表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二七一〇年 平城京遷都  作者: 羽越世雌
10/12

第9話:万葉の祈り

都市を支えていた電力網は寸断され、人層(中層居住区)は冷酷な静寂に包まれていた。非常用の燐光灯が頼りなく通路を照らす中、瓦礫の雨を避けて身を寄せ合う市民たちの顔には、色濃い絶望が張り付いている。


「……ナギ、聞こえる? まだ、そこにいるのね」


サキ・ミナモトは、中層居住区の広場に設置された、唯一生き残っている「非常用物理広報ライン」のコンソールの前に立っていた。彼女の髪は乱れ、額からは一筋の血が流れているが、その瞳だけは、暗闇の中で水晶のように透き通っていた。


彼女の手元のモニターには、地下三千メートルで混濁の海に沈んでいるナギの波形が、今にも消えそうなノイズとして表示されている。大仏のシステムは天層という「脳」を失い、ナギの意識は、膨大な過去の怨念の残滓に引き摺り込まれようとしていた。


サキは、深く息を吸い込んだ。そして、冷徹な管理者としてではなく、一人の「語り部」として、マイクを握りしめた。


「市民の皆さん。……そして、私の大切な友人たちへ」


彼女の声が、静まり返った居住区のスピーカーから、ざらついた音で流れ出した。


「私たちは、たった今、自分たちの誇りであった大極殿を失いました。……ですが、私たちがここに集まったのは、建物を作るためではありません。二千年前、この地を都と定めた人々も、瓦礫の中で再建を誓った人々も、同じものを見ていました。……それは、この土地への、消えない愛着です」


サキは、手元の古びた木簡の写しをなぞった。


「『初春はつはる令月れいげつにして、かぜやわらぎ……』。かつての先人たちは、冬の凍てつく寒さの中でも、梅の花が綻ぶ気配の中に希望を見出しました。厳しい震災を乗り越え、この盆地に芽吹く命を信じ、歌を詠み、心を繋いできた。……今、皆さんが抱いている『怖い』という気持ち、『生きたい』という願い。それは、二千年前から一度も途切れたことのない、この国の鼓動そのものなんです」


彼女の言葉は、単なる演説を超えていた。大仏の残存回路が、サキの発する言葉の「響き」をキャリア(搬送波)として、全市民のデバイス、そして彼ら自身の微弱な脳波へと干渉を始めた。


「お願いです。隣にいる人の手を握ってください。その温もりを、地下で戦い続けている一人の青年に届けてほしい。……私たちは、過去に捕らわれているのではありません。過去を愛し、共に生きることでしか、辿り着けない未来があるんです」


その時、地上階の朱雀大路。

ハヤトは、ネオ・ベイ(海上連合)の猛攻を一身に浴びていた。彼の駆る「海神トリトン」は、もはや機体としての原形を留めていなかった。装甲は剥がれ、右腕のレーザー砲は融解している。


それでもハヤトは、居住区の入り口を塞ぐように、その鉄の巨体を盾として晒し続けていた。


『ハヤト! 撤退しろ! リヴァイアサンの次弾が来る! お前一人で受け止められる出力じゃない!』


かつての部下からの、警告とも悲鳴ともつかぬ通信が入る。だがハヤトは、血の混じった唾を吐き捨て、操縦桿を強く握り直した。


「……バカ野郎。俺は海にいた頃、自由っていうのは、どこにも繋がっていないことだと思ってた。だがよ……アイツらを見てると、思い出すんだ。繋がっているからこそ、踏ん張れるってことをな!」


ハヤトの視線の先には、サキの演説に応え、互いの手を握り合い、祈るように目を閉じる避難民たちの姿があった。彼が守っているのは、ただの土地ではない。ナギがその魂を削って作り上げた、「人と人が繋がれる場所」なのだ。


「自由なんて、どこにいたって手に入る。だが『故郷』は、ここで俺が踏ん張らなきゃ、二度と戻ってこねえんだよ!」


ハヤトの叫びと、サキの語りかける歌が、量子的な共鳴を起こし始めた。


地下三千メートル。

暗闇の深淵に沈んでいたナギの意識に、数千、数万、そして十万の「熱」が届いた。

それは、かつての怨霊たちが放つ冷たい殺意を、春の陽だまりのように溶かしていく優しい波動だった。


「……暖かいな」


ナギの閉じていた意識が、十万人の「生きたい」という波形によって繋ぎ止められた。それは、どんな精緻な量子コードよりも強固な、魂のアンカー(錨)だった。


市民たちの祈りが、バイオ・フィードバックとなって大仏の回路を駆け巡る。

沈黙していた地殻アンカーが、再び脈動を始めた。


「サキ……ハヤト……みんな」


ナギは大仏の心臓部で、ゆっくりと目を見開いた。

その瞬間、漆黒の闇に包まれていた平城京の全階層から、微かな光が溢れ出した。

それは、これまでのような冷徹な白銀の光ではない。


かつての万葉の民が愛でた、梅や桜の蕾が綻ぶような――淡く、柔らかな薄紅色の光。


「見て……大仏が、微笑んでいるみたいだ」


広場で手を握り合っていた子供が、空を見上げて呟いた。

地表の遺構保護区から、天へと向かって、光の花弁のような粒子が舞い上がる。それは破壊された大極殿の瓦礫さえも包み込み、怒り狂う大気を鎮めていった。


「心のネットワーク」が、ついに物理的な世界を塗り替えようとしていた。

リヴァイアサンの主砲が放つ死の輝きを、この「薄紅色の祈り」が受け止める準備は、今、整った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