4-4
駅の構内は人ごみを縫うように前に進まなければならないほどだった。
この前悠月と歩いた商店街の人通りと比べても不思議に思うけれど、この町のどこにこれだけの人間がいるのかしら……朱里は考えた。しかし、『京』から母のお見舞いに遠出してくる度に、いつだって不思議に思っていた事でもあるのだ。駅舎を出ずに乗り換えて本線に揺られて、十分ほどですぐに寂しい風景に辿り着けるようなこの街を、朱里はいつだって不可思議に感じていた。
それにしても人が多い。売店に向かう人の波、発車の時刻も近づいているため乗り場に向かう人の波、綺麗だと謳われる自然と昭和臭い町並みの観光名目で今京から辿り着いたので駅の出口へ向かう人の波……どれもが別々の大きな鯨か何かみたいに蠢いていたが、処理速度の追い付かない朱里の目にそれらは散り散りばらばらに映っていた。出口乗り場行く度荷物を片手で持てるくらいにしておいて良かった……と鞄の中から小さな切符を取り出し、いつも乗っている物と違い全時間指定性であるその席番号を確認した。『水郷アティオ→京……ATIOtoKYO』……toKYOという文字の断片に、朱里はこの前仕事の合間に何故か調べてしまった海に沈んだ廃墟の絵を思い浮かべた。
高架モノレールのプラットホーム。鋼鉄のレールの上に停車する車両は既に、重たげに押し黙っていた。レールの様な物は電車の真ん中を貫く一本と電車を取り囲むように配置された小さいレールを合わせて三本。朱里はあの余計な二つのレールの事もいつも不思議に思っている。プラットホームからようやく見えた外の眺めに、青い山の斜面はあんなに緩やかなのでああやはりここは人っ子に支配されるような土地ではない、と思って朱里は少し安心する。
鞄を持ち上げて席に着こうとする途中で、朱里はイヤホンをつけて数式の描かれた大きめの電子ペーパーを指でつつく学生さんや、頑なに紙媒体の新聞紙を広げるメガネの老人とか、既に疲れた様に眠りにつく子供の頭を撫でながら外を眺める長い髪の女性を見た。誰もが同じつくりをした座席に座っている。朱里も、その中のひとつに腰をおろした。やがて発射のメロディーが美しい音を立てた。車両が一杯になる程の生身の人間を相手に、機械で合成して作られた音声が淡々と案内を始める。朱里は何も聞いていなかった。車両の扉の上に案内が表示されている。それで十分だ。『そんなことだからダメなんだよ』という悠月の声が、何故か脳内で響く。
『ATIO-KYO』
ゴトン――あまり刺激的でない短い音が、一つ。いつも母に居る病院へ向かうのに乗る四角い重石より重そうなのに、車両は軽やかに滑り出した。ホームがどんどん離れていく。一つのレールとしか繋ぎとめられていない箱に乗っている自分を意識して、何だか心がか細くなる。小さな荷物を抱きしめる力を少しだけ強めて、外の稜線を目でなぞる。ゆっくりと変わっていく景色。だが動くと認識できる物は何もない。目の前の景色は変わっていくものなのに、朱里はそれを動いていない物だと認識している。動いているのは、自分だからだ。当たり前の事を反芻している自分が急におかしくなって、口元に手を当てた。朱里はそのまま少し眠ろうかと思い、そのつもりで傾けていた座席に全身を預けた。
眠れないまま十分くらいの時が過ぎた。とうとうホームだけでなく街そのものが遠くなり、車両は海に出た。水平線を取り囲むような陸地が右にも左にも霞んで見えた。雲は無かったが、青空の向こう側に継ぎ目のような、カーブした白い線。朱里はそれを見て、『この世界が包まれた中にある』ものであるという事を意識した。「すごい!ぜんぶみえる!」……さっき頭を撫でられていた子供かしら。朱里は霞んでいく風景を眺めながら、何度か目を閉じた。黒と白昼夢のような風景が視界の中で繰り返される。
やがて、目を閉じていないのに、視界に黒がちらついた。高架の柱の継ぎ目とか何かだろうか、と最初は思った。だが、やがてそれは、朱里の目の前を遮るように完全に停止した。――否、その『モンスターの足』は、車両と同じ速度で平行に走り始めた。ああ、この前テレビで見た……『車を跨いで進む車両』……確か鉄道に導入されるのは四脚のもので、京を走る線や各地をつなぐ湾岸線にも使用されつつあるらしい。珍しいものなのかもしれないが、誰もそれを気にしてはいないようだった。さっきの子供が静かになったので、気になって硝子窓に顔を押し付けて外にある物が何か確認しようとしているかもしれない。やがて朱里から海の景色を遮蔽していたものは、斜めに傾き始めた。脚が可動しているのだ。四本の脚が広がりながら、ということは『モンスター』の体そのものは朱里たちのいる車体と距離を縮めつつある――何かおかしくない?と朱里が考えた時だった。
衝撃。
振動。
身体が激しく揺れた。
違う、車体そのものが揺れたのだ。
雷でも落ちたのか?
否、見える所に雲は無い。
甲高い悲鳴。
怒号にも似た悲鳴。
何が起こったのか?
何か起こったのか。
知らない内に、車両は完全に動きを止めていた。
自動音声は流れない。こんな時に。
いや、こんな時だから……?
「え、何何何?地震?」
「高波とかじゃないの」
しんとした車内だが、幾らかの声が飛び交う。
「何か見えた?」
「おい、上ひしゃげてる」
大きめの声をあげた誰かの言う通りで、車両の天井はほんの少しだがへこんでいた。
やはり、四脚の車両が降りてきて……
既に何人かは座席から立ち上がっていたが、落ち着いた声をした一人の中年男性が、立ち上がりながら言った。
「アナウンスが無いのが気になります、もう前の車両の人が確かめに言っているとは思うが、今から私も運転席まで様子を見てくるので――」
ちょっと勘弁してよ、と朱里も其の場で立とうとした瞬間、新たな衝撃が襲ってきた。
ゴトン。
重石の動く音。
車両は動き始めた。
上にのしかかっている物と、同じ速度で。
二つが接触したまま、同じ速度で。
乱暴に動き始めた。
何も示さなかった案内表示がパッと点る。
滅。
点。滅。その2つだけを繰り返しながら。
スクロールも留まる事もしない。
『4-4』
鋼鉄と鋼鉄の擦れるキインという音が、どこか別の場所へと進行を始める発車のベルに感じられた。




