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魔王城から帰った勇者はいない  作者: 週休七日


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26/26

ただいま

 春、アルトは王都の門で剣を預けた。


 村から持ってきた古い剣だった。


 王国の剣は、ルッツの死について調べるための記録とともに、すでに王都で保管されている。


 今日は、その件について改めて話すために来た。


 兵士は剣を確かめ、文書へ記した。


 名を聞かれ、アルトと答えると、隣の兵もこちらを見た。


 普段の上着に、青い外套。

 傷の残る肩。

 旅の荷袋。


 黒い甲冑は着ていなかった。


 だが、入国の許可を出した者たちは知っていた。


 アルトは、現在の魔王だった。


 任を辞めたから帰ってきたのではない。

 留守をザハルたちへ任せ、王国の許可を得て、一時的に戻ってきたのだ。


 勇者の凱旋を告げる鐘は鳴らなかった。


 出迎えの列も、アルトのための青い旗もない。


 通行を確かめる兵と、同行を命じられた騎士が待っていた。


     *


 門の近くで、何人かが足を止めた。


 顔を背ける者がいた。

 小さく罵る声も聞こえた。


 魔族へ寝返った。

 黒い甲冑を着ていたらしい。

 あれが魔王になったという男か。

 捕虜を帰した人だろう。


 聞こえてくる話は、揃っていなかった。


 どれか一つを聞いたことと、アルトが北で何を引き受けたかを知っていることは、同じではなかった。


 アルトは、聞こえないふりをしなかった。


 ここを通れることと、歓迎されることは違った。


「もう、いいですか」


 門の脇から声がした。


 ミリアだった。


 髪が少し短くなっていた。

 灰色の外套の留め具は、前と同じだった。

 靴の踵には、新しい革が当てられていた。


 アルトが手を上げると、彼女はまず、その上がり方を見た。


「まだ痛みますね」


「挨拶より先?」


「痛くないふりをされる前に、確かめておこうと思って」


 アルトは笑った。


 隠す前から、見つかっていた。


「元気だったか」


「ええ。あなたほど仕事を増やしていません」


「俺だって、増やしたくて増やしたんじゃない」


「では、しばらく増やさないでください」


 ミリアは荷袋へ手を伸ばした。

 アルトが渡すと、少しだけ眉を上げた。


「前より軽いですね」


「置いてこられるものは、置いてきた」


 彼女は頷いた。


     *


 騎士が、まず宿へ案内すると言った。


 アルトはミリアを見た。


「約束の店、まだやってるか」


「値上げしたと、手紙に書いたでしょう。潰れてはいません」


「じゃあ、連れていってくれ。俺の金で」


 ミリアが少し笑った。


「今度は、菓子代ですね」


「ああ」


 騎士が二人を見た。


 ミリアは真面目な顔で言った。


「菓子屋は、禁止されていないと思うんですけど」


 騎士は困った顔で許可書を見直した。


 そして、道の途中なら寄ってよいと答えた。


     *


 聴取は長かった。


 ルッツの剣は、どちらから来たか。

 なぜ退けなかったか。

 黒い甲冑を着ると決めたのは誰か。

 途中で脱ぐことを考えたか。


 同じ問いを何度も聞かれた。


 アルトは怒らないようにした。


 前の答えと違っていると言われれば、どちらが記憶に近いか考え直した。

 はっきり覚えていないところは、そう答えた。


 現在の役目についても尋ねられた。


 どこまで一人で命じられるのか。

 誰が命令を止められるのか。

 人間の国と、何を話し合うつもりなのか。


 すべてに立派な答えがあったわけではない。


 分からないことは、北へ戻って確かめると答えた。

 返事をする必要のある項目を、自分でも書き留めた。


 その日の聴取が終わる頃には、肩がひどく痛んだ。


     *


 廊下へ出ると、ミリアが待っていた。


 上手く話せましたか、とも。

 これで大丈夫です、とも言わなかった。


「冷めないうちに食べるはずだったのに」


 包みを持ち上げた。


 朝、二人で店へ寄って買った菓子だった。


 すぐに食べる時間が取れず、アルトの分はミリアに預けてあった。


「まだ残ってたんだ」


「あなたの分は」


「お前の分は」


「食べました」


 アルトは包みを受け取り、一つ差し出した。


「それ、あなたのですよ」


「知ってる。半分なら?」


 ミリアは菓子を割った。

 大きい方を彼へ返した。


「また目分量?」


