第1話
嘘は赤く光る。
そして俺の同居人は、ほぼ毎日、俺の目の前で真っ赤に光っている。
「あなたに興味はない」とか。「別に心配なんてしていない」とか。「これは礼じゃない」とか。
全部、嘘だ。
しかも本人は、バレていないと思っている。
……いや、順番に話そう。これは、その厄介な同居人と出会った日の話だ。
◇ ◇ ◇
俺がこのスキルに気づいたのは、この世界に来て、すぐのことだ。
最初は目の病気を疑った。でも違った。人の言葉が嘘であるほど、赤く、強く光る。光の強さは嘘の確信度に比例するらしく、「おそらく本当だと思っている嘘」はぼんやりと、「わかっていてついている嘘」は眩しいくらいに輝く。
不便だ、と三年間ずっと思い続けた。
俺の名前はアベ・カイト。三年前、気づいたらこの異世界に立っていた。元の世界の記憶ごと、体ひとつで。いわゆる転移者というやつだ。職業は便利屋、スキルは嘘看破のみ。チートらしいチートは何もない。ただ嘘が見えるだけの凡人だ。
◇ ◇ ◇
「この魔法石、本物だよな」
市場の屋台で俺が聞くと、商人が胸を張った。
「もちろんですとも! 産地直送の上級品! 一週間は灯りが持ちますよ!」
ぼんやりと光った。
強さは三段階中の二程度。「盛っているが完全な嘘ではない」光り方だ。魔法石そのものは本物だろうが、上級品ではないし一週間も持たない。三日がせいぜいだ。
「半額で」
「なんでわかるんですか!?」
「なんとなく」と答えて銀貨を一枚置いた。商人は三十秒ほど唸って、受け取った。
このスキル、戦闘でも探索でも役に立たないが、買い物の値切りだけは毎回機能する。三年間の地道な発見だ。
ついでに言うと、弱点もある。強い嘘の光を浴び続けると、目の奥がじくじくと痛む。だから人混みは苦手だ。嘘が多すぎる場所は、俺にとって頭痛のもとでしかない。便利屋を一人でやっているのも、半分はそのせいだった。
◇ ◇ ◇
薬草と干しパンを買い終えて、帰り道を歩いていたとき——路地の奥から声がした。
「どけ。俺たちの邪魔をするな」
「……放しなさい」
後者が低く、静かで、冷たかった。
振り返ると、三人の男に囲まれた少女がいた。腰まで届く黒髪、白い肌、紅い瞳。見た目は俺と同じくらいだが、まとっている空気が違う。年を重ねた存在が持つ、静かな密度のようなものがあった。
「こいつ、耳の後ろ見てみろ! 魔族だ!」
目を細めると、黒髪の奥に夕陽を反射するものがある。細い角だ。隠す魔法が薄れているらしかった。
魔族か。
この街では珍しい。だからといって、囲む理由にはならない。
俺はため息をついて、パンの入った袋を脇に抱え直した。
「すみません、ちょっといいですか。あの子、俺の知り合いで」
男たちが振り返り、笑った。やれるものならやってみろという笑いだった。
一人目の拳を捌いて地面に転がした。二人目を肘でかわした。三人目が背後に回ろうとしたところを、先に踏んだ。腕力というより、三年間で覚えた体の使い方だ。
静寂が戻った。
少女が俺を見ていた。
紅い瞳が、値踏みするように細くなった。
「……何者」
「ただの便利屋です」
「なぜ助けた。私が魔族だと、わかっていたはずだ」
「わかってましたよ」
「なら——」
「別に理由はないです。困ってたので」
少女はしばらく黙った。それから静かに口を開いた。
「……助けてもらう必要はなかった。私は、ただの旅人だ」
赤く、強く光った。
「ただの旅人」の四文字が、夕暮れの路地でくっきりと赤かった。自分でもわかっていてつく、確信のある嘘の光り方だ。
でも、俺は何も言わなかった。旅人だろうが何だろうが、関係ない。
「そうですか。旅人なら、宿はもう決まってますか」
「……まだだ」
「この辺で安くて清潔な宿を知ってます。案内しましょうか」
少女が、ほんの少しだけ身構えた。
「……先に言っておく」
「はい」
「勘違いするな。あなたに興味はない」
——眩しいくらいに、赤く光った。
今日の市場全部を合わせても、これより強い光はなかった。さっきの「ただの旅人だ」さえ霞むほどだ。「あなたに興味はない」の一言が、暗くなりかけた路地で、松明みたいに燃えていた。
俺の『嘘看破』スキルが、今日一番激しく反応した瞬間だった。
俺はまだ、宿の場所を教えると言っただけだ。
