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10.かぼちゃのポタージュスープ

 王城に帰って来て三日目の朝。


 リーザが目覚めると、身体中の軽い痛みは収まっていた。

 袖まくりをすると薄い青あざができている。椅子から落ちて床に身体をうちつけたときにできたもののようだ。

 もしかしたら、昨夜感じた身体の痛みは、疲れなどではなくて物理的な原因だったのかもしれない。

 だとすれば、あのときの食べ物は、熱も湿疹も、よくわからない残像も残さず、ただ真っ暗な闇で自分を押しつぶそうとしていたのだ。


 こんなことは初めてだ。


 考え続けようとしたがあまりに恐ろしく、リーザは首を振って頭にぼやっと残っている闇を振り払った。


 リーザはうんと伸びをする。

 おなかがすいているようだ。

 しかし、昨日の今日……いや、一昨日の昨日の今日と思うと、このまま朝食の席につくのがひどくためらわれる。

 申し訳なさと、恐ろしさの、ふたつの理由から。

 だいたい、二度あることは三度あると昔から言うことだし。


 扉を軽くノックする音がして、続けざまにマルグレートの声がした。


「おはよう、リーザ。気分はいかがですか」


「大丈夫です、お姉さま。本当に、申し訳ありません。帰って来て早々……」


「いいのですよ、リーザ。いきなり環境が変わって、疲れているのでしょう。本当ならば一日ゆっくりしていてほしいところなのですが、王家の人間であればそうとばかりは言っていられません……わかりますね、リーザ」


 マルグレートの言葉に、リーザは頷いた。


「さあ、朝食に行きましょう。陛下がお待ちです。昔であれば『朝餐の儀』などと呼ばれていて、王のなすべき儀式のひとつだったといいます。普段の食事が王家の私的な場になって久しいとは言え、その席に出れないとなると、皆が心配しますわ……さあ、支度をしましょう」


 そう促すマルグレートの声がどことなしに明るいことに気づいて、リーザは内心首を傾げた。



 ***



「おはようございます、王女殿下」


 部屋へ入ると同時にリーザを呼ぶ声がした。


 振り向くと、ホラントが昨日と同じように朝食ののったワゴンと共に立っていた。


「ホラント……おはよう。あの、ホラント、昨日はごめんなさい。せっかく作ってくれたサンドウィッチだったのに……それに、テオのことも……」


「王女殿下、お気遣いありがとうございます。テオのことも。きっといつか、お互いにわかり合えるときがきます。どうぞお気になさらずに。さあ、テーブルへどうぞ。アデル様がお待ちです」


 そう言われて、うつむきがちな顔をそっと上げる。

 うまく笑えなくても、せめて顔を上げていよう。


 ――お気になさらずに。


 それがいちばん難しいことだと、きっと誰もが知っている。


 アデルは先に席に着いていた。

 リーザが椅子に腰掛けると、アデルがおはようの挨拶と共に言った。


「今日は、食べやすいようにスープをメインにしていただいたのですよ。栄養もとれるでしょうし、身体も温まって、よいことだらけです」


 同じように席に着いたマルグレートが同意するように頷いている。

 アデルの声を合図に、給仕をする侍女がリーザの前に皿を持って来た。

 正式な晩餐会で出されるような真っ白のスープ皿ではなく、小さくまるまった取っ手付きの茶色いカップだった。

 まるで、眠れない冬の夜に毛布にくるまってあたたかいミルクを飲むときに使うようなカップ。


 その中に、優しい黄色のスープが入っている。


 湯気と一緒に匂ってくる、これは……


「かぼちゃ?」


「はい、王女殿下。それから、上にのっているのはパセリです」


 いつのまにか側に来ていたホラントが、パン皿を置きながら言った。

 彼が言うように、黄色の上にはあざやかな緑色が散っている。


 かぼちゃのポタージュスープ。


 リーザは最初の晩の食事を思い出した。あのときもスープはかぼちゃだった。季節だからだろう。

 グラール国は農業国だ。

 肥沃な大地と豊かな水源。

 また今年も実りの季節がめぐってきているのだ。


 リーザはそっと身構えた。身体に不自然に力が入る。

 しかし、あのときも同じかぼちゃのポタージュスープだったはずなのに、今はあの夜のような不安な気持ちを感じない。


 なぜ?


「では、頂きましょうか」


 アデルが両手を組むのにリーザも慌ててならった。


「すべての命に感謝を。大地に祈りを。どうか光あらんことを」


 アデルの祈りの言葉に続けて同じように唱える。

 そうする胸の内で、リーザは自分がいつもしている祈りの言葉を素早く呟く。

 皆が唱える祈りの言葉よりも、リーザが唱えることにしているそれはずっと長いからだ。


 アデルとマルグレートが祈りを終えてスープに口をつけたのを見て、リーザもおそるおそるスプーンを手にした。

 スープをすくうと、あの夜ほどはとろりとしていない。さらさらとしたすくい心地だ。木でできた滑らかなスプーンの柄に安心感をおぼえ、それに背を押されるようにスープを口に運んだ。


 ひとくち。


 覚悟していた痛みや暗闇が訪れるのを少しのあいだ待っていた。


 しかし、訪れない。


 もうひとくち。

 そして、もうひとくち。


「……おいしい」


 うめく代わりに呟かれたその言葉に、誰よりもリーザ自身が驚いていた。

 手の震えも、悲しい声の木霊も、息が苦しくなるほどの暗闇もなかった。


 ああ、食べられる、これなら。


 さらさらとしているのはミルクの割合が前より多いかららしい。

 かぼちゃとミルクの混ざったなめらかでやわらかい甘さに感覚をまかせているリーザに、傍近くに控えていたホラントが言った。


「どうですか、王女殿下。これなら、食べられそうですか?」


「……はい。とても、おいしいです」


 素直にそう言うと、ホラントは笑って言った。


「そうですか、それはよかった」


「でも、どうして、このスープ……最初の夜にも頂いたものなのに……」


 リーザの疑問の意味を察したのか、アデルが言った。


「何が違うのか、と言いたいのですね?」


 リーザが頷くと、アデルは少し困ったように笑っている。


「ホラント、今日の料理人を呼んでください」


「はい、アデル様。仰せのままに」


 そう言って、ホラントは扉の向こうへ消えた。


 今日の料理人、とアデルは言った。

 ということは、ホラントが朝食を整えたわけではないようだ。


 ホラントの消えた扉を注視していると、やがてノックの音がして、扉が開かれた。


「王女殿下。こちらが、本日の朝食を担当した料理人でございます」


 ホラントが伴って来た人の姿に、リーザは目を見開いた。

 その男は左ひざをついて頭を垂れる。


「ラードルフ・ルーベンシュタット、ご命令に従い、おそばに参りました」

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