第八話「走れ!文学少女」
炎天学園はデーモンの騒動の後、数十人もの人間が病院に運ばれた。悪魔の存在は夢のように忘れ去られ、凶介の行いが公に罪に問われる事はなかった。
学園は当分の間、特別授業を交えた短縮時間割で編成される事となり、授業は昼までで終わりである。
生徒たちは自分たちで何かできないかと色々アイデアを出していたが、多くの生徒はしばしの自由を満喫するように校内を遊び歩いていた。
その生徒たちに不満を抱いていたのは風子と読子だった。
「せっかく人間が集まってるんだから、授業が無くても何か自分たちでするべきだよね、読子ちゃん」
「そやね。学校中が何か殺気立ってるから護身術の一つでも教えて欲しいのに特別授業が『道徳』てなぁ」
読子が呆れたような顔をする。
「なんか武器まで出回ってるって話だよ。弓道部や剣道部も練習とかこつけて本物持ってきてるんだから」
「風子ちゃんも何か武器とか持ってないと危ないんとちゃう?さっきも刃物同士の喧嘩があったところやし……」
不安な顔をする読子。
「私はいらないよ。自分の体だけなのが一番強いと思ってるし」
「そうなの?」
「うん、グラップラーはそういうもんだよ。武器を使うと逆にどうしていいかわからなくなる」
「なるほど。でも人間は道具も体の一部として脳が認識するって本に書いてたし、武器でも使い方かもしれへんよ」
「へぇ、面白いね。でもそれって要するに自分の得意な事で戦えばいいって事じゃない?」
うん、と頷く読子。
「でも私は戦うんは無理やな」
「そんな事ないよ。読子ちゃんも戦えると思う」
「え?ホンマに?」
「うん、あの事件の後から何か変化なかった?」
「変化?」
風子の言葉に考えこむ読子。浮かんできたのは、悪の思想に満ちていない普段の凶介の居場所を簡単に探り当てた読子の力だった。
「そういえばあれからかなり勘が冴えてるような気がする……」
「でしょ?私もさ、恐怖に耐性がついたようにさ、何か強くなった気がするんだ」
そうして力こぶを見せる風子。しかし残念ながら風子の体は華奢なので力こぶは無い。
「あの風子ちゃんが更に強くなるなんて凄いやん!」
「だからさ、読子ちゃんも生きていく為の力が芽生えてると思うよ」
「生きていく為の力?」
「そうだよ。人間ってのは環境に適応するようにできてるんだ。世界が混沌になったのなら、そこで生きていく力も備わるものだよ」
自信たっぷりに言う風子。風子はボロアパート住まいなので読子にはなかなか説得力のある言葉だった。
「なるほど……一理あるわ。私もこのままじゃあかんな。自分の力を最大限に発揮できるように強くなりたい!どうすればいいかな?風子ちゃん」
「よし、じゃあまずはランニングだ!」
明後日の方向を指す風子。そこには……明後日があった。
「ああ、走るんはあかんねん。私、走るんは昔から苦手で」
「そんな事言ってたらいつまで経っても走れるようにならないよ!私は走る事で柔軟な体を保ててるんだよ。走るのは全身に血が巡ってとっても気分爽快になるんだから!走るのは本当に気持ちいいんだよ!」
人が変わったようにランニングを勧める風子。
「でもマラソン大会とか嫌いやし……」
「それは走らされるからだよ。距離とかスピードとか自分で決められないから辛いよね。でも自分で走る分には自由だし、ご褒美にジュースでも買って飲むとおいしいよ。ね、一緒に走ろ!」
読子は風子の言葉に決心したようだった。
「そやな……いつかはやらなあかんし、風子ちゃんも苦手な日記頑張っとるみたいやし……私もやったる!」
「よーし、これから放課後は毎日ランニングだ!」
「おー!」
こうして読子の肉体改造計画は始まった。ランニングをする事で生きていく為の力を養っていく。途方も無い計画のようだが、何もしない事には何も変わらないのである。
全く違うペースでグラウンドをぐるぐる走り回る二人。風子は竜巻でも作らんばかりの勢いだったが、読子は運動不足のおばちゃんみたいな走り方だった。
それを見ていたのはエリリカとハグ実だった。
「月原さんも走ってるんだ……何かすごいわね。苦手な事をやる人って何でこんなに応援したくなるんだろう。私達も走ろっか。ハグ実ちゃん」
「いいッスね!新品のジャージ買ったから負けないッスよ!?通常の3倍速ッスよ!?」
エリリカ達も風子達に加わってランニングを始めた。
「先輩!競争ッス!」
新しいジャージで意気込んだハグ実だったが、実際は読子にも追いつかないスピードで大きな体を揺さぶっていた。
風子は笑いながらエリリカに話しかけた。
「みんなで走るのって楽しいよね!」
「そうね。まあみんなでやると大抵何でも楽しいものよ」
みんなでランニングしたこの時間は、最低な日常の中で生み出す事のできたかすかな喜びだった。
燃え盛る夕日が彼女達を照らし出すまで、走る苦しさと楽しさを噛み締めながら4人は汗を流した。