神父と勇者たちと恐怖の魔王
聖職者の朝は早い。
ファルケン神父は教会の誰よりも早く目を覚ます。
いつもの悪夢にうなされ、救いを乞うように両手を組んだままの祈る姿勢で眠っているからだ。
しかし本日に限っては、珍しいことに誰よりも遅く目覚めた。寝坊してしまったらしい。
「う……う、ん…………み、みなさん? どうしたのですか……?」
神父はぼんやりとする頭で、寝床の周囲を見回す。彼の周りには教会の者たちが全員集合していた。しかもよく見れば今は朝ではなく、夕方だ。
ゆっくりと体を起こすと、僧侶たちと子供たちが一斉に声をかけてきた。
「神父さま、大丈夫ですか!?」
「ファルケン神父、お身体の具合は……?」
「しんぷさまーっ! おきたーっ! よかったーっ!」
「しんぷさま、へいきなの?」
「しんぷさまーっ! しんぷさまーっ!」
すがりつく子供たちをあやしながら、神父は率直な疑問を口にする。
「……ミカさん、これはどういうことなのですか? 私にいったい……なにが…………?」
ミカと呼ばれた僧侶が口ごもる。
この僧侶にもよくわからないのだ。神父が倒れる直前に客人のところへ案内したのもミカであったが、今でもファルケン神父が悲鳴を上げて卒倒した理由がまったく見当もついてない。
「神父さま。もしやお客人になにかされたのでは……?」
ミカが自信なく問いかけてみる。
少なくとも目の前でなにかされた様子はなかった。そのはずだ。しかもその客人というのが正義の代名詞とも謳われる【勇者】なのだから、神父に害意を持つようなことがあるはずがない。ないはずだ。
「……ああ。あ、いいえ。そのようなことはなかった……はずですが……」
神父はまだ混乱しているようだ。事情を聞くにしてもしばらく間を開けて休ませたい。
「あのぉ……」
出入口の方から、おずおずと声がかかる。室内の全員がそちらを向いた。
そこに立っていたのは件の客人、【勇者】のエレンである。美しい顔に微妙に困ったような複雑な表情を浮かべている。
彼女も同じく、神父が倒れた現場にいた一人だ。白目をむいて気絶した神父の体が傷付かないようにとっさに庇ってくれたのも彼女である。
とりあえず場が落ち着くまでそのまま待合室にいてもらったのだが、先程の声掛けで神父が目覚めたことに気付いたのだろう。お見舞いに出向いてくれたようだ。
「ああ、失礼しました。私はもう平気ですよ、勇者どの」
ファルケン神父が自ら答える。
気丈にも微笑みを作るが、それは見るからに疲れ果てた笑顔だった。このほんのわずかな時間で精神力をゴリッと削られたようだ。
「おや? お連れの方々はどこに?」
「みんなは外で待っています。景色を眺めながら、周囲を散策しているところだと思います」
「そうでしたか。なにもない田舎ですが、気に入ってもらえるとよいのですが」
神父が朗らかに笑った。
ほんの少しずつであるが、着実に回復しているようだ。
その様子にエレンもまたほっと胸を撫で下ろした。
「あっとそうだ。ファルケン神父へ、これを渡すように頼まれてたんだ」
「おやおや? なんでしょうか?」
僧侶たちが警戒して思わず身構えてしまいそうになった。神父はそれをそっと遮ってたしなめる。幸い勇者エレンはこの行為を失礼とは感じなかったようだ。
エレンが長細い包みを神父に手渡した。
「これは……『棒』でしょうか? いったいどちらの方がこれを、私に?」
「ボクの仲間の一人に頼まれました。まったく……自分で渡せばいいのに、『顔を合わせづらい』なんて突然言い出すんですよぉ!」
「なんと! 勇者どののお仲間からですか?」
いったい誰だろうか。「勇者の仲間」と聞いてもファルケン神父には見当もつかない。そもそも神父本人が知っている人物ならば、待合室で顔を合わせた瞬間に気付いたはずだ。
わずかでもヒントを探るように、渡された白い包みを調べる。やがて丁寧に長布で包装されたその包みを一枚一枚むいていった。
「――――こ、れは……っっっ!?」
神父は我が目を疑った。
長細い包みの中身は一振りの剣だった。
その剣を見た神父は言葉を失った。
それはかつて【猛禽の勇者】が愛用していた強力な武器だ。風精の魔力で敵の攻撃より倍の連撃を繰り出すことができるという逸話を持つ。
その剣の銘は【ハヤブサの剣】という。
