270 ボクの勝負
難しい顔をしていたユミカがいつしか眠っている。
腕の中で安らかに身を委ねる彼女の存在がアレに対しての優越と、そしてわずかな後悔を抱かせた。
もしもボクとユミカだけだったのならもっと……
そんなふうに思ってしまう。
彼女はむしろ正反対のことに思い悩んでいたようで、ボクとアレとが和解できれば、なんて考えているようだ。
けれどアレを受け入れたくはないという断固たる気持ちと、そしてそんな思いを汲んでくれなかったユミカへの幾許かの怒りがボクを頑なにさせていた。
和解など到底無理なのだ。
ボクたちは今もなお、ユミカを独り占めすることを諦めていない。そもそもたった一生分しかない人生でどうして複数の人間と関係を持とうと思えるのか未だに理解できないところだ。
そんな自分であるということを彼女もまた譲らないから、そんな彼女を一応は受け入れているけれど、それは決して現状に満足しているというわけじゃない。
大学生となって一人暮らしをはじめる――それをひとつのきっかけにするつもりだった。
彼女の矯正を始める……いや。
彼女から自然とボクのそばに居て、居着いてしまうようにするのだ。生活の拠点をボクが担う。そうすれば自然と彼女の中心はボクになる。簡単なことだ。
問題があるとすれば、同じようなことを考えているだろう女がそこにいる、という点だった。
コイツの存在はボクにとっての障害だった。
そしてつまりボクもまたコイツにとっての障害だ。
互いにそうすることで思惑を潰している。
たとえユミカがボクたちの片方だけを呼んだとしても、賭けていい、そこにはこうしてボクたちが揃っていたに違いない。
抜け駆けなど許さない――特にコイツにだけは。
「はぁ」
せっかくこうしてユミカと寝ているのに余計な事ばかり考えてしまう。
気持ちを切り替えようとユミカに顔を埋めた。いつもと違う香りがする。アイツが距離を寄せてきたのが分かった。負け犬の分際で文句をつけようというのだろう。わずらわしい。
「今からでも遅くないから部屋を移ってくれないか」
「ええそうですね、なのであなたの魔の手からユミカさんをお助けしようと」
いよいよ布団に侵食を始めてきた。
睨みつけてやると睨み返される。
生意気な視線だ。
ユミカに手を回そうとしてくるのを追い払うせいでユミカを抱きしめてもいられない。やっとのことで腕を掴んで止めたかと思ったら、逆の腕は捕まってしまった。
なんでこんなやつと手を繋ぐみたいに。
「放してくれ、うっとうしい」
「あなたこそ放してください」
「……ぅむ」
ボクらのいがみ合いにユミカが気がついた。
とっさに互いを放したボクらの間で彼女はむくりと起き上がる。寝ぼけているのだろうか? ぼんやりと視線を漂わせる彼女は反応が希薄で。
「すまない、起こしてしまったかな」
「申し訳ありませんユミカさん」
「……」
声をかけたボクらにも応じず、ユミカはぽつりと。
「……わかった」
なにが?
