収穫祭
応援してくださった皆さまへのお礼に、本来は第二章の幕間として考えていたお話を、外伝として投稿しました。
それでは、お楽しみください。
青く澄んだ空が広がる。空気はからりとしていて、秋の深まりを感じさせた。あとひと月もすれば、空が落ちてきたかのような暗い冬が始まるわね。
「おねえさま、マティーがきたよ」
「わかったわ」
窓を閉じて振り返ると、厚手の黒いワンピースに紺色のベストを着た妹がいた。ベストの縁にはピンクのラインが入っている。もう肌寒い時期だった。
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玄関の扉を開けると、マティアスが立っていた。私がプレゼントした白いシャツに、茶色のベストと黒いズボンを履いている。剣帯には、ロングソードをおびていた。
「お迎えにあがりました。ジュリアさま」
そういって手を差し出すマティアス。比較的動きやすいデイ・ドレスだけど、騎乗服に比べると歩きにくいので、好意に甘えることにした。
―――トン、トン、トン。
騎士向けの集合住宅の内階段を、マティアスの腕をとって降りる。
我ながら不思議に思う。マナーとはいえ、以前の私なら、断るか、そもそも騎乗服を着ていたように思う。
今の私は、梳いた木綿を白く染色して編んだシンプルなデイ・ドレスを着て、ローズピンクのショールをカーディガンのように羽織っている。まるで惹きつけるような服装。4年前のことがあってから、マティアスと誓約はしても、互いの距離は意識していたのに。いったい、どこでタガが外れたのかしら?
「こんにちは、ジュリアさま」
「こんにちは、エーデルさま」
内階段を降りると、キティス子爵夫人―――エーデルさまがいらしていた。今日のエーデルさまは、私と同じタイプの淡い黄色のデイ・ドレスを着て、青みがかった灰色のショールを首に巻いている。
エーデルさまは、ジークくんと手を繋いでいて、近くに私服姿のウィドとベルティがいた。2人ともちゃんと剣を帯びている。
「お待たせして申し訳ありません」
「今来たところです。お気になさらず。それよりも」
ふふふ、と微笑んで言う。
「家族かと思ってしまいましたわ」
「ああ、シャルがマティアスから逃げてしまって」
私が妹を、抱っこしているからでしょう。階段は1人で下りれないので、結局、私の腕におさまったのよね。
どう反応するか悩むエーデルさまのお顔が見えたけど、とりあえず妹を下ろすことにする。
「こんにちは、ジークくん」
「こんにちは、シャル」
今日のジークくんは、乳白色のペチコート付きロングチュニックを着て、腰にサッシュベルトを巻いていた。スカート部分がふんわり膨らんでいて、とても愛くるしい。
貴族の子息は、6歳までは、魔除けで女の子として育てるのが、通例というのもあるけど。女の子らしさが増しているのは、エーデルさまとジークくんが、こっちに住むようになって、エーデルさまの母性が爆発した結果だと思うのよね。
3人でお風呂に入った話をエーデルさまにしたときに、その手があった、と呟いていらしたし。
「マティアス先生、こんにちは」
「こんにちは、ジークハルトさま」
「今度、また剣を教えてください」
「構いませんよ」
ジークくんは、マティアスを見るとピシッとして、挨拶する。ジークくんは、マクシミリアンに誘拐された時に、私の妹を守れなかったのが、余程悔しかったみたいで、マティアスに剣を教えて貰っているのだ。
大人はみんな、私の妹を守るために泥まみれになって誘拐犯と戦ったジークくんの勇敢さを褒め称えている。リンデンベルク卿の腰抜....慎重な対応とは評価が真逆だった。
エーデルさまは妹に話しかけられる。
「シャルちゃんも、こんにちは」
「こんにちは、エーデルおねえさま」
「今日も可愛いらしいわね。紺色、好きなの?」
「うん。ジュリアおねえさまが、この色すきなの」
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歓談を終えて、収穫祭の会場に向けて歩いていく。
今日は、私と妹とエーデルさまとジークくんの4人で収穫祭を見てまわるのがメイン。私がドレスを着ていて戦えないので、マティアスが護衛についている。
