ACT-134『知りたくなかった現実』
何故、澪は自らカバルス王の許に留まるのか。
それは、ひとえに“ウィッシュリング”を得ることが目的だからだ。
中庭に建てられた王専用の離れ、その寝室内に設置された小さなガラス製のショーケース内に収められたウィッシュリングは、いつでも手に取れそうな程近くに存在する。
だが、それを奪い取る事は困難だ。
ショーケースには魔法が掛けられており、開けるのも困難、開けたとしてもすぐに護衛兵達に通報されてしまうという“セキュリティ”まで仕掛けられている。
それは、駆け出しの魔導士である澪ですら、容易に判断出来た。
カバルスが寝付いている間に、隙を見て魔法を解除する事も考えたが、当の本人は通常ではありえない程の持久力を誇っており、何度絶頂に至っても萎えることを知らない。
その絶倫ぶりは卓也をも越えかねない程で、少しでも時間があれば澪の身体を求めて来る。
初めの頃は、あらゆる性のテクニックを駆使して早めに終わらせようとも考えていたのだが、それが徒労に終わるだけと察した後は、もはや無感情に命ぜられるまま奉仕を繰り返すだけとなった。
時折発生する、自身の身体の異変も意識しながら。
今の澪は、カバルスという“絶大なる性欲王”の性処理係であり、それが正妻としての最も重要な任務となっている。
(どうしよう、あんなにすぐ傍にあるのに、いつまで経ってもウィッシュリングが手に入れられない……。
あれさえ手に入れば、もうここに居る必要なんてないのに!)
この世界から脱出することが、卓也達はしまきの最終目的。
しかし、異常な程持久力が向上してしまった卓也は、もうこれまでのような条件で世界移動を行うことは出来なくなった。
彼らがこの世界から脱出するには、卓也が死にかける程の大ピンチに晒されるしかない。
しかしそれは、一歩間違えたら卓也が死んでしまう可能性もあり、賢明な手段でとは言えない。
それに、ジャネットやテツらと共に脱出出来ない可能性も高まる。
だがもし、ウィッシュリングの「何でも願い事を叶える力」があれば――
澪は、卓也とジャネット、テツをこの世界から無事に脱出させるため、あえて自身を貶めてまでカバルスに近付いたのだ。
「カバルス様。
いつになったら、あのウィッシュリングをお授け戴けるのでしょうか?」
事後のピロートーク、澪は思い切って尋ねてみる。
カバルスは、薄暗がりでもわかるくらいハッキリと嫌そうな顔をした。
「何のことだ?」
「あなたの許に来れば、あのリングをお授け戴けるというお約束でした。
ですから、ボクは――」
「何を言う?
お前はもはや私の妻ではないか」
「え?」
「お前はもう、冒険者ではない。
正統な、王家の一員なのだ。
この国の最高権力者である、この私の妻だからな」
「申し訳ありません、仰っている意味が」
「王家の一員となったお前は、どんな願いでも叶う。
もはやウィッシュリングなど不要であろう」
「は……?」
カバルスの言っている意味が全く理解出来ず、更に困惑する。
「それは、約束を反故にするという意味でしょうか?」
「そうではない」
まだ性欲が絶えないのか、再び澪の身体に手を伸ばしてくる。
優しく摘まみ上げられ、一瞬身体に電気が走る。
「お前はもう、この国のあらゆるものを手にすることが出来る立場、ということだ。
故に、あのような冒険者を吊るための餌などに、執着する必要はない筈だ」
「吊る……餌?
お待ちください、それってまさか――」
顔を紅潮させながらも、必死で意識を繋ぎ止め、尋ねる。
しかしカバルスは、愛撫を止めようとせずにじっと澪の顔を見つめて来る。
徐々に昇りつめてくる感覚に戸惑いながら、訴えかけるように目線を向けた。
「そうだ、あれはもはやウィッシュリングではない」
「……!!」
「無論、全く無価値というわけではないぞ?
世界中でも非常に希少で価値の高い高カラットの指輪だ。
それは結婚指輪としてお前に与えようではないか」
「そ、そんな!!
じゃあ、ウィッシュリングの話は、はじめから嘘だったのですか?!
――あっ! ……あ、あぅんっ……っ!!」
堪え切れず、身体を小刻みに震わせながら、王の手を汚す。
それを満足そうに眺めると、カバルスは白濁に塗れた指を澪の口許に寄せた。
「綺麗にしろ」
「は、はい……」
「全てが嘘という訳ではない。
確かに、この王城には永く伝えられているウィッシュリングは存在した」
「存在……“した”?」
「うむ、だが今はもう、その力を失って久しい。
我が王家の家宝ウィッシュリングは、遥か昔、三国間での戦争が続いていた時代にその力が用いられたと言われている。
その結果得られたものが、恒久的ともいえる休戦状態だ」
「そ、そんな!」
「何を残念がる必要がある?
