16
「ねえ、私のどこを好きになったの?」
終わりの光を浴びて、先輩の瞳が煌めいている。
その眩しさは、別れが近付いているこの瞬間だけのものなのか。
そうではない。
先輩はいつだって眩しくて、いつだって僕は目を奪われてしまうのだ。
今だって。
「…前に言いませんでしたか」
「そうだったかしら」
「そうですよ。ていうか、ちゃんと覚えてますよね?」
「ごめんなさい、すっかり忘れてしまって。もう一度だけ、ちゃんと教えてくれないかしら」
「恥ずかしいですけど」
「いいでしょ?」
悪戯じみた笑顔で、先輩は上目遣いに僕を見た。
先輩の声、仕草それら全てが、今は奇跡だった。
そしてそれはもうすぐ終わってしまう奇跡だという現実に、僕の胸は締め付けられる。
心に焼き付けよう。
もう二度と忘れてしまわないように。
僕は先輩から目を逸らさず、ゆっくりと答える。
「あなたと初めて会った時の衝撃を、僕は今でも覚えています」
僕が言うと、先輩は噛み締めるように深く、深く目を閉じた。
きっと僕と同じなのだ。
これからの全てを、彼女は胸に刻みつけようとしている。
僕はその寝顔のように安らかな表情から空の光へと目を移し、先輩と出会ったあの頃に想いを馳せた。
「僕たちが出会ったのは、誰もいない大学の裏庭でしたね。あの場所へ行ったのは偶然だったけど、そこで一人本を読んでいたあなたと目が合った時、僕は一瞬にして何も考えられなくなってしまいました。僕の世界の一切が消え失せて、あなたしか映らなくなってしまったんです。なんて言えば良いんでしょう、たぶん、一目惚れってやつなんでしょうね」
「……そうね」
「僕、一目惚れなんてもの信じてなかったんです。初めて会った人に惹かれるなんてあるわけがないって、そう思っていたんです」
「…うん」
「でも信じるしかありませんでした。あなたと過ごしていくうちに、僕は日ごとにあなたへの気持ちが膨らんでいくのを感じました。あなたの表情や声、心の強さや弱さ、たくさんあって言い尽くせないけど、全てが僕にとっては美しかった。僕があなたと初めて会った時の気持ちは、勘違いなんかじゃなかったんです」
「つまり?」
「つまり、良く分からないんです。最初から、僕はあなたの全てに惚れてしまったんです。これじゃ駄目でしょうか」
「前に聞いたのとちょっと違うじゃない」
「やっぱり覚えてたんじゃないですか。でも、そうですね。前はこんなことを言って引かれてしまうのが怖かったのかもしれません」
「引くわけないじゃない。私だって、君と同じなんだもの」
「え?」
僕が間抜けな声を出すと、目を開けた先輩は柔らかく微笑んだ。
もしかしたらそれは照れ隠しのつもりだったのかもしれない。
「同じだけど、私の場合は少しだけ違うのかしら」
「少しだけ違う?」
「ええ。私も、初めて君を見た時にね、なんだか雲が晴れるような爽やかな気持ちになったわ。とても言い表せないけど、不思議な気持ちだった。でもそれだけじゃないの。なんていうか、初めて会ったはずなのに、やっと会えたっていうのかしら、ずっと待っていた人に、遂に見つけてもらえたような、そんな感覚だったのを覚えているわ」
「先輩がそんな風に思っていたなんて知りませんでしたよ」
「私も怖かったのよ、こんな訳の分からないことを君に言ってしまっていいのかって」
「あなたの言うことなら、僕はなんだって嬉しいですよ」
「やめてよ、いいかげん恥ずかしくなってきたわ」
静かな浜辺に、僕たちの笑い声だけが響いた。
気が付けば海は凪ぎ、風は止んで、木々も静止していた。
この島の何もかもが消え失せようとしている。
光はさっきと比べてかなり水平線に近いところにある。
残された時間は少ない。
僕の手には、しっかりと先輩の手が握られている。
この温もりも、いずれは消えてしまうのか。
こんな時だというのに、僕はまだ信じたくなかった。
先輩と離れ離れになるなんて。
「もしあの時私の感じたことが気のせいじゃなかったら」
僕の気持ちが伝わってしまったのだろうか、先輩は優しい声で話し始めた。
「私たちは別の世界で、何度も同じ約束をしているんだわ。そしてお互いにそれを守ってきたの。君もそう思わない?」
「そうだとしたら、とても素敵ですね」
「今回は君が私に会いに来てくれたわ」
「それならもう一度、約束しましょう」
僕たちは自然と見つめ合っていた。
視界の端に映る光なんか気にならない。
僕の前には先輩しか居なかった。
これから大事な約束をするのだ。
それだけで十分だ。
「僕はなにがあっても先輩のそばにいます。どんなに途方もない別れが訪れても、たとえ死が二人を別つとも、僕はあなたを見つけ出します」
「私も……約束するわ」
僕がこの島へ来た目的。
それは先輩との約束を果たし、そしてまた約束を交わすこと。
その目的が果たされた。
これで僕たちはずっと一緒だ。
たとえ島を照らす光が落ちて、この世界がなくなってしまっても、次の世界で僕はまた先輩と出会う。
きっとそうなのだ。
「私達、こんなにもお互いを想い続けて来たのに、今までこうして手を繋ぐことくらいしか出来ないのね」
先輩の声は変わらず穏やかなままだったが、潤んだ瞳は僕を見つめ、時折不安に揺れた。
僕には先輩の言っている意味が分かっていた。
確かに、僕たちは恋人同士であるにも関わらずキスの一つもしたことがなかった。
でもそれは僕たちが奥手だからだとか、不器用だからなどという理由ではない。
なんだかそれをすることが、二人が交わした約束のようにとても大事であるように思えたからだ。
それならこの瞬間以外にあるだろうか。
形のある約束を、先輩は求めている。
「もうすぐ光が落ちてしまうわ」
水平線のすぐ真上に、光はある。
先輩へと視線を戻すと、彼女は顔を赤らめ目を伏せた。
「僕は…」
僕は嫌だった。
最後に先輩とキスをするだなんて、まるで別れの挨拶をするみたいじゃないか。
そんなの嫌だ。
僕は必ず先輩を見つけ出す。
こんな所が最後だなんて、絶対に認めてたまるか。
「僕は先輩と」
柔らかな感触が僕の言葉を遮った。
顔に添えられた先輩の手も、鼻にかかる吐息も、僕でさえも、全部が熱かった。
「…これは誓いよ」
真っ赤に染まった先輩が一筋の涙を流し、そう言った。
そこには僕が伝えたかった全てが込められていた。
心配なんかいらない。
いつだって二人は通じ合っていた。
光を見た。
まるで大きな彗星みたいだ。
どんな願い事も叶えてくれそうなほどに大きい。
だから僕は願った。
何を願ったかなんて、今さら言う必要もないだろう。
落ち行く光。
最後に僕と先輩は微笑み合った。
水平線から広がる真っ白な輝きが、この世界を、二人を包み込んでしまうまで。




