第九話「野薔薇と混沌の町」
野薔薇は事件の後、意識を失って病院に運ばれた。それから丸一日は意識が戻らなかったが、トレパンからの連絡で野薔薇の意識が戻った事rを知る風子だった
。
風子が大急ぎで病院に行くと、野薔薇は退屈そうに漫画を読んでいる所だった。
「野薔薇!意識が戻ったんだってね!」
「本人に聞いてどうする。
……まあな。まだ少しボーっとするけど、気分は悪くない」
そう言ってまた漫画に目をやる野薔薇。しかし風子はもっと野薔薇と話したいという風にベッドに肘を付いた。
風子は野薔薇の漫画を一緒に読むかのように顔を近づけた。
「それ。私がトレパンに頼んで『グラップラー三平』を病院に置いておくように言ったんだよ。面白いでしょ?」
「別に」
「ウッソだ―!野薔薇なら絶対面白いって言うと思ったのに。私の技なんて半分は米俵三平からのインスピレーションだよ?」
「しらねーよ」
「……なんか元気ないね。まだボーっとするの?」
野薔薇はいつもの威勢の良さが失われ、風子には少し物足りないような様子だった。
野薔薇は漫画を読み終わると、ベッドの脇においた。
「……風子、あれから何ともなかったのか?五十嵐から直接戦ったって聞いたけど」
「うん。ただちょっと恐怖に耐性ができて、少しだけ強くなった気がするんだ」
「お前もか。実は私も闘志が湧いてきて、何か清々しい気さえするんだ。
なあ風子……お前には悪魔がどんなものに見えた?」
風子は忘れ去った夢を再び思い出す時のように、顔をしかめた。
「うーん、どんなって……赤くて天井くらいまである閻魔様みたいな悪魔だったような……」
「そうか……。もしかしたら見た人間によって悪魔の姿が違うんじゃないかって考えてたんだ。私の見たのは父親にそっくりだった。私がもっとも嫌ってた父親に……」
「お父さんに……何かされたの?」
風子は相手の深い部分にそっと優しく触れるように聞いた。
野薔薇は少し間を置いてから話し始めた。
「虐待……まがいの事をされてた。ずっと男が憎かった。でも、よく分からないけど、悪魔と対峙して、恐れていた何かに直面したような気分になった……」
「そっか……」
「すごいな風子。私は怖くて気絶してしまったのに、お前は向き合えたんだな」
野薔薇は風子を見据えて言った。その態度はこれまでの野薔薇ではありえないような素直さだった。
「私も足が震えてたよ。倒したのはトレパンだからすごいのはトレパンだよ」
トレパンの話で野薔薇を元気づけようと、ここぞとばかりに風子は明るく振る舞った。
「野薔薇にも見せたかったな~、トレパンのカポエラ!ホントすごかったんだから!米俵三平も思わず『俺も年貢の納め時だな……』って言うレベルだよ」
漫画の主人公の米俵三平のものまねをするが、まず性別が違うので似ているはずもない。
風子のものまねを完全無視した野薔薇だったが、それでも風子に元気づけられたのか、心を決めたようだった。
「私もまだまだだな……よし!風子、行くぞ!」
「行くってどこに?もう退院していいの?」
「いいに決まってるだろ。自分で立てる人間がこんな所で寝てられるか」
そうして二人は新浜公園沿いの道路をブラブラと歩いた。
町には今にも落ちてきそうなほど不安な空が広がっており、野薔薇はすこぶる気分が良さそうに、風子の少し前を悠々とポケットに手を入れながら歩いていた。
「なんかこの町も雰囲気変わったな」
「そうだね。人が少ないし、どこか寂しい感じがする」
「ロシアのスラムに居た時を思い出すな。なんか血がたぎってきたぜ」
拳を打ち鳴らす野薔薇。
「そうだ。お前、あれの続きは無いのか?」
「あれ?」
「だから……漫画のだよ!」
野薔薇は珍しく少し恥ずかしそうな顔をして言った。血がたぎったのは格闘漫画を読んだのが原因でもあるだろう。
「なーんだ、やっぱり面白かったんじゃん」
「違う!ちょっと続きが気になって居ても立ってもいられなくなっただけだ!」
「それを面白いというんだよなぁ。もう最新刊が発売されてるから、一緒に本屋に買いに行こうよ」
――風子と野薔薇が本屋に着くと、店先にグラップラー三平の最新刊が平積みされていた。
一冊取って並ぼうとした二人だったが、すでにレジに並んでいる客の中に風子の知っている人物が居た。
「おー!アヒルちゃん!」
白鳥あびるはあからさまにゲッ!という表情をして、前の客に小さな体で隠れた。風子はあびるの手に持っている本を見て驚きの声を上げた。