お前はこれからいくらでも、好きな事を叶えて行けるのだぞ?
私が保証しよう。
――その代わり、死ぬまで私の命令に従い、私を愉しませる事に尽力するのだ」
カバルスの指が、澪の唇に押し付けられる。
観念して、舌を伸ばして指をしゃぶる。
ぺちゃ……ぴちゃ……という水音が、静かに鳴り響いた。
(そんな……それじゃあ、ボクは、ボクは今まで何の為に……)
再び、背中に熱い迸りが駆け抜ける。
これまでにも何度か起き、その度に必死で抑え込んでいた何かが、堪え切れない程の勢いで膨らんでいくのを感じる。
だがその時、突然寝室のドアが激しくノックされた。
恍惚状態から、現実に引き戻される。
「なんだ、こんな時に?!」
カバルスの怒りの声に、ドアの向こうから従者の返事が聞こえる。
『お、お休みのところ誠に申し訳ございません!
じ、実は、大変な事態が起きてしまいまして!!』
「だからなんだ! 用件を言え! そこでな!!」
一糸まとわぬ状態で絡み合っている二人の場に、従者を入らせる気はないらしい。
澪は少しだけホッとしたものの、何事かと従者の声に耳を傾けた。
『実は、はしまきを名乗るパーティが、カバルス様に謁見を求めて王城内に!!』
「卓也が?!」
澪は、思わず歓声を上げてしまった。
■□ 押しかけメイドが男の娘だった件 □■
ACT-134『知りたくなかった現実』
『うへぇ……ぐったりぃ~』
「リっち、良くやったですわ♪
まさか本当に成功するなんて!」
「すっげぇなあ……念力? だけでこんな遠くまで飛ばせちゃうなんてよぉ」
「ああ、本当に驚いた!
リっちが居てくれたら、俺達全員揃ってテレポート移動出来るんだなぁ」
『じ、冗談じゃないよ!
こちとら、念力集中ピキピキドカンするのに一時間もかかったんだぞ!
しかも、もう何も出来ないくらいへとへとだぁ~!』
「あ、ま、まあ確かに、頻繁に使えないことは良くわかった」
『全く何処の誰だよぉ、こんな激疲れるようなことを二連発でやってのけた奴はよぉ』
「はいはい、私の胸の谷間に入れてあげるから、もう愚痴らない愚痴らない」
『うひょほぉぉぉ~~♪♪ さささ、最高じゃないですのほぉぉぉぉ~~♪』
(( くっそ羨ましいじゃねぁかよ……このガイコツ野郎~!! ))
その後、リっちは念力で“ワープ”を敢行し、卓也達をイセカスまで飛ばす事に成功した。
ただし彼ほどの絶大な力の持ち主でも、一度行うとしばらく行動不能に陥る程の集中力が必要になる。
掌サイズのマスコットみたいな姿になったリっちを胸に挟みながら、ジャネットは周囲の様子を確認する。
大勢の兵士達が、あらゆるところから自分達を監視しているのがわかる。
彼らが押し寄せて来る様子はなさそうだが、迂闊な行動は出来そうにない。
時刻は、明け方。
謁見を申し込むには明らかに非常識な時刻だが、これには卓也達の思惑が絡んでいた。
十数分程の間を置き、謁見の間への移動が許される。
卓也達三人と一個は、武装した兵士達に取り囲まれながら、ゆっくりと廊下を進んでいく。
『いいかい皆。
あーしを倒したという事は、カバルス王にとって間違いなく朗報になる筈だ。
多少無茶なタイミングでも、申し込めば必ず謁見しない訳には行かなくなる。
カバルスの質問攻めに遭うだろうが、そこは適当に答えて、とにかく越境の認可を貰うんだ。
――本番は、そこからだぜぇ』
事前にリっちから伝えられた作戦を、頭の中で反芻する。
そう、今回の主目的は、ただ越境の許可を貰うことではない。
(ねえ、卓也?)
不意に、ジャネットが囁き声で呼びかけて来る。
(ん、どうした?)
(なんかお城の中、雰囲気が変じゃありませんこと?)
(え、そうかなあ?)
(何というか……甘ったるい雰囲気が漂っているというか、うっすらとピンクがかってるような)
(わ、わからない……)
「おいお前達! 何をこそこそ話しておるか!
