045 険悪なスポーツ娘と女子中学生と(2)
誤字報告ありがとうございます
リルカで買った瞬間に、カケルは私を強引に奪い取って拘束する。
「ユミ姉から手を離して!」
「えぇー。どうしよっかな」
「カケル、あんまりいじわるしないであげて?」
「はいはーい」
私が言えばあっさりと解放してくれる。
そうしたらまたすぐに私を奪い取ろうとするメイちゃん。
彼女の手をキャッチして、もう片方でカケルの手を取って、私はふたりに挟まれるような形でベンチに座った。
まずはメイちゃんと向き合おうとして、彼女がずっとカケルを睨んでいるから頬を挟むようにして強引にこっちを向かせた。
「メイちゃん。そんなふうに人を睨んじゃいけないよ」
「だって!恋人じゃないのにチューするなんて、この人おかしい!」
「違うの、メイちゃん」
やっぱりそういう勘違いをしていた。
それともそうしたがっているのだろうか。
彼女の様相は、まるで切羽詰まっているようだ。
だからこそ私は否定しなければならない。
「メイちゃん。私、たくさんの人にもこういうことしてるし……それに、ああいうことしてる」
「っ、嘘だッ!」
メイちゃんが吠える。
手を振り払われたと思ったときには、泣きそうな目が間近にあった。
「そんなのおかしいよ!ユミ姉どうしちゃったの?!そんなことユミ姉はしない!しないでしょ!?」
「ごめんね。私は、好きな人に求められたら……ううん。好きな人とは、誰とだって、キスみたいなことを、したくなっちゃうの」
「そんなの……」
彼女の瞳が溶け堕ちる。
私のせいで彼女が泣いている。
どうにかしてあげたくて涙を拭う手が振り払われて。
ちゅ。
と。
彼女のくちづけを、手のひらで受け止めた。
彼女は呆然と顔を離して、それからくしゃりと顔をゆがめた。
「なんでよぉ……ユミ姉、わたし、ユミ姉のこと好きなのに、なんで……なんで好きになってくれないの……」
「違うよ。違うの。好きだよ、メイちゃん」
「じゃあなんでキスしてくれないの!したくないんでしょ!好きじゃないから!ねえ!」
「違うの」
言葉が上手く作れない。
持て余した感情がわだかまって、狂いそうなもどかしさに涙さえこぼれた。
「だけど、ダメなの。メイちゃん、だめなんだよ」
「なんで!わたしとだってキスしてよ!ユミ姉の言ってること意味わかんないよ!」
「おねがい……だめなの……メイちゃんのことは大好きだよ。キスだってしたいよ。でもだめなの……」
「なんで!」
それを妨げる私の手を殴りつける勢いでキスを求めてくるメイちゃん。
あんなに可愛らしくて、優しい子にこんなことをさせているのだという絶望的な感触があった。
いっそのこと彼女とキスすれば丸く収まるのだろうかと思いそうになって。
だけど、だけどそれが最悪の手段だと私には分かる。
だってメイちゃんのキスは、違う。
少なくとも今求められているそれは違う。
きっと誰よりもメイちゃんが後悔する。
そうと分かるから彼女を拒む。
彼女の乱暴を振り切って、彼女をぎゅっと抱きしめた。
びくっと震えて引き剥がそうとする彼女を、逃さぬようにと強く強く。
「おねがいメイちゃん。私、私メイちゃんが大事なの。大好きだから」
「じゃあキスしてよ!だ、誰とでもするんでしょ!ユミ姉は、わたし以外とだって、その人とだって!」
「ちがうっ!違うよ……誰とでもじゃないの……大事な人だからするの……好きな人と、喜びたいからするの」
「おんなじだよ!だったらわたしとしてもいいでしょ!」
「いま私とキスしてメイちゃんは嬉しくないよッ!」
「そんなの……ッ!」
私の言葉をとっさに否定しようとして、言葉が出ずに彼女は唖然とする。
それからまたくしゃりと顔を歪めて、力なく私の胸にうなだれた。
「なんで……意味分かんないよ…………好きなのに……嘘じゃないのに……なんで……やだよこんなの……ユミ姉…………………………………きもちわるい、よ……」
心臓に突き刺さる彼女の嫌悪。
多人数と関係を持つということ。
この日本で育まれたきわめて一般的な倫理観がそれを拒絶している。
大好きな人に、そんな感情を、抱かせている。
悲鳴を上げて逃げ出したくなる私の肩に、励ますように手が置かれる。
その力強さに支えられて、どくどく嫌な音を立てる心臓を少しずつ落ち着かせていった。