「アヒルちゃんもグラップラー三平好きなんだ!一緒だね!」
風子が店内に響くほどの声で喜びの声を上げるが、あびるはついに恥ずかしさで俯いてしまった。たしかに、制服のシャツにカーディガンを羽織った優雅なお嬢様が買いそうなものではなかった。
「……こんな低俗な漫画、好きじゃないもん!」
「じゃあなんで買ってるのさ」
「何でもいいでしょ!ちょっと主人公のライバルが好みのタイプで食事が喉を通らなくて夜も眠れなくなるだけだもん!」
「それを好きって言うんだよなぁ」
風子とあびるの会話に割って入ろうとする野薔薇。
「おい、どうでもいいから早く買おうぜ。こんな近所のガキと話しててもしょうがないだろ」
野薔薇の言葉であびるが怒りの表情に変わった。
「私はこの年中体操服と同い年よ!あんたみたいなパーマかけたおばさんよりは若いけどね!」
「何だと!お前こそ、乳臭いガキだろうが!」
「言ったわね、このパーマおばさん!美容院で雑誌でも読んでなさいよ!」
「地毛だよ馬鹿野郎!」
初対面の野薔薇とあびるが店内に響き渡るような大声でいがみ合っている。二人の言い分が本当なら、おばさんと小学生がいがみ合っている事になるが、二人は同い年である。二人を紹介しようとウズウズしているのは風子だった。
「アヒルちゃんもグラップラーなんだよ」
「嘘つけ、こんなガキが戦えるわけないだろう」
「戦えるわよ!何なら外で勝負よ!」
あびるがスカートのまま構えに入る。しかし野薔薇は急に乗り気ではなくなったようにそっぽを向いた。
「別にいいけど……やるなら普通の喧嘩にしようぜ」
「私はレスリング部なんだからレスリングしかやらないわよ!」
「じゃあ駄目だ。レスリングなんてやった事ないし」
「レスリングが駄目なら相撲でもいいわよ!」
「バカか!なんでお前みたいなガキと相撲なんてしなきゃいけないんだよ!そもそもスカート履いてるだろお前!」
いつもの喧嘩好きの野薔薇らしくない発言だった。レスリングだろうが腕相撲だろうがあっち向いてホイだろうが戦う事は何でも好きな野薔薇のはずだったが、どこか変だと風子は思った。
風子はふと、あびるを指差した野薔薇の腕の異変に気づいた。野薔薇の腕はプルプルと震えていたのだ。
「野薔薇、まさか腕を……」
「何でもねぇよ」
野薔薇は慌てて手をポケットに入れた。しかし風子は野薔薇の腕をポケットから出して確認した。
「野薔薇!腕に力入れてみてよ!」
「触るな!…………あれから力が入らねぇんだよ」
野薔薇の腕はデーモンに掴まれた時から上手く上がらないようになっていたのだ。瘴気にまともに触れた腕がまだ完治していなかったのだ。
「だから勝負したくなかったんだ、野薔薇」
「ストリートファイトならいつでも歓迎だ。手が無くても頭と足があるからな」
「もう、そんな強がっちゃってぇ~」
そう言って野薔薇の腕にしがみつく風子。
「触るな!」
「今の野薔薇なら触り放題だもーん♪」
野薔薇は一生懸命振り解こうともがいたが全く腕に力が入らない。
仕方なく野薔薇は蹴りを入れて風子を押し戻した。
そうやって二人がもみ合っている間に、あびるはすでに本を買って帰ろうとしていた。
「次に会う時までに治しておきなさいよ、おばさん」
「逃げるのか、このクソガキ!」
「全力じゃない人と戦ってもつまんないもん」
そう言ってあびるは帰っていこうとした。しかし何かを思い出したように本を抱えながら振り返るあびる。
「あ、そう言えばあなた達の学校大変だったみたいね」
「もう知ってるんだ。エリリカから聞いたの?」
「いいえ、瑠璃子の能力よ。瑠璃子には何でもお見通しなんだから。事件が異能者の仕業だって事もね」
自分の事のように誇るあびる。
「アヒルちゃんも気をつけないと、この町はどんどん危険になってるよ」
「冗談。私に恐れるものなんて何もないわ。じゃあね」
「うん、また漫画の事話そうね」
「は、話さないわよ!そんな事!」
そう言ってあびるには逃げるように駆けていった。
野薔薇は恨めしそうにあびるを見送った。
「ち、情けをかけられたな……リアルファイトなら負ける気しなかったのに……」
「あびるちゃんは異能者だから強いよ。戦うのが今度で良かったんじゃないかな」
「バカ言え!私は負けなかった!負けられないんだよ、もう二度と……」
野薔薇は上がらない腕を抑えて言った。
この日は風子に触られ、いじられ放題の野薔薇だったが、少しは耐性が付いたのか、前ほど触られる事に嫌悪感を抱いてはいない様子だった。