とっとと歩け!」
まるで囚人護送でもしているような態度で、後ろの兵士が怒鳴りつけて来る。
一瞬睨みつけようとするが、ジャネットの胸元のマスコットが小さく首を振っているのに気付き、抑える。
卓也は、ジャネットに言われた事を意識しつつ進んだが、とうとう変化に気付くことはなかった。
謁見の間に辿り着くと、玉座には既にカバルスが座っていた。
そしてその横の、少し小さな玉座には、白いロングドレスをまとった女性が座っている。
それが澪だと気付くのに、若干の時間を要した。
(み、澪?!)
卓也は、一目で彼の異変に気付いた。
否、むしろ“それ”に気付いたからこそ、白いドレスの人物が澪だと咄嗟に判別出来なかったのだ。
黒い髪は以前より長く伸び、足首に届かんとするくらいになっている。
そして肌の色は以前より活き活きとしており、ほのかにピンク色に火照っている。
表情はしおらしく、それでいて以前とは違う妖艶な美しさを感じさせる。
(あれは、本当に澪なのか?!
なんだか別人のようだが……いや、それよりも)
卓也の目線は、続けてカバルスに向けられる。
そこで、一瞬表情が強張った。
カバルスの顔は、ついこの前渡り廊下で見た時と比べ、明らかに痩せ衰えていた。
顔色は青白く、肌からは張りが消え、逞しさを感じさせた体躯は元気を失い、まるで一気にニ十歳程老けてしまったように見える。
髪の色も白いものがいくらか混じり、前のような黒々とした状態から、ややグレーがかった色味になっている。
その様相は、まるで澪と正反対だ。
(いったい何があったんだ?!
この急激な衰えよう、ただ事じゃないぞ?!)
どうやら、ジャネットやテツもカバルスの変化に気付いたようで、表情で訴えかけている。
跪き、反応を待っていると、カバルスは以前とうって変わって元気のない声で話しかけて来た。
「指名手配されているお前達と、あえて謁見の場を設けるこの意味が、分かっておるか?」
質問は、卓也に向けられている。
ぐつぐつと煮え滾るような感情を必死で抑えながら、卓也は出来るだけ冷静に答えた。
「はい、私達の報告をお聞き下さり、恐悦至極に存じます」
「フン。
それで、国境の魔物を倒したというのは誠か?」
「はい、先程証拠の品を提出しております」
その返答に合わせ、兵士の一人がリっちの着ていたローブのフード部分を運んで来る。
カバルスの脇に立っていた二人の魔導士風の男達がそれを受け取ると、何やら魔法を用いて調査をし始めた。
「――これは間違いないかと」
「百年前、魔導士ギルドより配給されたエンシェントローブに相違ありますまい。
それをまとっていた者は……」
「そうか、どうやら嘘偽りはないようだな」
どこか面白くなさそうな態度で、破られたフードを乱暴に掴む。
その様子を、横に座る澪が横目で眺めている。
彼の視線が動き、卓也に向けられる。
だが、それをまともに受け止める気持ちが持てず、卓也は無意識に視線を逸らした。
「やむを得んな、それではお前達はしまきに、越境の許可証を与えよう。
国境を警備する兵士団にそれを見せれば、通過することが出来る筈だ」
「ありがとうございます」
かろうじて、精一杯の我慢で、それだけ口にする。
だが卓也の本心は、今にもカバルスに向けてPDを撃ち込んでやりたい気持ちで一杯だった。
「それで、ダークリベンジャーはどうしたのだ?」
第一の関門は、ここだ。
事前に皆で相談し、王の質問に対する回答を準備している。
卓也は、一瞬考え込む素振りを見せ、はっきりと述べた。
「私共は、彼らを直接見てはおりません。
しかし、闇道士と闘っている最中、奴は彼らを葬ったらしき事を述べておりました」
「なんと! ダークリベンジャーは敗北したと申すか?!」
「闇道士の言う事が事実であれば」
この回答は、ある意味賭けだ。
