071 懐かしの幼馴染と(8)
たっぷりとお買い物を楽しんで帰った私たちは、明日の予定をみんなで話し合った。
どのプールに行こう、あっちがいいこっちがいい、せっかくなら遠出をしようか、いや近場のほうがいっぱい遊べる―――などなど、もちろん姉さんも交えて。
どうやらたまきは夜行バスで帰る予定らしく、日中はめいっぱい遊んでもいいとのこと。
けっきょく今のところおもてなしらしいおもてなしもできていないし、明日は目いっぱい遊んで夏の思い出を残していってほしいものだ。
もちろんその前に、彼女とちゃんと向き合ってみる必要はあるだろうけど。
「どうしたの?」
「ううん。たまきの買ってた水着、可愛かったなって」
「もう。なにそれ」
視線を向けていたら変に思われたらしい。問いかけてくる彼女に笑みで返すと、まんざらでもなさそうに笑う。たまきらしいと、そう思える自然な様子だ。
昔からたまきは大人びていた。子供らしく大人びているとでもいうのか、ノリはいいしバカなことを言ったら笑ってくれるけど、どこかで遠ざかっている。それは心の距離が離れているとかいうことではなくて、視点が少し、私よりも俯瞰的なんだろう。ほかの人と話していても、私が視線を向けるとすぐに気が付いてくれる。
私はきちんと、彼女の視線に気づけているのだろうか。
明日への話し合いは、やがて今日の楽しみに移り変わっていく。
ゲームをしたり本を読んだり、おしゃべりしたり、あとはこっそりと秘密を重ねてみたり。
たまきは、いまさらそんな私たちを気にしない。だけどたまに言葉にせずにふたりきりになりたがって、飲み物を取りに行ったり、お菓子を取りに行ったり、はたまた理由もなく連れ出したりする。
それは幼馴染であり友人である彼女の行いとしてはなんら違和感のないことだ。他のみんながそうするからと、同じように求めてもおかしくはない。
もちろんそれは、他のみんなとは明らかに違う。
ふたりきりになったって、そこにあるのは大したことのない言葉だけだ。ほんのささやかに触れ合う指先だって、幼いころの彼女と同じ、手癖のようなもの。
「たまきたまき」
「なぁに」
「呼んでみただけだったりして」
「もう。ばか」
ぽす、と肩を叩かれて、笑いあう。
気安く気のいいこの友人と、私はどうなりたいのだろう。
のんびりしているつもりでも、時は変わりなく過ぎている。
お昼ご飯を食べて、洗いっこを提案することでのぼせるのを回避しようとして無様に失敗して、そうこうしていればみんなで布団に入っている。
後輩ちゃんとメイちゃんは私のベッドで、姉さんとたまきは姉さんの部屋で寝ている。客用布団は、あいにくと一つしかなかった。
夜更かし上等な気配のある後輩ちゃんも、イベントの前とかワクワクして眠れなさそうなメイちゃんも、驚くほどすぐに眠ってしまう。昨日もそうだった。人のぬくもりが、いい具合に睡眠導入しているのかもしれない。
ふたりが寝静まったところで私はベッドを抜け出す。
なんとなくだった。
なんとなく、彼女が求めるのなら、今だろうと思った。
夜という閉鎖空間の中。
別れからは少し、遠い場所。
―――夜の真ん中に、彼女はいた。
リビングの明かりをつけると、振り向いたたまきがまぶしそうに笑う。
「起こしてしまったかしら。お水をいただいていたの」
「ううん。全然気づかなかったよ。寝れないならホットミルクでも飲む?」
「……そうね。あつかましいけれど、お願いしてもいいかしら」
「もちろん」
彼女のために、ホットミルクを用意する。
はちみつは二匙……せっかくだから、もうふたつ。
泣きじゃくりながらはちみつのビンごと傾ける幼い彼女の姿を、なんとなく思い出していた。
彼女にカップを渡して、ソファで隣り合う。
当たり前みたいに手が重なって、そんなささいなことさえ何年もなかったのだと、ふと思った。
「私とのウェディングドレスって、結局どんなのになったの?」
「え?……ああ。うふふ。懐かしいわね。なぁに、メイに聞いたの?」
「うん。私が誰彼構わず手当たり次第に告白してたとかいう不名誉な噂と一緒に」
「あながち間違ってないじゃない」
「真剣だったんだよ?たぶん。今の私が未来なら、そのはず」
昔の私は、彼女にも告白をしたらしい。
いつかメイちゃんに聞いたことだ。
