プロローグ 【美貴】 茅ヶ崎、再び
二人の男女で視点が交互に変わります。過去作のため、ちょっと読みづらいかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします。
「な……なんで、お前ここにいるんだ?」
「そんなのこっちが聞きたいわよっ!」
引越初日、よりにもよって最悪な奴と自宅玄関で遭遇してしまった。この世で一番会いたくない男――、杉本和也。
「お、俺は配達に来ただけだよ。ほら」
そう言って、ピザ屋の制服に身を包んだ彼は、手にした保温バッグを私に突き出した。
ああ……、そっか。出前頼んだんだっけ。
ただでさえ狭いマンションの玄関先は、散乱した梱包資材で足の踏み場もない。奴はその僅かな隙間に突っ立って、三年前に一方的に捨てた「元カノ兼幼馴染み」をひどく切なげな顔で伺うように見ている。
七月半ばの蒸し暑いその場所には、梱包資材のケミカル臭とピザの香りと和也の汗の匂いが立ちこめていた。
「あんたがその店にいるって知ってたら、注文なんかしなかったわよ!」
「俺がいて悪かったな。……で美貴、何でお前、茅ヶ崎にいるんだ?」
「あんたバカ? 見りゃ分かるでしょ! 今朝方、浜松から戻って来たのよ」
四年前、親の都合で一家揃って浜松に引っ越した。その後一年足らずで、五年も付き合ってたコイツと別れる羽目になったんだけど。
「……って、またおじさんの仕事の都合か?」
私はフン、と鼻を鳴らし、
「先月別れたのよ、うちの親。だから戻って来たんじゃない」この茅ヶ崎は母親の地元だ。
「そうか……」残念そうな顔で和也が言った。生まれてすぐに父親を亡くしたアイツは、小さい頃からうちの父によく懐いてたから。
「じゃ、さっさとソレ置いて帰って」
「あ、ああ、悪い。えっと、こっちが爆盛りチーズピザLサイズで――」和也は銀色の保温袋から、おもむろに平たい箱を取り出した。
「で、この豪快ハバネロくんピザMサイズについてるソースな、お前、絶対にかけるなよ」
「……なんで?」
「美貴は辛いの、超苦手だろ? こんなんかけたら、床のたうち回って悶死だぞ」
「ふーん、……覚えてたんだ」
コイツは少し照れながら、「ん? そりゃ長い付き合いだったからな。これでも結構気遣ってたんだぜ?」と少し嬉しそうに言った。
……なに? 昔の女との再会を素直に喜んじゃってるってワケ? ――冗談じゃない。
「あんたにはもう意味のないことでしょ? そんな下らない事、さっさと忘れたら?」
「そ、そんな言いぐさないだろ? お前のことを思って俺は――」
――パンッ!
私は思わず、ピザの箱を床に投げ出し、和也の顔を力いっぱい平手打ちしていた。
「…………ッ」
クズ野郎は叩かれた頬を手で押さえている。被害者面した様が、なんとも腹立たしい。
「いいかげんにしてよ! いつまで彼氏面してるつもり? 自分のしたこと、忘れたの?」
「……ごめん。調子に乗って……」
「仕事終わったんなら、出てってよ!」
「…………あの、」
「何よ!」
「お、お代が、まだ……」
猛烈に恥ずかしくて、耳まで赤くなりそうだった。私は母親のガマ口から一万円札を引っ張り出すと、和也の胸に押しつけた。
「お釣りはいらないから、さっさと帰って!」
「ちょ、待ってくれよ美貴、」
「出てけっ!」崩れる梱包資材を蹴散らしながら、私は無理矢理和也をドアの外に追い立てた。アイツは微妙に抵抗しつつ、「男手がいるときは声かけろよ、今も同じ所に住んでるから」とか未練がましい事を言いながら、廊下にぐいぐいと押し出されていった。
コイツに心配されるなんて……。ムカついたので、ドアを思いっきり蹴り飛ばした。
案の定、ひっ、と向こう側で和也の小さい悲鳴がして、廊下を走り去る足音が聞こえた。コイツは昔から、帰りたくないときドアに寄りかかるクセがある。
……私だって覚えてるじゃん……。
ひどく苦々しい気持ちになって、私はガマ口を床の上に叩きつけた。
「やっちゃった……」
床の上に散乱したピザの箱を拾い上げる。
和也を追い出してから数分後、私は我に帰った。いくらなんでもやり過ぎだった。予想外の出現で、つい頭に血が上ってしまった。
久しぶりに見た和也は、体つきは少したくましくなっていたけど凜々しい顔はちっとも変わってなくって、でも生真面目な好青年といった雰囲気だったのが今じゃ何だか生活にくたびれたオヤジって感じがする。
……それにしてもあの態度、一体何なんだろう。ムカつくけど、いや、今でも好きだからこそ、まだ超ムカついてるんだけど。
……でも、あんな切ない顔見せられたら、むちゃくちゃ気になるじゃん……。
「毎度、ピザキャットでーす」
翌日、また私はピザの注文をした。
「豪快ハバネロくんピザLハバネロ増量お待たせしましたー」と和也は極めてダウナーなテンションで棒読みする。あからさまに不機嫌な顔で、保温袋からピザの箱を出した。
――そりゃそうだ、昨日強烈なビンタを喰らわされたんだから。
「はい、ジャスト二千八百六十円ね」と即代金を手渡す。今回はきっちり釣り銭ナシだ。
「丁度っすね、ありあとっしたー」とこれまた棒読みで金を受け取り、集金用ポーチに押し込む。私は下駄箱の上にピザの箱を置いた。
「……で。どういうつもりだ?」和也は呆れ半分不愉快半分に言うと、目深に被った帽子の鍔の隙間から覗き込むように私を睨んだ。
「指名までしやがって、恥ずかしいだろっ」
「ご、ごめん……。あのさ……」
「週末で忙しいんだ。早く言え」
「……昨日、ぶってごめん」
「もう気にしてない。それだけか?」
「えと…………。和也、あんまり幸せそうじゃないね……。疲れてるっていうか……」
奴はふぅ、とため息をつくと、かもな、とまるで独り言のように呟いた。
「お前はどうなんだ?」
「微妙」
「微妙……、ってホント微妙な返事だな。で、いま男はいるのか?」と自分で尋ねておきながら、聞きたくなさそうに顔を背けた。
「いるわけないでしょ。……ったく、誰のせいだと思ってんのよ」
「……え?」和也は意外そうな顔で私を見た。
「誰かのせいでトラウマになって、男が作れなくなったっつってんのよ! このバカ!」
和也は肩を落とし、すまないとポツリと言うと、「それじゃ……お前、幸せになれないじゃんか……」と独り言のように呟いた。
――幸せ……?
その意味を尋ねようとしたとき、彼の携帯が鳴った。
「ごめん、帰ってこいって。もう指名すんなよ。用がある時は俺の携帯に……、ってとっくに番号消してるか」と言いながら、下駄箱のピザの箱に何かを書き込むと、じゃぁなと言ってそそくさと出て行った。
……ヨリ戻したがってるのかな……。でも、その前にやる事があるんじゃないの?