卓也達は、レンのことが大嫌いではあるが、かといって死んでしまえばいいとまでは思わない。
彼らがここで死んだと認定されれば、少なくとも王家からのマークは外れる筈だ。
卓也は、彼らがもうここへは戻らないという選択をした前提で、尚且つ彼らが処刑対象にならないだろう報告を行ったつもりだ。
(さ~て、王様はどう出るか)
反応を期待するが、カバルスは魔導士達と何やらひそひそと話し始めた。
「話はわかった。
許可証は後日ギルドを経由して渡すので、お前達はイセカスでしばらく待機するが良かろう」
(あ~、やっぱり日を跨ぐかぁ)
卓也は、そして他の二人も、心の中で舌打ちした。
想定内ではあったものの、待機を指示されるとなると、行動に制約が発生する。
そしてここからが、第二の関門。
卓也は目配せして、ジャネットにバトンタッチした。
「カバルス様、大変恐縮ではございますが、最後に澪……いえ、お妃様とお話をさせて戴けないでしょうか」
カバルスの目が、ギョロリとジャネットを睨む。
その異様な迫力の視線に耐えながら、ジャネットは深々と頭を下げた。
「ふん……本来であれば、もうお前達などが話せる身分ではないが。
国境の魔物を倒した功績もある。
特別に、最後の会話くらい許してやろう」
意外にも、カバルスはあっさりと許可を出して来た。
だが、ジャネットを指差しながら
「その代わり、話せるのはお前だけだ。
男共はそのまま待機せよ」
と付け加える。
(うぐ……! やはりそう来たか)
澪と会話させないだろう事は予測していたが、実際にその通りになるとやはり腹立たしい。
卓也はぐっと我慢しながら、後の展開をジャネットに委ねることにした。
カバルスに促され、澪が玉座から立ち上がり、はしまき一行から少し離れた所まで近付く。
とても悲し気でせつなそうな表情の彼は、やはりどこか別人のような雰囲気を漂わせる。
ジャネットは、息を呑むとそっと澪に近付き、話しかけた。
(随分と雰囲気が変わったものね)
(ジャネット……ごめんなさい、こんな事になって)
(それはもういいですわ。
それよりあなた、ウィッシュリングはどうなったんですの?)
(そ、それが……)
澪は、カバルスから言われた事を簡潔に伝える。
かろうじて表情や態度に出さなかったものの、やはりジャネットにとっても衝撃は大きかった。
(それじゃあ、あなたがここに来た意味がないじゃないですの!)
(うん、それに……ボクは卓也を裏切ってしまったわ。
もう、皆の所には戻れない……)
(うん、でも、その情報が聞けただけで大収穫ですわ。
待ってなさいね、澪)
(ジャネット……?)
「話はそこまでだ。
二人とも、離れて戻れ」
「……」
僅か一分にも満たない時間で、会話は打ち切られてしまう。
その後、冒険者ギルドを通じて改めて許可証を渡すということになり、謁見は終了となった。
再び大勢の兵士に囲まれ、退城を促される。
卓也と澪の視線が絡み合うことは、とうとう一度もなかった。
一時間後、ようやく空が明るくなり、街に人々の姿が見え始める頃。
はしまき一行は、ようやく肩の力を抜いて息を吐いた。
冒険者ギルドに赴いたはしまき達を、カインはとても心配そうに、それでいて何処かよそよそよく迎え入れた。
簡単に事情を話すと、彼はすぐに最高級の宿屋を手配してくれた。
最初はびっくりしたが、自分達がSSSランクの待遇だったことを思い出し、あえて遠慮なく、そしてありがたく受けることにした。
ついでに、ジャネットは移動用の馬車の手配までちゃっかり済ませてしまった。
「さて、後は許可証が届くのを待つだけだが」
「ホホホホ♪ さすがはイセカス最高のお部屋ですわね♪
ちょっとしたスイートルーム並じゃないですのぉ♪
お風呂も大きくて最高ですわぁ☆」
「ジャネットは呑気でいいなあ」
『じゃあ、あーしは姉さんと同室ということで』
「何言ってんですの、このガイコツ!!