思えばずっと不仲に見えるふたりで頭を突き合わせてドレス選びをしていたのだから、やっぱりなんだかんだ仲良しなんだろう。見ていれば分かるよりは、たぶんずっと。
彼女は暖かなミルクを一口含んで、少しだけ見開いた眼を、緩める。
「……自分で作るよりもね、甘いのよ」
「うん」
「なんでだろうって思っていたら、簡単なことだったわ。あなたって大きなスプーンで入れるんだもの。普通こういう時って小さいやつじゃない」
くすくすと笑って、また一口。
たっぷりのはちみつが溶けたミルクは、彼女の心をほんの少しだけほぐしてくれる。
「もう一週間前に知りたかったわ」
ぽたん。
水面にはじける王冠が、続く波紋に波打って、砕け散る。
「私、恋人がいたのよ」
彼女からカップを遠ざけて、私の胸を貸す。
甘さで溶かすには、それは少しだけ苦すぎる。
「中学生の時に付き合い始めたの。とても優しくて、冗談が好きで、調子乗り屋で、だけど真剣な時は格好良くて……そして私のことを大好きでいてくれる、そんな理想の恋人が」
理想を語るには、あまりにも痛々しい声だった。
声帯を震わすために、いったいどれだけの苦痛が伴っているのか。
考えるだけでも、胸が張り裂けそうになる。
「写真を見たわ。あなたの。顔は写っていなくて、いかがわしくて、すっかり変わってしまったって、心配になるような」
だから、と。
彼女が見上げる視線は、熱くて、冷たくて、愛おしくて、痛い。
「恋人は―――あなただったの」
「あなただったのよ」
「気がついてしまって、だから、どうしようもなくて」
「『やっぱり、違ったんだ』……そう言って、彼女から、別れようって」
「あんな、あんな顔をさせたかったんじゃないのに」
「彼女のことが好きだったのよ、本当なの、心の底から、大好きで」
「だけど、じゃあどうすればいいの?」
「あなたのことが好きなのよ、まだ」
「彼女への好意があなたのせいじゃないって、どうして言えたのよ……!」
言葉が、ゆるんだ心を無理やり崩して、あふれ出す。
彼女から受け取る好きはいびつで、触れただけで指先に傷ができる。
それでも抱きしめることしか知らないから、彼女は私を苛むことへの苦痛に身もだえした。
「こんなこと言いたくないの、したくないの。あなたと会って、今のあなたを知れば、過去のことにできると思ったのよ。でも、あなたは記憶の中と同じで、だから……ッ!……こんな、こんな気持ち欲しくなかったのに」
どうすればいいのだろう。
どうすれば、彼女は。
どうすれば、この涙を。
―――私は。
「なんだ。がっかり。せっかくタダでできると思ったのに」
「―――え」
「そのつもりで来たんじゃないんだ。つまんないの」
彼女を突き飛ばし、倒れこむ呆然を見下ろす。
「昔からたまきって私のこと好きだったからさ。たまきもハーレムに入れてやろーって思ったんだ。たまきって、幼児体系っていうの?そういうのもアリかなってさ」
「……あなたのそういうところが、どうしようもなく愛おしいの」
私が嫌われるためにわざとひどいことを言っていると、彼女は当然に理解する。
だけど、その信頼を揺るがすための道具を私は持っている。
私はリルカを取り出した。
一目見ればその意味を理解してしまう魔性のカードだ。
彼女の目は、だから驚愕に見開かれる
当然だ。
わざとひどいことを言っているはずの私に援助交際を持ち掛けられれば、いつまでものほほんと信頼してはいられない。金で性欲を満たそうという行為が今、彼女の頬に触れている。
「―――何度も言わせないでちょうだい。ユミ」
それなのに、彼女は、なおもそんなことを言う。
今度は私が動揺する番だった。
そしてそれは、彼女の信頼を揺るぎないものとするには十分すぎた。
「ユミ。あなたにそんなことをしてほしくないわ。あなたを嫌いになんて、私、なれっこない」
「でも、だって、じゃあその人とすれ違ったままでいいの?私のせいなんでしょ?」
「違うわ。私のせいよ。白黒つけない私のせい。……初恋を引きずって面影を追う、バカな私が悪いの」
彼女の手が頬に触れる。
そしてゆっくりと押されて、押されるままに彼女の上から退く。
困ったような笑みを残して去っていく彼女を、私は見送るほかなかった。
取り残された私とマグカップが、ただただ、静かに揺れている。
 




