ケンの仕事
その世界に足を踏み入れたとき、ケンはその光景に唖然とした。
縦長に並ぶ和洋折衷の建物に、道の真ん中を行く路面電車。その向こうにはちらほらと自動車の姿が見え、どこからかラジオの音が流れてくる。
そんな騒がしい空間の中、男たちは新聞を手に語り合い、女性たちは隅に集まっては内輪話で盛り上がっていた。
男は西洋風の衣服に身を包み、女性は和装とブーツを組み合わせたファッションに、髪には大きなリボンをあしらっている。その着こなしに、ケンはほぉ、とため息をもらした。
すぐそばで女性たちが楽しげに会話をしているのがケンの耳に聞こえてきた。「れすとらん、に行きましょう?」「いいわね」なんてやり取りは、どこか品があり、それこそ彼女たちがそう見せようとしているかのようだった。
時代は大正1926年。そこは確かに新しい文明に期待に満ちていたのである。
だが、数十年後の国の姿を知る男にしてみれば、そこは歓迎できるところではなかった。
「ちっ。モラちゃんのいない世界とかありえん。はよ帰りたいぜ」
100年後、小さな箱の中に誕生する緑髪の美少女に思いを馳せながら、ケンは小さくため息を吐いた。
「てか、この時代にピンク頭は目立つだろ……」
思いの外早く方がつく予感にケンが口元を緩めたときだった。
「ああ、あんた、こんなところに! 監督カンカンだったぞ!」
ケンの右腕を誰かが掴んだ。
黒髪を七三に分けた若い男が、まるで仕事をさぼった子供に説教を垂れるかのように苦言をもらす。その瞳は虹色で、その珍しさにケンは見入ってしまった。そのような目の色は、ナリ以外に見たことがない。
「……」
「とにかく来て! もう客は来てるから、ほら!」
そう言って男がケンの背中を無理矢理押して歩きだす。それに特に抵抗することなく、ケンは男に背中を押されたままだった。時おり、後ろから「自分であるかんね!」と怒りの声がする。それでも構わずケンは力を抜いては、後ろの力に身を任せていた。
数分後、目的のところへ着いたのか、ケンを押していた男がピタッと立ち止まる。そこには、人々が何かを囲むようにして集まっていた。
「おい! 何やってんだ! 早く戻れ!」
群衆の向こう、隙間からケンたちを睨み付けながら大柄な男が怒鳴り出す。
なるほどな、とケンは内心顎に手をやった。
どうやら、騒ぎの中心では何か劇が行われているようで、ケンはその役者の一人と間違われているようだ。
「あんた、ほんとどうした? 調子悪い?」
先ほどケンをつれてきた男が心配そうにそう問いかけてくる。それに頭を降って、ケンは笑ってみせた。
「いいや。任せかせとけ」
半ば、演じる気満々である。
ケンの頭の中からは、すっかり「目的」が抜け落ちていた。
◇
ライスカレー・トンカツ・コロッケ。
キャラメル、ミルクチョコレート。
それらは、その時代に大流行したという。
自分の知っている味とは少し違うそれを味わいながら、ケンは爽やかに笑っていた。
「おいしいですね、カレー」
「いや、おいしいですね、じゃないよ! きみ!」
「ちょ、監督!」
「止めるな、るいくん。きみだよきみ!」
そう言って監督と呼ばれた男がケンを指差す。
「なんかさも演劇チームの一員です、みたいな顔をして打ち上げに参加しているけどね、きみ。代理の脇役だから! というか、演じれてなかったから!」
「まぁまぁ、監督。俺はこれからですよ。ところで、俺、監督たちのチームに憧れてまして……特にファンなのがあの……名前なんだったけな……ピンク色の頭の子でーー会えせんかね?」
「なにこいつ! 図々しいぃぃっ!」
「なぁ、ピンク色の子は? 合わせてくれないと、トンカツ奪うっすよ」
「いや、部外者は出ていけぇぇ!」
監督がはっかみだして切れまくれば、役者たちは必死に監督を宥めていた。
役者とすれば、この時代でもあの派手頭は馴染めるだろうと踏んでいたケンは、苦虫を噛み潰したような顔で天井を見つめていた。思ったより長引きそうな予感に、今後はケンのテンションが下がっていく。
そんな中、ケンを連れてきた黒髪の男がきっとケンを睨み付けた。
「あんた、ほんとに源さんの推薦?」
「源て?」
「源さんが来れなくなった代理があんただろ? あんたのせいで源さんの評判がガタ落ちだ! どうしてくれるんだよ……」
「その源さんてのは、どんなやつだ?」
「源さんはなぁ、すごい人なんだ。源さんに叶う役者はいねぇよ」
そういうやいやな、男は源さんと呼ばれた人物の写真をケンに見せる。その写真に写るピンク髪の女の顔を見て、ケンの口角が上がっていった。
◇
「いよいよ新しい時代の幕開けかぁ」
「年号は何になるんだかなぁ」
