072 懐かしの幼馴染と(9)
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せっかくのホットミルクが冷めてしまう。
ぼんやりとそんなことを思った。
ただただ私は無力で、やるせなくて、どうしようもなくて。
だけど、それでも彼女を追わなければいけないとそう思い立って。
立ち上がるより前に彼女は戻ってきた。
その手に、スマホをぶら下げて。
「たまき?」
「こういうのを、おあつらえ向きというのでしょうね」
スマホを差し出して笑う彼女に、どう応えればいいのかわからない。
リルカを求められているのはわかる。だけど、このシチュエーションでどうして彼女が私に買われたがる?ついさっき、彼女は私を拒絶したのに。
「私ね。ずっと考えていたのよ。あなたへの初恋をどうやったら終わらせられるのかって」
「お、終わらせちゃうの?」
「あたりまえじゃない。会いもせず、会話もせずにただこじれただけの感情なんて邪魔なだけだわ。……そのあとにまた好きになるかは、分からないけれど」
彼女の言葉で、私は勘違いしていたことに気が付く。
私は、正直彼女は私を好きでいてくれているのだと思っていた。もちろん友人としてであれば間違っていない。だけど、恋愛的な意味では間違っている。
私を好きなのは、幼少期の彼女なのだ。
彼女の中で大人になれなかった過去の思い出が、今の彼女を苦しめている。
だとしたら確かにそれは邪魔だろう。今の私への好きも、私の知らない誰かへの好きも、全部それに妨害されてしまう。
だけど、だったらそれをどうするっていうんだ。
過去の恋心に、今更どうやってケリをつけられる?
そしてそれは、リルカとなにが関係あるんだ。
困惑する私に、彼女はさらにスマホを近づける。
「友達のあなたには頼めないけれど。でも、お相手としてのあなたになら頼めると思うの」
「……わかった」
彼女が何を考えているにしても、私はそれを受け入れるだけだ。
差し出したリルカに、スマホが重なる。
ぴぴ、と鳴る電子音。
あのたまきを買ったのだという不可解な高揚がせりあがってくるけど、彼女の意思を優先しようと黙っていた。
彼女はうっすらと笑って、かと思えば不意に焦点がぼやける。
そうしてぱちぱちと瞬いた彼女に、何か強烈な違和感があった。
……ああ、たまきだ。
今目の前にいる彼女は、あまりにも過去のたまきなのだ。
何がと具体的に言えないほど、たまきがたまきしている。
どういうことなんだ。
動揺する私の顔をまじまじと見たたまきが、こてんと首をかしげる。
「あぅ?」
「え」
「たぃあ。うぅ」
「は、え、たまき?」
ふにゃけた鳴き声を上げてすりよってくるたまき。
何事かと困惑する私の胸に、彼女は服の上からはむっと噛みついてくる。
「ちょっ、だ、っ、」
「あぅあ、えぅ、あ、ああああ゙あ゙ああ゙!!!!!」
慌てて引きはがすと、彼女は突然大声で泣き出した。
とても高校生がするものとは思えないギャン泣き。
理性の鎖なんていうものがそもそもないかのような、泣き声がうるさいからもっと大きな声で主張しようと思っているかのような、それはもうめいっぱいの泣き声。
まるで、そう、赤子のような……?