私の護衛がいつも兵士だけなのは、4年前の幼年部隊設立の呼びかけに騎士階級が応じなかったことと、私が自分で戦えるからというのが大きい。本来なら、貴族の護衛は騎士だ。
「今年は豊作だったようですね」
私の隣を歩くエーデルさまがそうおっしゃる。ジークくんと同じ、青みがかった紫の髪と同じ色の瞳をした、小顔の可愛いらしい方で、子猫のような愛らしさを感じさせる。
「はい。豊穣の天使さまの祝福があったのでしょう」
「豊穣の天使さまは、ジュリアさまと避難民の皆さまの頑張りように、心をうたれたのでしょうね」
エーデルさまのご出身のキウォル伯爵領は、虹神教の教皇領に隣接している。魔導国の中では珍しく、熱心な虹神教信徒の多い地域だ。信徒向けの話し方に切り替える。
「この豊作も、豊穣の天使さま、ひいては虹神さまより賜ったものです。神のお慈悲を避難民全員が毎年感じられるように、各所に食糧庫を作り、災いの年に備えようかと考えております」
「ジュリアさまは、敬虔な信徒でいらっしゃるのね。災いの年に神の慈悲が配られれば、避難民の皆さまは、悪魔に惑わされることもなく、信仰も篤くなり、天上の支配はより強固なものとなるでしょう」
感極まったのか、瞳に涙を浮かべ、そう言うエーデルさま。マクシミリアンが聞いたら、ゲーッと嘔吐しそうだ。
「私腹を肥やさず、避難民を憐み、神の慈悲を分け与える。これも聖女を輩出したアルミラ家の教えでしょうか?」
「どうでしょう。“アルミラの聖女”と虹神教会に認定された祖母は、私が産まれる前に亡くなっております。母から祖母の教えを受けているのかも知れませんね」
うんうん、と感慨深そうに頷くエーデルさま。
聖女の認定には、虹神教会と各国の思惑が色々絡んでいて、熱心な信徒の前では、とても言えるものではない。話題変えたいなぁ。
そんなことを考えていると、ジークくんの声が聞こえた。
「ジュリアさま。あれはなんなのでしょう。なぜ家の前に木を飾っているのですか?」
ジークくんの指差す方を見ると集合住宅に、トウヒの枝が飾ってあった。遠い記憶の中では、クリスマスツリーとかに使っていたように思う。
「あれはね、ワインの熟成度を示すためのものよ」
「ワインを作られているのですか?」
「ヘリエスタにいた頃は、作っていたわね。ああやって、収穫祭の日に飾って、ワインを仕込んだことを示すの。あの木が枯れる頃にはワインが熟成するから。その時にワインを飲みにお店に来てください、って言う意味なのよ」
「なるほど、お店の宣伝も兼ねていたんですね。今は作られていないのですか?」
「リスティアは寒いからね、ブドウが育たないのよ」
リスティアは、クルス山脈のおろし風をまともに受ける。体感だけど、キティスより2、3度低く感じる。
きっとあの集合住宅には、ヘリエスタでワインを作っていた人が住んでいて、祭りの時に飾っていた往時を懐かしんでいるのでしょうね。
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「ねぇ、ジュリアおねえさま。あれはなあに?」
「さあ、なにかしら」
仮のお屋敷兼礼拝堂の前の広場にそれはあった。
「噴水の落成式のはずだけど」
「聞いていないのですか?」
「私には秘密だそうよ、ね、マティアス」
「ジュリアさまを慕う避難民一同が、お金を出しあって作ったものです」
「あなたが主催だと思ってたわ」
「違います。私が主催なら報告しております。お金は出しましたが」
「楽しみね」
この広場は、ジークくんがマクシミリアンから引き出した軍用道路敷設事業のリスティア側の始点。もともと道の幅を充分にとっていた私達は、助成金を使う必要はなかったんだけど。律儀に距離に応じて按分したリンデンベルク卿から、「国の紐付き予算だから、用途以外に使わずに、今年度中に執行してくれ」と言われたので、やむなく広場をレンガで舗装したら、予算を捻り出した騎士のトーマスが、噴水をつけたのよね。
その噴水には、今、白いシーツがかけてある。中身が何かは私は知らない。中身を知っているマティアスがなにも言わなかったから、害がないのは確かだ。