あんたは野郎共と枕並べて寝るんですのよ!」
『ひいい、汗臭いのいやぁ』
「えらい言われようだなぁ」
「俺らだって、屍臭ぇのは嫌だぜ」
『大丈夫だよ、もうすっかり乾いてるからそんなに匂わないって』
「否定しねぇのかよ!」
宿屋というより、もはやホテルというレベルの高級な部屋をあてがわれたはしまき一行は、そのまま二日間も待機させられることになる。
その間、誰も宿から出る事は出来ない。
ジャネットは、早速澪との会話の内容を伝えた。
ウィッシュリングは、冒険者を吊る為のただの餌。
この時点で、卓也が考えていた「願い事を叶えてもらってこの世界から脱出」という策は、完全に途絶えた事を意味する。
「くっそぉ! ぬか喜びさせやがってぇ! あのクソ王!!」
思わず怒りに任せて叫ぶ卓也に、ジャネットが人差し指を口許に立てて制止する。
「どう、やっぱり監視されてる?」
「いるっすねぇ。
ほら、あそこに居る果物売り。
あいつは盗賊ギルドから派遣された監視役ですわ」
窓の隙間から外を覗きながら、テツが状況を報告する。
「今は、迂闊なことを言わない方がいいですわ」
「そ、そうだった。ごめんつい」
やはり指名手配されただけあって、越境許可を出しはしたものの監視体制だけは崩す気がないらしい。
これでは、迂闊にグルドマックやトレモロに逢いに行くことも出来ない。
否、それどころかこの後の作戦実行すら難しい。
状況を把握した四人は、改めて今後の方針を相談し始めた。
目的は、澪の奪還。
当初はウィッシュリングも奪う目論みだったが、期待が持てなくなった以上、目的は一つに絞られる。
だが問題は、王城への再潜入の方法だ。
監視役は相変わらずホテルに貼り付いており、相変わらず容易に外出は出来なさそうだ。
だがそんな中、新人メンバー・リっちが真っ先に挙手した。
『とっかかりは、あーしに任せておくんなさいな』
「何かいい案があるの?」
『あるっすよぉ、あーしにしか出来ない、しかもここに居ながら出来るという最良の作戦がねぇ~』
「な、なんだよそのニタ~っていう顔は?」
『ふへへ、まあ大船に乗ったつもりで居ておくれ♪』
「なんだか不安だなぁ~」
越境の許可証が届いたのは、二日後の夕方だった。
外に出ることも出来ず、だらだらと退屈な日々を過ごしつつ菓子や調理パンを貪っていた四人は、少し鈍重になった身体を動かしてみる。
A5サイズ程度の大きさの羊皮紙に書き込まれたカバルス王直筆の署名があるそれは、なかなか立派な装丁で、簡単には傷みそうにない。
卓也はそれをバックパックに詰めると、夜が来るのを今か今かと待ち続けた。
『三人とも、段取りはちゃんと頭に入ってる?』
空が暗くなって来た頃合いを見計らい、ふわふわと宙を漂いながら、リっちが皆に問いかける。
「私とテツは、全然OKですわ」
「しかし、卓也の負担が大きいなあ」
『そればかりはしゃあないっしょ。
卓ちゃんはあーしが精一杯サポートしますけん』
「卓ちゃん」
『じゃあ姉さん、てっちゃん、そろそろ仕掛けるから、後は頼みますぜよ』
「俺はてっちゃんかよ!」
『卓ちゃん、王城への侵入経路は、ちゃんと覚えてる?』
「大丈夫、この前グルドマックさんに助けてもらった時、しっかり覚えておいたから」
『おk、じゃあ――やりますか』
そう言うと、リっちはマスコットのような姿を維持したまま、三人の目の前で何やら怪しい呪文を詠唱し始めた。
『おお……で、でっかいのが……で、出るぅ~♪』
「何か言い方が下品だなぁ」
その数分後、遥か彼方で大きな衝撃音が鳴り響いた。
「か、か、カバルス様!! た、た、大変でございます!」
亡き大臣の代わりに、魔導士ギルドから派遣された魔導士が、慌てながら離れの寝室に飛び込んで来た。
「きゃあっ!」
「今度はなんだぁ!!
貴様! 勝手にこの部屋に入って来るな!」
「も、申し訳ありません! ですが、緊急事態でして!」
「いったい何だというのだ?! つまらん用だったら首を叩き斬るぞ!」
身体の前をシーツで隠し、身を伏せようとする澪と、上半身裸のカバルスを見て、男は心底後悔した。
今まさにこれから情事が始まるというところだったせいか、カバルスの怒りは相当なものだ。
「い、イセカスの西側城塞に、きょ、巨大な魔物が突如出現しまして!」
「その程度、いつものように城外警備兵共に対処させい!」
「そ、それが! 出現と同時に城塞が破壊されまして! 監視塔も破壊されました!
しかも、二つ同時にです!」
「な……なんだと?!」
イセカスの最も外側の城塞は、高さが六十フィート (約十八メートル)もある。
その城塞を十数メートル置きに繋いでいるのが、壁の内外を見張る為に建てられた監視塔だ。
それが一度に壊されたということは、前回出現したジャガーノートをも上回る規模の魔物が登場したことを意味する。
脱ぎかけたズボンを穿き直し、ベッドに放り投げられた上着を羽織ると、カバルスは真剣な表情で振り返った。
「聞いての通りだ。
しばらく戻れないが、おとなしく一人で待っているのだぞ」
「承知いたしました」
無感情で返答すると、二人が退室していくのを見届ける。
溜息を吐き出すと、澪は服を着ようともせず、空間に魔法のウィンドウを展開した。
詠唱すら、せずに。
「――これは!」
ウィンドウの中には、西城塞の状況が映し出されている。
そこには、何やらとてつもなく巨大な魔物が、大きな翼を拡げて咆哮を上げているようだ。
大きさは、城塞との対比からおおよそ二十メートル近い巨体。
もはや、ジャガーノート等比較にすらならないレベルだ。
(ぼ、ボクの魔力は、とうとうこんな者まで呼び寄せてしまったの?!)