「あぐっ、えぅああっ、」
「た、たまきちゃん。えっと、お、おっぱいだよ」
試しに胸を差し出してみると、彼女はしゃくりあげながらモグッとくわえる。
もちろん服の上からだし、ナイトブラで多少の防御力もあるからほぼ布をくわえているような感じだ。彼女も手加減をしているのかもしれない。
だけど、なんだ。
同い年の女の子が赤ちゃんみたいに乳を吸うって、それほぼ性行為なんじゃないだろうか。
こんなのプレイだ。
それなのにこう、そこはかとなく慈しみの心が芽生えてくるのが、なんか、狂いそう。
いっそ殺してくれ。
そう思うのに、私の手は不可解な動きを見せる。
近くにあったティッシュを一枚くしゃくしゃにまとめて、ホットミルクにつける。
軽く絞ったそれを服の下に潜り込ませて、胸のあたりで待ち受けてみた。
じわ、とミルクのにじむパジャマ。
たまきは私を見上げて、目をキラキラ輝かせるとミルク味の突起をくわえた。
「ん゙ん゙っ!」
ちゅうちゅうとおいしそうに吸うたまきに脳みそが破壊される。
えっちだ。変態性が高すぎる。ミルクティッシュで疑似授乳体験とか人類が想像していい業じゃない。いや実質は手で持ったティッシュをパジャマ越しに吸ってるだけなんだけど……こんなのほかの人に見られたらさすがに社会的地位を喪失する。
「ん」
悶えていると、やがてたまきは口を離す。
満足げに舌をなめた彼女は、それからにっこりと笑った。
「ありがとぉ」
「ぅえっ?」
むぎゅ。
愛らしい笑みを浮かべる彼女に抱き着かれる。
さっきまで赤ちゃんしていたと思ったら、今度は幼児。
これをすることで一体どういう納得が得られるのかは分からないが、彼女を買った以上その期待に応えてあげる義務がある。
「たまきちゃんはかわいいねえ」
「えへへ。ゆみすき~」
「私も好きだよぉ、たまき」
よしよしとなでかわいがる。
なんとなく、このたまきは彼女がまだ身体的に『早熟』だったころの雰囲気がある。
もちろん、昔の彼女はこんなにも甘えんぼではなかったわけだけれど。
だとすると、だ。
「ほらたまき。大好きなホットミルクだよ」
「わぁい」
カップをもって、頬をすり合わせる。
幼いころの思い出だ。カップに嫉妬した私は、こうして同時にミルクを飲むという奇行を提案したのだ。
もちろんそんなことをすれば、どれだけ口を寄せても隙間からこぼれていく。
顎を下って喉を伝って、服を濡らしてようやく驚く。
「わっ、たれちゃった!」
「ほんとだ。どうしようね」
あのときの間抜けな私はそれはもう慌てて、タオルとかティッシュなんて目に入らなくて、私がどうにかしなきゃって思ったんだ。
「あっ」
「じっとしてて?」
服をぬぐう。
喉をぬぐう。
顎をぬぐう。
頬をぬぐう。
甘さを感じる舌先は言うまでもなく濡れていて、そんなことをしてもなにも改善なんかしない。だけどそんなことにも気が付かないで、なんどもなんども、彼女を舌で奇麗にしようとする。
あのときの彼女の表情が、今ならちゃんとわかる。
やがて彼女は、また少し今に近づく。
「ゆみ。もうだいじょうぶ」
「キレイになった?」
「うん」
恥ずかしげに笑った彼女は、それからゆっくりと服を脱ぐ。
濡れてしまった上だけを脱ぎ去って、肌に密着するブラ一枚が取り残される。
「でも、ふくはせんたくしないと」
「目の前で脱いだりしたらびっくりしちゃうよ」
「いいでしょう?わたしたちおともだちだもの」
「……そうかな」
彼女をそっと押し倒す。
見下ろす彼女は、驚きにただ眼を見開いている。
「好きだよたまき。ずっと。友達としてだけじゃなく」
瞳が揺れる。
答えようと口が開閉して、だけど言葉は形にならない。
伝えたい気持ちが喉の奥につっかえて、意気地なしの彼女は笑おうとする。
彼女がメイちゃんと一緒にウェディングドレスを選んでいたという幼いエピソード。
たまきにまで告白していたのかと驚いたけど、でも、本当はそうじゃない。
思えば当たり前だ。
誰よりも先に、きっと彼女に言ったのだろう。
古い記憶だ。
おぼろげに覚えている。
彼女は私の告白をうけて、今のように笑っていた。
笑って、
「なにバカなこといってるの」
彼女はそう言った。
あのときの私はそれで終わりだった。それ以上迫ることはしなかった。
彼女とは友達でいれば十分だった。
でも今の私は、あのころよりも少しわがままだ。
「そんな風にごまかさないで。ちゃんと答えて」
「ゆみ」
「たまきの気持ちを教えて」
