056 憂鬱な後輩ちゃんと(1)
「センパイ……みう、カエりたくないっす」
そう言って見上げる彼女を、私は当然に受け入れた。
愛する人にこんな顔をされて、抱きしめない人間がどこにいるだろう。
焼けつくように熱い胸の疼きが私の心臓を弾ませて、心根からしとどに濡れていく。
姉さんのいない、ふたりきりの夜だった。
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相思相愛な彼女たちも片想いな彼女たちも好きでいていいらしいと分かったので、私は全く自重することなく夏休みを満喫していた。それでもリルカを使う機会があるっていうんだから私の欲望もどうかしている。
そんなある日、後輩ちゃんが突然やってきた。
インターホンの向こうで、ノースリーブのパーカーにミニスカートとかいう動きやすそうなスタイルの彼女がにぱっと笑っている。
お昼も過ぎてまったりとしていたところだった。
姉さんにたっぷりと甘えた余韻に浸っていた私がうっかり姉シャツ一枚で応対してしまったものだから、彼女はにやにやと笑った。
「センパイ、きょーはずいぶん無防備じゃないッスかぁ♡」
「え?あ、うわっ、ちょっ、上がって上がって」
慌てて彼女を招き入れて扉を閉める。
多分ご近所さんに目撃されたりは……していない、はず。おそらく。きっと。信ずるものは救われる。
「ごめんねこんな見苦しい感じで」
「いやいやいーんッスよー♪むしろ役得っす♡」
「それはそれではずかしいなあ」
そんなこんなを言い合いながら、まあ一回見られちゃったしいいかなとそのままリビングに案内する。飲み物を用意していると後ろから抱き着かれて、危うく野菜ジュースをこぼしそうになった。
「んふふ~♡なんか今のセンパイめちゃくちゃエロいッスよぉ♡」
「そういうとこけっこうヘンタイみたいだよね」
「やーでもこんなんほぼ誘ってるじゃないッスかー♡」
ふんすふんすと鼻先を背に擦り付けて、腰とか太ももをなでさする後輩ちゃん。
今日はなんだか妙にスキンシップが過剰だ。
なんとなくその様子が引っかかって、だけど言葉にするには不確かだったから、私は振り向いてくちづけた。それからつんっとおでこをつついて笑う。
「もうちょっと待っててね、せっかちさん」
「むぅー!なんかセンパイがセンパイぶってるッスー!」
「先輩だからねー」
ぶぅたれる彼女と片手でいちゃいちゃしながら飲み物を用意する。
お菓子はなにかあったかなと探っていると、彼女がはいはーいと元気よく手を挙げた。
「せっかくだからクッキーとか作りたいッスー!」
「クッキーかぁ……お買い物つき合ってくれる?」
「もちろんッス!こーみえて荷物持ちは得意ッスよ!」
そう言ってぷにっと力こぶを見せてくれるけど、柔らかそうだなぁという感想しかなかった。
かわいい。
むしろ私が荷物持ちになりたいところだったけど、そんなに張り切ってもらうと手腕を発揮してもらわないわけにもいかないだろう。
ということでクッキーの材料を買い出しに、私は彼女と近所のドラッグストアに向かうことにした。
家からはスーパーよりも近くて、コンビニよりそういう食材がそろっている。
今日は曇りだけど、夏だけあってじめっと蒸し暑い。
にもかかわらず彼女は腕に抱き着いてすりすり甘えてきて、うれしいやら暑いやら気持ちいやらうれしいやら。塗りあいっこしたばかりの日焼け止めがさらさらの肌触りで、これはこれで乙なものだった。
「ふたりでお買い物ってなんかアガるッスねー♪」
「ふふ。うん。ちょっと特別感あるよね」
「ご近所さんに見られちゃうッスね……♡」
彼女はにんまりと笑みを深めて密着度合いを増す。
だから私はそれに応えて、チュッと額にくちづけた。
ぱちくりと瞬く彼女にくすっと笑い、するりと抜き出した腕で彼女の腰を抱き寄せる。
「私はこっちのほうが好みかも」
「……ッス……♡」
ひっそりと頬を染める彼女も同意してくれるみたいで、すすっと身をゆだねてくれた。
とてもかわいい。
にこにこしながらドラッグストア。
食料品のコーナーを目指していると、ふと何かを見つけた後輩ちゃんがすたたたーと離れていく。どうしたことかと追いかけてみると、彼女はなんともまぶしい笑顔で箱を差し出してきた。
……うーん、薄型。
「これほしーッス!」
「そんなお菓子ねだるくらいのノリで……戻しなさい。余計なものは買わないの」
「えー!よけいじゃないッスよママー!」
「ダメですー。ほら、早く帰ってクッキー作るんでしょ?」
「ちぇーっ。マーブルクッキーにしてくんないとやだッスー」
「はいはい。ココアも買っていこうね。チョコチップは?」
「ナッツの薄いのがいーッス!」
むぎゅっと抱き着きながらしれっとカゴに入れてくるブツを棚に戻しつつ。
食料品のコーナーを覗いてみると、バターと小麦粉くらいはあったけど、ほかの材料はなかった。どうやらドラッグストアを過信しすぎていたらしい。
「これはスーパーとか行かないとかな」
「もちょっとデートえんちょーッスね♪」
「ふふ、そうだね」
うれしいことを言ってくれる彼女をぎゅっとして、結局何も買わずにドラッグストアを出ることにした。
「あ、センパイ買い忘れてるッスよぉー♡」
……出ることにした。
「ちょっ、ムシはひどいッスってば!」
「あのね、私が思春期真っ盛りってことをもうちょっと理解してほしい」
「そのつもりッスよ……♡」
ぎゅ、と胸を押し付けてくる後輩ちゃんに、一瞬呼吸を忘れる。
このささやかなサイズ感がまたどうにも。なにせしっかりと心音が伝わって、彼女もまたドキドキしているのだとダイレクトに伝わってくる。
「……そういうのはナシです」
「ちぇー。ザンネンッスねー」
……冗談めかして笑いながら、彼女は本当に落ち込んでいるような気がした。
本気で私とそういうことをしたいから、というのとは、なにか、違うような気がする。
まあぜんぶ『気』なんだけれど。
「!えへへー♪なんッスなんッス~♡」
「ちょっといちゃいちゃしたい気分」
彼女の指と交流してみても、彼女の気持ちは分からない。
だけどともかく今のこの笑みが、嘘と思えないからそれでいい。
けっきょく私たちはスーパーまで、ちょっぴりお散歩デートを楽しんだ。
後輩ちゃんが荷物持ちではなく太鼓持ちだった、ということだけは明言しておきたい。