「記録官の目分量です」


 菓子はすっかり冷めていた。


 それでも中の蜜は甘く、噛むと生地が柔らかく潰れた。


 アルトは食べ終わるまで黙っていた。


「おいしくないですか」


「うまい」


「それなら、もう少し嬉しそうにしてください」


 ミリアの指に砂糖がついていた。


 最初に会った日も、彼女は菓子を持っていた。

 荷車を避けるように、帳面で背中を押された。


 旅の間、何度も助けられた。


 傷を治してもらっただけではない。


 分からないことを分かったつもりで話すと、彼女は止めた。

 できないことを一人でしようとすると、手を出した。


 その人が、いま隣にいる。


 アルトは包みを畳んだ。


「好きだ」


 ミリアの指が止まった。


「出発前じゃないぞ」


 彼女は目を伏せた。

 しばらくして、小さく笑った。


「知っています」


「返事は」


「私、先に言いました」


「もう一度」


 ミリアは彼を見た。


「好きです。帰ってきてくれて、嬉しいです」


 アルトは頷いた。

 一度では足りなくて、もう一度頷いた。


 廊下の向こうで、騎士が庭を眺めていた。


「手、つないでいい?」


 ミリアが少し首を傾げた。


「今まで、何度も掴んでいるでしょう」


「落ちそうじゃない時には、あんまり」


 彼女は自分から左手を取った。


「では、歩きましょう。ここにいると、あの方がずっと庭を見ていないといけません」


     *


 聴取は、その後も続いた。


 すべてが解決したわけではなかった。


 ただ、今回予定されていた対面での確認を終え、アルトは許可通り、故郷へ向かうことになった。


 ミリアも休みを取り、村まで同行することになった。


 彼女の勤めは王都にある。

 帰郷のあと、アルトが北へ戻る途中で王都を通る時に、そこで別れる予定だった。


 次に離れる日も決まっていた。


 それでも、今から一緒に村へ行けることを、アルトは嬉しいと思った。


     *


 出立の前に、ベルトの店へ寄った。


 西門の近くにある、小さな店だった。

 入口には段差があった。


 声を掛けると、奥の仕事椅子からベルトが手を振った。


「やっと来たか。靴を脱げ」


「挨拶より先?」


「履いたままじゃ、底を外せん」


 ミリアが横で笑った。


 アルトは借りたつっかけへ履き替えた。


 ベルトは靴底を見て、長い溜息をついた。


「よく穴が開かなかったな」


「丈夫に作った奴がいたんだろ」


「直す方の苦労も考えてくれ。縫い糸まで擦り切れかけてる」


 縫い目を確かめ、替える革を選ぶ。


「明日の夕方まで預かる。村へ帰るのは、そのあとにしろ」


「分かった」


 奥で、ベルトの父親が、革を使いすぎるなと怒鳴った。

 ベルトは聞こえないふりをした。


 ミリアが入口を見た。


「その段差、直した方がよさそうですね」


「分かってる」


「俺がやろうか」


 アルトが言うと、ベルトは手を止めた。


「お前、肩が治ってからにしろ」


「皆、同じこと言うな」


「同じ怪我を見てるからだ」


 アルトは黙って座り直した。


 帰ってきたあとにも、頼まれる仕事があった。

 まだやらなくてよいと、止めてくれる相手もいた。


     *


 靴を受け取った翌朝、村の剣も返された。


 アルトは荷袋を背負い、ミリアとともに王都を出る前に、広場へ寄った。


 銘板には文字が増えていた。


 討伐任務終了。

 勇者の任を解く。

 生存を確認。


 石工が、そのそばで道具を片づけていた。


「今度は運ばなくていい?」


「動かすな。ようやく据えたんだ」


 アルトは笑った。


「これで終わりか」


「記録院から届いた、お前の勇者としての記録はここまでだ」


 最後の行には、解任された日付があった。


 今回、王都へ戻ったことは、入国と滞在の記録として別に残されている。


 それは、魔王を討ち果たした勇者の凱旋ではなかった。


 隣にはレオンの碑があった。


 魔王城へ入城。

 以後、帰還せず。


 レオンは今も北にいる。


 会談のために城を出ることはあっても、王都にも故郷にも帰っていない。


 アルトはその文字を見た。


 胸の内袋には、自分が返す針がある。

 荷袋には、レオンの代わりに届ける宿代が入っていた。


 アルトは碑から目を離し、歩き出した。


     *


 村へ向かう道は、途中まで北の街道と重なっていた。


 リュゼで一泊し、そこから街道を外れてトール村へ向かう。


 宿に着くと、同行する騎士が先に自分の部屋を頼んだ。


 女主人はアルトを見てから、ミリアを見た。

