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◇第1話

 ◇ 二〇二四年 十二月二十七日


 目が覚めたら幽霊になっていた。

 ……まあ、きっとよくある話だ。

 でも、本当におかしいのは──

 俺は死んだはずなのに──

 その()が目の前にいる。

 普段ヘマをしない俺が、珍しく上司に詰められていた。

 ネクタイの結び目は甘く、スーツの襟元もヨレている。

 髪も寝癖みたいに跳ねていて、整髪剤も使っていないようだ。

 俺であれば決して人前に晒すことのない無様な姿に、腹の底から苛立ちが湧き上がる。

 ……だらしないな。

 いや、でも……これ、本当に俺か?

 客観的にこんな冷静に自分を見れるもんなのか?

 理解が追い付かない。

 気づかれないのをいいことに顔を大胆にのぞき込み目を合わせようとする。

 ()は全く気付かない。どこか目が泳いでおり自信のない顔をしていた。

「三城さん、話を聞いていますか?」

 後ろから上司の低く、丁寧だが有無を言わせぬ声が響く。

 俺が怒られているわけでもないのに気まずい……いや、責められているのは、()

 それにしてもなんだこのオドオドしていて周囲を不快にさせるような態度は。

 他人から見たらこんなもんなのかもしれないが、それにしたってひどい。

『……なんだ、こいつ』

 改めてもう一人の俺を覗きこんでにらみつけるが、こちらには気づいていない。ずっと目の前の()は目の所在に困っている。

 こんな堂々としていないの。俺だと思いたくもない。

 見ているだけでイライラするが、叩くことも掴むこともできない。

 自信がなさそうな態度は腹に据えかねるが『相変わらず顔整ってるな』としばらく自分の顔に見惚れていた。

 しかしこんな()、見ていられない。早くこいつから身体を取り戻したい。

 夢だったら早く醒めてくれよ。

 それにしても死因が思い出せない。

 手元にあった缶切用のナイフがどこに行ったのか、忘れてしまった。

 頭をぶつけた記憶も……ないでもない。

 ……それとも、暖房つけ忘れによる凍死?

