063 闘争心あふるるスポーツ娘と
インハイの日付とか細かいことを考えてはいけません。夏休み(概念)。
水音が反響する。
濡れた声で個室の湿度が上がっていく。
もだえる指先が辛うじて呼び出したささやかな川のせせらぎがあまりにも頼りない。
呼吸をしようと口を離したらすぐに捕らえられてしまう。
酸欠に喘ぐ脳みそが苦痛を快楽に変換し始めてからどれほどの時が経っただろう。
何度か意識を失ってさえいるのかもしれない。
最初は壁に押さえつけられていたはずで、今は便座に座らされている。
もしかしたらこのまま死ぬのだろうか。
それを恐れられないほどにとろけた脳髄が目玉からこぼれていく。
―――やがて。
「―――っ、ぷはっ、ぁ、はっ、ふっ、」
「はぁっ、ぅ、ふぅっ、」
彼女がようやく理性を取り戻すくらいの満足をしたようで、息も絶え絶えに離れていく。
その隙に本能が酸素を求めて荒く呼吸を繰り返して、だけど合間にも彼女はなんども唇に飢える。
それでもなんとか息を整えていると、ぐったりとタンクにもたれかかる私の涙を舌で拭って、彼女はとさりともたれかかってくる。
「やーはは。ごめんね、本気で走るとどうしても」
「う、ん。いきてる」
「あはは。…よかった」
そんなマジの顔で言わないでほしい。
え、もしかして私ってそんなに死にそうだった?生きててよかったって安堵したほうがいい?この平和の国で……?
「えっと。まあとりあえず落ち着いたならよかった、よ?」
「おかげさまでー」
ぽんぽんと背中をなでるとすりすりとじゃれついてくる。
そうしているとまだ残っていた燃料に火がついてくるようで、噛みつくように下唇を吸われた。
外では学生諸君が走ったり跳んだりしてるのに、こんなトイレの個室でカケルと死にそうなくらいにキスをしている。
本気で走ると闘争心が溢れて血がたぎるとかいう戦士的理由だ。
インハイで強敵としのぎを削るような昂ぶりをキスで収めようというのだから、そりゃあ一般人な私がやすやすと受け入れられるものでもなかった。
「んっ、ふっ、どうしよ。なんか、また熱くなってきちゃった……♡」
「それは……なんか別のやつじゃない?」
「そーだよ♡」
「そうかぁ……」
自覚的に発情しているんじゃもうどうしようもない。
だからといってこんなところで……以前にそういう関係でもない彼女とキス以上のことをするわけにもいかないけど、どうにかしてあげたいところだ。それに気を取られていい結果が出せないとかになったら目も当てられない。
「あー、どうしよう。とりあえず、はいこれ」
「んぅ、いまスマホ持ってない……」
「えぁー。そっか。そりゃそうだ」
ひとまず私が主導権を握ってあげたほうがいいかなとリルカを取り出してみたけど、スマホがないんじゃ意味はない。
しまおうとすると、彼女が手をぎゅっとつかんでそのままリルカを自分の額に触れさす。
「後払いでいいから、いま、ユミカのスキにして……♡」
「お゛ん」
私を信用しての言葉だと思う。
私がどうにか彼女を鎮静しようとしているのを理解して、協力してくれようとしている。多分。そのはず。
だけどその上でこれはちょっとR指定したい。
ハートマークにハイライト光る発情美少女が息も絶え絶えに『スキにして……♡』とかさすがにセンシティブだ。不健全だ。やはりこれはよくない。早急に彼女を落ち着かせないと。
硬い決心で漏れそうになった邪心をがんじがらめにして、私は手始めに彼女にスポーツドリンクを渡す……受け取ってくれないので自分で口を開けた。
彼女は当たり前のように口を開いて手のお皿とともに待ち構えている。その口に飲み口をあてがってゆっくりと傾けると、彼女はんくんくと喉を鳴らして美味しそうにスポーツドリンクを飲んだ。
もちろんこんなことで収まるとは思っていない。キスでかいた汗を補給しただけだ。
私は彼女に連れ去られながらもぎりぎり確保していたカバンを漁って、手についた硬質な感触を引き出す。
引き出してみると、それはお目当てのものではなくて腹筋マシーンだった。
なぜに腹筋マシーン。
一瞬困惑するけど、そういえば予備のやつを昨晩謎のノリで詰め込んだのだったと思い出す。ノリって怖いね。
すぐにしまおうとする私は、ふと彼女がとろりと笑っていることに気がつく。
身体を起こした彼女は身体を熱くほてらせながら、ゆっくりとジャージのジッパーを下して美しく鍛え上げられた腹筋を―――
「ぁ」
即座にいらないものをしまって彼女の手を食い止める。
さすがにこのシチュエーションで彼女の素肌を見るのはマズい。
私とて花盛りの若人だ。そんなもの見せられたらよからぬことになる。なにせ性的な空気感が支配しつつある空間だ。彼女の美しい肢体はそういう観点からかけ離れて芸術的ではあるけど、まさか耽美するだけで済むはずもあるまい。