ウィンドウの中に映ったもの、それは紛れもなく「竜」だ。
しかし、ただの竜ではない。
その体表はボロボロに崩れており、部分的に骨が露出している。
顔は眼球が零れ落ちており、崩壊した口の周辺からは、腐った唇や頬肉の向こう側の牙が覗いている。
大きく拡げた翼の皮膜は破れて穴が開いており、もはや翼としての機能を維持しているようには思えない。
それでも、口の端からは赤い炎が噴き上がっており、かろうじてドラゴンとしての意匠を残している。
(ど、ドラゴンの……ゾンビ?!
そんなものまで居るの?!)
思わず口許を覆った拍子に、ウィンドウが消えてしまう。
このままでは、ドラゴンゾンビは街の中に入り込み、更に被害を拡げてしまうだろう。
(な、なんとかしなきゃ!)
無意識に現場に出ようとするが、寝室のドアは外部から鍵を掛けられることを思い出し、躊躇する。
勿論、今の澪なら開錠することも可能ではあるが、後の事を考えると下手なことは出来ない。
(そうだ、今のうちに!)
澪は今、この寝室に入ってから初めて、たった一人で滞在している。
徐にショーケースに近付くと、黒い専用ケースの中で輝いているウィッシュリングを眺める。
(カバルス様が言っていたことが本当なのか、確かめるなら今しかない!)
すぅっと息を吸い込むと、澪は思い切って開錠の魔法を唱え始めた。
だが、その時――音もなく、入口のドアが開いた。
入り込んで来る風に気付き、振り返ると……
「澪……」
「た、卓也?!」
ドアの向こうには、軽装で腰に剣の鞘を下げた姿の卓也が佇んでいた。
「やっと、逢えたな」
「そ、そんな?! ど、どうしてここに?!」
『お話の前にドアを閉じようぜ、卓ちゃん』
「おっと、そうだった!」
「え、だ、誰?」
素早くドアを閉じると、改めて澪に向き直る。
聞き覚えのない声に戸惑っていると、卓也の懐からガイコツのマスコットがピョコンと飛び出した。
『ぐへぇ、卓ちゃん、たまにはアンダーウェア洗いなよ!
結構汗臭いぞ』
「ああ、ごめんごめん。今度洗浄の魔法かけてもらうよ」
『素直に洗濯しようよ。
――って、あっ。ヌードのお妃さまが驚いてらっしゃるぞ』
「え……きゃあっ?!」
慌てて身体の前を隠す澪に、ふわふわと漂うガイコツのマスコットはペコリと頭を下げた。
『やぁやぁマシンマンは強いねぇ。
――じゃなくって』
「どうしても、そういう始め方しなきゃ駄目なの?」
『いやぁ、あーしは根っからの特ヲタなもんで』
「え、え~と、た、卓也?
この……な、何?」
恐る恐るガイコツを指差す澪に、卓也は少し困り顔で答える。
「こいつは“リっち”。
カバルス王が言ってた、国境の魔物」
「えっ?!」
『お初にお目にかかります、お妃さま。
あーしのことは“リっち”とお呼びくだせぇ。
紆余曲折あって、今ははしまきに加えてもらってる闇道士ですわ』
「卓也、これはいったいどういうことなの?!」
「ああ、戸惑うよなあ、いきなりこんなの見せられたら」
『こんなのって酷い。皆を怖がらせないようにわざわざこんなカッコしてんのに!』
ふてくされるリっちをよそに、卓也はこれまでの経緯を簡単に説明した。
話を聞いて、澪は目を剥いて驚く。
「そ、そんな凄い人がいたなんて……驚きだわ!」
『そういやお妃さま、あんたがさっき眺めてたそのショーケースな。
“施錠”以外に、“警報”の呪文が掛けられてる。
“沈黙”の呪文を先に上掛けすれば、後は問題なく開けられる筈だよ』
「な、なんでわかるの?」
『この程度、一目見りゃ一発でわかるさ』
リっちの眼力に、一瞬背筋がぞくりとする。
だがそれよりもと、本題を切り出すことにした。
「澪、聞いてくれ。
俺達と、ここから脱出しよう」
卓也が、一歩近付いて呟く。
その言葉に、思わず目頭が熱くなる。
「ほ、本気で言ってるの?」
「本気だ。
だから、わざわざ陽動までして忍び込んで来たんだ」
「よ、陽動って?」
小首を傾げる澪に、リっちが何故か得意げに説明し始める。
『今、城塞の外でモンスター暴れてるっしょ?