――――ガヤガヤ、ガヤガヤ
収穫祭の始まりを告げるこの式典を見るために、多くの領民達が集まっている。よろこんでくれるかな、大丈夫、と親子の会話が聞こえた。なんか、みんなニコニコしている。マティアスを見ると、心なしか微笑んでいた。
「マティアス。唇を噛んで無表情のふりをするのはやめて」
ウィドが吹き出して、ベルティが注意する声が聞こえた。
「....失礼しました」
顔を引き締めたマティアスの顔は、やっぱりひくついていて、見ていて飽きない。
「なんなんだろーねー」
「楽しみね」
主催者の女性が、噴水の前に進み出るのが見えた。
「ドルンハルト夫人....」
意外な人物に、声を出す。
ドルンハルト夫人は、ヘリエスタの戦いでご子息のレイノルド卿を亡くしている。死因も知っているはずで、私を恨んでいてもおかしくない方だった。
彼女は、朗らかな笑顔を浮かべると、主催者挨拶を始めた。
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挨拶を終えると、ドルンハルト夫人は私を見て微笑んだ。朗らかな笑顔に影はない。毒牙草をやっている感じもしないのに、どこか違和感を感じさせた。
「それでは、皆さま。ご開帳です!」
――――パチパチパチパチ
みんなが拍手喝采をする。口笛を吹くものもいた。お祝いムードの中、白い布がめくられた。
「え」
布の下から現れたのは、馬に乗った少女の石像だった。
馬に跨ったその少女の石像は、右手に剣を、左手に短剣を持っていた。マントには盾に天秤の私の紋章が刻まれていて、剣を前方に向けて掲げている。突撃の号令をしているようだった。
「おねえさまだーー!」
妹の元気な声で、私の声がかき消される。ゆるゆると、ドルンハルト夫人を見る。
「ジュリアさま。私があなたを恨んでいるとお思いでしょう?。そのようなことはありません。タシュルの猛威を防ぎ、新しい地へ我らを導き、魔法で大地を切り開き、水を引いて我らの喉を潤し、田畑を耕して我らに豊かな生活を与えてくださったあなたさまを恨むことなど、あり得ません。どうか、領民の、ヘリエスタ避難民の感謝を受け取ってください」
視界が涙で滲む。なんとか言葉を絞りだす。
「ありがとう」
私の様子に気づいた妹が振り返ると心配そうな顔をした。
「おねえさま、どーしたの?。どこかいたいの?」
背中に暖かい感触。
エーデルさまが優しく背中をさすってくださっていた。
「ちがうの。うれしいの」
涙が止まることはなく、溢れる。拍手と口笛と感謝の声は、私が泣き止むまで続いた。
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「とても良いものを見させていただきましたわ」
「お恥ずかしい限りです」
エーデルさまにそう答える。
ここは礼拝堂。今は改修中でごちゃごちゃしているけど、チャーチチェアはまだ置いてあったので腰掛けて休んでいた。
「おねえさま、だいじょーぶ?」
「大丈夫よ、シャル」
「これほど喜んでいただけるとは、思いませんでした」
「マティアス、“サイヴァルドの宝石”を泣かせた罪は大きいわよ」
困ったような顔をするマティアスを見て、溜飲を下げる。
「さぁ、お祭りの続きといきましょうか」
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礼拝堂兼仮のお屋敷を出たら、もうお祭り騒ぎだった。バイオリンの演奏がされて、採れたてのリンゴが店先に並べられ、歌い踊っていた。なんだか、乗り遅れた感じね。
私は、隣にいるマティアスに話しかける。
「楽しそうね」
「はい。皆、祭りを楽しみにしておりましたから」
「私が提供したワインとヤギのチーズはどう?」
「大好評ですよ。あちらです」
マティアスが示した方を見ると、樽に入ったワインが領民に配られていた。イゼオで仕入れてきたワインだ。
「あらあら、キティスのお店まで出店しているのね」
エーデルさまの方を見ると、キティスの人たちがビールを販売していた。ううむ、さすが麦どころね。今年はお米がたくさんとれたし、リスティアでも、お米でお酒が作れないかしら?