(……興味の話なんて、誰もしていないんだが)
もちろん、顔には出さなかった。それが俺の三年間で唯一上達したことだ。
「わかりました。じゃあ、宿だけ案内します」
「……案内してもらおうか」
最後の一言だけ、光らなかった。
短い間があった。まるで、自分の返事に自分で驚いているような間だった。
◇ ◇ ◇
宿へ向かう道で、少女がアルマと名乗った。
名字は言わなかった。俺も聞かなかった。
歩きながら気づいたのだが、アルマは並んで歩かない。半歩後ろをキープしている。距離を測るように、俺から少し離れた位置にいる。
「この街には初めてですか」
「……二度目だ」
かすかに光った。一度目か三度目か、どちらかだろう。
「住みやすい街ですよ、わりと」
「……そうか」
それきり、宿に着くまで喋らなかった。
◇ ◇ ◇
白鳥亭の主人カルロさんは、アルマを見ても余計なことを言わなかった。部屋を二つ取って、食堂で夕食をとった。
アルマはフォークを正確な角度で持ち、几帳面に食べた。スープの一口ごとに、量が均等だ。魔族の作法か、あるいは長年の習慣か。
食後、カルロさんがサービスの小皿を持ってきた。
「今朝入りの蜂蜜プリンですよ。どうぞ」
プリン。黄色い、ぷるんとした、素朴なやつだ。
「人間の甘味など——」
アルマが言いかけた。そこでプリンを見た。
一秒、止まった。
「…………ひとつ、もらっていいか」
声のトーンが三段階落ちた。
カルロさんが「どうぞ」と置いていった。アルマはスプーンを手に取り、プリンをひとすくいして口に入れた。三秒、静止した。
その瞬間、テーブルの下で、何か黒いものが、ふっと揺れた。
細くて、長くて、先が少し膨らんでいる。
——尻尾だ。
路地で見た角と同じだ。隠す魔法が、緩んでいる。たぶん、プリンに気を取られて。
尻尾の先が、ご機嫌そうに二度、揺れた。
アルマはまったく気づいていない。
「……甘い」
「美味しいですか」
「別に——特別とは思っていない」
赤く光った。強くはないが、確かに。
言葉は赤い。尻尾は揺れている。
(……情報量が、多い)
もちろん、どちらも指摘しなかった。
俺は黙って自分のプリンを彼女の前に押した。
「甘いものは得意じゃないので、よければ」
アルマが俺を見た。なぜか、少しだけ間があった。
「……捨てるくらいなら、もらっておいてやる」
もちろん、これも赤い。今日この人の言葉は、よく燃える。
俺は少し笑った。自分が笑ったことを、少し後になって気づいた。
◇ ◇ ◇
夜、部屋へ向かうと、扉の前にアルマが立っていた。
腕を組んで壁に背を預けている。
「……今夜、ここに泊まる。部屋が取れなかった」
眩しいくらいに赤く光った。今日最強だった。
フロントで確認した限り、三部屋は空いていた。カルロさんも「またいつでも」と言っていた。
でも、なぜそうするのかは聞かなかった。聞いても、光る答えが返ってくるだけだろうから。
「……どうぞ」
アルマが小さく息を飲んだ。
「……当然だ」
「当然」の部分がかすかに光った。
俺はベッドを譲って、床に毛布を敷いた。
あれだけ隙のない、見た目以上の年季を感じさせる少女が、見知らぬ街の、今日初めて会った男の部屋に転がり込んでくる。よほど何かが嫌なのか、あるいは——
何かを引き受けてしまった気がした、と思いながら目を閉じた。
何かが何なのかは、まだよくわからなかった。
そういえば、と一つ思い出す。
路地で彼女が真っ赤に嘘をついたとき——あれだけ強い光だったのに、いつもの頭痛がしなかった。目の奥が、まったく痛まなかった。
……気のせいだろう。たぶん。
そのときの俺は、それを深く考えなかった。後になって、それが何を意味するのか思い知るとも知らずに。
ひとつだけ、確かなことがあった。
「興味はない」と言った彼女の声は、まだ俺の部屋にいる。
◇ ◇ ◇
翌朝、アルマはいなかった。
ベッドは整えられていた。枕元に魔法石が一つ置いてあった。
昨日市場で俺が買ったものより、ずっとよいものだった。
書置きはなかった。
俺はポケットにしまって、階段を降りた。
食堂に、アルマがいた。
俺が入ってきたとき、視線を本に落としたまま、かすかに体の向きを変えた。
ほんのわずかで、俺じゃなければ気づかないくらいの動作だった。