呼吸の仕方を思い出すことにさえ時間をかけて、だけどその間、メイちゃんは身じろぎひとつもしなかった。
「ごめん、ね……ごめんね、メイちゃん。私が、私がこんな、」
「ユミカ。それはダメだよ」
カケルの手が私の口を塞ぐ。
いやいやと首を振る私を、彼女はいっそ睨むように見ていて。
「ユミカが言ってくれたんだよ。キレイだって。それなのに、ワタシなんかよりずっとキレイな、ずっとまっすぐなスキをくれるユミカがそれを否定するのはおかしいよ」
「でも、だって、」
「それともユミカは、ホントにテキトーな気持ちでワタシたちにこういうことしてるの?」
「ちがう!そんなことない!」
その言葉はなんどだって否定できる。
誰になんと言われようと揺るぎない。
不純物だらけの行為でも、その奥の気持ちは純粋だった。今だって、これからも。
「好きだから……好きだけど、そんなのみんなに言うのはダメだから、でも、もっと欲しくて、」
口からこぼれるのは私の欲望の塊だ。
怖気が走るほどの強欲がのうのうと人の姿で語っている。
それなのにどうしてカケルはそんなに優しい目で見てくれるんだ。
「だから、みんなを買って、それで、」
「……ユミ姉、は」
かすれた声が問いかける。
振り向いても彼女は俯いて顔が見えない。
「ユミ姉は……私が、例えばもっと前に……キスしてって言ったら……して、くれた?」
「……しなかった。メイちゃんのこれからを受け止めるには、私は、全然足りないから」
中学生と高校生。
たったいくつかの年齢差。
それなのに彼女の将来を憂うのは傲慢だろうか。
それでも、私にとっては妹みたいな彼女の、そのとても大切なものを、私なんかに差し出すべきじゃないと、そう思う。
彼女は顔を上げて、強い瞳で私を見上げる。
「ユミ姉は、それなのに、わたしと……わたしが、欲しいの?」
「……うん」
面と向かって頷くのは勇気が必要だった。
それでも尋ねられたのなら応えない訳にはいかなかった。
矛盾したことだと思う。
それなのにどちらも本心だなどと、そんな都合のいい言葉を私は振りかざしている。
事実だからなんだというのか。
事実ならなおのことだ。
それはつまり私の強欲を、最低な不誠実を示しているだけのことだ。
メイちゃんは顔をしかめて、小さく、サイテー、と、そう呟いた。
「サイテーだよ、それって」
「うん」
「そのクセいまさらほかの人もとか、ずるいよ。わたしはユミ姉だけなのに、ユミ姉はたくさんのうちのひとりにしようとしてる。そんなのっておかしいよ。サイテーだよ」
「うん」
「なんでそんな簡単に頷けるのッ!」
頬が弾けて、視界が明滅する。
だけど顔を前に向ければ彼女はいるんだ。
たとえ彼女の手で眼球が潰されたって、私は文句をつけられない。
だって正論だ。
自分で自分に何度も下してきた結論だ。
それを彼女が嫌悪するのはいたって当然のことだ。
ゴキブリを潰したくなるのは、とても自然なことじゃないか。
「わたしっ、ユミ姉はっ、わたしに嫌われてもいいのッ!?」
「やだよ。やだけど……こんなの……嫌うなって言える方がおかしいから……」
彼女の顔を見なければいけない。
そう思うのに、地球があまりにも重いから、どうしたって俯いてしまいそうになる。
そんな私の胸ぐらを、彼女は思い切り掴み上げた。
「言ってよッ!」
ガツンと脳が殴られる。
理解を通り越して彼女を求めていた。
「やだよ、嫌われたくない、メイちゃんに好きでいてもらいたい、もっとずっと好きになってもらいたい……っ!好きだよっ、でも、でも言えないんだよっ、誰よりも好きって!好きって、言いたい人がたくさんいるんだよ……ッ!でもッ、でも、好きなの、こんな、こんな私でも、嫌いになってほしくない……!」
年下の女の子に縋り付いて、私は無様に彼女を欲する。
家族である姉さんと同じくらいに……いや、彼女もまた家族だから当然に、誰よりもずっと傍にいた。
そんな彼女を失うことは、どれだけ賢し気な言葉を重ねても、仕方がないと言い訳しても、どうしたって受け入れがたかった。
「おねがい……めいちゃん……おねがい……おねがい……」
カケルがそこにいることさえ忘れて泣きじゃくる私の頭を、ぎこちない手がぎゅっと抱く。
とくとくと弾む心音に、涙が次から次へと溢れた。
「嫌わないよ、嫌えないよ、ユミ姉」
「めいちゃん……」