「あら?。ジュリアさま、あれは何かしら?」
エーデルさまの指差す方を見て、サーッと血の気が引く。
ミーシャ法国の神官長の娘、ミルス・ヤシマさまが屋台にたっていた。
なんか、あの屋台だけ、すごい見たことあるわね。ミルスさま、青い法被着てるし....。
じゃなくて、ミーシャ法国は、虹神教会に邪神を奉じる国に指定されている。熱心な信徒のエーデルさまに知られて、このことが虹神教会に伝わると、私は異端審問にかけられてしまう。
さりげなく話題をかえて、別のお店に行きましょう。そう考える私の意図を砕いたのは、妹だった。鼻でクンクンと匂いを嗅いでいる。
「ジークくん、なんかいいにおいがするよ」
「ほんとだ。行ってみよう!」
「うん!」
子どもの好奇しーーーーーん!!
真っ直ぐ、ミルスさまの屋台に走っていく2人。
追いかけないわけにはいかない。
「珍しい人ね。灰色の髪と瞳なんて」
ギックゥ!!
明るい灰色の髪と瞳をしたミルスさまをみて、そう言うエーデルさま。
元々は黒髪黒瞳の民族だったとミルスさまがおっしゃってたっけ、と今はどうでも良いことを思い出す。現実逃避ね。
観念した私は、最後の賭けで、エーデルさまの後ろに立ち、ミルスさまに向けて、この人はダメ!とジェスチャーを送る。
コクっと頷くミルスさま。伝わった....?
「ミルスー、これなぁに?」
知り合いって分かるから、名前よんじゃダメーーー!!
「これはねぇ」
ジューと焼いていた何かを取り出して、皿に入れるとお店の前に出てくるミルスさま。
こ、この香ばしい薫りは!?
魂が、この匂いを覚えている。口の中が唾液で満ちる。たとえ、異端審問で火あぶりにされても、これだけは食べたいと魂が叫んでいた。
「や」
「焼きおにぎりだぁ!」
「....」
「あ」
私のバカーーーーーーーーッ!!
「おねえさま、ものしり!。ヤキオニギリだってジークくん」
「ヤキオニギリ、聞かない言葉ですね」
遠い記憶の中の言葉を言う2人。
ジーッとこちらを見るミルスさまとエーデルさま。
「ああいえ、ミルスさ....から教えて貰ったんです。ね!」
目に力を込めてそう言うと、フフフと微笑むミルスさま。長い付き合いだから分かる。これは絶対、後で貸しにされるやつだわ。
「そうなんですよー。ジュリアさまに試食して貰った時に教えました」
ふーん、という感じのエーデルさま。大丈夫かな?
「この香ばしい匂いは、なんなんですか?」
ミルスさまに質問するジークくん。
「これは醤油です。大豆で作ったソースですよ」
「ヤキオニギリと言うのは?」
「おにぎりを焼いたものです。おにぎりは、ご飯にお塩をつけて三角形に固めたものですよ」
「お塩....高いんですね」
「ふっふっふっ。私達は、岩塩が取れる山を持っているので、今回は安くしておきますよ」
「ほんとですか!?」
パァっと目を輝かせるジークくん。
フッ、人は醤油の香りには抗えないのよ。
「それじゃあ、1人1つずつ。マティアスとウィドは2つずつで、9個お願い」
「“毎度あり”」
「ジュリアおねえさま、どーゆーいみ?」
「分からないわ」
知ってるけど。
「いつもありがとう、って意味ですよ」
「聞いたことがない言葉が多いですね。太古の言葉でしょうか?」
「先祖代々伝わる言葉です。ほとんど失伝していますけどね」
「お代はいくらかしら?」
「半銀貨1枚です」
半銀貨1枚。だいたい6万円ぐらいね。うん。
「高すぎでしょ」
「冗談ですよ。本来ならそれくらいいただくということです。そこで相談なんですが、少額取引だと物々交換なので持ち帰りが大変です。後でまとめて両替してくださいますか?」
「構わないわ」
「では、支払いもその時に」
「分かったわ。....本来の価格と販売価格に差がありすぎるような気がするけど、大丈夫なの?」
「今回は、新しい交易品の開拓が目当てですから。将を射んと欲すればまず馬を射よ、ですよ。金額の内訳もほとんど移動の人件費と危険手当です。顧問料の受け取りのついでなので問題ありません。それに」
そういって、こちらをジッと見るミルスさま。