「ひょっとしてファルケン神父って、ソルと知り合いなんですかぁ? 実はボク、ソルが仲間になってくれた頃より以前のこと、ぜんぜん知らないんです……」
「そ、ソ、『ソル』…………う、頭が…………」
エレンは拗ねたような表情で神父に尋ねた。ソルが出会う以前のことをまったく話さないことが、彼女には少しだけ不満だったのだ。押し殺していた感情が漏れ出すようなわずかなものであったが、ついぽろりと本音が漏れてしまう。
しかし神父の方はそれどころではなかった。
動悸、息切れ、眩暈……。体の芯から寒気が襲いかかって震えが止まらない。魂の奥底から怖気が立ち昇ってきてガチガチと歯の根が合わなくなる。再び気絶するのも時間の問題だった。
「――――さまっ。しっかりなさってくださいっ!」
「――――ぷさまーっ! しんぷさまーっ!」
僧侶たちと子供たちの声でなんとか正気を保つ。
目の前には真っ青な顔色に慌てた様子のエレンの姿があった。知らなかったとはいえ自分がしてしまったことに驚いてオロオロしている。
「あわわわわわ、ごめんなさいっ! なんで? どうしてぇ!?」
「勇者どの、申し訳ない。これは別に『呪いの武器』などではありませんからっ。私はもう大丈夫ですから、とにかく落ち着いてっ」
またもや騒然となった室内を治めるファルケン神父。
大人しくするようにみんなをなだめている一方で、頭の片隅では『ソル』がどういった意図でこんなことをしてきたのかを必死で考える。
だがわからない。わかるわけがない。
【魔人王】の考えることなど、【勇者】だったファルケン神父にわかるわけがないのだ。
そう自分に言い聞かせることで、精神の安定を図る。
神父の頭の中にはいずれ『今回の疑問』とはまた違った『別の疑問』が浮かび上がってくるのだが、今は、今だけは、魔王のことなど考えないことにするのであった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
場面は変わって、教会の外だ。
ソルとセラはそこからさらに離れた場所に静かに佇んでいた。
「…………」
「…………」
ソルも、セラも、なにも話さない。
教会の前の広場では『荒野の町』から連れてきた子供たちが遊んでいた。彼らの面倒は年長者のシフに任せてある。シフは二人の様子からなにかを察したのか、一言も文句を出さずに黙って引き受けた。
「ソルさま。あれを渡してしまって、本当によろしかったのですか?」
重い沈黙に耐えきれなかったようにセラが口を開いた。
しかしソルからの返事はなかった。
ソルは背中を向けているため、セラにはその表情すら読み取れない。
セラはなにか声をかけようとしてもう一度口を開くが、けっきょくなにも言えなかった。ソルの背中に触れようとして伸ばしかけた手のひらが空を切る。
「…………あれで、よかったのだ」
ソルはむこうを向いたまましゃべった。
深くため息をついて、それから空を仰ぎ見る。あいかわらずその表情は見えない。
「ソルさま……」
その表情が見えなくても、セラには彼の声だけである程度わかる。
そんな自分に言い聞かせるような響きを聴いていると、セラまで悲しい気持ちになってしまう。
【ハヤブサの剣】は、魔王ソルレオンが後生大事にその手元に置いていた武器だ。
『必ずや【猛禽の勇者】が取り戻しにやってくるのだ』。そう言い張ってぜったいに手離そうとしなかった剣だった。
そして今回、偶然にも旅の途中で猛禽の勇者と再会した。
だがしかし、かつての猛禽の勇者はすでに存在していなかった。
ソルは卒倒した彼の姿を見て悟ってしまった。
『【猛禽の勇者】はもういない。【猛禽の勇者】はもう我のところには来ないのだな』と。
ハヤブサの剣を返却したのは『決別』の意味を込めてのことだ。
「セラは先にみんなのところに行くのだ。子供たちを引き取ってもらうためには、きっとセラの話術が必要となるであろう。だから、先に行くがいい」
「………………はい」
セラは後ろ髪を引かれながらも命令に従った。
本当ならばソルを強く抱き締めたい。あの背中にそっと寄り添っていてあげたい。だが彼はそれを許さないだろう。
魔人は泣かない。
魔人は涙を流さない。
しかし決して悲しくないわけではないのだ。
魔人王ソルレオンはしばらくの間、空を仰ぎ見続けていた。
その青空は憎たらしいほどの快晴であった。