アレ、あーしが召喚したの♪』
「え、えええええええっ?!」
「わっバカ! 声がデカい!」
「ご、ごめんなさい!
でも、いったい……あなた、本当に何者なの?!」
『へぇ、国境の魔物にごぜぇますだ』
「何故訛る」
『あ~でも、安心してね。
あのドラゴンゾンビ、城塞ちょっと壊すだけで街には入らせないから。
兵士が少~し怪我するかもだけど、最小限の被害で留めるからね♪』
「あんだけ派手にぶっ壊しておいて、今更最小限もクソもないだろ」
『い~じゃんかぁ! 派手にやらないと陽動にもなりゃしないでしょうが』
「そりゃ確かにそうか」
『ほら、お妃さま……じゃないな、澪ちゃんもそう言ってる』
「え、い、言ってない……」
妙にテンポのいい二人の会話に目を細めると、澪はベッドの脇に放り出したドレスで身体を隠した。
「やり方はどうかと思うけど、そこまでして、ボクを?
あなたを裏切ってしまったこのボクを、助けに来てくれたの?」
今にも泣き出しそうな表情で、澪が囁く。
何かを言いかけるリっちを手でふん捕まえると、卓也は表情を引き締めて彼の前に進む。
そして、肩を抱き締めた。
「あっ……」
「何度も言っただろ。
君は、俺の大事な家族だ」
「……」
「カバルスなんかに、絶対渡しはしない。
あのウィッシュリングが役立たずだったとしても、必ず別な方法で君を助け出して、一緒にこの世界を脱出する」
「た、卓也……卓也ぁ……う、うわあぁぁ……」
涙腺が決壊する。
大粒の涙を流しながら、澪は卓也の胸に飛び込んだ。
その頭を、優しく撫でる。
「ごめんね、ごめんね……卓也ぁ……。
ボク……あなたに酷い事をしたのに……」
「もういい。
――もう、いいんだ」
まるで長い長い時を経て再会したような、懐かしさすら感じさせる時。
二人は強く抱き合い、互いのぬくもりを確かめ合った。
そしてその様子を眺めていたリっちは、適当な頃合いを見計らって声を掛けて来た。
『あ~オホン、そろそろいいかな?』
「あ、う、うん」
『ジャネット姉さんから聞いたんだけど、あのクソタレ王が、もうウィッシュリングは使えないって言ったんだって?』
「そ、そうなのよ!
もうずっと昔、三国戦争を休戦に導く為に願い事を使っちゃったんだって」
「本当に許せないよな……そんなもので、澪を好き放題しやがって……」
思わず怒りの声を漏らすが、リっちはじっとショーケースを見つめたまま、独り言のように呟いた。
『なんとかなるかもしれないよ』
「へ?」
「えっ?」
『このウィッシュリング、確かに魔力は失われているみたいだけど、まだ宝玉が砕けてない。
ということは、願い事を叶える古の呪法は、まだ生きているんだ』
「つまり、どういうことだってばよ?」
卓也の質問に、リっちはクルリと妙にスピーディに振り返る。
そして澪の周りをぐるぐる飛び回りながら、説明し始めた。
『分かりやすく言うとね、何かしらの方法でこのリングに魔力をチャージすれば、願い事を叶えることが出来るってことさ』
「ま、マジか?!」
「ホント?!」
『うんホント。
この宝珠はね、いわば基板のICチップみたいな役割を持ってるんだ。
呪文の永久化と言う特殊な処置が施されてる。
だけど、ICチップを動かす為の電力供給が出来てない状態な訳だ。
だから起動できない……つまり魔法が発動しないのさ』
永久化については、以前グルドマックから聞いていたので理解が出来る。
「なんつう例えじゃ」
「リっちさんの言う事はわかったわ!
じゃあ、ここにボクの魔力を供給したら――」
『いや、澪ちゃんには無理』
見た目の可愛らしさに反するシリアスな口調で、リっちが止める。
「澪の魔力でも足りないのか?!」
『だって澪ちゃん、魔力ダダ漏れ状態だろ?