「ユミ姉とおんなじ……わたしだって、ユミ姉のこと、ゼッタイ嫌いになんてならないよ」
「でも、でも」
「そりゃあ……すぐには受け入れらんないけど……でも、わたし、ちょっと納得したんだ」
顔を上げると、彼女は困ったように笑っている。
彼女の笑みをもう一度見られたことへ安堵しながら、彼女の言葉に耳を傾けた。
「だって、わたしと婚約してくれた時から、ユミ姉っていろんな女の子にそういうことしてたし」
「え゛」
「うわー、筋金入りなんだ」
後ろでカケルがけらけら笑っているけど、私としては笑い事じゃない。
言われてみると私ならやっていてもおかしくはないと思えるけど、そのうえで間違いなくそいつ頭おかしい。
「みんなは冗談だと思ってる子ばっかだったけど、幼稚園で結婚ごっことか流行ったんだよ」
「まって。それって私小学生だったんだよね?なんで幼稚園でそんなのが……?」
「ユミ姉って年下好きなんじゃないかな。半分以上わたしと同い年の子だったよ」
「ひぇっ」
「あはは、ロリコンじゃーん」
だからさっきから笑い事じゃないんだってば。
いや冗談として処理してくれてるならいいんだけど、なにより問題なのは半分以上とかいう割合でさえムーブメントを引き起こすような人数だ。
いったい全部で何人の子と私は婚約したことになるんだ……?
冗談じゃない。いや冗談でよかった。むしろ多人数のおかげで本気に見えずらかったのかもしれない。いや私はたぶん本気だったんだろうけど今の私からすれば冗談じゃない。ほんとに。
っていうかそう、思い出した。
そう言えばあの頃なんか妙におっきい家に憧れてたんだ。マンション丸々私んちみたいな。
バカじゃないかな私……?
「私って昔からそんな……」
「でも考えてみたら、四クラス分くらいは告白してるって知ってるのに、わたしユミ姉の告白を真に受けて、ずっと嬉しかったんだよ」
「まって、思いがけない数字に処理が追い付かない」
四クラス分……?
幼稚園のクラスか小学校のクラスかにもよるけどざっと百人とかに迫ってません……?
そんな私の驚愕をよそに、メイちゃんは飛び切りの笑顔を浮かべる。
「それって、ユミ姉の告白が、ホントの本気に見えたって言うことだよね。たくさんあっても、それでも気にならないくらい」
「うんと……そういう見方も……まあ……」
「それにそれに、わたしそういえばね。ウェディングドレスとかネットで調べて、タマちゃんといっしょにどれ着ようねって相談してたんだよね」
「たまきにまで言ってたのか……」
今は昔の幼馴染たまき。
最近はめっきり連絡を取っていないけど、たしかに昔の私ならやりかねない。
というかわたしと同い年のたまきから幼稚園児のメイちゃんまでって……わたしのストライクゾーン、当時からしたら広すぎじゃないだろうか。小学生なんだよ?最強か?
「そう考えるとわたしって、意外とユミ姉をシェアするの気にしてないのかも?」
「気にした方がいいと思う。よくないのに引っかかるから」
「ユミ姉がそれ言うの?」
ぐうの音も出ないというか出すつもりもない。
私。
彼女を大事に思う気持ちが私を拒絶するのに彼女を好きな気持ちが求めてしまう。
どうしたらいいんだこいつ……。
「んーじゃあ試してみれば?ちょうどワタシもいるしねえ」
「……まだわたしあんな見せつけようとしたのムカついてますけど」
「じゃあユミカのこと嫌いになっちゃえば?ユミカはワタシのこと大好きだからねぇ」
「はぁ?なに言ってるんですか」
「あ、あの、落ち着いて……ね?ほら、ふたりがケンカしてると悲しいなあ」
仲裁しようと声をかければ、ふたりの視線が収束する。
なんか最近視線の痛みソムリエになれそう。
片方は槍のように鋭い痛み、片方は毒薬みたいにじわりと侵食する痛みですね。
「……ところで腹筋のやつまだ引っ付いてるの?」
「……ああ、そう言えばそれがちょうど手元にありましたね」
「まって。よくないよ」
自然な流れで羽交い絞めにされて、リンゴが木から落ちるように腹筋にパッドがはりついた。
「あのね、あんまり使い回すのはどうかと思うの。なにせ肌に使うものだし」
「こうしたら少しは仲良くなれるかもだからさぁ。諦めて?」
にっこりと笑みを向けられる。
メイちゃんに助けを求める視線を向けてみると、彼女は彼女でいつの間にか奪ったリモコンを手ににっこり。
