17
「不変の愛など存在しない」
とても穏やかな声だ。
優しさしか含まれていない、全ての魂を慈しむような、そんな…。
「いや、愛は不変ではないと言うべきか」
それは徐々に僕の意識を呼び覚ましていく。
聞きなれた、という訳ではないが、僕はこの声を知っている。
「しかし、決して断ち切られることのない魂の繋がりというのは、確かに存在する…か…」
『彼女』が喋っている。
僕は戻ってきた。
何もない真っ白な空間に。
追憶の孤島は消え去り、僕の魂はまたこの場所へ帰って来たのだ。
「あの…」
目を覚ました僕は、姿のない『彼女』に向かって呼びかけた。
「ああ、気が付いたのか」
何もない空間のどこかから『彼女』は答える。
先ほどまでのは独り言だったようだ。
「どうであったか、僅かな時間だったが、愛する者との逢瀬は」
僕はその質問に、すぐに答えることはできない。
あまりにもいろんな事がありすぎた。
「なんだか、夢を見ていたみたいです」
そう言いながら、唇に残る柔らかな感触を確かめた。
先輩が最後にくれた悲しい温もりを。
夢なんかじゃない。
僕と先輩は確かにあの場所にいたのだ。
「幻ではない。お前はあの世界で、一条詩織と会ってきたのだ」
「分かっています。あなたには感謝しなくてはいけません。僕はもう一度先輩と会って、かつての約束をまた交わすことが出来た。普通ならこんなことありえない」
「だが、それは私が課したルールを犯してのことだ」
「それも知っています。だから、僕はもう何も言うことはありません。あとはあなたの好きにしてください」
「初めてここへ来た時と比べて随分と素直になったものだな。一切の未練も残すことなく、やるべきことは全て済ませたということか?」
「なんでもいいです」
「ならば、これからお前の向かう先に一条詩織が居ようが居まいがどちらでも良い、ということで解釈しても構わないな?」
「え……?」
僕は『彼女』の言葉が聞き間違いではないかと疑った。
いや、それよりも何を言っているのかすら理解が追いつかなかった。
「あなたはたった今、先輩がルールを犯したと……」
「最後の最後に、奴が答えを出したのだ。私の求めていたものとは少しだけ違うが、しかし、それはとても大きな、尊い答えだ」
「何を言っているのか分かりません。最後に先輩が出した答えって…」
「お前がそれだけ鈍いのでは、奴もこれから苦労するだろうな。まあ、そんなことは関係ない。何があっても、お前たちは惹かれ合ってしまうのだからな。どうしたものか、魂の巡りなど完全に把握しているとばかり思っていたのだが」
どこか楽し気な『彼女』であったが、僕にはさっぱりだった。
先輩の出した答え?
魂の巡り?
僕自身も当事者のはずなのに、まるっきり蚊帳の外にいるような気分だ。
「私は嬉しいのだ。お前が懸命に説こうとしていた本当の愛というものが少し分かったような気がしてな。それと同時に寂しくもある。私には到底手に入れることの出来ないものであることも分かったのだからな」
「はぁ…」
まるで何も分からないまま、僕は生返事をした。
さっきまで、僕は先輩のいる世界とは違う場所へ行く覚悟を決めていたところだった。
それでも自分の力でなんとかしてやると、決めていたのだ。
「お前は水平線へ落ち行く光に願ったな。また先輩と巡り合わせてくれと。お前たちが出した答えに対する礼として、その願い、私が叶えてやる。それでもお前はこの先どうなろうと構わないと言うのか?」
「…行けるのですか? 先輩と、同じ世界へ…」
「そう言っているだろう」
次の瞬間、何もない空間には無数の扉が現れた。
果てさえ知れない広大なこの場所を埋め尽くすほどに、僕の眼前には質素な木製の扉が無造作に並べられている。
「ただし、私もそこまで甘くはないのでな。行き先はお前が選択するのだ。どこへ向かおうが、奴はその世界のどこかに存在する。だがそれはお前の知る一条詩織ではないかもしれないし、お前のことなど覚えてないかもしれない。ひとつだけ言えるのは、どれも本物の一条詩織の魂だということだ」
その言葉に、僕は星の数ほどもある扉を見渡した。
この扉のどれを選んでも、その先で先輩に会える。
ただし、それは必ずしも僕の望む形でないかもしれない。
「……」
僕はなんて幸福なのだろう。
こんなに早く先輩との約束を果たせる機会が訪れるなんて。
どの扉を選ぼうと、僕には関係ない。
その先で先輩が待っているなら、迷っている時間すら惜しい。
「たとえどこにいても見つけ出すと約束したのだろう? ほら、早く行ってやらないか」
「当然です。先輩を待たせるわけにはいかない。見つけなくちゃ、一秒でも早く」
僕はそう言って目の前の扉に手を掛けた。
「それでいいんだな?」
「ええ。僕はあなたになんて感謝の言葉を伝えるべきか分からない。ただひとつ、謝っておきたいことがあります。あなたはやはり『神様』だったんですね」
「なんでもいい。私と話している暇があったら早く行け。お前たちのことは、この場所からいつも見ている」
『神様』の言葉を背に、僕は扉を開いた。
眩い光が溢れ出す。
僕はその光の先を見据え、ゆっくりと歩き出した。
「あまりじっと見ないで下さいね、恥ずかしいですから」
それだけを言い残して、僕は進む。
この道がどこへ続いているかは分からない。
しかし言えることは、僕は今、先輩の元へ向かっているということだ。