だから魔力込めようとしても、チャージされるより流れ出る方が多くなっちゃう。
それだと、必要な魔力を溜めるのに物凄い時間がかかっちゃうよ』
「それってどのくらいなの?」
『多分だけど、ずっとそれだけやってても年単位じゃないかなぁ』
「うう……そ、それはきついわ」
『それだけ、このリングにはバカみたいな量の魔力が要るんだ。
今からクソカバルスが戻って来るまで頑張っても、せいぜい一回普通の呪文を使うくらいの魔力しか入れられないさ』
「じゃあ、どうすればいいんだ?!」
『澪ちゃんではない、もっと別な“魔力バカ高な野郎”から、大量の魔力を一気に頂戴して注ぎ込むしかないね。
あーしの見立てでは、澪ちゃんが今注ぎ込めそうな魔力の、数千倍の規模が必要だ』
「「 す、数千倍ぃ?! 」」
『あ、澪ちゃんもハモるのデフォなのね』
魔力がどんどん膨張している澪であっても、このリングの必要魔力には遠く及ばないとなると、それほど強力な魔力をいったい何処から、どうやってリングへと集めればいいのか。
戸惑いの視線を漂わせていると、リっちは突然、卓也の頭の上に乗って来た。
『そこで卓ちゃんが必要なんですよ』
「卓也の? でも卓也は、反魔導体質で魔法が――」
「いや、何となく言いたいことがわかった気がする。
実は俺、どうやら反魔導体質じゃないらしいんだ。
魔力を吸収してしまうんで、それで魔法の効果を受けられない体質だったようなんだ」
「そ、そうだったの?!」
以前ジェムドラゴンに教わり、実際に体感した確実な情報。
卓也は、自信を持って頷いた。
『そう、しかもあーしの見立てだと、かなりの許容量があるみたい。
そんな卓ちゃんの魔力吸収能力を使って、ウィッシュリングへダイレクトに魔力をチャージするって寸法さ』
「でも、ボクの魔力では足りないんでしょう?
じゃあ、いったい何から魔力を抽出するの?」
澪の質問に、リっちは不適に微笑んだ……つもりのようだ。
『いるじゃない。
澪ちゃんより遥かに強い魔力を放ってる奴がさ』
「えっ誰?」
「ああ、そうか……そういや居たな」
「ねえ卓也、誰のこと? グルドマックさん?」
「いや、違う。
――“魔王”さ」
「あ」
卓也の呟きに、思わず言葉が止まる。
『ご名答。
良かったね卓ちゃん、これではしまきの冒険の目的が決定したじゃない♪』
「があぁ~、結局俺達が魔王と闘わなきゃならなくなるのかぁ!」
頭を抱えて悩む卓也と、それを眺めてついほくそ笑みそうになる澪。
だが卓也は、すぐに顔を上げて「しゃあない」と呟いた。
「グダグダ悩んでも仕方ない。
よし、もう覚悟を決めた。
俺達はウィッシュリングに魔力を戻す為に、君も連れてこれから脱出する。
澪、急いで服を着て俺達と一緒に来てくれ」
そう言って手を伸ばす。
だが、澪は身をすぼめて一歩後ずさった。
「卓也……ごめんなさい。
それは、出来ないの」
「どうして? 王とのことを気にしてるなら――」
「違うの! そうじゃないの!
ボクは、ボクはね、もう……皆と一緒に行けない存在になってしまったの!!」
「な、何を言ってるんだ、澪?」
戸惑う卓也に、リっちが呼びかける。
何度か澪の方を振り返りながら。
『あのさ、ちょっといい?
すっごく言い辛いんだけど』
「なんだよ?」
『あーしね、勘違いしてたんだ。
卓ちゃん、てっきり知ってるもんだとばかり』
「だから、何をだよ?!」
少し苛立ちながら尋ねると、リっちは覚悟を決めたような態度で更に説明を続ける。
『卓ちゃんは、あの子のことを、人間だと思ってたんだろう?
今まで、ずっと』
「な……」
手が、震える。
脚が震え、肩が自然にすぼまる。
顔を上げた卓也は、改めて気が付いた。
薄暗がりで金色に光る、澪の瞳に。
「おい……待ってくれ。
冗談は止めてくれ」
『いいかい? 澪ちゃん。
あーしから説明しちゃっても』
「ええ、お願いするわ……」
小声の問いに、目を閉じながら小さく頷く。
それを確認すると、リっちは宙に浮かんだまま、卓也の顔を覗き込んだ。
『あの子は……澪ちゃんは、人間じゃない。
――魔物だ』
「う、嘘だ……おい、嘘だろ?!
二人とも、こんな時に冗談は止めてくれ」
懇願するような卓也の言葉に、澪は、首を横に振る。
そして、カーテンを大きく開いた。
「その人が言うことは、本当よ。
――見て、卓也。
これが、ボク…… X E N O に な っ た 澪、よ」
「や、やめろぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!」
叫び声を上げて跪く卓也の眼前で、澪は――大きな翼を羽ばたかせた。
寝室全体を覆うような、黒く巨大な翼。
絶望に染まる卓也の眼には、澪の頭から生える悪魔のような角のシルエットが見えた。