「ユミ姉は八つ当たりしてもわたしのこと嫌いにならないもんね」
「突然今日の記憶が喪失したかもしれない」
「電気ショックで思い出すかな」
「やめああああああああ―――ッ!!?!?」
「まだ腹筋がなんか……ぴくぴくしてる感じする……」
「あはは。災難だったねえ」
「すごい、他人事だ。ウソでしょ」
わざとらしく驚いてみても、彼女はどこ吹く風。
アルバイトからの帰り道、パン屋さんの隣に住んでいるメイちゃんはそのまま直帰したから、私とカケルのふたりきり。
家に帰るまでの短いデートだって笑う彼女と手をつないで、ほんの十数分もかからない道を歩いていた。
「……ねえ、そこの公園寄らない?」
「お、ユミカの方から誘ってくれるんだ。うれしい。ワタシも誘いたかったんだ」
「そっか」
本当に嬉しそうに、小首をかしげて笑うカケル。
そんな彼女にまた惹かれていくのを感じる。
デートという言葉がいけないんだと、いつかも思ったような気がした。
私たちは近くの公園を訪れて、ベンチに並んで座った。
違う公園だけど、いつかのことを思い出していた。
「……カケル、さ。メイちゃんのこと、あんまり好きじゃない?」
それはなんとなく感じたことだった。
私に無理やりキスをさせる悪者。そんな演技とは別で。
なにか、彼女は、メイちゃんへの当たりが強かったような気がした。
私の問いかけに、彼女は空を見上げている。
まだ太陽は高くて、日差しは眩しい。
そういえば彼女はけっきょくパンを買わなかったなと。
彼女の横顔を眺めながら、そんなどうでもいいことを思った。
「……ワタシさ、ファーストキスの相手のこと知らないんだ」
「え」
あまりに最低限な言葉数で、彼女の真意が測れない。
心配になるような想像も脳裏を駆け巡って、彼女の服の裾を掴んだ。
だけど彼女は苦笑して、私の想像を否定した。
「シンパイするようなことじゃなくてねえ。無理やりとかでもないし。それに顔は知ってるし、声も知ってる。あとは……カラダも、知ってる」
その言葉でようやく理解する。
彼女は、太陽の眩しさに涙を流しながら私を見た。
自嘲的な、泣き出す一瞬前みたいな、胸が苦しくなるような笑みを浮かべて。
「だからさ、なんか……あの子はユミカとファーストキスできるのかなって思ったら、ムカついちゃった。あはは」
バカみたい、と。
彼女は笑う。
軽々しく、軽薄に、吐き捨てるみたいに、残酷に。
そんなものを見せられて、黙っていられるなら私は彼女の本気を受け入れたりしなかっただろう。
「カケル、おでこ出して、おでこ」
「え?」
戸惑いながらも素直に出してくれるあたりが愛おしい。
私は妙な緊張に唾を呑んで、彼女と額を重ねた。
少しだけ汗ばんだ、皮に包まれた硬い感触。
頭蓋骨の向こうにあるのは、彼女の想いを作る場所。
べつに何気ない動作だ。いや何気ないとまではいかないけど、まあ、キスよりは敷居が低い気がする。でもなんでもいい。こんなこと、好きでもなければやらないはずだ。それだけでいい。
「カケル、あれだからね。あの、そういう人たちとは、こんなことしなかったでしょ?」
「う、ん」
「だったらほら、これこの……なんだろこれ……デコピタ?ファーストデコピタは私がもらったぜ、みたいな」
我ながらバカだと思う。
それでも。
「ふ、ふふふふっ、くふっ、あははははははは!!!!!」
彼女が笑ってくれたから、それで大満足だった。
腹を抱えて笑い転げる彼女にたまらなく恥ずかしくなって、私はベンチから立ち上がる。
「もう!そんなごろごろしてないで行こ?私おなかペコペコだよ」
「ふ、ふっ、ふはっ、だって、デコピタっ……ぷはっ、ひふっ、ファーストデコピタっ!語呂わるっ!ってゆーかぜったいそれママだし!ぜんぜんファーストじゃないし!」
げらげらと笑いながら、彼女は私の手を取った。
もちろんこれから帰るんだ。
だけどちょっぴりおなかが空いたから、遠回りしてご飯を食べてみたり、腹ごなしにショッピングをしたりするのなんて、別におかしなことじゃない。
それだけのささいなデートだ。
彼女とならば、全然物足りないくらい。
「……あ、でもそういえば恋人つなぎってユミカが初めてだ」
「え。私デコピタ損だ」
「そんなことないよー。うりうり」
「もぉー!ピタるなー!」
 




