第8話:崩壊する大極殿
「……ナギ、まだ戻らないの?」
天層、第一次大極殿の管制センター。サキ・ミナモトの声は、絶え間ない震動によって細かく震えていた。彼女の目の前のモニターには、地下で眠り続ける九条ナギのバイタルサインが、かろうじて彼が「人間」であることを示している。しかし、その意識は大仏の広大な演算領域に溶け込んだままだ。
「サキさん、感傷に浸ってる暇はねえ! 敵の第一波、来るぞ!」
ハヤトの怒号が通信機越しに響く。彼は地上階で大破した「金剛」から、ネオ・ベイの制式重機「海神」へと乗り換えていた。かつての仲間たちが、今やこの都を滅ぼそうとする敵として、生駒の壁を越えてくる。
「ネオ・ベイ全艦隊より、最終通告を受信。『エネルギー兵器・大仏の即時放棄と、九条ナギの身渡しを要求する』……。拒否すれば、大極殿を直接狙い打つと」
サキは、唇を噛み切るほど強く結んだ。
「……そんなこと、できるはずがないわ。ナギを渡せば、この都の心臓を差し出すのと同じ。ハヤト、迎撃態勢を。大極殿の『柔の構造』プロトコルを起動します」
その瞬間、生駒の稜線が爆発した。
『リヴァイアサン』から放たれた高出力の収束レーザーが、新都の防衛シールドを紙細工のように切り裂く。衝撃波が、高さ一キロメートルの塔を根底から揺さぶった。
「――ッ!!」
サキの体が宙を舞い、大理石の床に叩きつけられる。警報音が悲鳴のように鳴り響き、復元されたばかりの大極殿の朱塗りの柱が、凄まじい圧力で軋み始めた。
「ハヤト! シールドの出力が足りない! このままだと、次の射撃で天層が物理的に切断されるわ!」
『分かってる! だが、地上の防衛ラインも限界だ! ナノマシンの霧じゃない、本物のミサイルが雨あられと降ってきてやがる!』
ハヤトの叫びの背後で、激しい爆発音が重なる。彼は、かつて自分が信じた「海の自由」が、これほどまでに無慈悲な破壊の刃として親友に向けられていることに、激しい嫌悪と憤りを感じていた。
「ナギ! 起きろ! お前の造ったこのデカい柱が、折れようとしてるんだぞ!」
ハヤトの咆哮が届いたのか、地下のナギの脳波が、一瞬だけ鋭いスパイクを描いた。
大仏の精神世界――そこは、無限に広がる金色の幾何学模様と、過去二千年の嘆きが渦巻く深淵だった。
ナギの意識は、情報の濁流に呑まれ、自分が「九条ナギ」であることさえ忘れかけていた。
『……壊せ。壊してしまえ。そうすれば、お前は自由になれる』
長屋王の、あるいは名もなき敗者たちの囁きが、ナギの魂を暗闇へと誘う。
だがその時、暗闇を切り裂いて、一筋の「熱」が届いた。
それは、ハヤトの怒りの咆哮であり、サキが端末を叩く指の震えだった。そして、自分たちを信じてこの都に移り住んだ、十万人の市民たちの、微かな、だが確かな鼓動。
(……まだ、折らせるわけにはいかない)
ナギの意識が、大仏の演算資源を強引に掌握し、現実世界へと手を伸ばした。
「サキ、聞こえるか」
ノイズ混じりのスピーカーから、聞き慣れた、だがどこか人間離れした響きを持つ声が流れた。
「ナギ!? 戻ったの!?」
「……完全じゃない。意識の半分はまだ回路側だ。サキ、今すぐ大極殿の『九条プロトコル・八五五』を実行してくれ」
サキの指が止まった。「八五五」。それはプロローグの年表にあった、地震によって大仏の首が落ちた年。
「まさか……天層を切り離すつもり? この大極殿を、重りとして捨てるっていうの!?」
「そうだ。このままじゃ塔全体が共振して崩壊する。大極殿を物理的に排除し、その質量を『リヴァイアサン』の射線上に叩き込む。……サキ、君を今すぐ人層(中層)へ転送する。急いでくれ!」
「でも、ナギ! あなたは!? 地下の制御ユニットは、大極殿が切り離されたら衝撃で――」
「信じてくれ、サキ。僕は……この街そのものになったんだ。骨組みの一本一本が、僕の神経だ。……だから、君は生きて、次の歴史を記録してくれ」
大極殿が、凄まじい音を立てて分離を開始した。
一キロメートルの高空で、黄金に輝く空中宮殿が、ゆっくりと、だが確実に崩落を始める。それは、かつて八五五年に大仏の首が落ちた悲劇の再来ではなく、都の基部(人層)を守るための、誇り高き「自己犠牲」の機動だった。
「ナギィィィィーッ!!」
地上のハヤトが絶叫する中、崩壊する大極殿が巨大な「盾」となり、ネオ・ベイの第二射を受け止めた。
白銀の光と黄金の瓦礫が空中で激突し、奈良盆地の夜空に、二千年前の火災をも凌ぐほどの大火球が咲き誇った。
瓦礫の雨が降る中、大仏の本体は、その心臓部である地下ユニットを死守していた。
だが、その代償として、天層という「頭脳」を失った新都は、沈黙に包まれた。
サキは、中層居住区の広場で、降り注ぐ火の粉を見上げながら膝をついた。
彼女の手元にある端末には、ナギのバイタルサインが――消え入りそうな、だが、消えてはいない微弱な光として灯り続けていた。
「……私たちは、まだ、ここにいる」
復興のシンボルであった大極殿は失われた。
しかし、その崩壊こそが、平城京が「生きた都」として真に覚醒するための、最後の一片となることを、まだ誰も知らなかった。




