第48話:覚悟
小屋の外で二人の刺客が沈黙した直後――重い木造の扉が、内側から静かに押し開かれた。
朝靄の混じる冷気の中へ姿を現したのは、サフィールの漆黒のマントを深く羽織り、胸元を固く合わせたエレだった。右肩の矢傷にはガレノスによって頑丈な包帯が巻き直されていたが、サフィールのシャツ一枚に羽織を重ねたその身躯は、未だ痛々しいほど小さく、肌の血色も白い。
だが、つい先ほどまでその瞳に宿っていた絶望の涙と動揺は、綺麗に消え去っていた。
「……エレ様!」
駆け寄ろうとするレオンに対し、エレは静かに右手をかざしてそれを制した。その手つきには、いつもの側近としての揺るぎない威厳が宿っている。
「見事な剣筋だったな、レオン。……私の動きを、よく見ていてくれた」
「……っ、ハッ! お褒めに預かり光栄です!」
レオンが胸に手を当てて深く頭を下げると、エレは自らの胸元をぐっと握りしめ、背後に立つサフィールへとゆっくり振り返った。
その表情には、いつもの冷徹で隙のない皇子側近――いや、それ以上の凄絶な覚悟と不屈の気迫を秘めた「ラディオンの最後の生き残り」としての威風が戻っていた。
「殿下。……傷の手当と、命を救っていただいたこと、心から感謝する」
凛とした、一切の迷いを削ぎ落とした声。サフィールはわずかに目を細め、胸元で腕を組みながら、目の前で覚悟を決め直した彼女の佇まいを見つめた。
「……もう、顔を伏せぬのだな」
「ええ。取り乱して無様な姿を見てすみません。ですが……私には立ち止まっている時間などないのです」
エレは隠すことなく、朝光の中で鮮烈な意思を放ち輝く緋色の瞳を、サフィールの漆黒の瞳へまっすぐ向けた。
「あなたは私を殺さず、側に置くとおっしゃった。だが、甘い勘違いをしないでいただきたい。私はあなたの所有物になるつもりも、守られるだけの女になるつもりもない。この瞳も、この命も……全ては帝国が奪った我が故郷と同胞の無念を晴らすためのものだ」
サフィールのシャツを身に纏い、彼の激しい愛を受け止めながらも、エレは自らの「復讐者」としての鋭い牙を一切折っていなかった。
「どれほど甘い言葉を囁かれようと、私の目的は変わらない。私を利用するか、ここで殺すか……選ぶのは殿下だ。だが、私を連れて行くというのなら――足を引っ張るつもりはない。私は今まで通り、あなたの盾となり、剣となって戦う」
その言葉に、サフィールの薄い唇が獰猛に歪んだ。
恐怖も躊躇いもなく、帝国の皇子である自分を真っ直ぐに射抜く紅き瞳。絶望に打ちひしがれ、己の腕の中で震えていた姿も狂おしいほど愛おしかったが、こうして凛と牙を剥き、対等に立ち塞がるエレこそ、自分が狂愛する存在そのものだった。
「……ふっ、ハハッ……!」
サフィールは低く愉悦の笑いを漏らすと、一歩踏み出し、エレの顎を指先でクイと持ち上げた。至近距離で鋭く交錯する、漆黒と鮮烈な赤。
「いい目だ、エレ。そうでなくては面白くない。俺の腕の中で絶望に沈むお前も悪くなかったが……そうやって俺に刃を向け続けるお前の方が、ぞくぞくするほど美しい」
「殿下……っ」
「復讐でも何でも好きにするがいい。俺を殺したければ、いつでもその手に刃を握れ。……だが、俺はお前を絶対に手放さん。地獄の果てまで付き合ってもらうぞ」
サフィールの深すぎる執着と圧迫感に、エレは小さく息を呑む。だが、今度は決して目をそらさなかった。
「……ガレノス、次の潜伏先への最短ルートを弾き出せ。レオン、本隊の追跡を断ち切るぞ」
「「……ッ、ハッ!!」」
いつも通りの凛々しい男装口調でテキパキと指示を出すエレの姿に、レオンの瞳には歓喜と熱い忠義の火が灯り、ガレノスも安堵の笑みを浮かべて素早く羊皮紙の地図を広げた。