 まあ、餓死はねえな。

 死にてえなって、軽く考えてたことはあるけど。

 実際そうなるとは、思わないだろ。

 ──でも、なんでこんなイラついてんだろうな。


 ◇ 二〇二四年 十二月二十六日 夜


 全ての始まりは、あの忌々しい忘年会の帰りに遡る。

 日が暮れるのも早ければ、人々の歩く足も速い。そんな動きを誘うような年末の寒い日だった。

 俺、三城みき時玄ときはるは、仕事納めの忘年会で愛想笑いを浮かべ、海だったら溺れそうな量の酒を胃に流し込んでいた。

 その帰り、いつの間にか背後にいた女同僚に絡まれ、腕まで絡めとられる。

 他人から見れば「天国じゃないか」と言われそうだが、厚手の布越しに感じる二の腕のふわりとした常温のマシュマロのような柔らかさ以外は、地獄だった。

 というのも、彼女が俺の「顔面目当て」で近づいてきていたことを、人づてに聞かされていたからだ。

 イケメンとイチャイチャ恋愛──なんて、そんなナンセンスな妄想は漫画サイトの無料掲載枠で済ませていただきたい。

 ……そう思いながらも、丁重に、かつ角が立たないように、「そんな気はないんで」と冗談交じりにかわす。

 何度かやりとりをしていると、彼女は最後にこう言ってきた。

「そうやって、いつも逃げてばっかなんでしょ?」

 そして、思ったよりあっさりと夜の街に消えていった。

 ……これ、男女逆だったら言葉の槍で死体になってもなお刺されるだろ。SNSで。

 あの時は自己防衛で笑って流したが、今も思い出すと妙にムカついてくる。


 家に転がり込むなり、血の色より薄いワインを、風情なく大きめのコップに溢れんばかりに注ぐ。

 何が「逃げてばっか」だよバーーカ。

 ただひたすらに安酒を煽る。その言葉が、アルコールと共に思考を焼いた。会社に属して一年。繰り返される毎日。変化を嫌い、安定にしがみつく自分への嫌悪感。

 ──あー死にてー。

 本気じゃない。でも自分の存在が消えればなあ。

 思考がまとまらないまま一気にコップの底に残っていた、濁っている液体を胃に流し込む。

 翌日仕事納めであったが、会社へ行くのが心底憂鬱だった。

 ──ああもう、このままいなくなってしまいたい。それか全てなくなってしまえばいいのに。


 うつらうつらしていると、耳の端で音が聞こえてくる。

 酩酊した手がスマホに当たったのか、それとも無意識に自分が聞こうとしていたのか、何かの動画が再生されてしまったらしい。

 そこから流れてきたのは、穏やかで心地よい、けれどどこか底知れない声。

「シアワセになる方法を教えてあげる──」

 ──へえ、ならやってみろよ。

 じわじわと染みついた虚無感に引きずられるように──

 でも、あの声、なんとなく心地よくて。

 嘲笑う気力もなかった。ただ、画面に反射する自分の虚ろな顔を見つめているうちに、俺の意識はゆっくりと闇に沈んでいった。


 ◇ 二〇二四年 十二月二十七日


 時は少し前、今日の朝のことだ。

 目を覚ますと、目の前で俺が寝ていた。

 ……いや、正確には、「俺の身体」が寝ていた。

 意味がわからない。酷い寝相で寝てるから鏡じゃない。夢か? 幽体離脱ってやつか?

 布団をめくろうと手を伸ばしたら──指が、すり抜けた。

『は?』

 布団だけじゃない。部屋のドアも壁も、触ろうとすると手応えがない。

 身体も軽い。息をしてる感じもしないし、鼓動も聞こえない。

 ──なんか、やばくないか?

 ……いや、でも、逆にこういうのって、リアルな夢の定番だなって一瞬思って、ちょっとテンションが上がった。幽体離脱、成功した人ってこんな感じなんだろうか?

 じゃあ、試しにちょっと外出てみるか──と、玄関のドアに近づいたそのとき。

 厭なタイミングで今日が仕事納めだったことを思い出した。

 ──ああ、早く起きなければ。

 自分の社畜精神が厭になる。

 しかも、もしこれが幽体離脱だった場合、たしか本体からあんまり離れすぎると、戻れなくなるってネットに書いてた気がする。

 ……っていうか、俺の身体、勝手に誰かに使われてたりしないよな?

 慌てて自身の身体の前に戻る。

 寝顔をのぞき込んで、無言で睨みつけた。──ぐっすり寝ている「俺」。いや、もうどっちが本物わからない。

 顔は俺。髪の分け目も、寝癖の付き方も俺そのもの。

 でも、かなり違和感がある。眉間のシワの寄せ方とか、手の置き方とか、寝相とか、見た目は俺だが──俺じゃない、気がする。

 確かこういう時、フィクションだと自分の身体に飛び込めばいいんだっけか?

 布団をプールに見立てダイブしようとした時、「俺の身体」が瞼を擦りながら上体を起こした。

 その瞬間、時間が止まった気がした。

 ()()()()が動いた。俺じゃない何かとして──むくりと起き上がった。

 自分の身体を見下ろしながら、ただぽつりとつぶやく。

 『……どうなってんだ?』


 その後、()は鏡の前に立ち、なぜかかっこつけたポーズをとり始めた。

 ……なんだ、それ。

 なんか、腹立つ。

 続けて、()は慌てた様子で俺のスマホを手に取る。

 画面をのぞき込んで、時計に目をやった。

 ──始業時間は、とうに過ぎていた。

 冷汗が出る感覚こそないが、肝が冷える。

 こんな初歩的なミス、俺ならしない。……いや、今日に限っては、俺も怪しかったかもしれない。

 昨日は明らかに飲みすぎた。反省。

 にしても──

 目の前の()が、スマホ片手にぽつりとつぶやいた。

 「会社の場所、どこでしたっけ?」

 ──は?

 半年以上通ってる場所だぞ。忘れるなんてことがあるか。

 状況を理解しきれないまま、背筋がじわりと冷えていく。


 そうして()の後をつけて外に出ると、違和感が増していった。

 人通りの多い道なのに、誰一人として俺の存在に反応しない。

 すれ違った人間が、まるでそこに何もないかのように俺の肩を通り抜けていった。

 自転車までもが、何事もなかったように俺を貫通して走り去っていく。

 会社に着くと、()──いや、あれはもう俺じゃない──が、たどたどしく出勤の挨拶をした。

 周囲も少し引きつつも普通に応じている。

 俺も思わず「おはようございます」と口に出してみたが、誰も返さない。声は届いていないようだ。

 ガラスに反射されたものをみた瞬間、ようやく理解が追いついた。

 ──俺、映ってない。

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