あのときの続きが、紡がれる。
くしゃりとゆがむ彼女の顔が、濡れていく。
誰のせいだろう。
視界がぼやけて、うまくわからない。
「すきよ、わたしも、わたしもゆみがすき。でも、わたしのすきはあなたのとはちがうの」
「違くないよ。あなたの裸を見たらドキドキする。触れたくなって、指が熱い―――ずっと、そうだった。変わらないの、私は」
彼女の手が肩に触れる。ゆっくりと肩甲骨をたどる。首筋に触れる。鎖骨をすべる。ゆるやかにブラをもぐって、濡れた肌をさする。
「いい、の?」
「いいんだよ。あのときだって、よかったんだよ」
「そう、なの」
―――そうして私たちは、少しだけ違う過去をたどってみた。
中学生に上がった彼女は、触れ合いよりも寄り添いを求めた。そのほうがちゃんと愛し合っているような気がすると笑った。私も同じ気持ちだった。幼気なだけの接触よりも、理性的に愛している気がする。
学年が上がると、少しだけ性への興味が芽生えているようだった。一緒になって、いろいろなことを調べてみた。彼女は恥ずかしいわねなんて笑って、だけどいつも、無意識に手を強く握った。
受験シーズンはたまにしか会っていないようだった。一緒にいると勉強が手につかないからって。その分一緒にいるときは、すこしだけ、理性的じゃない。
高校生になった。彼女はずいぶんといまの彼女だ。私に対する好きの気持ちが、形を変えつつあることを不安と思っているようだった。恋人であることを何度も強調して、確かめて。だけど、どうしても、一線を越えられない。
学年がひとつ、上がった。
好きな人ができたと、彼女は泣いた。
「あの子、は、あの子は、とっても、優しくて、冗談が好きで、調子乗り屋で、だけど真剣な時は格好良くて……そして私のことを大好きでいてくれて。それに、それに、ね」
彼女は語る。
私じゃない誰かへの好きを、語る。
普段はやんちゃなくせに、妹といるときはとってもお姉ちゃんをしているところが素敵で。
カフェのキャストをしている、その執事みたいな姿が凛々しくて。
勉強のときは眼鏡をかけて、物珍しがっていると恥ずかしがるのがかわいらしくて。
あんなところが魅力的で。
こんなところが愛おしくて。
私にないところの全部を、彼女はあげつらった。
「あなたのことは好きよ。今でも。ずっと、変わらない。でも、でもやっぱり、あなたの好きと、私の好きは、違ったの」
「……うん」
それはやっぱり、恋愛だったのだろう。
触れ合いたいと思うし、触れ合わないでいたいとも思う。
ただ、恋愛だったからって、恋人で居続けるかどうかは別の問題だ。
私は、ずっと彼女と向き合っていたくて。
彼女は、ずっと私と付き合っていたくて。
そんな些細な差だ。
何年も連絡を取っていなくて突然再開しても同じように愛し合えることを、彼女は私に望んでいる。そんな緩やかな永遠を、心地いいと思ってくれている。
なるほど確かにそれは私の好きとは違う。
そばにいたい。触れ合っていたい。恋人と何年も連絡を取り合わないなんて理解できない。できることなら、目の前の彼女を、自分のものにしてしまいたい。
ああだけど、彼女の望む関係性が、私にはこんなにも愛おしい。
だから彼女にならって、連絡を絶っていたんだ。年賀状とか、折に触れて彼女を感じるような遠い親密を、私はとっくに受け入れている。
30分は、とっくの昔に過ぎていた。
「あなたへの初恋は、とっくの昔に叶っていたのね」
「私はあえなく散っちゃった感じかな。でも今の恋も悪くない」
そう言ってふたりで笑いあう。
彼女はひらりと立ち上がって、濡れたパジャマを持って手を差し出してくる。
「さあ、あなたのパジャマも洗っておきましょうよ。さっきから牛乳の匂いがするのよ」
「え゙。や、自分でやるから」
ふりふりと手を振る私に、彼女はあきれたように、でもとても楽しそうに笑う。
「さっきまで恋人だった仲じゃない。いまさらなに恥ずかしがってるのよ」
だから恥ずかしいんだけどなぁ、と文句を言ったところで全く通用はしない。
なんともスッキリ私をフッてくれやがった彼女の快晴に、私はやれやれとあきれた。
「……ところであなた、あんな授乳プレイ他の子とやってないでしょうね」
「してないよっ!?」
「さすがに百年の恋も冷めるわ」
「しないって言ってるんだけど!っていうか急に幼児退行したのたまきでしょ!アイアム被害者!」
私の抗議は当然のように笑い飛ばされる。
たまきがほんと、たまきすぎる。




