第1話 プロローグ 幼き日の誓い
それは、僕たちがまだ七歳だった頃の記憶。
僕は原因不明の高熱に侵され、ベルモンド侯爵家の自室で、死の淵を彷徨っていた。
意識はどろどろに溶け、昨晩からは目を開けることすら叶わない。ただ、肺を焼くような熱い息を吐き出しながら、浅い眠りの境界で遠くの音だけを聞いていた。
――「ぴちゃり」と、冷たい水の音がした。
直後、焼けるように熱い額に、ひんやりとしたタオルの心地よさが広がる。
熱を吸い取ってくれるようなその感触を届けてくれたのは、きっと幼馴染のレティシアだ。僕の母上と彼女の母親は姉妹で、僕たちは本当の兄妹のように多くの時間を共に過ごしてきたから、その気配だけで彼女だと分かった。
(レティ……来てくれたんだね……)
可愛い幼馴染がすぐそばにいてくれる。それだけが、消え入りそうな僕の命を繋ぎ止める唯一の糧だった。
けれど、意識の裏側で、大人たちの絶望に満ちた声が聞こえてくる。
「ベルモンド侯爵! 『剥離師』はまだ見つからないのですか! アルフォンスの体力がもう……!」
「エレオノーラ様……っ、手を尽くしてはいるのですが。この子の病を請け負う準備はできているというのに、肝心の『剥がす』術者が捕まらないとは……!」
レティシアのお母様が、他者の病を自らの体へと移し替える『病の請け負い』の力を持っていることは知っていた。それはかつてこの王国を救った、尊くも過酷な、アストレア公爵家に伝わる奇跡の血筋。
けれど、僕の体から病を剥がす者がいなければ、その力さえも意味をなさない。
(ああ、僕は……もう駄目なんだな……)
暗闇に沈んでいく僕の右手を、小さくて柔らかな手がぎゅっと包み込んだ。
「アル、大丈夫? ――神様、お願い。アルを助けて……」
鈴を転がすような、レティシアの祈りの声。
その瞬間、握られた手から、清らかな何かが注ぎ込まれるような感覚に襲われた。
熱に焼かれてひび割れていた僕の体の隅々まで、温かく、けれど凛とした何かが満たしていく。
ほんの数十秒のことだった。
レティシアの手が離れたとき、僕を縛り付けていた呪縛のような重だるさは、嘘のように消えていた。
目を開けられる。声も出せる。
僕は信じられない思いで、お礼を言おうとベッドの脇を探した。
けれど、そこに彼女の姿はない。
「レティ……!?」
慌ててベッドから身を乗り出すと、床には力なく倒れ伏しているレティシアの姿があった。
「レティ!!」
僕の叫び声に、驚愕の表情を浮かべた両親と、エレオノーラ様が駆け込んでくる。
「アルフォンス! 起き上がって大丈夫なの!?」
「信じられん……この部屋を満たしていた澱んだ霧が、今、清涼な風に洗われたような気がしたが……」
「レティシア! まさか、あなたが……っ」
床に横たわるレティシアを、エレオノーラ様が震える手で抱き上げる。彼女の顔を覗き込み、脈を確認すると、エレオノーラ様は深く、深く安堵の吐息を漏らした。
「眠っているだけよ。大丈夫、心配しないで、アルフォンス」
エレオノーラ様は、不安で震える僕の頭を、いつもよりずっと優しく、慈しむように撫でてくれた。そして、真っ直ぐに僕の両親を見つめ、静かに、けれど強く、その頭を垂れた。
「どうか――このことは、他言無用にてお願いいたします」
「……分かっています。きっと、この子がアルフォンスを助けたいと願う一心で、奇跡を呼んだのでしょう」
「ええ。アルフォンスを、私たちの愛する息子を救ってくれてありがとう、レティシア。この恩は、一生忘れませんわ」
母上が涙を零しながら、眠る彼女の頭を愛おしそうに撫でる。
僕もまた、その横顔を瞳に焼き付けていた。
あの日、レティシアが僕の闇を払ってくれたあの手の温もりを、僕は死ぬまで忘れない。
誓うよ、レティ。
いつかこの腕で君を抱え上げられるほど、僕が大きく、強くなったとき。
君が何かに傷つき、何かに怯える日が来たならば――その時は必ず、僕が君を救う騎士になると。




