061 甘やかし下手なOLと
ごろんと寝返りをうつ。
ごろんごろんと寝返りをうち続ける。
やがてちょうどいい感じの位置を見つけて、私は満足の吐息。
けれどなにか口寂しくて彼女を見上げた。
「おねぇさん、なにか食べ物がほしいです」
「……めっっっちゃくつろぐやん」
あきれつつも、机に身を乗り出してチータラを取ってきてくれるお姉さん。そのやさしさに甘えてあーんと口を開くと、苦笑しながらも食べさせてくれる。
まんえつ。
「とつぜん来た思ぉたら、なんや、今日はめっちゃ甘えんのね」
「買ってませんしねぇ。お姉さんは不満でしょうけど」
「おあいにくやけど、最近はぼちぼち平和にやらさせてもろぉてんよ」
「ふぅん」
懐から取り出したリルカをくるりと回す。
お姉さんの眉がぴくっと弾んだのを見逃さなかったけど、知らんぷりでまたしまった。
持ってきてるし、使うつもりだけど、今はまだその時じゃない。
アツアツな姉さんにさんざん甘やかされたのに、今度は彼女に甘えようというこの甘ちゃん具合。自分で自分が悲しくなるけど楽しいからしかたないね。
「ところで、私ちゃんとみんなに言ったんですよ。好き勝手やるからって」
「おおそれは……ほめてええんかビミョーやけど。まあ、頑張ったんならええわ」
ようやったなぁ。
優しく微笑んだお姉さんに頭をなでられる。
やっぱりなんだかんだ大人のひとなので、甘やかされると素直にうれしい。
私は、お姉さんに目いっぱいのむふふとした幸せな笑顔を向ける。
「だからお姉さんにも好き勝手しようかなーって」
「ウチは言われてへんけども。ってか、そんで膝枕なん?」
「これまでもお姉さんにふとももを好き放題させてあげたじゃないですかぁ」
「語弊あんねん。好き放題はしてへんし。まあええけど」
やれやれと首を振りながらもあんがいあっさりと受け入れてくれる。
これが大人の余裕というやつなのだろうか。
まあ床上手(自称)なくらいだし女子高生のあれこれなんて些細なことなんだろう。
「そういや好き放題で思い出してんけど、金ぇ返すわ」
「え?なんですか?」
「この前のでちょうど一万円やん。キリええほうがええやろ」
そう言って私を下ろそうとしてくるので抵抗する。
「いやいや、いいですよそんなの」
「大人として示しがつかんのよ」
「いいですって」
「いーやあかん」
私が拒否しても、頑固なお姉さんは首を縦に振らない。
どうやらどうしても私にお金を払いたいらしい。
なんていう大人だ。
私は最終手段に打って出た。
「ちょお。返すってのにまたやんの?」
「今回はちょっと趣向が違いますよ」
ぐりぐりとリルカを押し付ける。
お姉さんは渋りながらも手を伸ばしてスマホを拾うと、ぴぴ、と私に買われた。
ぐいと引き寄せながら膝の上を転がり落ちて、前のめりになる彼女と目を合わせる。
「今日は私、お姉さんを甘やかしませんから。むしろお姉さんが12,500円分私を甘やかしてください。これなら受け取ってあげます」
「なんやよそれ」
「ほらほら、30分しかないんですからね」
はやくはやくと急かすと、お姉さんは盛大に溜息を吐いて身体を起こす。
そしてひとりベッドを降りると、私をお姫様抱っこで持ち上げた。
「わぁ」
「ほないこか」
「へ?」
なにごとかと目をぱちくりさせる私は、そのままお姉さんに連れられて玄関に。
「戸ぉ開けて」
「え、はい」
開ける。
そしたらお姉さんは当然のように私を外に連れ出して、そのままエレベーターに。
「え。え、は?はぁ!?や、え、待ってください待ってください。嘘でしょう外ですよ?」
「ウソやないよ。あんま暴れんといてな」
「やややや!ちょっと!私クツも履いてないのに!」
「ええやん。抱いとるし」
「よくないですけど????」
カッカッカと笑うお姉さんはまったく取り合ってくれなくて、けっきょく駐車場まで連れられる。
そして乗せられるのは空色のオープンカー。
よく分からないけど高いことだけは分かる。
「な、いったいなんのつもりですか!」
「言うたやん。甘やかすんやろ」
「く、車で……?」
「んー。ちょいとちゃうかな」
きーききっきー、ぶぅん、とエンジンがかかる。
助手席に座らされた私はよく分からないながらもとりあえずシートベルトを着ける。
「あれ」
おかしい。さすところがない。
どこかに埋まっているのかと漁っていると、ふいにお姉さんのにおいが近くに触れる。
「ん。貸しいな」
お姉さんは私のシートベルトをつかんで、きゅうっと私を閉じ込めた。
ひとにシートベルトしめられるの、なんか、すごいイイかもしれない……。
そんな風にどきどきしていると、お姉さんはサングラスをかけてにやりと笑う。
「まだときめくんは早いで」
千年の恋も冷めるキメ台詞だ。
かわいい。
恥ずかしがって頬を染めながらフロントミラーをいじるのも芸術点高い。
「ちょぉ。なんか言いや」
「4,008円分くらいは可愛かったです」
「端数どないなっとんねん。高いんか安いんかよう分からんし」
「女の子48分と少しくらいですけど」
「……いや、やっぱ高いんか安いんかよう分からん」
やれやれと首を振ったお姉さんは、それはさておき車を発進させる。
駐車場を抜けてぶぅんと走らせる横顔をちらっと見ると、にっこりとほほえみを向けられた。