と。
問いかける間もなく異変に気がつく。
アイツが消えた。
世界は灰色になって、ボクとユミカだけがいる。
透明なカードを使ったときのあの感覚。
いやだけど、今――
「せんぱい」
ユミカがゆっくりとボクを見た。
柔らかな笑みを浮かべて。
「『もっと正直になってもいいですよ』」
たまらずボクはユミカの肩を掴んでいた。
自分の性根に理性が出し抜かれるのは久々のことだ。
まるで黒いカードを使っているときみたいにボクだけのものになったユミカが白いカードのごとき強制力でボクの理性を破壊しようとしていた。
おかしい。
そうと思うのに目が離せない。
理性に縛られていたはずの欲が自由になっている。
きっと今のボクは彼女以外の全てを破壊し尽くしてでも彼女を独占するだろう、彼女の意志を尊厳を粉々に砕いてボクだけのものに作り替えることにさえ抵抗はない。
それをしないのはただ単に、今この時この場所で、ユミカがボクのものでしかないからだ。
「ボクはずっとキミとこうしてふたりきりになりたかったのに、キミは、なんでボク以外と、ボクが初めてであるべきだしボクからのものだけを身につけるべきだしボクだけに身体を許すべきだしボクだけと一緒にいるべきなのに、なんで、」
間違ったことを言っている自覚があった。
まるで子供の駄々みたいにユミカへと食ってかかっている。ユミカはそんなボクを愛するように喜ぶように楽しむように頷いて、
「『もっと見せてください』」
彼女の手がいとも簡単にボクを晒した。
冷気に震える肌に彼女の指が触れる。
誘われるようにボクは彼女の肌を求めて。
そうしてボクに全てを晒した彼女はもう一度口を開いて。
――同時に世界に色が戻った。
「ぁ、れ」
頭がくらくらする。とても正気じゃなかった。まるで夢から覚めたような心地だ。たとえば酩酊はこういった感覚だろうか。
見ればユミカはどこか満足げで安らかな寝息を立てている。
その向こうに、きっとボクと同じような顔をして、アイツはいた。
「いま……わたくしは……」
彼女も肌を晒していた。ボクの目を拒むように毛布をかき寄せる。ボクも同じだった。
少しずつ呼吸を落ち着けて、ようやくボクたちは互いの状況について理解を進める。
「いま、キミ……ユミカと過ごしていたかい?」
「……ええ。あなたも?」
「そうだね。多分ボクが先だったけど、そのあとに君にも同じことをしたとするなら、」
「それはおかしいです。だって、私の手でユミカさんは……」
ちらりとふたりの目が集まる。
不埒な視線から毛布で隠された彼女は少し寒そうに身動ぎした。どちらからともなく彼女を温めながら、仕方なく会話を続ける。
「……カードは使っていたかい?」
「いえ。……やはり、なにか普通ではないことが起きているのですね?」
「どうもそのようだ」
ボクとコイツのどちらもユミカを脱がせた覚えがある。
だけど時間停止の中で着直すようなことはしていない。だとするとボクとコイツの時間のどちらにもユミカが存在していたことになる。
その時点でおかしいのに、なによりおかしいのはユミカがカードを使っていないということだ。
透明も白も黒も使っていない。
それなのにたしかにそれらの影響を感じた。
まるでそう、彼女が自らその力を操っていたかのように。
「そんなまさか」
「ですが他に考えられますか?」
「じゃあタイミングの食い違いは? 分身能力に目覚めたとでも?」
「…………同時、だったのでは? 同時に私とあなたの時間を止めたせいで、ユミカさんはどちらもの時間に同時に存在していたのです」
「SFよりはファンタジーの領域だね」
とはいえカードがすでにファンタジーであって、そう考えればなにが起きたっておかしくないとも言える。
なぜ? を考えるのは、だから不毛だろう。
問題は――
「先ほどのユミカさんは……なんだか少し、雰囲気が違っていましたね」
「そうだね。超然としていたというかなんというか、ともかく普段の隙だらけな彼女とは確かに違ったと思うよ」
「あなたはどう考えますか? 次に目覚めたときも、彼女はあの状態なのかどうか」
「分からないことを考えても意味はないだろう。問題は、もしそうだった場合にどう対応するべきか、だ」
あのユミカは異様だった。
カードの力を意のままに操りボクを責め立てた。
彼女から手を出されるよりも彼女に手を出してしまうことの方がよほどボクには衝撃的なことだ。彼女はそれを知っているからただ受け入れることを選んだのだろう。
短時間だったからよかったものを。
もしもあれが続いていたとしたらボクはきっと耐えられない。そもそも当のユミカ本人が望んでいるのなら、根本的には耐える理由さえないというのに。
そしてそれはコイツも同じだ。
だから受け入れ難いのだ。
ボクはどうにかしてコイツを道連れにユミカの猛攻を耐え、コイツを出し抜いて彼女を受け入れなければいけない。同時だろうがなんだろうがユミカの時間はボクだけのものだ。そうでなければいけない
「手を組もう」
勝負しよう、とボクは言った。
「ええ、手を組みましょう」
受けて立つ、と彼女は笑った。