 それから、二人の手を見た。


「そちらのお二人は」


「二部屋で」


 ミリアが先に言った。


 女主人は少し笑い、鍵を出した。


 アルトはレオンから預かった包みを渡した。


「昔、ここで宿代を借りた人から」


 女主人は手紙を読み、古い帳簿を出した。


 日付と金額を確かめる。


 長い間、何も言わなかった。


「本人は?」


「来てない。俺が預かってきただけだ」


「そう」


 女主人は手紙を畳んだ。


 誰の名も、大きな声では呼ばなかった。

 その男が今どこで何をしているのかも、ここでは尋ねなかった。


「宿代は確かに受け取った。そう伝えておくれ」


「利子は?」


「その話は、本人にするよ」


 壁には、パンを持った男の絵が掛かっていた。


 アルトは見上げた。


 初めて見た時は、会ってみたいと思った。


 今は、北へ戻ったら何を話すかを考えていた。


     *


 トール村へ入る前から、山羊が鳴いていた。


「聞いていた通りですね」


「もっと上品な声だったはずだ」


 ミリアが笑った。


 同行した騎士は、村長へ許可書を届けるため、先に道を曲がった。

 滞在中は村長の家へ泊まり、帰りにも同行することになっていた。


 坂の上にヨハンが立っていた。


 鍬を肩へ載せ、額の汗を拭いている。


 名を呼ぶと、鍬を下ろした。


「帰ったか」


「うん」


 近づいてきたので、殴られるのかと思った。


 違った。


 頬を両側から掴まれた。


「痩せたな」


「痛い」


「そうか」


 手が離れた。


 ヨハンはミリアへ、手紙をありがとうと言った。


 それから、アルトへ向き直った。


「ニコは東にいる。先月、字の汚い手紙が来た。兄貴は、まだだ」


 アルトは頷いた。


「帰せなくて、悪い」


「お前に謝られても困る」


 声が荒くなった。


 ヨハンは地面を見て、息を吐いた。


「……いや。何も言わないのも腹が立つな。どうすりゃいいのか分からん」


「俺も」


「お前は考えろよ。向こうにいるんだから」


 アルトは顔を上げた。


「考える。調べたことも話す」


 ヨハンは頷いた。


 すぐに、元の顔には戻らなかった。


 それでも鍬を持ち直して言った。


「畑、草がひどいぞ」


「手、抜いた?」


「うちを先にやると言ったろ」


「知ってる。でも文句は言う」


「文句を聞く約束まではしてない」


 アルトが笑うと、ヨハンも少し笑った。


 畑へ歩き出してから、振り返らずに言った。


「夕飯、来い。二人とも」


 ミリアが、はい、と答えた。


     *


 鍛冶屋の妻は、差し出された針の包みを開いた。


 日に透かす。

 指先で曲がりを確かめる。


「遅い」


「悪かった」


「なくしたかと思ったよ」


「何度か、なくしそうになった」


「そういうことは、黙って返せばいいのに」


 針が箱へ戻された。


 小さな音がした。


 アルトは空になった手を見ていた。


 返すところを、旅の間に何度も想像した。


 本当に返せた時は、こんな小さな音がするだけだった。


 それなのに、しばらく、その場を離れられなかった。


「また出るんだって?」


 妻が聞いた。


「村には七日だけ。北で留守を頼んでる」


「忙しいね」


「うん」


 魔王の仕事を辞めたのではない。


 北へ戻れば、また報告を読み、命令を出す。

 自分の決定で困った人がいれば、その話も聞かなければならない。


 けれど、その仕事を続けることと、二度と村へ帰らないことは、同じではなかった。


 妻は新しい針と糸を持ってきた。


「今度は買っていきな」


「借り物じゃなくなるな」


「そうだね」


「帰る理由が、一つ減る」


 妻は呆れた顔をした。


「針を返す用がなきゃ、顔も見せないつもりかい」


 アルトは顔を上げた。


「そんなことは」


「なら、また帰っておいで」


 それから、代金を言われた。


 硬貨を出すまでに少し掛かったが、何も急かされなかった。


     *


 翌日、学び舎へ行った。


 新しい窓枠は、裏手で布を掛けられていた。


 重い枠を運ぶ時には、ヨハンに手伝ってもらった。


「窓まで俺にやらせる気か」


「持ち上げるところだけ頼む」


 右肩を示すと、ヨハンは鼻を鳴らした。


「最初からそう言え」


 古い木を外すと、冬の間に溜まった埃が落ちた。


 アルトが咳き込む。

 窓の内側で子供が笑った。


「勇者でも、むせるんだ」


「もう勇者じゃない」


「じゃあ、もっとむせる?」


「たぶん、同じだな」