苦戦しながら片手でジッパーを上げて、もう片方の手で漁ったカバンからお目当てのものを取り出す。
「っ」
残念そうに(なんで残念そうなんだ)しょんぼりしていた彼女はそれを見ると頬をつりあげて、膝の上でもじもじとおしりを揺らす。
だけどとても健全だ。電動マッサージ器を見てそんな『誘ってるのかな?』っていう反応してもマッサージなので健全だ。生徒会長公認の超健全な行為だ。純粋に安らぎを与える純粋性の高い行為だ。いわば純粋性行為。完全に健全。
「力抜いて……目、とじよっか」
「ぅん……♡」
たるん、と力を抜いて目を閉じる。
もしかして不健全か?という疑問がわいたけど健全なのでそんなことなかった。
スイッチを入れると、ぶぶぶぶ、と丸まった頭が震える。
まず何度か音を近づけてゆっくり慣らして、それから彼女の頬をなでる。
ぷりりりと波打つ彼女の頬をしばらくほぐして、顔の輪郭をなぞるようにあごの下をくすぐっていく。
首元を降りていけばかすかに上がる期待の声に脳を支配されそうになりつつ、彼女の肩をじわりと和らげていく。
最初はなにかしらの期待によってドキドキしていた彼女は、しばらくするとシンプルなマッサージ性能の高さにゆっくりと落ち着いていく。
あの生徒会長をほぐした実績だけのことはある。
左右の肩をじっくりじっくりとほぐしてあげれば、彼女はずいぶんと鎮静されたようだった。
「あぁ~……これ、イイね……」
「でしょ。落ち着いた?」
「うん……なんかクヤシイなぁ。てっきりイッパイ発散させてくれると思ったんだけど」
「さすがにそのハードルは越えられないね」
苦笑しつつ、そろそろいいかなとマッサージをやめる。
すると彼女はぐいっともたれかかってきて、怪しく光る瞳に私を捕らえた。
「落ち着きすぎてギャクに走れないかも」
「そうくるんだ?カケルってなんか、あんがいワガママだよね」
「キライ?」
「大好き」
ちゅっと唇を重ねる。
それだけで上機嫌に笑う彼女は、服の合間から手を差し入れて私のおなかをさする。
「ちょっと?」
「キス一回じゃエンジンかかんないかなぁ」
「だからってこんな、んっ、ちょっ、と、もぉ。ふふ」
ふにふにさすさすと身体をまさぐる手の心地がくすぐったくて笑ってしまう。
すると彼女も笑って、いたずらするみたいにくちづけが触れる。
「ねーねー。もいっこオネガイしていー?」
「なに?」
「ユミカのパンツ貸して?」
「は?」
何言ってるんだと硬直する私に、彼女は恥じらいの笑みを浮かべた。
「ちょっと、調子に乗ったせいで走れるグラウンドコンディションじゃない。わりとホンキで」
「おぉん……」
ちらっと彼女の下腹部に視線が行ってしまう。
グラウンドコンディション不良。
……とてもよろしくない。
「はぁ。なんかこう、これを青春と呼びたくない」
「えぇー。若さゆえのやつだよ」
にやにや笑う彼女に呆れつつ、バッグから取り出した未使用のやつを差し出す。
「え。なにこれ」
「ご所望の品ですけども」
「なんでこんなの持ってるの?」
「や、まあ、なんか常備してる」
かつて親友に濡れてる疑惑をかけられたときから、なんだか気になって替えを持ち歩くようにしていた。今のところ出番はなかったけど、まさか本当に役に立ってしまうとは。
しみじみ思っていると、彼女は穏やかな笑みとともに下着を差し出してくる。
「アタラシイ ノ モッタイナイ カラ ユミカ ガ イマ ハイテル ノ デイイヨ」
「ムリ、かな」
「なんでだよぅ」
「……整備不良?」
「ほほぅ」
じろじろと見下ろされてひどい羞恥心にさいなまれる。
だってあんなのされたんだからしかたない。どちらかといえば私のほうが替えたいくらいなのに。
「気にしないよ?」
「ならそもそも替えなくてもいいから」
「むむっ。たしかに」
しぶしぶうなずいた彼女は私から降りるとユニフォームに手をかけて―――
「待って待って待って。私外いるから」
慌てて逃げ出そうとするのに、扉にせもたれるようにしてふさがれる。
正気なのかと目を見開く私を見つめながら、するる、と降りるユニフォームの下。
ジャージに隠されて内部は見えないけど、そんなことは全く救いにならない。
「あの、えっ、」
「熱くなってきたかも……♡」
「うそでしょこの人ナニを原動力に走るつもりなんだ……」
必死に顔を背けて見ないようにして、彼女の着替えの音を聞かされた。
見てないし変な音も聞こえないから多分健全だった。
その後女子長距離で大会記録をたたき出した彼女の流す汗が、不思議とキレイに思えなかったのはたぶん気のせいだろう。
称えればいいのか祟ればいいのか分からないや……。