「なるほど」
たしかにこれはいいものだ。
車の助手席に座るというだけで、こう、なにかとても親密な間柄のように思えてくる。
私の中の乙女回路にぎゅんぎゅんと電流が流れている感じがする。おかげで頬が赤く染まるのを自覚して、もう4,008円分くらいはあげてもいい気分になった。
「大人のひとって、こんなのじゃ全然なんとも思わないんですかね」
「すくなくともウチはどきどきしとぉよ。自分のこと大好きな子とドライブデートやもん」
「うぬぼれ屋」
「手キビしいなぁ」
からからと笑うお姉さん。
まあ、じっさいあながち自惚れでもない。お姉さんのことは大好きだ。
ただなんだか、彼女に余裕があるのがちょっとムカつく。
―――ムカつく、けど。
「……いいですね、ドライブデートって」
車の中で余裕がない人とか生命的な観点から見たくもないので、大人しくシートに体を預ける。
「せやろ」
彼女のしたり顔がやっぱりなんだかムカつく。
私は口をとがらせて、するとお姉さんはまた笑って。
ついついつられて私も笑って、しばらくふたりで笑いあった。
それから。
私は笑いをかみ殺しながら、彼女を見上げる。
「―――ところで、『せやろ』ってことはほかのだれかとしたことがあるんですか」
「ぉん……」
私がにこにこと問いかけると、彼女はまるで失言をとがめられたみたいに口をつぐむ。
どうやらあるらしい。
別にただの興味本位だったのに、そういう顔をされると嫉妬のひとつもしてみたくなる。
運転の邪魔にならないていどに身を乗り出して、前を向こうと頑張るお姉さんの視界の端っこでじぃぃぃぃっと見つめる。
「大学生の頃ですよね。社会人になってからは恋してないとか言ってましたし。ちなみにどっちですか?乗ったほう?乗せたほう?」
「や、あんな、べつに普通の元カノやで。今はほとんど連絡もとっとらんし」
「そういえばセックスは上手って言われるんですよね。その人も言いましたか?その人も抱いたんですか?」
ずずぃ。
「な、なんでそないなこと聞くんよ」
「おねぇさんが浮気バレみたいな反応するからですよ。そんな嫉妬してくださいみたいな顔されたら嫉妬くらいしますよ」
「あー……なんや、えっとぉ」
視線をきょろきょろ右往左往。
だけどけっきょくいい言葉は思いつかなかったようで、彼女は溜息を吐いた。
信号が赤になって車が止まる。
ちらっと私を見たお姉さんは、それからばつが悪そうに口を開いた。
「ウチの家、広いっつっておどろいとったやろ」
「?そうですね」
「あれな、もともと大学時代のセンパイと同棲するつもりやってん」
なにが関係あるんだろうと思ったら、お姉さんはそんなことを打ち明ける。
ぱちくりとまたたく私に、お姉さんはさらに言葉を続ける。
「結婚するつもりで付き合っとったんやけど、まあ、なんやかんやあって別れてもうて。そんであないな部屋だけ残ってな。……センパイが好きやったんよ。車」
ふ、と寂し気に遠くを見るお姉さん。
その横顔に、心臓がズキリと痛む。
うまく言えないけど、お姉さんがお姉さんになってしまったような、そんな感覚。
いつか言っていた、青春の責任が取れないという言葉の意味がすこし分かった。
たぶんきっと、社会人であるお姉さんと私は、なにかが致命的に違うんだろう。
私が幼稚だからかもしれない。
だけど、なにかが、足りない。
「ホントは今から行くとこもセンパイに教えてもらってんけど……やめよか。ややよな。ほんとウチってアカンわ」
苦笑したお姉さんがウィンカーを出すのをぽちっと消す。
驚いて見つめてくる真ん丸な視線に前を指さした。
「信号、変わってますよ」
「う、うん」
戸惑いながらも車を発進させるお姉さん。
前を向きながら、いくつかのためらいを乗り越えて口を開く。
「ええの?」
「いいもなにも、私とお姉さんのはそういうのじゃないですし」
私が淡々と言うと、お姉さんは目に見えて表情を沈ませる。
その反応だけでもう値千金だ。
私はぷふっと噴き出して、それから声をあげて笑った。
あっけにとられるお姉さんがなにごとかとちらちら私を見てくるから、私は満面の笑みを見せつけてあげた。
「元カノさんとの思い出を、私にくれるんですもんね。これからはドライブデートも、今向かっているどこかも、私との思い出ですから」
お姉さんは目を見開いて、そうしてふっと笑う。
「けっきょくゆみちゃんに甘やかされてまうわ」
「ふふ。これからたくさん甘やかしてくれるんですよね?」
「ん。せやな。まだまだ挽回のチャンスはあんな」
片手を伸ばしてごしごしと頭をなでられる。
力強い手つきがなんだかうれしくて、私はウキウキだった。
―――けど。
そんなこんなやってたら普通に道を間違えて、なんなら久しぶりだからあんまり覚えてなかったくせにカーナビを使わないとかいう横着をかましたせいで到着するころには30分経過してしまう。
しかもその到着した先がスーパー銭湯という……この……なんだろう、こう、お姉さんはけっきょく残念な感じなんだなぁっていう。ね。
それでもなんだかんだ楽しかったし、そこそこ甘やかしてもらったので良しとした。
こんどから、お姉さんにリルカを使うときはどこかおごりで遊びにつれて行ってもらうことにしよう。うん。