「畜産が盛んになりつつあるようですね。1頭あたりの単価がでかい。そのお金で麦を買って、お米の生産を減らされたら、たまったものじゃありません」
「商売上手よね、ほんと」
ミーシャ法国から教わったお米の生産技術と冷涼な気候でも実るお米の種は、もちろんタダで提供されたわけではない。生産量に応じて毎年、顧問料としてお米を納めている。
毎年、稲刈りが終わったこの時期に、男衆を連れて受け取りにくる。今年は250俵を北の山脈のどこかにある法国に持って帰ることになっている。ミーシャ法国は、耕作面積が少ないらしく、こうやってお米の量を増やしているみたい。
ミーシャ法国は、お米が貨幣として通じる唯一の交易相手でもある。今年はタシュル騎馬国に備えるため五人張りのシゲトー弓を10張り。専用の矢を二千本発注した。
シゲトー弓は、モンス大陸で唯一、タシュルの弓に勝る弓。末永くお付き合いしたいものね。
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馬車に乗って、窓の外を見るとミルスさまの屋台に人が並んでいるのが見えた。この調子なら、領民からお醤油のリクエストがありそうだわ。
馬車は、広場を出て東門から外に出ると、近くの小高い丘へ向かう。簡単に行けるピクニックのようなものだ。
馬車で丘を登り、テーブルを設営しているエリアに歩いていく。ヘリエスタにいる時に城で働いていたメイドや召使いが、場所を整えてくれていた。彼らに、買ってきた食べ物を渡し、配膳をしてもらった。
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「良い景色ね」
「ありがとう存じます」
椅子に腰掛け、リスティアの収穫祭と稲刈りの終わった田畑を眺める。3千メートル級の山々が連なるクルス山脈も見える、良いロケーションだ。
テーブルには、私と妹とエーデルさまとジークくんが座る。マティアス達は護衛だ。差し入れの焼きおにぎりは、後で食べるらしい。
テーブルの上には、ヤギのチーズと切られたリンゴが、木の皿に盛り付けられていた。
「おいしー!」
「ふふっ」
ヤギのチーズを食べる妹。チーズは買い食い感を出すため、スティック状に切ってあった。
エーデルさまとジークくんも、ヤギのチーズをつまんで食べると喜色を浮かべた。
「ほんとね、味も濃厚だわ」
「ヤギ乳の臭みも全然ありませんね」
「このチーズは、ヤギの乳を煮て、岩塩で雑菌の繁殖を防いで、半年間熟成させたものです。リスティア、ひいてはキティス子爵領の新しい特産品にしようと思います」
「素敵ね、キティスを伯爵領並みにしようと息子と殿下が言い出した時には、驚いたものですが。こうして豊かになっていくのを感じると、それも夢ではないのかもしれませんね」
「森林が広がっていたキティス平野を切り拓いた、リンデンベルク家の労苦があってこそですわ」
「キティス子爵領の発展は、キティスとリスティアがともに手をとり合うことで成り立つ、ということですわね」
「左様でございます」
ただ、ヤギは乳の量が少ない。投資金額が安いから、ヤギから手をつけたけど、乳牛を取り扱ってみるのも良いかもしれない。成牛なら一頭で、金貨数枚するけど、思わぬ収入もあったし。頃合いを見てエーデルさまに、牧場の紹介をお願いしよう。
ことり、と召使いが木製の小皿にのせた焼きおにぎりを置いていく、念のためカトラリーが添えられていた。
「焼きおにぎりは、そのまま食べるのが作法ですが、食べにくかったらカトラリーをお使いください」
そう言って、焼きおにぎりを掴むと、あむ、と口に入れる。
醤油の香ばしい薫りと、おにぎりの塩気、甘いお米の味が口の中に広がっていった。
「すごくおいしい!」
「ショウユの香りがすごく良いです!」
喜ぶ妹とジークくん。エーデルさまは、カトラリーを使っておにぎりをナイフで切り、フォークで刺して、口に運ぶと感極まったような表情をされた。
「おいしいですわ」
「なによりでございます」
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「きゃはは」