西洋風の装いをした店の前で、一人の男が新聞を広げ、その後ろから他の男たちが一つの新聞を覗きこんでいた。
「どうも内閣と専門家の両方がいろいろ候補を上げてはいるらしいが、何になんだかねぇ」
男の一人が新聞を片手にそうつぶやけば、また別の男が横から口を出した。
「なぁ。俺、一刻も早く新しい年号知りてぇんだ。どうやったらいい?」
「そりゃ、裏を当たるしかねぇだろうよ。新聞社どもはそりゃ必死らしい。裏にも精力的に通ってるというらしいからなぁ」
「へぇ。その裏とやらはどうやったらコンタクト取れんだ?」
「噂じゃあ、レストランの裏口に情報屋が集うとか」
「へぇ。どこのレストランだ?」
「確か……、メセンジャーとかいう……そういやさっきからしつこいおまえ、……初めて聞く声だな……」
新聞から目を上げずに淡々と質問に答えていた男が、怪訝な顔をして、新聞から顔をあげる。
そして、その目は驚愕に見開かれた。
「おま、え、誰ーーっ、がっ、は!」
瞬間、男はその場に倒れこんだ。
「新聞いただきますねー」
黒髪の男がただ一人、そうつぶやいては気絶した男から新聞を奪った。
◇
レストラン「メセンジャー」は、その時代に馬鹿みたいに増えたレストランの一つである。といっても、レストランの母数が多すぎて、他に埋もれてしまった時代の被害者の一つでもあった。
昼は希にくる客のためのレストラン。だが、夜は違った顔を見せる。それこそ、裏の社会にて重要な情報を扱う「情報屋」であった。
その扉を開く男が一人。
背丈に恵まれなかった黒髪の男だ。
カランー。
扉の鈴が鳴り、カウンターにいた男が顔を上げては冷たく笑った。
「おや、見ない顔だーーっ?!」
男が言い終わる前に、その首元にナイフが当てられる。男は驚いたように目を見開き、そして、ゆっくりと手を上に挙げた。
男にナイフを当てたケンがため息混じりに口を開く。
「ちっ。おりゃ、道具に頼るのは好かんのだ。どこかのイカれ教徒みてぇだからな」
「……」
「ま、これは脅しだからしかたねぇんだが。てことで、おまえの首は人質だ。いいな」
「……何が目的だ」
「これから年号が変わるだろ? いろんなやつらがあんたのところを訪れるだろうなぁ」
「なるほど。年号の情報か……」
これが初めてではないのだろう。人質の男は半ば諦めたように溜め息を吐いてはケンに続きを促した。
「外にいた護衛はおまえにやられたのだろう? 僕も自分の身はおしいからね。知りたいことは何だ?」
「別に新年号は興味ない。興味があるのはこの女だ。年号にどう関わっている?」
ケンはナイフを持つ手はそのままに、別の手で男に写真をちらつかせた。
そこに写るのは、ピンク色の髪で右目を覆った少女だった。左目は見事な紅色をしている。それを見た男の顔がみるみる青く染まっていった。
「こいつをなぜ知ってる?」
「そういうのいいから、知ってること吐けよ」
ケンがナイフの先を男の首元に近づける。皮膚を数ミリ突き破ったそれの先から、赤い雫がつーっと流れ落ちた。
「っ。その女は殺し屋のクイーンだろ? 確かそいつは対内閣に雇われたはずだ……内閣側の案が通らないようにな……っ、これだけしか知らない……っ!」
「なんでだ? この女に誰か暗殺させるつもりか?」
「知るか! だが女が雇われたのは事実だ。確証ではないが、女に対内閣側の元号が通るように動かせるとか」
「…………」
ケンは男にナイフを当てたまま、脳みそを高速回転させていた。
この時代、今は大正1926年である。そして、数時間後には新しい年号に変わる。
それが「光文」である。
関係者以外でそのことを知っているのは、この世界ではケンだけである。なぜなら、同僚のアーミーナイフに「光文1952」と彫ってあったのだ。確実にこの世界の未来は「光文」である。誰かが歴史を変えない限り、だ。
だが、この世界には歴史修正者が現れたとの情報もある。彼らが「光文」の未来を変えてしまえば、元号は変わるのだ。
ーけど、元号変わったくらいで、ナリが生まれないとかあるか?
ケンが赴に落ちなさげに男を見れば、男は真っ青になって肩を震わせていた。
「ま、いいや、サンキューな」
いうや否や、ケンは男をその場に投げやると店を後にした。
カランと音が鳴るーー。
ケンが出ていったことで、店内は再び静けさを取り戻していた。
残されたレストラン内で、男はぶるぶると体を震わしては、奥の入り口へと目をやった。
「い、言われた通り、やりました! だから、息子と妻を解放してくださいっ……」
「ご苦労様じゃ。あの男は馬鹿だ。間違いにも気づかぬうちに片付くじゃろう」
不気味な女がニヤリと笑った。




