも、そのせいで修道院に入っていたというのも、私がわがままだというのも。全部、本当のことですから」


 そう言うリーザを、誰もがしんと見つめていた。

 激昂していた青年も、口をつぐんでしまった。


 ふうと息を吐いて一度うつむいたリーザは、さっと顔を上げて皆を見回し言った。


「みなさん、今日はわざわざここまで出向いてくださって、ありがとうございました。……そして、ごめんなさい」


 くしゃくしゃっと笑っている……いや、笑おうとしているその表情が、ラードルフにはひどく、泣いているように見えた。



 ***



 足早にぱたぱたと歩くリーザをラードルフが同じように追いかける。


「――どうして何も言い返さないのですか?」 


 ついそう言ってしまってから、周りに目を向ける。

 遠くから回廊を歩く足音が響いてくるだけで、幸いにもあたりには誰もいなかった。


 ラードルフの呼びかけに足を止めたリーザは、ゆっくりと振り返った。


 うつむいてしまうかと思っていたが、そのまま視線をラードルフの方に向けている。


「王女さまはわがままで食事を召し上がらないわけではない。私はそれを存じております。あのように好き勝手に言われて、そのままでいらっしゃる理由などないではありませんか」


「自分が何をしているのかを考えれば、わがままだと思われても仕方がないと私も思います。それに、彼らが言っていることは本当のことでした」


「仕方がなくなどありません。それに、本当のことも何ひとつない」


「ラードルフ殿……あなたが王家に忠誠を誓って、そしてあなたの尊敬する兄の言いつけのために、私をかばってくださることは、本当に感謝しています」


 その続きをリーザは言わなかったが、飲み込まれた言葉や感情をラードルフは感じ取った。


 ごめんなさい、迷惑をかけて。


 彼女は自分が誰かにとって迷惑な存在なのだと、頑なに信じている。


 感謝していますという言葉に添えるように淡く微笑むリーザを笑みを、ラードルフはじっと見つめて言った。


「なぜ、そんなふうに笑うのですか」


 え、という形をリーザのくちびるが象った。


「どうして、無理をするように笑うのですか……俺はそれが気に入らない」


 口にしてしまって初めて気づく。


 ちりちりと焦げつくように苛立ちが募るのは、王女の笑顔を知っているから。

 その笑顔を、自分自身で封じてしまっているから。


 ――とても、おいしいです。


 出会いの夜、そう言って笑ってみせたあの曇りのない笑顔を、もう一度見たいだけなのだと。

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