「待ってよー」
妹とジークくんが遊ぶ声が聞こえる。ご飯も食べ終わって、エーデルさまと2人で、まったりとティータイムを満喫していた。
妹を見ると、マーモットというリスを大きくしたような動物に懐かれていた。
ものすごい警戒心が強い動物のはずなんだけど....。ジークくんが近づくと「キュイ、キュイ」と鳴いて警戒音を発している。人間馴れしているわけじゃないみたい。妹の愛らしさは、種族の垣根を越えるのね。
このまま妹と一緒に、田舎でのんびり暮らしていけたらいいのになぁ....。
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その日の深夜。広場のジュリア像が設置された噴水の前に、黒衣を着た集団が集まっていた。
実質的な領主のジュリアの方針で祭りが終わった後は、直ちに露店は撤去され、居座る者はジュリアがひと睨みすると、酔いが覚めたかのように家路についた。
あれだけ賑やかな祭りの後とは思えないほど、静かだった。
黒衣の集団の1人が噴水の前に進み出ると、フードをあげる。黒衣の裏地は白なのか、暗闇の中でも目立った。
フードから現れたのは、昼間の式典で主催者挨拶をしたドルンハルト夫人だった。彼女の息子のレイノルド卿は、ヘリエスタの戦いで、ジュリアの白の魔法が暴発するように発動したことで、多くのタシュルの騎兵とともにその命を散らしていた。
「今日は、とても良き日です。月のない真っ暗な夜空こそ、ジュリアさまに相応しい」
次々に、ジュリア像が設置された噴水の前で跪く黒衣の影達。ドルンハルト夫人とその周囲の影達は静かに、祈り始めた。
「“緑の騎士”コルリウスさまの再来である“白の狂姫”ジュリアさま。あなたが召し上げた我らが家族の魂が、永久に安らかでありますよう」
神の御技―――白の魔法を見た者の反応は2つに分かれていた。
「生と死を司りし天使ジュリアさま。あなたは、3年前、生と死を分けられた。死の道を行く者は両断されて死に、燃えて死に、凍えて死んだ。生の道を行く者は、新たな大地で喉を潤し、腹を満たした。我らは、あなたの子羊。我らに安息を与えたもう」
ひとつは、抗い。
“赤獅子”マティアス。
“最優の騎士”ディミトリィ。
“金狐将”タヴィラン。
“炎の君”マクシミリアン。
彼らのように、神の御技を前にしてなお、恐怖に抗い、ジュリアを慕い、あるいは敬い、若しくは亡き者にしようとする者達。
「“死の天使”ジュリアさま、我らが牧者。あなたの御手は死の導き。あなたの声は、死の福音。善きものは、天の国へ導き。悪しきものは地獄へと落とす、天秤を司りし者よ。我らを正道へと導きたまえ」
ひとつは、信仰。
神の御技に神性を感じ、崇め奉る者や、恐れ、神として崇めることでその災厄から逃れようとする者達。
人としてのジュリアに、終焉をもたらす教えが、他ならぬ彼女が守った領民達の間で広まり始めていた。
その行き着く先を、人はまだ、知らない―――。
(おしまい)
お読みいただきありがとうございます。
本作が低ポイントで終わった納得のできる理由も、私なりに見出すことができましたので、この作品はこれにて完結といたします。
作品の一番のファンは書き手だと考えています。途中で筆を置くことが悲しく、また、ここまでお読みいただいた皆様のご期待に応えられなかったことを不甲斐なく思います。
もし、私がプロの小説家になることを諦めた時には、趣味として本作の続きを書くこともあるかと思いますので、本作のブックマークか、このアカウントをフォローして頂けると幸いです。
次回作ができましたら、ブルースカイの私のアカウントで告知いたします。次回作は、小説サイトを変える可能性がありますので、よろしければ、こちらもお願いします。
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本作をお読みいただき、また、たくさんの応援をいただき、ありがとうございました。
また、次の作品でお会いしましょう。