 枠を据えたあと、ミリアが板を支えた。

 アルトは左手で槌を握った。


 一本目は、途中で曲がった。


「前より下手になってない?」


 赤毛の子に言われた。


「使う手が違うんだよ」


 ミリアが槌を受け取り、曲がった釘を抜いた。

 新しい釘を打つ。


 真っ直ぐ入った。


「俺より上手いじゃん」


「字も、縫い物も、釘も」


「剣は俺だな」


「今日は釘の仕事です」


 アルトは板を支える方へ回った。


 教師が内側から、枠の位置を見てくれた。


 前に直そうとした時と同じ手が、木へ添えられていた。


「先生」


「うん」


「遅くなりました」


 教師は頷いた。


「ミリアさんの手紙は読んだよ」


「まだ、話せていないことがあります」


「今日でなくてもいい。話せる時に聞かせておくれ」


 アルトは頷いた。


     *


 机の上には古い絵本があった。


 銀白のレオンが剣を掲げている。


 赤毛の子が、アルトを見上げた。


「兄ちゃんは、魔王を倒したの?」


「倒してない」


「じゃあ、何しに帰ったの」


 答えはいくつもあった。


 証言するため。

 話を聞くため。

 約束を返すため。


 だが、今ここで言いたいのは、そのどれでもなかった。


「会いたかったから」


 子供は首を傾げた。


「じゃあ、魔王は今、何してるの?」


 アルトはミリアを見た。

 彼女は答えを代わりに言わなかった。


「今日は、休み」


 ミリアが少し笑った。


 子供は、魔王も休むのかと、不思議そうな顔をした。


 目の前のアルトが、その役目を引き受けたことは知らない。

 魔王が何をする立場なのかも、絵本に描かれた以上には知らなかった。


 アルトは窓枠へ目を戻した。


 勇者として出発し、魔王になって帰ってきた。


 七日間の帰郷が終われば、また北へ向かう。


 戦争は終わっていない。

 ヨハンの兄も、まだ見つかっていない。


 自分が斬った相手も、助けられなかった人も、生き返らない。


 それでも、何もかも終わるまで帰ってはいけないと決めてしまえば、きっと、いつまでも帰れなかった。


 アルトは板を押さえ直した。


「ここでいいか」


 ミリアが位置を確かめ、頷いた。


     *


 最後の釘を、ミリアが打った。


 アルトは窓を開けた。


 引っかからなかった。


 閉じて、もう一度開ける。


 風が入った。

 机の上の絵本がめくれた。


 めでたし、めでたし。


 最後の言葉のあとにある、何も書かれていない紙が光った。


「直った」


 アルトが言った。


 教師も窓を閉じ、また開けた。

 二度確かめてから頷いた。


「ありがとう。では、今度は中へおいで」


 子供たちが場所を空けた。


 アルトは道具を片づけ、ミリアと入口へ回った。


 戸を開けたところで、どこへ座るべきか少し迷った。


 昔、自分が座っていた場所には、もう小さな子がいた。


 教師が空いている椅子を二つ指した。


 アルトが手を伸ばすと、ミリアが隣の一つを持った。


「こっちは、私が」


 アルトは頷いた。


 自分の椅子を置く。

 隣に、ミリアの椅子が置かれる。


「おかえり、アルト」


 教師が言った。


 勇者でも、魔王でもなく、名前を呼ばれた。


「ただいま」


 答えて、座った。



 了

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


魔王を倒せば、戦争は終わる。

勇者が勝てば、みんな幸せになれる。


そんな物語を信じて旅に出た青年が、敵にも台所があり、帰りたい家があり、自分の知らない名前があると知っていく話でした。


レオンの考えが正しかったのか。

アルトなら、本当に別の道を選び続けられるのか。

ミリアは、知ったことをどこまで正しく残せるのか。


作中で起きたことだけでは、答えの出ない問いも残っています。


ただ、誰かの犠牲を「必要だった」の一言で閉じないこと。

助けた人の名前と同じように、助けられなかった人の名前も残すこと。

そして、自分がいなければ駄目だと思い込む前に、誰かへ留守を頼んでみること。


この物語では、その小さな変化を、魔王を倒すことよりも大切な決着にしたいと思いました。


ミリアがレオンを許さないことも、アルトを好きになることも、どちらかのために諦める必要のない気持ちだったのだと思います。


英雄になれなかった人にも、帰る場所があっていい。


最後の「ただいま」が、皆さまの中に少しでも残りましたら嬉しいです。

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